エピソード 2ー5

「うわぁ~、凄いです、雨宮様! 車って、こんなに速度が出るんですね!」


 隔離施設は司令部から離れた場所にあると言うことで、私は雨宮様の部下が運転する車に乗せてもらっている。初めて乗せてもらった自動車に、私は思いっ切り興奮していた。

 そんな私に視線を向けると、雨宮様はふっと笑った。


「異空間収納やら、傷を一瞬で治すポーションやら、自分の方がよっぽど凄い物を持っているだろうに。車くらいではしゃぐとは、まるで子供のようだぞ」

「わ、私にとっては、異空間収納より、車の方が珍しいんです」


 雨宮様に笑われて、私は思わず顔を赤らめた。それから上目遣いで「子供みたいで悪いですか?」と睨みつける。彼はまたまた笑って、私の頭に手のひらを乗せた。

 彼の大きな手が、私の頭を優しく撫でる。

 私は思わず硬直してしまった。


「別に悪かねぇよ。ただ、無邪気な姿が愛おしいと思っただけだからな」

「なっ。……も、もう、からかうのは止めてくださいっ」


 私はふいっと視線を外し、自分の胸を押さえつけた。

 もう、なんというか、この世界の殿方は私の心臓に悪すぎるよ。



 その後、雨宮様から妖魔化を防ぐ手立てについて質問される。私は水瀬さんのときと同じように、故郷で発生していた魔物化とその原理について打ち明けた。

 もちろん、巫女が妖魔化を解く鍵になるかもしれないことも伝える。


「なるほど、それは考えなかった訳ではない。だが、仮説を補強する情報はありがたい。レティシアの貢献はもはや計り知れんな。……と、ついたようだ」


 車が減速して物々しい警備がされている施設の前で止まる。私達は車を降りて、それから雨宮様が所持する許可証で施設の内部へと足を踏み入れた。


 コンクリートで作られた、殺風景な施設。

 外は物々しいけれど、内側には驚くほどなにもない。それを見た私は、警備がもっとも警戒しているのは、外から来る敵ではなく、施設の内にいる存在なのだと気付いた。


「隔離施設はこの先になります」


 案内役の軍人が階段を下りていく。その後を追って地下へと続く階段を降りると、まるで監獄のようなフロアにたどり着いた。


「まさか、このような場所にあの男の子を?」

「はい、隔離しています。いまは正気を保っていますが、いつ暴れ出すか分かりませんから」


 私の独り言に答えたのは案内役の軍人だ。小さな男の子に酷い仕打ちだとは思うけど、妖魔が街中で暴れたときの惨劇を思えば、彼らの判断を責めることは出来そうにない。


「レティシア、帰りたくなったのか?」

「そ、そんなはずありません」

「そうか、なら俺に付いてこい。心配せずとも、部屋の内装はそこまで悪いものじゃないぞ」


 まるで私の内心を見透かしたかのように笑い、雨宮様は案内役に先導を促した。



「この部屋が少年の隔離されている部屋です。部屋の中に入ることは許されていますが、中の鉄格子を開けることは許可されておりません」

「ご苦労。しばらく下がっていろ」

「はっ、ご用が終わればお呼びください!」


 雨宮様の指示に従い、彼は持ち場へと戻っていった。

 それを見届けた雨宮様が扉を開けて無造作に中に入る。私がその後に続くと、案内役の軍人さんが言ったとおり、部屋の真ん中に格子状の仕切りがあった。


 その鉄格子の向こう側に、膝を抱えて俯く男の子の姿があった。妖魔化はひとまず治まっているようで、影のような爪もいまは消えている。

 その男の子が物音に気付き、ゆっくりと顔を上げた。

 頼りなさそうな、だけどどこか優しげな顔立ち。赤い瞳と、赤みを帯びた黒髪は別にして、彼のその顔立ちはやっぱり、私の生き別れの弟とよく似ている。


「……あれ、お姉ちゃんは」


 男の子の呟きに胸がドクンと高鳴ったなった。だけど「このあいだの……」と続けられた言葉に、勘違いしたことに気付く。

 いまの私は冷静じゃない。

 胸を押さえて深呼吸を一つ。

 私は鉄格子の前で膝を付き、男の子と視線を合わせる。


 妖魔化が始まり、一度は正気を失って拘束された。とはいえ、正気を取り戻したいまの彼は、年相応の男の子でしかない。

 憔悴しきったその表情が、その境遇を現している。


 なんて声を掛けたらいいか分からなかった。

 大丈夫? なんて、とても口に出来ない。魔物化が始まっている人をたくさん見てきた私は、いまの男の子の心境が大丈夫なはずはないと知っているから。


 聖女としての力を振るえるなら、魔物化が始まった人々の魔石を浄化して、もう大丈夫だよと声を掛けて上げることが出来たかもしれない。

 でも、いまの私に聖女としての力はなく、魔石の浄化すら試せない。

 だから――


「こんにちは、私はレティシア。少しキミの話を聞かせてくれるかな?」


 私は出来るだけ穏やかに微笑んで、そんな質問を投げかけた。

 いまの私に出来るコトを精一杯。

 妖魔化と魔物化が同じものかを確認するために。


「質問に答えたら、ここから出してくれるの?」

「すぐには無理だけど、そう出来るように質問をするんだよ」


 嘘でぬか喜びはさせない。でも、最悪を口にして希望を奪うような真似もしない。

 いまは落ち着いているようだけど、いつまた妖魔化の兆候が現れるか分からない。それに、大きな感情の揺れは魔物化の切っ掛けとなり得る。妖魔化も同じ可能性が高い。

 私はなるべく彼を刺激しないように質問する。


「まず、キミのご両親はどこにいるの?」

「お父さんとお母さんは、僕を妖魔から庇って……死んじゃった。僕のせいで……お父さんと、お母さんが。僕が、お父さんとお母さんを殺したんだ!」


 初手から質問を間違えてしまった。

 ボロボロと涙を流す彼の瞳が真っ赤に染まっている。それは、妖魔化の前兆だ。やはり、回復ポーションだけでは、完全に妖魔化を防ぐことは出来なかったようだ。

 あるいは、妖魔化が魔物化とまったく違う現象か……


 うぅん、ここで弱気になっても仕方がない。可能性があるなら試すしかないと、回復ポーションと同じ効果を持つ聖水を取り出し、彼に飲むように促した。


 半ば強引に促せば、彼は咳き込みながらも聖水を飲み干した。だけど効果が出ていないのか、あるいは彼の妖魔化が進んでいるのか、男の子の容態は回復しない。


「レティシア、危険だ。下がれ」

「嫌です」


 私は雨宮様の制止を振り切って手を伸ばし、鉄格子越しに男の子を抱きしめた。小さい、本当に小さな男の子だ。なのに両親を妖魔に殺され、自分も妖魔になりかけている。

 こんな小さな身体で、どれだけの悲しみを背負っているのだろう?


 聖女の力で彼の魔石を浄化しようとするけれど、魔封じの手枷を填められた私は聖女の力を振るえない。いまの私は、彼の魔石を侵す瘴気を払うことすら出来ない。


「落ち着いて、興奮しないで。感情を揺らせば、妖魔化が進んでしまうから」


 男の子に呼びかけて、必死にどうするのが最適か考える。

 魔封じの手枷で力を封じられていても私は聖女だ。目の前に苦しんでいる子供がいるのに手をこまねいているなんて聖女のすることじゃない。

 そうして必死に思考を巡らした私は、いままでに直面した現実から一つの結論を得る。


「キミのお父さんとお母さんは、キミのせいで死んだんじゃない。ご両親は、大好きなあなたを最後まで守り抜いただけ。だから、責任を感じる必要なんてないんだよ!」

「……お姉、ちゃん?」


 私は聖女だ。

 いくつもの戦場を目にした私は、人間がどういう生き物か知っている。


 極限状態に置かれた人間はその本性を曝け出す。

 己の死をまえにすれば、家族を、友を、恋人を見捨てて逃げる人間だって珍しくない。そんな中、命を賭して男の子を守った両親がなにを思ったかなんて明らかだ。

 だから――


「守ってくれてありがとうって、感謝すればいいんだよ」

「でも……」

「あなたのご両親は、精一杯キミを守ったの。それなのにキミが悲しんでいたら、ご両親が喜ぶと思う? キミが笑っている方が、ご両親は絶対に喜ぶはずだよ」

「そう、なのかな? お父さんとお母さん、僕を怨んでたりしないかな?」

「絶対にそんなことはない! ご両親は、キミのことを心配しているよ」


 確証なんてない。

 それでも、男の子の心が少しでも晴れるように断言する。私がご両親ならそう願う。私が彼のお母さんなら、誰かが彼にそう伝えてくれることを願うから。


「お父さんやお母さんが、僕のことを……心配してるの?」

「うん。大切なキミに幸せになって欲しいって、そう願ってるはずだよ」

「……っ。そうだ、僕を庇ったときに、二人とも、僕に、生きろって……どうして、忘れていたんだろう。う、うぅ……っ。お母さん、お父さん。うあああぁあああっ」


 男の子は声を上げて泣き始めた。

 格子越しに男の子をあやしていると、しばらくして男の子は落ち着きを取り戻す。


 瞳は真っ赤に腫れていたけれど、それは涙のせいだろう。

 妖魔化の兆候はいつの間にか収まっていた。

 それを確認して、私は慎重に質問を再開する。


 男の子の名前は蓮、今年で十一歳になるそうだ。

 蓮くんは帝都から少し外れた郊外で両親と暮らしていたらしい。だが、その両親が半年前に妖魔に殺され、男の子は孤児として帝都の貧民街で暮らしていたそうだ。

 その頃から、男の子は体調を崩し始めたらしい。

 つまり、男の子の妖魔化が始まったのは帝都に移住してから、ということになる。


 妖魔化の原因が魔物化と同じ、瘴気に汚染された空気が原因ならば、この帝都が瘴気に侵されていることになる。

 だが、妖魔は帝都よりも、郊外で発生することの方が多いと聞いている。なにか、私が見落としている情報があるのだろう。


「お姉ちゃん、僕、ちゃんと質問に答えたよ。ここから出してくれる?」

「確認するから少しだけ待ってね」


 私は視線で雨宮様を促して、一緒に部屋から退出する。男の子が軟禁されている部屋の前、廊下の壁に身を預けた私は小さく息を吐いた。

 そんな私を、雨宮様が気遣うように見下ろした。


「レティシア、大丈夫か?」

「……少し、感情移入をしすぎたようです」


 自分の身をぎゅっと抱きしめる。

 誰ともしれない、性別や年齢すらも知らない、他人の不幸を聞いて号泣する人はいない。だけど、その人の生い立ち――特に苦労した生い立ちなどを知っていたら話は変わる。

 男の子が生き別れの弟に似ているのだからなおさらだ。

 彼を取り巻く環境を想像した私はいま、彼の不幸を自分のことのように悲しんでいる。


「本当に大丈夫か?」

「心配しないでください。……慣れていますから」


 笑って流そうと笑みを浮かべるけど、無理に笑ったせいでぎこちなくなってしまった。そして次の瞬間、雨宮様の手が私をぎゅっと抱き寄せた。

 

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