第7話 イオアンネスの至宝

 女どもの肴にされているとは露しらず、ダンテは異空間の世界作りに余念がなかった。もう視界に収まる広さではなくなっている。

 水量の格段に増えた世界ではドリアード達が姿を現し、メリオールの小さかった泉が湖になって館が建てられた。クエレブレとシャナが湖の守り神となる。

「これでイフリータ(火の女魔神)が来てくれたら、ペリュトンの卵を孵せるな」

 ダンテは木箱をメリオールに預けた。

 遠くで瀑布の轟きが微かに聞こえる。

「これって本当に本物なの?太古の伝説の大陸の…なんでしょう?」

「魔法生物部の連中もそう考えて俺に横流ししてくれたんだ。高名な魔法生物学者エルキュール・キュヴィエの家から押収した物なのに」

 何処の有力者の逆鱗に触れたのか彼は他国に夜逃げし、お陰で貴重な研究書や蒐集物が押収されて魔法生物部に回って来た。速やかに彼が存在した形跡は消し去れられたことから、政治の中枢のかなりの人物であるのが窺い知れる。

「ああ、坊やが一生懸命著作やら蒐集品を集めてた学者ね」

 それはメリオールの館と同時に建てられた図書館に保管されている。

「彼はフィールドワークを研究の中心に据えてたから、人を快く思わないモノ達の信頼を得てたんだ。試してみる価値はあるよ」

「何でキュヴィエは自分で孵さなかったのかしら?」

「条件が整った場所が用意出来なかったんだ。貴重なモノだからメリオールに預かってて欲しい」

 そう言われれば悪い気はしない。

「分かった。大事に預からせてもらう」

「ありがとう」

「イフリータ…」

「名前はイナンナ」

「イナンナはいつ来れる?」

「近々としか言えない。なんせここは秘密の場所だから」

「いつでも俺の方は用意が出来てるって伝えておいて」

「焦りらない方がいいわ。大きくなってここの存在が外の人間にも気付かれてるんだし」

「ホント?」

「これだから坊やは」

 メリオールは肩を竦めた。

「上手くやってるつもりでしょうけどね、これだけの規模の世界なんだから肌で感じる者もいるわよ。探ろうとしてる者もね」

「見直しします」

 素直に答えた。

「それにねトロザは魔法都市よ。重ねるのも止めなさい。危険よ」

「それはもっと早く言ってよ」

「大きくなってきたら移動させるだろうと思ってたのよ。坊やがバカだとは思わなかったからね」

 ここまでの規模になれば直ぐに移動は無理だ。次の満月を待つことにした。



 セルファチーの事件は第一級情報として全国に知らされたから厳重な包囲網が敷かれ、彼らの行動を慎重にさせた。

 脱獄してまず作った人工人間に、トロザに隠れ家を作らせたがセルファチーは足を運ばなかった。それが幸いしてダンテにもトロザの隠れ家はバレずにすんだ。地下の方もだ。ロレンシオも聖ルカスのスパイが使っている隠れ家に彼を案内する気はない。

 大小の川中島がかたまってあるうちの小さな島は、木立が伸びて建物を隠していたから夜に行動すれば人に目撃されることもない。

 メダルドとセリーヌはそこに呼び出されたがセリーヌしか来なかった。

「メダルドは?」

 背は高くないがロレンシオには静かな迫力があり、問われてセリーヌは「父さん」を窺う。

「構わない、言え」

「メダルドは魂と身体の融合が上手くいってなくて、ずっともう一つの隠れ場から出ないの」

「上手く合わないだと、どういうことだ?」

 散々自分の作品を自慢していたセルファチーを睨み付けた。

「極たまにそういう例がある。何が原因かの究明は出来ていない。まだね」

 要するに失敗したということだろうに研究課題に摺り替えて素直に認めたりはしない。

 怒りを押し隠して案内させようとしたが、そこを知られたくないセルファチーは許さなかった。

 セルファチーを救って広場から転移する直前メダルドの姿を見たが、彼の肉体を与えられたアランだと説明された。彼の肉体はセルファチーの眼鏡に合わなかったのもあって、切り貼りせず使われていたのだ。

 愉快な話ではない。ではメダルド・パローリにはどんな肉体が与えられたというのか。セルファチーは沈黙した。支配下にあるセリーヌからも答えは得られない。

 するとある時セルファチーの目を盗んでメダルドからの伝言をセリーヌはロレンシオのポケットに押し込んだ。

 場所もどんな姿にされたとも書かれてはいなかったが、この姿で会いたくない、それは命じられたからだけでなくメダルドの本心であることが綴られていた。魂と身体の融合が上手くいかず、早晩失敗作として命尽きるだろうから死んだものと報告してくれと。

 任務に危険は付き物で警戒を怠ったのはメダルドの失態だし奴は友達ではない。だが任務の途中で命を助け合ったこともある仲間である。人間としてロレンシオは不快だった。

 創造主であることに慣れたセルファチーは他者の気持ちを斟酌しない。新たな隠れ家は空っぽで何の設備もなく作品作りが出来ないことに苛立ちを募らせ始めていた。

「もう一つの隠れ家はどうだ?」

(こいつもヘナロと同じだ)

 殺人衝動に逆らえずその設備も持たないというのに、アルビノのヴァランタンに命じて人を殺させようとした。

「あの艶やかな黒髪をこれからの作品に活かしたいんだ。どうにか聖ルカスに持って行けないだろうか」

 死霊だけならまだしも解体した部品まで持って逃げられると思っているのか。セルファチーの理性の均衡は崩れてきていた。

 ほっそりした身体が美しいと、十代後半の少年を蒐集しようとしてロレンシオに邪魔されると隠れ家で怒り狂った。

 才能ゆえに自分を聖ルカスに招こうとしているのではないか、なのに何故止められるのか。

 医師として尊敬を受け数々の殺人を人知れず行った。慢心がセルファチーの警戒心を失わせているのだ。殺人狂のパターンを踏んでいる。

(度し難い!)

 とうとう彼は部下を呼んでセルファチーを監禁させた。

「お前達が狙っている女は調べが済んでいる」

 セルファチーはセリーヌを振り返った。

「違います!父さん」

 反吐が出そうだ。偽物の家族、可愛い娘も人殺しを躊躇わない殺人鬼の一家。

「違う、部下がセリーヌを尾行けたんだ」

「尾行けられるとは!」

「ごめんなさい、父さん。許して」

 跪いてセリーヌは許しを請うた。

「ヴァランタン、娘にはお仕置きが必要だ」

「そこまでにしろ、汚らしい」

 ロレンシオから発せられた言葉がセルファチーを打った。

「汚らしい、だと…」

「見ていられん。それと、女を捕まえるのは俺達がしてやる」

「何?」

「捜査官の女だから行動が難しいんだろうが!俺達なら簡単に連れて来れる。モルガーヌ、彼女だけはどうにでも好きなようにするといい。その後は直ぐに聖ルカスに向かうぞ」

 眼光の鋭さに怯んでセルファチーも反論出来なかった。

「ヴァランタンもセリーヌももう外に出ることは許さん、いいな!」

 拒否されるはずがなかったが、セリーヌが鞄を触って意外な表情を見せたのが気になった。

「何だ?」

「珈琲豆…」

「メダルドか?」

 彼は部類の珈琲好きだ。

「…もう、何も食べなくて…珈琲だけ飲んでるの…」

「……ペッシ、スコルピヨーネ、セリーヌと一緒に行け」

 セルファチーを振り返る。

「今度こそもう一つの隠れ家を教えてもらうぞ」

 幾許かの葛藤の後セルファチーは渋々許した。

「セリーヌ、メダルドのいる隠れ家に案内してやれ」

 イオアンネスの至宝さえ手に入れば、後は聖ルカスで一からやり直せばいい。セルファチーそう自分を説得していた。



 久し振りの地上だった。

 メダルド・パローリの魂の入った少年は目が明るさに慣れるまで待った。

(産まれたての仔馬はこんな気分だろうか?)

 ずっと薄暗がりの地下に居たから光溢れる地上は、そんな感想をメダルドにもたらした。

 ワゴンを押す珈琲売りの声、パンを重ねた屋台。街は動き出したところだ。

 急に空腹を覚えた。まだ時間はある平たいパンを買った。

バターブールにする?コンフォテュールにする?」

「コンフォテュールでヨーグルトヤウールも欲しい」

「はいよ、今日のコンフォテュールはイチジクだよ」

 初老の女性はたっぷり塗ってくれた。

 世界は色で溢れていた。そのことに新鮮な驚きを感じた。

 モルガーヌのシフトはセリーヌが調べて判っていた。同僚と夜勤を代わって今朝は勤務から帰る。彼はその途中で待った。

 太陽の下、久し振りに食べるパンは美味しかった。

 ロレンシオに送ったメモには死を匂わしていたが、身体の具合が恒常的に悪くても死の気配はまるで感じなかった。どうしてもこの姿で会いたくなかったからそう書いたのだ。

 人間は災難に遭って心挫けて立ち上がれない人間と、負けじと足搔いて乗り越えようとする人間がいる。スパイなんぞという稼業をしていられるのは後者だからだ。

 国を裏切らず任務を全うしても元の身体は戻ってこないし、セルファチーを連れて国に帰っても実験台にされるのがおちだろう。祖国の為に働いてきたが実験台にされる運命を受け入れるのは嫌だ。それだけはごめんだ。

 メダルドは天涯孤独だ。物心つく前に魔法の才能を見出され聖ルカスの為にと親元から引き離された。恐らく両親に売られたのだ。ゴメスや他の同朋も多くはそうだった。

 考えれば考える程、聖ルカスにはもう充分尽くしたように思えた。任務に失敗して彼は死んだのだ。死後は解放されるべきだろう。

 何処に行く宛はないがイオアンネスの至宝であるイヤーカフを奪ってメダルドは逃げるつもりだった。

 そうとは知らずモルガーヌは重い気分でトボトボと家路を辿っていた。

 先日急患として転送された患者が亡くなったのだ。

 能力のある同僚、ヒクマトがいたから、三名は正規ルートを通らず突然転送されて職員を驚かせた。フレデリーク・コロンボ、エリク・シェロン、ジャンピエロ・ルッロの三名で、手当ての甲斐なくルッロ以外は早朝相次いで亡くなり、彼も未だに容態が安定しない。

「凶神官のヘナロの仕業だって」

「拷問されてない」

「捜査官だぞ闘ったんだ」

「ヘナロと闘ったにしては鞭の疵がない」

 鉄線を編んで棘を仕込んだ鞭で付けられた傷は見慣れた物になってしまっている。それがないのはおかしいのだ

ヌフの人達でしょう?それがこんな有ようなのね」

 外に情報を洩らせないだけに、内内で情報に不安を乗せて囁き合う声がモルガーヌにも届いた。

「フレデリークさん…」

 若い看護師が涙を溜めていた。仕事中の怪我はここで治療される。自然捜査官で顔見知りも多くなる。

 慰めている後ろを、速足に蒼い顔のジョアンナとヒクマトが通り過ぎた。

 職場全体が重い雰囲気で仕事を終えると外に出ただけでホッとした。

 助けたかった。懸命に看護して助けられなかった。それはいつだって看護師には辛くのしかかる。

 俯き加減に歩いていると、通り道にあるベンチに小さな少年が座っていた。癖っ毛で赤味掛ったブリュネットだ。

 何故目についたのか、ベンチだから誰かが座っているのは珍しくもなんともない。子供が親や保護者を待っていることだってある。訝しげに思っているとスッと犬が彼女の横についた。マイスだ。通常の犬の大きさになっている。翅はない。

「マイス?」

〔あの少年に気を付けて〕

「モルガーヌお姉ちゃん」

 マイスの言葉に被るように前を通り過ぎようとした時可愛い声が掛かった。にこりとはにかんだ笑みを浮かべる。

(ああ、この子…)

 ようやく気付いた。

 こんな幼子まで凶刃に掛けたのだ。何人分が継ぎ接ぎされているのだろう。

 マイスが低い唸りを上げて警戒している。

「怖いよお姉ちゃん、犬には首輪をしとかないといけないよ」

 身体と中身は別物だ。小さいが自分よりはるかに強い。それがマイスに分かったから、

〔逃げて〕

 と告げた。

「ありがとう」

 モルガーヌは後ろを顧みることなく走った。

「おやおや、可哀想な犬。あの女はお前がどうなるか分かってて逃げたぞ」

〔あの人はどうでもいいよ。これが僕の仕事。でもきっとトゥーサンは悲しむだろうな〕

 いい終わると同時に少年に飛び掛かった。と見たのはフェイントで、至近距離で口から吐き出された煙をメダルドは寸手に避けた。

「毒?」

〔即効性の下剤だよ、安心して〕

 着地して油断なく身構えながら告げた。

「成る程、ただの番犬ではない訳だ」

 下剤なんぞ嗅がされたら、戦闘続行はまず不可能だ。何があってもトイレに駆け込まざるを得なくなる。何と平和的なのか。

 この犬を手に入れて構造を調べたかったが時間がない。

「悪いな…」

 少年が両手を打ち合わせるとマイスは両側から圧し潰されて消えた。呆気ない最後だった。

「飼い主に縋って泣かれたくないだろう?」

 子供ではあり得ない脚の速さでメダルドはモルガーヌを追った。

 他の人工人間のようにモルガーヌは高い身体能力を与えられてはいない。それは妻が自分より何においても勝ることをセルファチーが嫌ったからだ。愚かな男が無意識に妻に抱く願望である。

 だからマイスが時間稼ぎ出来たとしても僅かでしかなかった。モルガーヌが息を切らして足を縺れさせ転ぶと、もう立てなくなった。荒い息をするその背に幼い少年が気遣う声が打った。

「大丈夫?お姉ちゃん。怪我してない?」

 演技とは思えない優しい言葉に返ってゾッとした。

「助けて…トゥーサン」

 耳を庇おうとするが小さな手が恐ろしい力でその手を掴んで止める。スッと翼猫のイヤーカフは抜取られた。

「!」

「お前の愛なんて嘘っぱちなんだよ!トゥーサンだって守ってもらう為に色仕掛けしたに過ぎないだろうが」

 内容と声がアンバランスだ。

「違うわ!彼への愛は本物よ。それを返して⁉」

 少年を捕まえようとするがサッと逃げられてしまう。

「これを無くしていつまで生きられるかな?見ててやるよ」

 少年が小さな耳にイヤーカフをつけると耳の大きさに合わせて変化した。その様はドワーフの細工物のようだ。

「あっ…」

 急にモルガーヌの身体に重みが加わった。

 反対にメダルドはスーッと身体が楽になった。形容しようのないモヤモヤが晴れて気分が爽快になる。

「これが、イオアンネスの至宝の力か」

 仲間を裏切って選んだ道に間違いはなかった。浮かれた気分になって少年は走った。

「待って!返して、返して」

 無駄だと分かっていたし無駄だった。笑い出したくなるような爽快感に身を任せた少年には届かなかった。

(後二年…)

 七十四年前に継ぎ接ぎロランが逮捕され、人工人間は処分されたが、生かされてどれ程生きるか計られた個体もあった。二年程で残された三体は動きを止め腐り始めた。医療に従事しながら密かに事件の記録を追って得た情報だった。

 彼女を人間にしていた翼猫のイヤーカフは奪われてしまった。残された時間は二年だ。

 絶望に打ちひしがれる彼女なのに事態はそっとしておいてくれはしなかった。

「どうしたのあなた、気分が悪いの?」

 少女の声だった。

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