3-4


 絶賛公開処刑中の僕の眼前。幾千の時を経た北条が膝から崩れ落ちた。そのまま彼は地獄を這うような声を漏らす。


「……どうりで、背丈と格好がいつもと違うと思ったら」


 いや気づけよ。僕の胸中でツッこみが虚しく響く。

 僕は北条と自分自身、両者に向けて心底同情していた。やがて北条がユラリと顔を上げて。


「……つまり、あの手紙を書いたのは、僕をこの場所に呼んだのは、柳楽くんってことだね。……すまない。僕はキミの気持ちには答えられない。僕は別段、男色の気があるワケでは――」

「あ、僕もそういう気はないから安心して。そして僕の服装に関しては、一旦気にしないで」

「……それは、かなり無理がないか?」

「……無理を承知で、頼んでいるよ」


 北条がヨロヨロと、茫然自失の様そうで立ち上がる。いつもの、無駄に爽やかな笑顔はどこへやら。今の北条は、死んだ魚を百日くらい天日干しさせた目をしていた。


「では、一体全体なんの用だと言うんだい。こんな時間にわざわざ呼び出して」


 北条がそう言い、僕は緊張する。『北条を一人きりで呼び出す』というファーストミッションはクリアした。しかし次なるお題目を完遂させることこそが、僕に与えられた本来の任務だ。


 僕は徐に口を開いて。


「北条。キミは前に、うちの学校は取り立てた功績はないけど、平和で、みんな仲が良くて、それが誇りなんだって――そう、言ったよね?」


 北条が訝し気に顔をしかめる。何の話だと言わんばかりに。


「……言った、かもしれないな。それがどうしたというんだ?」


 僕はジッと北条の顔を見つめながら、「でもさ」瞬き一つせず、全神経を視覚に集中させる。


「平和で何の争いもないってことはさ、裏を返すと……、みんながみんな、向上心という気持ちを持たず、競争心という気持ちを持たず、言ってしまえば『成長しようとする意志がない』って、そうとも捉えられるよね」僕が言葉を切ると、北条がやけに真剣な顔に直る。

「……何が、言いたいんだ?」

「僕にはそれが、不自然に思えるんだ。だって普通の人はさ。周りから刺激を受けることで、自分でも何かをしたいって感じるじゃない。憧れや期待を抱いて、夢や目標に向かって努力しようとするじゃない」


 自分のことは一旦棚上げしつつも――僕は『あえて』、綺麗ごとの羅列を押し並べた。


「その過程で、人と衝突することもあるかもしれない。感情をぶつけ合うことがあるかもしれない。でもそれって当たり前だし、ある意味、とても人間的な行為だとも思う」


 北条は黙っていた。黙って、僕の声に耳を傾けていた。


 緊張からか、僕の口はカラカラに乾いている。でもここまで来てしまった以上、引き下がれない事実も僕は知っていた「だから」僕は自身にハッパをかけるよう、喉を絞り上げて。


「そういう感情を排除して、みんながみんな、自分の意見を持たず、周りに同調しているようなうちの学校の雰囲気。……ちょっとおかしいよなって、僕はそう感じるんだけど」


 僕は相変わらず北条の顔を見据えている。彼もまた僕の目を。


「北条は、どう思う?」


 最後の一矢を、僕は放った。


 もし北条が、万物の変化を拒んでいるのなら。心の膠着を『正義』と考えているのなら。

 僕の問いを肯定できるはずがない。何故なら、『停滞』という名の『正義』を、心魔自身のアイデンティティを、否定することになるから。少なくとも――

 揺さぶりは、かけられるはずだ。心魔に支配された感情を、揺り動かすことはできるはずだ。


 ……表情の変化一つ見逃すまい――僕は北条の顔面を食い入るように見ていた。

 でも。


「そう、だね」僕から視線を逸らした北条が、口元に手をあてがって。


「僕も、キミの意見に概ね同意かな」


 北条は僕に、『賛同』した。

 僕は呆気に取られていた。ヌカに釘を打たれたような心地で、「えっ?」と気の抜けた声をあげる。呆けた僕を置き去るように、北条が淡々と言葉をつづけた。


「確かにうちのクラスは仲が良い。みんないい奴らだ。でも……、キミが言うように、あまりにも自我というか、自分の意志というものを持っていないなと、僕も感じることがあってね」


 北条が僕に視線を戻す。柔らかく顔を崩して、ふぅっと息を漏らした。


「僕も学級委員長として、そういう問題意識は持っているよ。僕たちは若い。もっと伸び伸びと、自分本位に生きるべきなんだろう。……もちろん、校則を破るような過ちは犯してはいけないけどね」


 北条の表情は、子を見守る父親のようだった。以前の学級裁判の際、冷徹な顔つきで明智を見下す彼はそこにいなかった。僕は虚を突かれて、焦燥し、混乱している。

 ものの見事に、あてが外れてしまったから。


 北条は、『停滞』の心魔に憑かれていないのか? 彼は黒幕ではないっていうことか? それとも、正体を隠すために演技をしているのか?

 思考の渦に呑まれそうになっている僕に対して、北条が不思議そうな声を。


「……どうした。わざわざ夜の学校に呼びつけて、話ってもしかしてコレだけか?」

「あっ――いや、あの、ええと、その」


 思わず北条から目を逸らした僕は、キョロキョロと視線が定まらない。どうしよう、北条が黒幕ではないとなると、一体誰が――


「では、今度は僕からいいかな。ちょうどキミに話があったんだ」徐に北条が声をあげた。思考のループに一時停止をかけて、「へっ?」僕の声は裏返っている。


 北条に目を向けると、先ほどまでの穏やかな表情は彼の顔面から消えている。代わりに彼は、厳しい顔つきで僕を鋭く睨んでいた。


「自分本位に生きるべき――そう言った手前ではあるが、しかし僕とて、人の心を弄ぶような悪行は看過することはできなくてね」


 北条がゴホンと大仰に咳払う。もしかして彼は、僕が(正確に言うと僕たち三人が、だけど)女子を装い、ラブレターめいた嘘の手紙で北条を呼び出した事実について、糾弾しようとしているだろうか。僕の背筋に緊張が走ったところで、彼が再び口を開いて。


「キミは、その……、うちのクラスの、複数の女子たちと仲が良いみたいだけど。一体、誰が本命なんだ?」


 その質問は、予想の斜め上を行き過ぎていた。


「はっ?」僕はバカみたいに大口を開けて、目を見開いていた。背筋に走った緊張が空の彼方へと駆け抜ける。北条はというと、そんな状態の僕をお構うこともせずに流暢な口調で。


「キミは、明智クンとお昼を一緒に食べているみたいだし。式部クンと放課後二人きりで、勉強していたとも言っていたし。あまつさえ昨日、松喜クンと二人で下校したともと聞いている。……手当たり次第ではないか。そこんとこ、どうなんだ?」

「いや、どうも、クソも」


 僕はポリポリと頬を掻いていた。掻きながら、多少なりとも混乱していた。


「……式部とは、事情があったっていうか、なんていうか」そもそも、彼女のウソだし。

「松喜とも、たまたま帰りが一緒になったって、それだけだよ」


 北条がくわっと目を見開いた。づかづかと僕に歩み寄り両肩をガシッと掴む。僕の全身が跳ね上がったのは必然だ。最近よく、人に肩を掴まれるな。

 鼻先三十センチメートルの距離。北条がワナワナと口を震わせている。


「……では、明智クンはどうだというんだ。キミはやはり、彼女が本命なのか?」

「本命って……、確かに昼ご飯は一緒に食べる時はあるけど。そういう気持ちは、ないよ」


 そもそも、最近まで男だと思ってたくらいだし。


「なんだと……?」北条が、信じられないっていう顔つきになって「ではキミは、その気もないのに複数の女子たちをたぶらかしているのか? プレイボーイというやつなのか?」

「ち、違うよ。っていうか、なんでそういう発想になるんだよ」


 僕の混乱に混迷が加わり、いよいよ思考がマトモに働かない。……なんだ、なんなんだコイツ。僕に松喜を獲られるかもって、それで焦っているのか?

 しかし北条は僕の思案を待ってくれない。彼は「いいか」と、威嚇するように唸りあげて。


「キミがどういう恋愛観を持とうが僕の知ったことではない。だが、彼女を悲しませるような真似は、絶対にするな。……キミが彼女に対して、気持ちがないというのなら」


 鬼気迫るような北条の圧力。僕は思わずゴクリと唾を呑む。……だけど。


「身を、引いて欲しい」


 最後のその言葉は、まるで何かを懇願するように弱々しかった。燃えるように興奮していた北条の顔が幼子の如くひしゃげる。僕は茫然と、その様そうを眺めるばかりで。

 ……北条、マジで松喜に惚れてるのかな。


「いや、安心してよ」


 気づいたら、僕はそんな言葉を上げていた。そのまま猛牛をなだめるようなトーンの声を紡いで「僕は、松喜に対してそういう気持ちはないし、今後もそういう目で見るつもり、ないよ」


 シンッ――と静寂が流れる。やがてホッと安心したような表情を見せた北条が、僕の両肩から手を離して、「そうか、すまない。取り乱してしまって」と朗らかに笑いながら――


 みたいな展開になるんじゃないかと、僕は一人勝手に想像していた。だけど現実はそうならなかったんだ。

 キョトンと目を丸くした北条が。


「……松喜? なんで松喜クンの名前が出てくるんだ?」


 心底不思議そうな顔で、僕の目を見つめていて。


 ――えっ……?


 僕は言葉を失った。噛み合わないパズルのピースに首をかしげるように、僕たちの間をただただ沈黙が流れている。このまま時が止まってしまうのではないかと、錯覚するほどに。

 突如。甲高くあどけない声が空間に響いて、静寂のヴェールが突き破られる。


「ヤギラーーッ!」


 僕は脊髄反射で振り返り、北条もまた声のする方へ目を向ける。誰かが僕たちに向かって急接近してきているようだ。目を凝らすと――


「……明智?」


 短い手足を一生懸命に動かしながら、明智が猪突猛進している様を僕の視界が捉えた。彼――じゃないんだってば。彼女は僕らの元にたどり着くなり、「ホージョー、テメーッ! ヤギラから離れろっ!」両腕をいっぱいに伸ばして僕から北条を引きはがす。そのまま仔猫を守る雌猫のごとく、明智は僕の片腕をぎゅうっと抱きしめた。


「ヤギラに手、出したら、オレがタダじゃおかないからなーッ!」


 明智の奴。北条が僕に暴力を振るおうとしているって、そう勘違いしたのかな――確かに明智が隠れていた大樹の陰は、ここからそれなりに距離が離れている。彼女には僕と北条の会話は聞こえていなかっただろう。北条が興奮した様子で僕に迫っている様を傍から見れば、僕に危険が迫っていると誤解してもおかしくはない。


 明智の登場によって、場は更に混沌を極める運びとなった。北条がワナワナと肩を震わせて。


「……そうか、やはりそうだったのか、キミと、明智クンは――」


 北条の様子が明らかにおかしい。彼は頭を抱えながら、フルフルとかぶりを振り始めた。


 僕の脳裏によぎった一抹の仮説。疑問符が、瓦解するような感覚。

 もしかして、北条が惚れているのは松喜じゃなくて――


 僕の腕を掴んでいた明智が、恐る恐る顔をあげて僕を見た。「……な、なぁ、ホージョーの奴、どうしちゃったの?」――こっちが知りたい。僕は困惑した目を彼女に向けながら、しかし言葉は何も返せなかった。


 ブツブツブツブツ、呪いの言葉が深淵を演舞する。


『ボクの……、ボクだけの、アケチクン……、だったのにッ――』


 直感的に違和感を感じた。そしてその違和感に僕は覚えがある。

 どこか、妙にエコーがかかったような、ノイズが混ざりあったような、北条の声。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る