1-4 王女様は大ばくちをうつ

 月曜日。

 仕事帰りにコンビニに入る。

 「いらっしゃいませー!」

 元気のいい声。ボブカットの金髪がさらりと揺れた。

 「ども。」

 右手を軽く挙げてクローネさんに挨拶する。

 「折田さん!」

 クローネさんはカウンターから出てこようとして・・後ろを振り向いた。

 「なんかあったかい?」

 しわがれた声とともに小柄なおばあさんが出てきた。コンビニの制服を着て白髪をきゅっと頭の上でお団子にした眼光鋭い人だ。

 「あ、何でも無いです、店長。」

 「そうかい。」

 それだけで店長さんは奥に引っ込んだ。

 「今のがクローネさんの恩人って人?」

 「はい!怖そうに見えますがお優しい方です!で、折田さん、来て下さったということは、もしや・・」

 「いやー、それがさ・・」はあ、とため息をつく。「考えがあるんだけど、大ばくち。」

 「大ばくち。」

 「いい結果に終わる確率は低いね。」

 「・・・・」

 「聞きたい?」

 「・・騎士たるもの、勇気があらねば。お話し下さい。」

 私は話した。

 聞き終えたクローネさんの顔は引きつっていた。

 「やっぱだめか。」

 「いいえ。一分の望みがあるのなら・・」

 「一応さ、ローエンさんにも聞いて貰おうかなと思うんだけど。」

 「そうですね。では・・」クローネさんは店長さんの様子を伺った。「今、唐揚げの用意をしていらっしゃいますから、こちらは見られていません。では、行きますよ。」

 「うん。」

 左手中指の指輪“リンベルク”が虹色に光る。

 そして・・


 ヴェルトロア王国に戻った私達はまずローエンさんに会いに行った。

 ローエンさんは私の話を黙って聞いてくれた。

 「・・なるほど、大ばくちだ。」

 聞き終わるとローエンさんは言った。

 「やっぱ、止めた方がいいですかね。」

 大きな深呼吸の後、ローエンさんは目を閉じた。そのまましばし黙考。

 「・・失敗すれば・・おそらく侵攻。」

 「・・はい。」

 「さらに王女殿下、ひいては国王・女王両陛下、ひいては我が国の恥辱の広まり。」

 「・・はい。」

 「だが・・成功すれば・・」

 「一応、丸く収まる、かと・・」

 「うむ。」

 ローエンさんはうなずいた。

 「どうせ打つ手はない。」

 そして、私とクローネさんは王女様の部屋に向かった。

 

 私の話を聞いた王女様は息をのんだ。

 「・・貴女の言うとおり、とても危険な賭けです。しかも私にきわめて分が悪い。」

 「はい、申し訳ないです・・」

 「でも・・王太子殿にあきらめて貰うにはこれが一番良いのでしょうね。」

 「王女様・・」

 私達はテーブルを挟んで向かい合って座っていた。テーブルの上には先ほどまでスミレのお茶が湯気を立てていたが、今はもう冷えている。

 「オリータ。」

 「はい。」

 「私はこの国の王女です。ですから、愛のない政略結婚にも覚悟はできていました。でも・・愛がなくても誇りを失うのは、自分の大切にしているものを無碍に踏みにじられるのはいやです。」

 クローネさんが隣で私と王女様を交互に見ている。

 男の子同士の恋愛が誇りと直結する、それが信じられないといった顔つきだった。

 「わかります。王女様。」 

 私はデイパックを開けた。

 中から王女様が貸してくれた、あの冊子を取り出してテーブルに置いた。

 “待宵薔薇―秘密の園の奥にて”だ。

 「これ、読みました。」

 クローネさんがぎょっとした。王女様も驚いた。

 「本当に読んだのですか?それで・・どう思いました?」

 「何というか・・本当に儚げで美しいお話でした。キャラの・・あ、登場人物の個性もそれぞれ際立ってるし、世界観も独特で、一気に読み終えました。面白かったです。」

 「まあ・・」

 「私は・・私も昔、こんな話をよく読みました。コミケで大量に買って徹夜で読みました。そして自分の描いた作品をコミケで売って、自分で言うのも何ですが、たくさんの人に読んでもらえました。あのときは本当に楽しく、嬉しかったんです。ですが、故あって学生時代が終わると同時にその活動を封印しました。」

 「結婚・・のためですか?」

 「いえ、その前に封印しました。理由は話せば長くなるので、今は置いておきます。でも最近、あのときの気持ちを思い出させる出来事がありまして・・ああ、私は絵を描くのが、作品作りが好きなんだなって思い知らされました。封印したものは心の中に昔のままに存在してて、先日取り出したらまた・・なんて言うのかな、昔通りに輝いてた、みたいな・・」

 封印だの輝きだのと我ながら痛いなと思うけれど、エレメンツ・エアルちゃんの縦ロールを描いてたときの感動もまた、紛れもない事実なのだ。

 「だから、王女様にさっきの話を提案しました。ホントにホントに申し訳ないと思うんですけど、王女様は王女様のままであるべきだと思うんです。」

 「オリータ・・」

 喉が渇いた。

 冷えたお茶を一気に飲み干し、息をつく。王女様に言いたかったことは言ったつもりだ。

 ああ、でも・・

 王女様は黙り込んでいる。美しい顔は不安でいっぱいだ。

 それはそうだろう。

 私の話で守れるものは下手したら何もない。せいぜいが王女様一人のオタクとしての誇りぐらいだ。上手くいけばさっきローエンさんに言ったように、すべて丸く収まるが、そうなる確率はきわめて低い。

 「わかりました、やってみましょう。」

 ふいに、きっぱりと王女様は言った。

 顔には不安はなかった。目はまっすぐに私を見、唇には笑みさえ浮かんでいた。

 「王族の誇りをかけて、私は挑みます。」

 「王女殿下、よいのですか?!」

 思わず立ち上がったクローネさんに、王女様はうなずいた。

 「ええ。それに、私も一つ思いついたことがあります。ローエン殿に相談したいわ。」

 そう言ってうふふっ、といたずらっぽく笑った。

 「やられっぱなしになるのも腹立たしいから、一つお土産を持って行きます。ナナイ、魔導師殿に先触れを。私が火急の用事で参ります、と。」

 

 数時間後。

 今日できることはとりあえず終えて、私とクローネさんは王宮を出た。

 「いや~、ローエンさんも王様も快くお願いを引き受けてくれて良かったな~」

 「良心が痛みます・・陛下は何も知らないで、普通の、ごくごく普通の外交交渉だと信じて我々にすべてを委ねられました。」

 「まあね。でも王女様の本当の“病状”をばらせないし。」

 「そこは王女殿下との固い約束ですからね・・」

 王宮を出て、ランベルン家所有の馬車に乗った私達は城下町に向かっていた。正確には馬ではなく、馬っぽい動物の引く車なのだが、揺れもなくなかなか快適だった。

 「でもローエンさんも乗り気で良かった。」

 「ローエン様は・・確かに愉しそうでした。ちょっとやけくそ気味な気もしますが。あ、ツーレイ、ここで止めて。降りる。」

 御者のツーレイさんはドアを開けて、降りるのを手伝ってくれた。

 「お嬢様、また寄り道ですか。あんまり買い食いしないで下さいよ。わっしがメリリに怒られるんで。」

 メリリさんとはクローネさんのご実家で働く、料理番のおばさんだそうだ。

 「メリリには後で私から言っておく。折田さんに城下を少し案内したいのだ。さ、折田さん、どうぞこちらへ。」

 王宮からまっすぐの大通りをクローネさんはどんどん進んでいく。近衛騎士団長の服は馬車の中で着替え、今はその辺の若い男の人たちと同じような短衣とズボン、長靴という出で立ち。腰に剣を吊っているのが違うくらいだろうか。

 大通りに面した家はすべて何かしらのお店だった。

 「ここは王宮に直結する通りのため、高級品を売る店が並びます。そしてこの・・」

 着いたのは円形の広場だった。真ん中で噴水が涼しげに水を吹き上げている。通りは今来たものも含め、8本が放射状に延びている。そして、クローネさんが言っていたとおり、どこもかしこも緑と花であふれていた。

 「この広場の噴水は王都の民の憩いの場です。いつでもこうして屋台が並んでいて・・」

 クローネさんのお腹がくう、と鳴った。

 「・・串焼き、買おうかな。」

 豚肉っぽいお肉が炭火でじゅうじゅう焼かれている。

 「あ、でも料理番の人に怒られるよ?ご飯前でしょ?」

 「1本くらいなら大丈夫です。少しでも光明が見えてきたと思ったら、とたんにお腹が空きました。」

 ああ・・まあ、そういうことならいいか。クローネさんもクローネさんなりに悩んできたのだ。

 クローネさんに分けて貰って食べた串焼きは、ちょっと焦げ目ついた位の焼きたて豚バラといったところで、美味しかった。

 さらに案内は続く。

 「こちらは雑貨商の通りです。」

 「こちらは野菜や果物を売る通り。」

 「こちらは肉や魚を扱うお店が集まっています。」

 つまり、各通りごとに扱う品がおおむね決まっているのだった。住宅街はこの商店街を囲んで丸く広がり、これらを円形の城壁が包み込んでいる、というのがヴェルトロア王国の王都ヴェルロワの姿だった。

 「この通りは?」

 「あ、そこは書店や美術商の通りです。」

 ほほう、書店とな。

 「ちょっとのぞいてみたいなあ。」

 「はあ・・」 

 煮え切らないクローネさん。もしかして。

 「本屋さんで例の冊子が売られてたりする?」

 「正規の書店ではなく、個人かその代理人が路上の担ぎ売りで売っていると聞きます。」

 担ぎ売り・・コミケのようにまとめて出品できるところがないのかな。

 「ちょっと行ってみる!」

 「あ、折田さん、そんな嬉しそうに!」

 通りに入ると、ふわりと紙のいい匂いに包まれた。大小の書店が発する本の匂いだった。かすかに油っぽい匂いがするのは画材屋さんだ。わくわくがとまらない!

 と・・

 「もし、そこのお二人。」

 女の子の声がした。見れば、目深にフードをかぶった娘さんが店と店の間の細い路地の入り口で手を振っている。

 「ウスイホンはいかがですか?」

 ウスイホン、とな?

 クローネさんが緊張している。ということはもしやこれが。

 「ちょっと見せてもらっていい?」

 「こちらは私のオリキャラによる物語です。」

 オリキャラ。言わずと知れたオリジナルキャラクター・・自分が独自に創造した登場人物。こっちでも同じ言葉で表現するのか。

 「こちらは小説“灰かぶり騎士”の二次創作です。私の推しカプであるデイオンとルロイの物語です。」

 二次創作に推しカプ、とな。推しカプは私が活動していたときにはなかった言葉だが、意味はわかる。

 「デイオンとルロイ・・どちらも男ではないか!」

 ウスイホンを読んだクローネさんが真っ赤な顔でつぶやく。“灰かぶり騎士”シリーズは王国の伝説を元にした、子どもから大人まで広く読まれているごくごくまっとうな旅の騎士の物語。子供用の簡易版もあり、王国の人なら誰もが一度は目にすると言うくらいポピュラーなのだそうだ。もちろん、クローネさんも読んだことがある。

 「小説は・・普通の冒険物語なのに・・何故あのデイオンとルロイが・・」

 「まあまあ。」2冊をめくると、ちゃんとコマ割りしたマンガだった。「なかなかいい絵じゃん。うん、話も構成がしっかりしてる。買うわ。あ、いかん、クローネさんお金貸してくれないかな?・・どうもどうも、はい、お金。」

 「ありがとうございます!」

 娘さんが去ると、クローネさんが服の袖を引っ張ってきた。

 「折田さ~ん・・卒業したのではなかったのですか~?」

 「いやあ、いったん封印が解けたら、もうもう。いや、これホント悪くないわ、良いセンスしてる・・うへへ・・」

 「お、折田さんが壊れかけて・・いや、病がぶりかえしている!」

 「だから、病気じゃないって。」冊子をデイパックに入れて、クローネさんを振り返る。「こういうのにどっぷり浸っても他のこと・・普段の日常生活に支障が出ないなら、夢と現実のバランスがとれているわけだから大丈夫なの。私は今はその状態。日本ではちゃんと仕事にも行ってるし、家のこともやってる。そうじゃなくて、現実世界に帰ってこないで日常に支障が出始めたら病気と呼んで良い・・個人の見解だけど。」

 「はあ・・」

 「王女様だって公務はちゃんとしてるわけでしょ?だから病気なんかじゃないよ。さて、そろそろ帰った方が良いんじゃないかな?メリリさんが待ってるんじゃない?」

 「そうですね・・父もそろそろ帰館する頃合いですし・・」小さく息をついてクローネさんは笑った。「行きましょう。馬車が拾えないかな・・」

 2人乗りの辻馬車が広場の一角に数台駐まっていたので、それに乗って王宮と反対の方向の通りをまっすぐに進んでクローネさんの実家に向かった。

 

 クローネさんのお父さんであるエドウェル・ランベルンさんは、さすが王国の全騎士を束ねる騎士団長の風格だった。白くなりかけた金髪はオールバックで一本結いにされ、クローネさんと同じ緑の目をしている。黒の長衣に包まれた体はがっちり引き締まり、50代とは思えない迫力。学生時代柔道でならした割りには今、メタボの世界に片足突っ込んでいるうちのダンナ(41)とは大違いだ。

 ただし、笑顔はかわいいとさえ思える明るさだった。

 娘が世話になってと自分から握手を求め、クローネさんのお兄さんにも紹介してくれた。

 ランベルン家の三男ユリウスくん(22)はクローネさんと同じく金髪に緑の目のなかなかの美青年だった。さらに上に双子の長男さんと次男さんがいるそうだが、今日は辺境警護と王宮宿直で不在。なお、残念ながらお母さんはクローネさんを生んですぐ亡くなったそうだ。

 「故に娘がこのような男勝りに育ってしまって。」

 エドウェルさんはそう言って笑った。

 「でも、今は最年少で近衛騎士団の団長に選出された、我が妹ながらたいした逸材です。」

 ユリウスさんは誇らしげに言った。

 「ただし、嫁にもらう相手が心配です。夫婦げんかをしたら流血の大惨事だ。」

 「よして下さい、兄上。私が熊か何かのように・・いやなら、もらわねば良いのです。」

 ぷんすか怒るクローネさんもかわいいな。

 「最年少とかってすごいじゃない、クローネさん。」

 「うーん、まだまだ未熟者ですが・・」

 後で王女様から聞いたんだけど、ランベルン家は正式名称ランベルン第一武爵家という、その名の通り、この国に武を以て仕える数々の“武爵”家の頂点に立つお家柄だった。

 そんなすごい家なのにご家族はとてもフランクで親しみやすい。よって私は緊張することもなく、メリリさんの美味しい晩ご飯を心ゆくまで堪能したのだった。

 今日からこのお屋敷に泊めていただき、準備が整い次第、あの“大ばくち”に挑む。

 

 ・・ちょっと興奮気味で眠れない。

 私は何をしてるんだ?

 オタク仲間の手助けをしたかった一心でひねり出した考えだったが・・

 私は布団を頭からかぶった。

 怖くなった。

 一国の命運が私の提案一つにかかっている。

 (神様・・どうか上手くおさまりますように・・)

 何の神様に頼もうか。

 (オタクの神様・・どうかお助け下さい~・・なんまんだぶなんまんだぶ・・)

 その後すぐ眠れた。


 2日後、私とクローネさんは馬車に乗っていた。向かいには王女様が座っている。その隣には杖を抱えて座るローエンさん。

 「クローネ、少し肩の力を抜きなさい。着くまでに疲れてしまうわ。」

 「うう・・はい。」

 「出がけにお父さんに活入れられちゃったもんね。緊張もするよね。」

 私は苦笑交じりにフォローを入れた。

 王女様を連れて王宮を出ることとその目的については、極秘の機密事項(うわ、かっこいい)なのだが、さすがに全騎士を束ねる武爵家筆頭で、実のお父さんであるエドウェルさんには、真相を話しておかねばならなかった。いろんな意味でお父さんは言葉を失っていた。

 「ごめんなさいね、クローネ、私のために。」

 「いえ、王女殿下の護衛をお任せいただくことは光栄の至りです。ですが、相手はあのドラゴンみたいな王太子・・一体何をしてくることか。」

 「仮にも王太子ならそれほど卑怯なことはしないはず。でも、一体どんな方かしら?背はどのくらい高いのかしら。髪や目はどんな色かしら?クローネはどう思って?」

 「筋肉だるまのむくつけき大男というところでしょうか。折田さんはどうですか?」

 「そんな感じかなあ。もみあげがあごまで伸びて、あごが二つに割れてる脳筋マッチョみたいな。」

 「ノウキン、とは何なのです?オリータ?」

 「脳みそまで筋肉でできてるような文化的要素が余り感じられない人、という意味です。」

 「・・そういうのは困るわね・・」

 そんな話をしながら馬車は進み・・半日ほども走った先に目的地が見えてきた。

 「あ、着きましたよ、折田さん。エライザです。」

 「ふが?おお。」

 着いたか。

 とうとう来てしまった。地よい揺れに思わず寝ていた私だが、さすがに身が引き締まる。

 「うふふ・・オリータまでそんな顔をして・・」

 王女様は愉快げに笑った。

 「大丈夫、言うなればヨシュアス殿下とのお見合いなのだから。ならば、ごく普通のことです。」

 「さすがは王女殿下・・肝が据わっていらっしゃる。」

 クローネさんが心底感心している間に、馬車が止まった。

 「さあ、参りましょう。」

 御者さんがドアを開け、まず警護役のクローネさんが降り、次にローエンさん、私と続き、最後にローエンさんが手を取って王女様が降りた。

 ここはエライザ共和国。小国だが、ヴェルトロア王国とガルトニ王国に挟まれた中立国で、私達がやってきたのは共和国の首都イザベル。ここのごくごく普通の宿屋の二階が王女様とヨシュアス殿下との“お見合い”場所なのだった。

 

 (あれ~?)

 ヨシュアス殿下を見た私の心の第一声がこれ。

 宿屋の二階に座っていたのは普通と言えば普通の青年だった。チョコレート色の髪と目は知的に見えさえするし、顔立ちも整っている方だ。ガチムチのマッチョではないが、贅肉はとりあえず見当たらない。見てくれだけならまあ、合格である。

 「エルデリンデ殿か?」

 王女様は右手を胸に当て、軽く片膝を曲げて礼をした。

 「お目にかかれて光栄です、ヨシュアス王太子殿下。いかにも、私がヴェルトロア王国第一王女エルデリンデです。遠路はるばるおいでいただき、感謝いたします。」

 「王女殿もな。まあ、座られよ。」

 宿屋の小さな木の椅子にどっかり座ったヨシュアス殿下は、近くの木の椅子を示した。

背後には警護役とおぼしき中年男性が立っている。

 「あの者、衣の下は甲冑ですよ。あの赤毛、もしや“赤い狼”と言われるハル・デナウア将軍では・・」

 クローネさんが私にささやいた。と、その人が口を開いた。

 「そちらの警護役はもしやクローネ・ランベルン嬢か?“ランベルンの猛禽”の一翼をにない、“隼”と言われる?」

 「いかにも・・私がクローネ・ランベルンだ。」

 「ほう。お父上エドウェル・ランベルンは元気かな?戦場で最後に手合わせしたのはかれこれ20年以上前になるが、いや、“獅子”の名にふさわしい猛者であった。その子らもそれぞれ猛禽になぞらえられる武勇を誇り、同じ父親として実にうらやましいことだ。」

 「過分なお褒めを頂戴し、光栄です。デナウア将軍殿。」

 名前は正解だったようで、デナウアさんはニヤッと笑ったが、そこに悪意は感じられなかった。何だろう、王太子さんといい、この将軍といい、取って食われるような感じではない。でも、双方にあと一人ずつ・・もう、バッチバチに火花を散らしている人たちがいた。

 「久しいのう、ネレイラ。相変わらず化粧が濃いことだ。」

 「ふん、会うたび生え際が下へと下がっていく貴様が何を言う。」

 ローエンさんと女の人が歯をギリギリ言わせながらにらみ合っていた。臙脂色の長衣とローブ、黒い杖という服装からして、ローエンさんと同じ魔導師か。そういえばクローネさんは、ガルトニ王国にも強力な女魔導師がいるって言ってたな。この人がそうか?

 今日のローエンさんは馬車の中が暖かくてフードを取っていたので、つるりとした頭頂部がとても目立っていた。

 「ま、まあまあ我々も座りましょう。ローエン様、こちらへ。」

 慌ててローエンさんを連れ戻すクローネさん。私はささっと残りの木の椅子を並べ、ついでに将軍さんとネレイラさんにも勧めた。

 「おお、すまんな。ところでクローネ殿、この者は?」

 「あ、折田桐子さんです。」

 「オ・・オリータトゥー・・?」

 やっぱりダメか。

 「はじめまして、折田桐子と申します。オリータで良いですよ。」

 「私のお友達です。この場を設けることを提案したのはこの方なので、ともに来ていただきました。」

 王女様がフォローして、ヨシュアス殿下が身を乗り出した。

 「ほう。見たことのない服装だが、国はどこだ。」

 「日本と言いまして、遙か遠いところにあります。あ、私のことはお気になさらずに、お話進めちゃって下さい。」

 王女様は微笑んでヨシュアス殿下に向き直った。

 「では、今日の用件について。」

 「うむ。だが、おれとの縁談は断るのではなかったのか?」

 いきなり核心に入るヨシュアス殿下にびびったが、王女様は全く動じない。

 「はい。ですが、その節はきちんと理由もお話しせずにお断りの言葉のみお送りし、王太子殿下にはご不快な思いをさせてしまいました。申し訳ございません。」

 「今日はその理由とやらを聞かせてもらえるか?一体おれの何が気に食わんのだ?」

 「そのことですが・・真実をお話し申せば、私が王太子殿を気に入らぬのではなく、その逆の事態になるでありましょう。これからその真実をお話ししようと思いますが、一つ神掛けて誓っていただきたいことがございます。」

 「ほう?神掛けてとはまた大仰な。」

 王女様に促されたローエンさんが進み出て、A4ほどの紙とインク、羽ペンをテーブルに置いた。

 「誠に僭越ながら私がご説明申し上げる。これなるは誓約書。これよりエルデリンデ第一王女殿下がお話になることを、たとえお父上であっても一切他言することのない旨、貴国の守護神たる軍神レイアダンに御誓約いただきたい。ご署名をいただくことでこの誓いは成立する。ちなみに我が魔術を以て、この紙に書かれたことはそのままヴェルトロア王国にある兄弟紙に複写される。つまり我が国に誓約書の控えが残るということだ。」

 この誓約書をここで焼くとかして無効化をはかっても、無駄だということである。

 「ならば署名せずにおこうか。」

 片眉挙げて言うデナウアさん。

 「それはできぬだろう。折田。」

 「はい。署名しなかったらば」私は立ち上がって窓を開けた。「ここから『ぎゃー助けてーうちのお嬢様がガルトニ王国王太子殿下に襲われてるうー!!』と叫びます。いい噂になると思います。」

 「なんだと・・それで窓際に席を占めていたのか!くっ・・一庶民のごとき間の抜けた風貌にだまされたわ!」

 一庶民だよ。

 あと、間の抜けたとはどういうことだ。

 「さて、どうするかな?何、簡単なことだ。秘密を他言せねばいいだけのことだからな。」

 「こけおどしということはなかろうな。」

 「ネレイラ、お前も魔導師ならこの仕掛けの面倒くささがわかるだろうが。こんな複写を用意するなどと手の込んだこけおどし、何のために仕掛けねばならんのだ。」

 「だが、そこまでして署名を迫るとは何か汚い裏が・・ああっ、王太子様、何故ご署名なされておられるのです!!」

 ヨシュアス殿下はさっさと署名し終えて羽ペンを置いた。

 「ローエン殿の言う通りだ。こけおどしにしては手が込みすぎだ。そしてもう一つ。常在戦場を信条とし、将来の国王たるおれにとって誓約の類を厳守することは不可欠である。これがなくては民や将兵の信頼を得ることはかなわぬ。そうではないか、デナウア?」

 デナウアさんは感じ入って頭を下げた。

 「仰せの通り。ではそれがしも署名いたします。」

 デナウアさんがさらりと署名し、苦虫をかみつぶしたような顔でネレイラさんも仕方なく署名した。

 「ありがとうございます、王太子殿下。」

 王女様が頭を下げ、ヨシュアス殿下は小さくうなずいた。

 「ときに魔導師殿よ、もし誓約を破るとどうなるのだ?」

 「制約を破りしときは、軍神レイアダンの名において呪いが降りかかります。最初に署名した殿下には先の尖ったものが怖ろしくなる呪い。」

 「ほお、では剣や槍が持てぬことになるな、これは困った。」

 楽しげに笑うヨシュアス殿下にローエンさんが付け加える。

 「殿下、先の尖ったものは武器だけとは限りませんぞ。例えばその羽ペン。」

 「む・・」

 「ガルトニ王国の歴戦の強者達を前にして、羽ペンを見ると震えが来るほどの恐怖を覚えることになるのは具合が悪いことですな。他にも尖ったものは色々ありますぞ。」

 「・・ふん。では、デナウアもそうなるか。」

 「いえ、次の行に署名した者には、その者が一番愛する者の目の前で髪の毛がすべて抜け落ちる呪いがかかります。」

 やおらおでこを隠すデナウア将軍・・そこが気になる部分なのか。

 「ウ・・ウルリカ(娘さんだそうです)の前でハゲるなど・・それは・・それだけは!」

 「なんと腹黒いのだ、ローエン!おのれのハゲに人を巻き込むな!」

 「やかましいわ、ネレイラ!3行目に署名した者、すなわちお前にはナトズの草が生で食いたくてたまらぬようになる呪いがかかる!しかも毎朝だ!」

 「なっ・・ナトズの草を生で毎朝・・だと!」ネレイラさんが小刻みに震えだした。「そんなことになったら誰も近づいてこないではないかあっ!!」

 来る前にナトズの草を見せて貰った。厳重に二重三重の封をした瓶詰めなのに、臭う。控えめに言っても息子が真夏に野球部の部活を終えて帰ってきたときの靴下の倍は臭う。

 『生はこの100倍臭い。故に乾燥させて臭いを弱めて使うが、それでもこのくらい保存に気を遣うのだ。』

 そんな生物兵器みたいな草を毎朝食べたくなる呪い・・女性のネレイラさんにとっては致命的だ。

 「聞けばおれの呪いが一番ましなようだな。では本題に入るか、エルデリンデ殿。」

 「はい。先だっては縁談をお断りする理由をただ私の病の故とのみお伝えしただけでなく、王太子殿下の医師や薬師派遣のご厚意をも無にいたしましたこと、まずは改めてお詫びいたします。」

 「ガルトニの医学に信がおけぬか?」

 「違います。医師や薬師が治せる類のものではないからです。」

 「では、呪いか何かか?だがヴェルトロア王国にはそこな大魔導師のほか、法力の強い神官もいよう。」

 王女様はゆっくりとかぶりを振り、ヨシュアス殿下は首を傾げた。

 「これより事の真相をお話ししようと思います。その真相、お知りになった暁には結婚生活の、ひいてはヴェルトロア、ガルトニ両国の友好に大きな支障が生ずる恐れがあります。真相が公になることは私のみならず王と王妃たる両親、いえ、ヴェルトロア王国そのものの恥になりかねません。さらにこれが原因で万が一にも貴国との戦端を開くことになってはと・・私は王女としてこのような事態だけは避けとうございました。故にただ病とのみお伝えしました。」

 「ふむ・・」

 「ああ、殿下、お茶はいかがですか?」

 「してみれば喉が渇いたな。貰おう。」

 王女様は手ずからお茶を入れ、一口飲んだヨシュアス殿下は目を丸くした。

 「美味い。」

 「ありがとうございます。」

 ヨシュアス殿下はお茶を飲み干し、一息ついて口を開いた。

 「まず1つ言い置きたいのは、おれは気に入らぬからといってすぐさま戦を起こすような愚かなまねはせぬということだ。戦場に出ているからこそ、戦は人命と金と労力の浪費であるということは心得ている。安心せられよ。」

 私とクローネさんは思わず顔を見合わせた。

 やはり違う。さっきからどうも話が違う・・噂では冷酷無慈悲の脳筋王太子だったはず。そんな私の心の声が聞こえたように王太子さんが私を見た。

 「なんだ、オリータ。何か言いたいことでもあるのか。」

 「あの、熊を一人で素手で殴り殺したって言うのは本当ですか?」

 「誰が。」

 「王太子さん・・様が。」

 「そんな人間がいるか。このデナウアを含む数人で槍で仕留めたことはある。それに尾ひれが付いたのだろう。」

 「じゃ、じゃあ武術大会で一度に10人相手に勝ったというのは?」

 「我が国の武術家達をなめているのか?そこまで弱いわけがなかろう。」

 「あと、読書していた人を惰弱とののしったとか、武器の手入れを怠けた人を地下牢にぶち込んだとか言うのは?!」

 「本の中の人物を評して惰弱と言ったことはある。聞くだに情けない奴だったのでな。武器の手入れを怠けた者には地下牢と同じ場所に砥石が保管されている故、それを取りにやらせたことはある。ちなみに地下牢のここ何年も誰も入っておらん。」

 「・・噂って怖いですねー。」

 「まったくだな。さて、エルデリンデ殿。改めて言うがおれは己の縁談が破談になったからといって、軽々に戦端を開くようなまねはせぬぞ。」

 「それを伺って安心いたしました。御使者の方のお話では、殿下が体面を傷つけられ、大変にお怒りと聞きましたので。」

 「おれが?お怒りだと?」ヨシュアス殿下がキョトンとした。「いや、確かにどういうことだとは思ったが、激怒とまではいかぬ。そこまで偏狭ではないわ。デナウア、この件の使者に立ったのは?」

 「外務部第二副官シュライス殿ですな。」

 「シュライスか・・」その顔にかすかに嫌悪が見えた気がした。「ああ、すまぬ。こっちの話だ。エルデリンデ殿、話を聞こうか。」

 「では、お話しします。」

 おかわりのお茶をさりげなく置いて王女様は続けた。

 「私は近頃大変に好もしく思っていることがございます。オリータ、あれを。」

 「はい。」

 すすすっと進み出た私がデイパックから取り出したのは、『待宵薔薇―秘密の園の奥にて』。それを王女様に手渡す。

 背後に座るクローネさんとローエンさんの周囲に緊張感が漂う。

 王女様は冊子をヨシュアス殿下に差し出した。

 「まずはこれをお読み下さい。」

 素直に受け取り、お茶を飲みながら読むヨシュアス殿下・・5ページ目で茶を噴いた。

 「げほっ・・いや、これはなかなか・・ははは、げほっ・・」

 デナウアさんが差し出すハンカチを口に当てしばらく咳き込んだ後、何とか立ち直る。なかなかの精神力。

 「もしや、これが、エルデリンデ殿が好もしいというものなのか?」

 「そうです。」王女様はまっすぐにヨシュアス殿下の視線を受け止めた。「美しき少年同士の儚くも美しい禁断の恋。空に姿を見せたばかりの三日月のごとき繊細な、日の光の下で長くは生きられぬ露草のような淡い命脈の絆。それこそが今の私の思う至高の愛の形なのです!!」

 今私がペンで空気に書き文字を書けたなら、王女様の頭上にドーンとかバーンとか書いて集中線も追加したことだろう。それほどまでに王女様は堂々としていた。威風堂々とはまさにこのこと。いやー、すばらしい!!

 私はかくのごとく心の声で快哉を叫んでいたが、部屋の中は静まりかえっていた。

 「・・すまんが茶をもう一杯くれ、エルデリンデ殿・・デナウア、カレル酒は持ってきているな?」

 小さな小瓶から液体を1,2滴お茶に垂らして一口飲み、息をつく。

 「“病”とはこれのことか?」

 「私にそのつもりはないのですが、この2人はそう言います。私もかつてはそう思っておりましたので、王太子様には病故に縁談をお断りしました。ですが今は、嗜好が余人とはやや違うだけ、病などとは思っておりませぬ。それはこのオリータも請け合います。」

 私は控えめに手を挙げた。

 「はい、請け合います。王女様は日常生活やご公務は至って普通にこなしてますから。」

 と、ネレイラさんが立ち上がり私に指を突きつけた。

 「そ、そのようなこと、なぜ言い切れる!医師も薬師も無駄だというものに!」

 デナウア将軍さんも怪訝な表情だ。だが・・

 「それは私が経験者だからです。」

 「では、お前も病持ちか?!」

 「ええ、昔。それもかなりの重症でした。訳あって一度封印したんですが、先日自らそれを解きました。」

 「ほう、なぜだ。」

 ヨシュアス殿下が問い、私は殿下と向き合った。

 「やはり私が私であるために必要な要素だったからです。」

 「お前がお前であるために・・」ヨシュアス殿下は反芻し、「お前の親や一族は何も言わぬのか?」

 「いえ、さすがに嗜好が一般の人たちとは違いすぎて、親兄弟親類縁者には言えません。姉は別ですが。」

 姉は私をこの道に引きずり込んだ張本人である。創作活動はしなかったが、今でも銀行勤めの傍ら本屋でBL本の新刊を漁り、『本屋で堂々と買えるとはいい時代になったものだ。』と喜んでいるような人間である。

 「でも、今私にとって一番頼りになる人が理解を示してくれました。私の夫です。」

 ヨシュアス殿下の顔色が変わる。

 ネレイラさんがあからさまに疑わしげな顔をしているが、本当のことだ。


 あれは先日エレメンツ・エアルちゃんのイラストをダンナに見られたときのこと。

 しきりに上手いねー上手いねーと、素朴に感心されるのが心苦しくなった私はとうとう、ぶっちゃけたのだ。

 『いやー・・昔ちょっとマンガとか描いてた時期があってさー。』

 『へー!すごいじゃん。』

 『いわゆる、あれよ、・・そのー・・オタクってヤツをやってたのよ。』

 『お~、オタク!』ダンナはイラストを手にとった。『それでこんなに上手いんだ!』

 ・・ん?

 『いやいや、ちょっと。自分のニョーボがオタクやってたんだよ?いいの?』

 ダンナはうん、とうなずいた。

 『大学の柔道部の先輩や友達にオタクがいたんだよね。寮の部屋に入ると、アニメの女の子のポスターやら人形やら色々あったけど、柔道も授業も普通にやってたから、特にイヤな感じはしなかったよ。時々こっちにも・・なんて言ったっけ“布教活動”?とか言って強力に勧めてくるのは困ったけどね~。』

 『いやあ・・オタクは・・気持ち悪がられるかと思ってさ、隠してたのよ。ゴメン。』

 『いいよいいよ。てか、今までイラスト描いたの見たことなかったけど、もしかしてずっと我慢してたの?』

 『まあ、そんなとこかな。』

 『好きなもの我慢することないよ~、好きなように描きなよ~。沙緒里も喜ぶんじゃない?』

 ダンナはそう言って笑ったのだった。


 「オリータとその夫君の愛に勇気づけられ、私は私の思うところをお話しする決心をいたしました。いかがですか、ヨシュアス王太子殿下。このような私を、人が病と言って忌む嗜好を持つ私を、妻として生涯受け入れる覚悟はおありでしょうか?」

 「・・・・」

 「発言をお許し下さい、王太子殿下。」

 言ったのはネレイラさん。

 「許す。」

 「恐れながら、私はこのような病を持つ姫君は、王太子妃としてはふさわしくないと思います。男同士の恋愛が至高などと・・そのような方が良き妻・良き母親になれるものでしょうか?王太子殿下を常の娘のように愛することができるのでしょうか?」

 はい、と私も手を挙げた。

 「ネレイラさん、趣味は趣味、実生活は実生活で別物ですよ。私も普通に結婚して子どもも2人います。」

 「それは・・お前のような庶民はともかく、高貴な身分の方であるぞ?王族としてそのような嗜好を持つのはいかがなものかと思うが?」

 「待たれよ。王女殿下が・・何というか、ダメな人のような言い方は止めよ!」

 立ち上がったクローネさんが抗議した。怒りでほおが紅潮し、右手が剣の束にかかっている。

 「王女殿下は、白百合のごとくお美しくて誰にでもお優しくて、聡明でいらっしゃって・・とにかく非の打ち所のないお方だ!殿下を侮辱するのは許さん!」

 「落ち着け、“隼”。」ヨシュアス殿下がクローネさんを見据えた。「今ここで剣を抜くのは、敬愛する王女殿のためにならんぞ。非公式でがあるがここは外交の場だ。」

 「う・・」

 王女様に静かにうなずきかけられ、クローネさんは椅子に戻った。

 「ネレイラ、お前も口が過ぎたぞ。」

 「は・・申し訳ございませぬ。」

 ヨシュアス殿下に言われてネレイラさんも渋々引き下がる。

 「すまなかったな、エルデリンデ殿。」

 「いえ、殿下のおためを思えばこその言葉です。」

 「そう言って貰えれば助かる。さて・・」改めて王女様と向かい合うヨシュアス殿下。「結論から言えば、おれは結婚は諦めん。」

 「「「「「!!」」」」」

 目をむくネレイラさんと目を丸くしたデナウアさん。私とクローネさんとローエンさんはぽかんと口があいた。

 「事情は飲み込めた。少々変わった嗜好をおれが受け付けぬのではと思い、しかもその嗜好を公にしたくない故に、結婚を断るのにただ“病”とだけ述べ、医師・薬師も断った、と。」

 「はい。」

 「ついでにこの会見の場に他言無用の呪いまで用意して、口止めをはかった。」

 「はい。国と両親のことを鑑み、呪いの仕掛けを作ってくれるよう、私が魔導師様にお願いいたしました。」

 王女様の“お土産”がこれだった。ただし、先端恐怖症とハゲとナトズの草をノリノリで仕込んだのは、私とローエンさんである。

 「正直、嗜好のことは確かに驚いた。だが、何とかなるような気がする。」

 冷えたお茶を飲み干してヨシュアス殿下は言った。

 「男同士がどうのというのは、実は我が国では聞かない話ではない。」

 「えっ。」

 王女様、瞳をきらめかせるのは、今はちょっと待ちましょう。

 「戦場暮らしが長くなると、その道に走る者が必ず何人かは出るのだ。そうだな、デナウア。」

 「そうですな。私は経験はありませんが。」

 「おれもないわ。おっと、だからといって女遊びが激しいわけでもないぞ。これでも王太子だからな。後腐れが無い程度にとどめるようにしている。」

 あら、以外と神経使ってるじゃないの。

 ていうか、社会的地位があって容姿もそこそこで女性関係もまあまあきれいとか、この人、まさかの優良物件では・・? 

 「エルデリンデ殿、世間的になかなか言いにくいであろうことを、今日この場で俺達を前にして堂々と宣言したことは気に入った。おれの妻たるにふさわしい勇気と剛胆さだ。」そしてニヤッと笑った。「またあのような性根の腐った呪いを手土産に俺達を脅す、その腹黒さもまた良い。清らかなばかりでは息が詰まるからな。」

 「そのようにおっしゃっていただけて嬉しゅうございます。」

 うふふ、といたずらっぽく笑う王女様は実にかわいらしかった。

 ヨシュアス殿下もくつろいだ表情でそれを見ている。

 緊張していた場が和んでいく。

 「ではエルデリンデ殿、改めて結婚を申し込みたい。承諾してくれるな?」

 うわー、なんという直球プロポーズ。でもこういうのもなんか初々しいというか、新鮮で良いね。全員の目が王女様に向いた。

 「申し訳ありません、ヨシュアス殿下、すぐにも結婚というのは・・その・・無理です。」

 「何?」

 なんと?

 さあーっと場の空気が凍った。


 いい雰囲気、いい流れだったのに・・王女様、どうして?

 王女様はちょっとうつむいて、言った。

 「私、実は結婚以前に恋というものすらきちんとしたことがありません。今日もてっきり縁談が立ち消えになるものとばかり思っておりましたので、心の準備が全くできておりません。ですので、少しお時間をいただければと・・」

 あらま。

 そうだよね、そもそも王女様という究極の深窓の令嬢だ・・無理ないか。政略結婚の覚悟はできていたのに、普通の恋愛→結婚の覚悟は想定外だったらしい。

 想定外はヨシュアス殿下も同じようで、でも、怒るわけにもいかず(えらいぞ)、なんか複雑な表情をしている。デナウアさんの口元が引きつっているが、必死に笑いをこらえているように見えるのは気のせいか。ネレイラさんはちゃぶ台返した王女様にご立腹のようだが、さすがに口には出さず我慢している。クローネさんはどうして良いかわからず、ただただ王女様を見ている。

 と、背中をちょんちょんとつつかれた。

 ローエンさんだった。

 「折田、貴様何とかせい!両国の友好がかかっておる、まがりなりにも結婚しとるんだろうが!」

 何を言ってんの、この人は。んなこと急にささやかれても困る。うーん・・

 「ん、そうだ!まずはお手紙の交換から始めてみては?」王女様もこれならハードルは低かろう。「王女様はヨシュアス殿下のことがまだよくわかっていないから、不安になるんじゃないですかね。文通していろいろ話せばそこのところが解消されると思いますよ?」

 王女様がぽんと両の手のひらを打ち合わせた。

 「そう、そうです、オリータ!いかがでしょう、王太子殿下?」

 ところがヨシュアス殿下にはハードルが高かったようで。

 「うーむ・・そういう類の文は苦手なのだが・・戦況報告なら書けるのだが・・」

 「ですが殿下、こうなったら書くより他ないかと思われますが?殿下にしてもさらに王女殿下のお人柄を知ることができるのは、将来に向けてよろしいかと。」

 おお、デナウアさん、ナイスフォロー。

 「そうだな、文ごときで惚れた女を諦めるわけにはいかん。」

 そう言ってヨシュアス殿下は破顔一笑、なかなかのいい笑顔を見せたのだった。


 先に宿屋を出た王太子一行を見送り、私達も帰ろうとして馬車に乗ったとたんに王女様が座席に倒れ込んだ。

 あわててクローネさんが支え、ローエンさんが回復の魔法をかける。

 「ごめんなさい、二人とも。安心したら体の力が抜けて・・」

 ・・ここまでかなり大人っぽく見えていたが、王女様は実はまだ19歳。

 日本でならウェイウェイ言って遊んでいてもおかしくはないお年頃だ。

 なのに、国の危機と恥を一身に背負い、私なんかの話を聞いて大ばくちに乗ってくれたのだ。

 「お疲れ様でした、王女様。そしてありがとうございました。お礼と景気づけにこれを!」

 「うわっ、折田さん、それは!!」

 「まああ・・」

 デイパックから出てきたのは30冊のウスイホン。出発の段取りが整うまでの間、城下に出かけて買いためたものだ。

 「今度のことが上手くいったら、王女様に差し上げようと思ってたんです。あ、私の分はありますからご心配なく。」

 失敗したときは1冊は読む用、1冊は保管用になる予定だった。

 「全てまだ読んだことのないものばかりだわ・・!なんてすてきなご褒美かしら!」

 早速読み始めた王女様だが、結局2冊読んだところでやっぱり疲れが出て眠ることにした。でも、

 「今夜が楽しみ♫」

 と、たいそうご機嫌だった。ここまで喜んでもらえると贈った方もまた、嬉しいものである。

 クローネさんとローエンさんはといえば、馬車の窓からぼーっとどこか遠くの空を見ている。きっと緊張の連続で疲れたのでしょう。二人ともご苦労様でした。


 王宮に戻った頃には月が昇り始めていた。

 王様と王妃様が玄関まで出迎えてくれ、無事に戻った王女様をしっかりと抱きしめた。

 侍従長エルベさんは以前ぴくりともしなかった鉄壁の無表情を安堵で緩ませた。

 で、執務室で報告する。

 ソファに向かい合ってそれぞれ座り、王女様が事の次第を報告した。・・もちろん、例の爆弾告白は抜かして。

 「では、戦を回避した上、友好は保たれたままなのだな?」

 「はい、お父様。」

 「よくやった、よくやったぞ、エルデリンデ!」

 「王太子殿下との結婚のことはどうなったのです?」

 王妃様に聞かれて、王女様のほおがかすかに染まる。

 「それは・・すぐに結婚というのも余りに急なので、まずお手紙を交換し、お互いのことをよく知ってからということになりました。思っていたよりずっといい方でしたので、そういうことでよいと思いまして・・」

 両陛下が顔を見合わせた。

 「・・エルデ、ではお前は・・王太子殿との結婚を承諾するのか?」

 王様がなぜかそわそわし始めた。

 「陛下、気が早すぎますわ。まずは恋人としてのお付き合いから・・そういうことなのでしょう?」

 「・・はい、お母様・・」

 本格的に真っ赤になった王女様。王妃様はほほえましく見守り、王様はもう目に見えて落ち着かない。

 「セイラ、エルデは・・エルデは本当に嫁に参るのか?!」

 「ですからまだその前の段階です、落ち着いて下さいまし。それに、そろそろ皆を休ませましょう。」

 「おお、そうだな。だがその前に・・」

 王様が立ち上がり、王妃様もそれに倣う。

 「魔導師ローエン。近衛騎士団団長クローネ・ランベルン。そして、オリータ。そなたらもよくやってくれた。王女を護り、我が国を守ってくれた。礼を言う。今夜はゆっくり休め。褒賞は後日取らせよう。」

 褒賞ってご褒美のことだろうか。なんと・・そんなことしていただいて・・

 ん・・?いや、よくない。

 「あ、あの、でも私、ここに来た本来の目的は果たしてないです。王女様の病気は治ってません。すみません。だから、ご褒美とかもらえないです。」

 王様はキョトンとし、すぐに笑った。

 「そうか、だがガルトニとの戦を回避し、国を戦火から救っただけでも十分すぎるほどの功績だ。うむ、交渉成功の褒賞として受け取ってくれ。」

 そう言って、王様は私と握手した。

「もう一度言う、オリータ。感謝するぞ。」

 王様の手はどっしりと温かく私の手を包み込んだ。

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