ゲーム機

春夏あき

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 第三銀河ワンダナ星を目指すマンモス輸送船は、地球からの航路を順調に進んでいた。三等航海士である俺の任務は艦内の雑務であったが、順調すぎるが故に仕事は何もなかった。俺は自室で静かにこもり、仕事の合図を送るはずの電話の前で雑誌のクロスワードに夢中になっていた。

 この船は、手狭になった太陽系から人々を体よく追い出すために、地球政府が始めた移住キャンペーンに追随して作られた。総積載可能量は70万トン、燃料や計算コンピュータなどを含めれば80万トンにも達する。また船の乗組員200人の他に、移住者は最大2000世帯8000人まで乗り込むことができた。

 あまりに巨大なため、船は宇宙空間で組み立てられた。地球上でもやってやれないことも無かったが、それをやれば恐らく大気圏を脱するだけで政府の金庫はすっからかんになっていただろう。しかしそれでもその巨体を隠すことはできず、夜になれば空の片隅にぼんやりと光る機体を見ることができた。

 その後、この船は宇宙船としてはかなり長い間現役で働いた。マゼラン星雲へ行ったかと思えばラプラス星雲へふらり。ワープにつぐワープで縦横無尽に宇宙を駆け回り、今では総航海距離13垓万キロメートルに達していた。

 今回の任務もなんてことはないただの移民の輸送であった。確かに地球からの距離は離れていたが、宇宙ではワープでの直進走行により難しい操作はほとんど無かったし、航路上には重力という悪魔の舌を伸ばす惑星も、散弾銃のように船体に穴を開けようとする小惑星群も無かったからである。毎回のことではあったが、今回の航海でも俺は早くから出番が無いことを悟っていた。

 だが、予想は往々にして外れるものである。俺がクロスワードのヒントを見ながらウンウン唸っているとき、突然目の前の電話がけたたましく鳴り響いた。椅子を斜めにして安楽椅子のように座っていた俺は、危うく倒れ込んでしまいそうなったがなんとかこらえ、急いで受話器を持ち上げた。



「はい、こちら三等航海士のジェニー」

「ジェニー!まずいことになった!今すぐメイン管理室へ来てくれ!」



 受話器からは同僚のサムの悲鳴のような声が聞こえてきた。それにただならぬ雰囲気を感じ、俺は慌ててサムの元へ向かった。

 メイン管理室には既に大勢が集まっていた。部屋には喧噪が満ちていて、皆不安げに顔を見合わせている。俺がドアから中へはいると、艦長が「これで全員揃ったな」と言った。



「たった今管理コンピュータ室で事件が起きた。どうやってかは分からないが、宇宙航空の厳重な監視体制をすり抜けて、銃を持ち込んだ奴が立てこもりを起こしたんだ。幸い雇っていた警備員たちが最大の働きをして、軽傷者一名の損害で奴らを殺すことができた。だが問題はそれではなかった。奴らはこれでは敵わないと踏んだのか、コンピュータを滅茶苦茶に壊しやがったんだ。

直近の地球型惑星はワンダナただ一つだけだ。もしこの星に着陸することができなければ、俺たちは永遠にこの黒い海を彷徨うことになる。だから着陸限界距離を越えるまでに、何とかして着陸に必要な計算をしなければならない。

惑星への着陸というのは思っているよりも神経質なんだ。大気への突入角度が0.01度ずれただけで宇宙船は炭になる。それを避けるために、惑星の運動や相対速度、距離、角度、摩擦、大気の影響、その他二、三百のデータの処理は絶対に必要だ。幸い運行用のコンピュータは無事だったから、データさえ入れてやれば着陸自体はできる。

だが問題はそのデータだ。コンピュータが壊されてしまったせいで計算処理をすることができない。今俺たちにできることは、神に祈るくらいだ」



 艦長はそれだけ言うと黙ってしまった。しかしそれは全員がそうだった。当たり前だ、計算ができなければ事実上の死なのに、その計算は不可能だときているのだ。喋りたくなくなるのも当然であった。

  艦長の報告の後にそのまま緊急会議が開かれたが、大した成果は得られなかった。ワープを使ってここまで来たので、地球までは約10光年離れている。一番近い人が住んでいる惑星でも8光年で、もはや助けを求めることはできなかった。また船はぎりぎりの燃料しか積んでいないため、途中で止ってしまうと再び動くことはできない。船内に残っているコンピュータをフル稼働させても、計算を終えるより先に船が着陸可能域を超えてしまうだろう。

 この事実は速やかに艦内中に伝えられた。乗客は始めは何かの間違いだと思っていたが、我々乗組員による部屋への誘導が始まるとそれが事実だということを知った。皆の顔は暗く沈んでいて、地上で宇宙服を着た時のように重々しい足取りだった。取り乱す者は一人も居なかった。彼らは、この先にあるものは死だけだということを理解しているのだ。とりわけ俺の心を痛めたのは、子供を連れて歩く母親らしき女性の姿だった。「この放送は何を言ってるの?」と無邪気に訪ねる男児に、母親は悲痛な笑みを返していた。

 宇宙の旅に保険は要らないという言葉がある。宇宙で事故が起きたらほぼ100%死んでしまうからだ。まさしく今のことだと思い、俺はふっと笑った。船員には保険に入ることが義務づけられていたが、やはり意味は無かったのだ。長いようで短い人生だった。警棒を振って乗客を誘導する俺はそんなことを考えていた。

 だがその時、俺の目にあるものが飛び込んできた。それは、小学生らしき女の子が持つゲーム機だった。巨大ゲーム会社スペックが開発した最新のゲーム機で、初動の売り上げで7億台を記録した大ヒット商品だ。最新のゲーム機ということもあり、内部のメモリやCPUにはかなり高性能なものが使われている。それこそ下手なパソコンの性能をしのぐほどには。

 俺は慌ててハンディフォンを手に取り、技術長に連絡を取った。



「技術長!もしゲーム機を計算用のコンピュータに転用したら、計算を間に合わせることはできるか!?」

「ゲーム機をコンピュータにだと?馬鹿なこと言うな、たかがゲーム機だぞ。そんなもののCPU程度で、いったい何の計算ができるって言うんだよ」



 技術長は懐疑的な返事をした。しかし俺は、少しでも可能性があるのではないかと思い必死に説得をした。



「だが初めて月に行ったあのアポロ11号に積み込まれていたコンピュータだって、当時のファミコン以下の性能だったと言われているんだぞ!?科学技術が進歩したからと言って計算内容が変わる訳じゃない!星に着陸さえすれば救助ロケットを呼ぶこともできるから、船体の多少の損害くらいは無視して考えてみてくれ!」



 電話越しにキーボードを猛烈に叩く音が聞こえた。この船に積み込まれている疑似インターネットを、彼が隅々まで検索しているのだ。やがてお目当ての結果が見つかったのか、彼は興奮した声で再び電話に応じた。



「凄いことがわかったぞ!どうやらその案は成功しそうだ!今から500年前の地球でも、同じように家庭用ゲーム機を使ってスーパーコンピューターを構築する計画があったらしい!その結果、当時人気だったゲーム機を50台ほど並べることで短時間ではあるが数学的な計算を行うことができたそうだ!他にもアメリカが軍事用ドローンの制御システムを構築したり、疑似的なAIを作ることにも成功している。仮にスペック社のゲーム機を100台繋げてネットワークを作れば、応急手当ではあるが船を星に無事に着陸させる程度の計算は可能だろう!」



 その後はあっと言う間だった。技術長は俺を交えて計画を艦長に伝え、やれるだけやってみようという返事を貰った。かくして乗組員たちはブロックごとに乗客の部屋を回り、各世帯から少しずつゲーム機を集めた。最終的に170台集まったそれは、管理コンピュータ室で有識者たちによってばらされたのちに組み立てなおされた。バラバラだったゲーム機はいまや一台のスーパーコンピュータへと変貌を遂げていた。皆が決死の思いで祈る中、一人がそのコンピュータにデータを入力し、計算開始のエンターを押した。部屋の中にギューンという低い音が鳴り響く。いくら高性能だとはいっても所詮はゲームのCPU、想定外の酷使にかなりの負担がかかっているのだろう。この一回だけでもいい、何とか計算を終えてくれと俺は必死に願った。やがて、突然音が止んだ。部屋に静けさが戻る。計算を行った一人が恐る恐るディスプレイを確認すると……そこには、「計算成功」の文字が浮かんでいた。

 皆は歓喜した。計算結果はすぐに運行用コンピュータに入力され、船は着陸に向けた適切な進路を取り始めた。艦長は涙を流さんばかりに喜んで館内放送で計算の成功を乗客に伝えた。その途端、いつもは静かな宇宙船には歓声が沸き起こった。不安でたまらなかった彼らには、艦長の声が天使のラッパのように聞こえただろう。

 その後はただただ普通の、事故以前の計画通りにことが進んだ。唯一俺だけは、乗客全員の命を救ったということで、役職を一等航海士にしてもらえた。給料は格段に増えたが、その分仕事量も増えるだろう。俺は少し複雑な心境で、少しづつ近づく地面を見ていた。

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