1章 第2話 ヤンキー女騎士、学ぶ。

 急展開です。


「あたしをあそこまで一方的にボコボコにできるやつなんか、人生で一人もいなかった! あたしは……初めて他人にビビったんだ……だから先生、あたしを舎弟にしてくれよ!」


 やっべぇな。頭が……おかしい……

 こわ……


 ドン引きしていると許しも得ずにメスガキ・レイチェル・ローゼンバーグさんは全力謝罪姿勢をやめて立ち上がり、許可も出してないのに部屋に踏み込んで詰め寄ってくる。

 それが反省してるやつの態度か? ぶっ殺すぞ。


 いや、そうじゃない。


 俺は、自分が人間的に小さいのを自覚したんだ。

 若いころはそれでもよかった。エインズワース家の教育法により育まれた能力を利用して、人間としての小ささに任せるまま色々やった。


 でも、俺は妹ができて変わったんだ。


 広げよう、人の器。


 身につけよう、寛大さ。


 すぐに『ぶっ殺すぞ』となる人生とおさらば。すると眉間のシワはなくなり、険のある目つきは柔らかになり、妹からも『お兄様、お疲れなの?』と聞かれなくなる。いいことしかない。


 ここが俺の成長チャンスだ。


 咳払い。


「んンッ……あー、その、ローゼンバーグ様、なにやら私にはお話の展開がわかりかねるのですが……その、つまり、私の少々苛烈な指導をお許しくださると、そういうことで、よろしいのでしょうか?」


「許すもなにもねぇよ! あたしは感動したんだ! あたしにあんな容赦ない攻撃してくるヤツなんか、今まで一人だっていなかった! うちお抱えの神官が総出になって三日三晩治療を続けるぐらいボコボコにされたことなんかなかったんだよ!」


「指導に熱が入ってしまったのは、こう、冷静に振り返ると本当に申し訳なく存じます。しかし、お咎めがなかったというのなら、次回以降はもう少し柔らかめに指導をさせていただく所存で……」


「いや、パパはめちゃくちゃキレてるから、お咎めはあるけどよぉ」


「お咎めあるのかよ! え!? じゃあなんで来た!? お前のパパ、俺にキレてんだろ!? どうして娘を一人で送り出した!?」


「いや、あたしは勝手に来たんだよ! 屋敷を抜け出して!」


「後先ィィィ! 考えろ後先ィ! 俺、誘拐犯にされるじゃねーかよ! ぶっ殺すぞ!?」


 エインズワース家、今なお、おしまいの危機続行中。


 というか大公令嬢をボコボコにしたあと報復を恐れた俺が誘拐した図式が成立しちゃってるじゃん!


 さっきまでエインズワース家に迫ってた滅びがウサギぐらいの大きさだとしたら、今度の滅びはドラゴン級だぞ! 俺だけ滅びりゃ済むレベルから一族郎党領民もろとも領地まるごと滅びのテーマパーク状態だよ!


「いや、先生は誘拐なんかしてねぇよ! あたしが勝手に来たんだ!」


「んなこと俺は知ってんだよ! 周りの大人が! 特にテメェのお父様が! どういう解釈をするかが問題なの!」


「うちのパパは怒り狂うだろうけどよぉ……」


「鎮めてこい! ……いや待て、戻るな。今はまずい。今戻られると屋敷に監禁から俺の誘拐成立の滅びのパレード状態だ。俺の領地はおしまいになる……」


「先生……あたし、馬鹿だからよくわかんねぇけどよ……」


 バカガキ・レイチェル・ローゼンバーグ大公令嬢様は、青い瞳を伏せて真剣な表情になった。


 まじめな顔になると静謐せいひつな印象さえある大人びた美貌は、こんな状況でもなければ見惚れていたかもしれないが、こんな状況なのでただひたすらぶん殴りたい。


 それでもなにかいいことを言うかなと思って待っていれば、レイチェル嬢はまっすぐに俺を見てこう言った。


「うちのパパだって、真剣に話してわからねぇほど、わからずやじゃねぇよ」


「そうだね! テメェが軽率に俺んちに来なかったら申し開きの機会もあったかもね!」


 レイチェルさんの頭の中はおしまいです。


 ……しかしエインズワース家はどうあがいても教育者の血が流れているらしく、『え、なんで?』みたいな顔をしたアホの子を見ると、どうにも教育をほどこしたくなる欲求が湧いてしまう。


 俺は眉間をもみほぐしながら、今の状態がいかにおしまいなのかを語り聞かせる羽目になった。


「……よろしいですかローゼンバーグ様。大公家に限らず、貴族には私兵がおります。そしてその私兵は、家族が誘拐されたなどの場合、他領へと動かすことができるのです」


「へぇ。私兵。先生んちにはいねぇけど」


「テメェ様を怒らせたかなと思ったので、家令もメイドも、兵役を課してた領民も、巻き込まれないように暇を出してます。家族は外国」


「ふぅん」


「つまりですね、あなたが私の領地、それも屋敷にいらっしゃった時点で、ローゼンバーグ様……あなたのお父様は、その強大な国力を背景にした精強かつ大量の軍を、我が領地に入れる大義を得たのです」


「……つまり?」


「テメェが来た時点で、たぶん、大公、出兵してる。で、兵がウチ来るじゃんね。お前をそこで確保するじゃんね。現行犯じゃんね。そうしたら俺の言い分とか聞かずにぶっ殺しに来るでしょ?」


「いや、話ぐらいは……」


「あのねぇ! 他領に侵攻しておいて、『やっぱり間違いでした』は通じねぇんだよ! メンツあるだろ、メンツ!」


「命のが大事だろ!?」


「レイチェル嬢、あなたは私の命の価値を理解していない。吹けば飛ぶぞ、俺の命」


 伯爵家(仮)だぞ。


 しかも爵位を抵当に入れて金を借りるの、法律には抵触してないけどマナー的には完全にアウトだからな!

 大公からしたら『伝統ある伯爵家ともあろうものが、爵位を金で売ろうとしてるし、うちの娘を半殺しにした』っていうことで印象が最悪。おしまいです。


「んなことねぇって! 先生は、あたしの人生に今までいなかったような素晴らしいお人だよ! あたしが保証する!」


「俺が欲しいのは素晴らしさの保証じゃなくて命の保証なんだよォォォ! そろそろぶっ殺すぞテメェ! っていうかなんでそんなに物を知らねぇんだよ! 大公家の次代はおしまいですかァ!? わぁい、おそろい!」


「……だって、あたし、家庭教師とか、みんなやめさせてきたし……」


「……」


「だ、だってさあ? つまんねぇ話を、偉そうにグダグダ言うばっかりでよぉ……そのくせさぁ? ちっとにらんでやると、黙っちまって、それから来なくなるし……」


「……」


「先生だけなんだよ、あたしにンなこと、教えてくれたの……」


 ━━そう、なのか。


 わがままな上に権力があったせいで、家庭教師たちから満足な教育も受けられず……

 騎士団に大公家の令嬢がいるだなんて想像さえしてなかったけど、たぶん、親はこいつの人格が多少まともになることを願って騎士団に入れることにしたんだろうな。あそこの教育は厳しいから。


 でも、俺は、思うんだ。


「いや、学ぶ環境があったのに学ぼうとしなかったのはテメェの責任だろうが。同情引こうとしてんじゃねぇぞクソガキ」


「で、でもよぉ!」


「でもじゃねぇんだよ! 学びの門戸は開かれてたろうが! 学ばなかったのはテメェの決めたことだろ!? 『先生だけが教えてくれた』じゃねぇよ! テメェが俺以外の話を耳に入れなかっただけじゃねーか! ボコボコにしてこない相手の話は聞かないとか救いようのねぇアホだな!」


「んなこと言われたって……!」


「いいか、不良ヤンキー。世間では改心した悪人がもてはやされるかもしれねぇけどな、俺たちみたいな途中から思い直したクズよりも、最初からまじめに頑張ってるやつのが偉いんだ。そこを勘違いすんな」


「……」


「返事は?」


「……わかったよ」


「あ“あ”!? 言葉遣いがなってねぇな、ご令嬢さんよォ!」


「わ、わかりました……」


「よし。じゃあ帰れ」


「は? いや、あたしが帰ったら……なんかまずいんだろ?」


「なにがまずい? 言ってみろ」


「なに、って……」


「教えたぞ。学びに喜びを見出したなら、覚えてるはずだ。言ってみろ。ゆっくりでいい。間違っててもいい。挑戦してみろ」


 レイチェルの視線が泳ぐ。


 ……やだなあ。

 こいつ、こんなふうになにかを問われたことなかったんだろうなあ。

 誰もこいつを叱りつけて学ばせてやらなかったんだろうなあ。

 やだなあ……


 本人に学ぶ機会を逸した責任があるとは言った。

 それも真実だけれど……


 学ぶ必要性と楽しさを教えてやれなかった大人側に責任がないとは思わない。


 学べる環境と学ぶ意思と、学ぶ意思を呼び起こす配慮がなければ教育は成立しない。

 エインズワース家家訓第一条第二項だ。


 レイチェルは学びの成果を、おそらくは初めて問われて、


「……あたしがここに来た時点で、先生はやべー状況で……」


「おう」


「……だから、あたしが帰るのが、まずい……帰ると、あたしが監禁されて、そのまま申し開きもできないで攻め滅ぼされるから……」


「そこまでが、教えたところだ。そして、ここからが、お前が考えて生み出す『答え』だ。その上で、俺はなぜ、『帰れ』と言ったと思う?」


「……死を覚悟したから?」


「しねぇよ。いやちょっとはしたけど。俺は『生き残る』『家も取り潰させない』。この条件なら、どうだ?」


「………………」


 人が今まで想定さえしなかったことを思考によって導き出そうとする時、独特の『癖』が現れる。


 俺の場合は眉間を揉み解す動作がそれにあたるらしい。

 愛すべき妹はわずかに小首をかしげる。かわいい。


 そして、レイチェルは、『人差し指の第二関節を噛む』というのが、『癖』にあたるようだった。


 視線を床に落としたまま、右手人差し指の第二関節を噛んで━━


 ━━レイチェルは、導き出した。


「━━メンツ・・・か?」


「アホと口に出したのと、心の中でバカガキと繰り返し述べたことは取り下げよう」


「んなヒデェこと思われてたのか!?」


「お前はでき・・がいい。学ぶ気さえあれば大公家の次代はおしまいにはならない。滅びろと思っていただけに残念だ。そういうわけで帰れ」


「あたしにできることはあるか?」


 ……無能な働き者の味方は、有能な敵以上の脅威だ。

 下手なことをされてしまうと、俺のギリギリ生き残れるかもしれない目算は後破産になって、最後は大公家に爆裂特攻するしかなくなってしまうのだが……


 エインズワースおれは、学んで、考えて、それを活かそうとしてるやつを止めらんねぇんだよな……


「……宿題にしよう」


「い、いや、やべぇんだろ、今? 宿題とか言ってる場合じゃねぇだろ!」


「場合じゃねーのは俺が一番わかってんだよ! でも、ここで俺が答えを与えるのは、教育者として違うだろ! お前から『考える』ことを取り上げることができねーの、マジでどうかしてるわ! 家と領地の存亡かけてまでやることじゃないのよく理解してんだよ!」


「じゃあ、なんで!?」


「そういう血筋のろいを継いでんだよ! いいか! テメェが特別だからじゃねーからな! 俺はテメェみてーなクソガキにも、妹にも、同じようにこうする! 『大公家のお姫様だから愛されちゃう』とか勘違いすんなよ! ムカつくから!」


「し、しねーよそんな勘違い!」


「じゃあ行け! 早く行け! ぐずぐずしてたら本当に全部おしまいになるんだからな!」


「わかったよ! ━━攻めて来てる軍に確保されりゃいいんだろ!?」


「答え合わせはあとだ!」


「先生が死んでたら答え合わせできねーじゃん!


「死んでたら間違ってたってことだよ!」


「い、命懸けかよ……!」


 自分の判断に誰かの命が懸かる。

 当然、重い。震えもするだろう。


 でも、


「そうだよ。エインズワースの教育はな、超々厳しいんだ」

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