第52話 二人の新しい関係

 ルークは門から庭園に入ると、その真ん中を屋敷に向かって走ってくる。

 一度止まって辺りを見渡して、そしてエマのいるベランダで目を止めた。


 ふたりの場所は離れているから、ここにいるのがエマとわからないはずだ。

 だけど、確かにふたりの視線があった気がした。

 するとルークはエマに向かって馬を走らせた。思わずエマはベランダの手すりに駆け寄って体を乗り出した。


 ルークはエマを目掛けて、真っ直ぐに馬を走らせて、あっという間にエマのいるベランダのすぐ下までやってきた。そこで馬を止めると、馬の上から顔を上げてエマを見上げた。

 いつもキチンとしているルークからは信じられないくらい、髪や服が乱れていた。


「どうしてここが……」

 まだララは手紙を出していない。だからエマがここにいるのは、ルークは知らないはず。それにルークは苦い顔をした。

「探した」

「探したって……」

「君が行きそうな所を全部探した。最後に、王宮の馬車の御者がここに連れてきたっていうのを聞いて……。もうすぐ夜になるから、急いで迎えにきた」


 もうすぐ夕日が沈む。

 真っ暗になったら、馬での移動は危ないから早く帰ろうというルークの気持ちが分かった。

 ルークがエマを見た。

「帰ろう。エマ」

 だけど素直に頷けないエマは、こんな時でも答えをはぐらかそうとする。


「明日でいいのに……」

「明日でいいわけないだろ」

 エマの言葉に被せるようにルークが強い口調で言い返した。

「ちゃんと話したいんだ。……君とはこれ以上ケンカしていたくない」

 馬の手綱を調整しながら、ルークはエマを見つめた。

 それでもエマが黙ったまま立ち尽くしていると、ルークは大きく息を吐いた。

 本当に、とても悔しがるような顔を知る。


「君は気が強いし、僕の言うことはいつまで経っても聞かないし、他の人のためには必死になるくせに、自分の身を守ることには無関心で」

 大きなため息をついて、また口を開く。ものすごく、苦い顔をする。

「意地っ張りなのに、すぐに泣くし、泣くといつもより甘えるし、手がかかって本当に腹立たしい。……だけど」


 ルークはじっとエマを見た。

 その青い瞳が自分だけを見つめていることを、エマはようやく理解した。


「僕は、そんな君が好きなんだ」


 エマは息を呑んだ。

 まるで時間が止まったような気がした。


「理由なんてどうだっていい。言葉で説明できないくらい、君が好きで、君がいいんだ」


 どくんと大きくエマの心臓が打った。


「君は僕に勝つことばかり考えているけれど、僕たちの勝負なんて、最初から結果はわかっている。何回やっても君の勝ちだよ、エマ」


 ふっと小さくルークが笑う。

 輝くような金髪が、夜の始まりの闇の中で光った。


「先に好きになったのは僕だし、君が僕を思うより、僕が君を思う気持ちの方がずっと強い。そんなこと、僕はよくわかっている。……だから、僕は君に勝てない。この先何回勝負しても、一生かかっても、僕は君には絶対に、勝てない。悔しいけど、それが真実なんだ」

 そう言ってルークは笑った。

 それは、悔しさなんて全く感じられない、すっきりした笑顔だった。



 ルークが右手を伸ばす。

 その手はまっすぐ、エマを求めて伸びた。

 エマの目を見つめて、ルークは声を張り上げた。


「ここで誓うよ。僕が持つ全てで君を守る」


「だから、僕に君を守らせて」


 その言葉がエマの気持ちの一番奥に、まっすぐに届いた。

 胸が熱くなって、思わず視界が滲んだ。

 だけどそれをこらえて、エマはベランダの手すりから身を乗り出した。

 見慣れた、一番エマを安心させてくれる笑顔が、そこにあった。


 ものすごく胸が熱くなって、苦しくなって、

 エマは思わず大きな声を出した。



「ルークは、何にもわかってない!」

 エマの大声にルークが驚いた顔をする。


「私があなたのことなんとも思っていない、なんて、勝手に決めないで!」


 ルークの目が見開かれる。


「た……多分、好きになったのは、私の方が先だから!」

 エマはそこで口を閉じた。


 思い切り恥ずかしかったけれど、手をぎゅっと握りしめてルークを見た。

 そしてその時のエマの持つありったけの勇気を振り絞って、口を開いた。


「それから……私の気持ちの方が、あなたの気持ちより強いんだから。…私の方が、好きなんだから!」


 言いながら、恥ずかしくて顔が赤くなった。

 だけどこれだけは言いたいから、

 最後にエマは目をつむって目を閉じた。


「あなたのこと、大好きなんだから!」


 全部言い終わって、目を開けて目に入ったのは、

 見たこともないほど嬉しそうな顔をしたルークだった。


 それを見たら、エマの胸が熱くなって、こんどこそ涙が出そうになった。


 ルークはその笑顔のまま、エマを呼んだ。

「エマ」

 伸ばした手を、さらにエマに向かって伸ばす。

「帰ろう、エマ」


 エマはルークに駆け寄ろうとして、そこがベランダだったことを思い出した。ベランダの下にいるルークと視線があって、なんだか恥ずかしくなって笑うと、ルークも顔を綻ばせた。



「あのルークにここまで言わせるなんて、すごいじゃない」

 ララの声が後ろからして、エマは振り返る。

 そこには目を丸くしたララがいた。

「ごめん、ララ、私……」

 だけど全部言う前に、ララは理解したように頷いた。

「早く行ったら?待ってるわよ」


 エマは急いで身を翻した。部屋を出て廊下を走って階段を駆け降りた。

 玄関のドアを開けると、馬で向かってくるルークが見えた。

エマはルークに向かって、走りながら両手を伸ばす。

 馬で駆け寄ってくるルークも両手を伸ばして、そのまま掬い上げるように、エマを抱き上げた。

 ルークはエマを横抱きにして馬に乗せると、そのままぎゅうと両腕で抱きしめた。存在を確かめるように、腕に力を込めた。


「よかった」

 エマに頬を擦り寄せて、大きく息を吐く。

 その言葉に嘘がないってわかるから、エマも素直に謝ることができた。


「ごめんなさい」

「いや、僕も悪かった」

 顔を離すと、ルークはエマの頬に手を当てて、微笑んだ。

「帰ろう、エマ」

「うん」

 ルークはそのまま手綱を操って、馬を門に向けた。

 そのまま、前を向こうとしてルークは思い出したように振り返った。



「馬のままで申し訳ない、ララ・スミス。騒がせた」

 急いでエマも振り返ると、後ろには腕を組んだララが苦笑いしていた。

 苦笑いというよりは、呆れはてたような顔だった。

 確かに家の庭で友人がこんなことをしていたら、そんな顔になるかもしれない。途端にエマは恥ずかしくなる。


 ララはじっとルークを見た。

「もうすぐ夜になるから……エマを連れて行くのは明日にしたら?」

 夜の暗い道での馬の2人乗りは難しい。

 それを思えばエマは泊まるほうがいいかもしれない。

 だけど、ルークは片腕をエマの体に回すと力を込めた。


「いや、心配はいらない。急げば完全に夜になる前に帰れるから」

「ごめん、ララ。今度またちゃんと遊びにくるから」

 そう言ったらララは肩をすくめて、エマを見た。

「そうね。今度はちゃんと旦那様の許可をもらってから来てよね」


 それを聞いてルークは笑った。

 その横顔にエマは思わずどきりとして、ぎゅっとそのローブを握りしめた。

「僕は寛容な夫だから、ちゃんと話を通してくれれば妻が外出することを咎めるつもりはないよ」

 その自信満々な顔に、ララは引き攣ったような笑いを浮かべた。

「早くも新婚気分ですか」

 呆れたように言って、エマに手を振った。


「じゃあ、早く帰ったほうがいいから、もう行ったら?」

「またね、ララ」

「今度はうちに遊びに来てくれ。ララ・スミス」

「……考えときます」

 そうするとルークは馬を走らせた。



 あたりが急速に夜になって行く中で、ルークはかなりのスピードで馬を走らせる。そのせいでエマはルークのローブにしがみついた。


「ね、ねえ。もう少しスピードを落としても」

「でも、帰ってからやることがたくさんあるから」

「やること?」


 ルークは器用に片手で手綱を操作しながらエマを見つめた。

「まずは父さんと母さんに結婚の話をしないといけないし、それから明日には国に結婚の申請を出したいから、その準備もしたいし、それから……」

「え?」

 驚いて、エマはルークを振り返る。

「まさか、もう結婚するの?」

「は?君、なにを言っているの?」

 ルークは目を丸くして手綱を引いて馬を止めた。


 驚いた顔でエマを覗き込む。

「え。だって……もう結婚するの?準備とか」

 通常貴族の結婚は準備期間をおく。

 平均的には半年から一年、長いと二年くらい待つこともある。そもそも結婚が決まってから色々周りの許可や後見人を決めて、最後に国に結婚申請をだして、それが降りるまで結婚できないから時間がかかるのだ。


 明日には国に申請って、どれだけいろんな手続きを急ぐのだ。


 だけどルークは当たり前のような顔でエマを見た。

「そりゃあ、いろんな準備はいるけど、そんなの可能な限り急いでやるよ。後見人ももう考えているから、数日のうちには申請ができる」

「え?」


 ルークはエマの腰に回した手をぎゅっと自分へ引き寄せた。

 ルークの胸に背中がぶつかると、そのままルークはエマの肩に顎を乗せた。


 いつもよりずっと距離が近くなって、視線を動かしたら、すぐ隣にルークの顔があった。

 満足そうに笑う顔に、首にわずかにかかったルークの息に、

 エマの心臓は、大きく跳ねる。


「長く待ちたくないな。だって周りが何を仕掛けてくるかわからないし、そうしている間にまた、君が事件に巻き込まれるかもしれないし」


 ルークは視線だけエマへ向ける。

 ちょっと上目遣いの目が自分を見つめるのにも、エマの心臓が走り始める。

 おかしなくらい、ルークの行動の一つ一つに胸がドキドキする。



「君と僕の関係を、しっかりしたものにしておきたい」



 ぎゅうと抱きしめる腕の強さに、戸惑う。


 もちろん、今までだってルークとは抱きしめたことも、手を繋いだことだってある。

だけど、今まではそのどれもが、どこか友達の延長線上……いうか、その腕の力は遠慮がちで、もしエマが離れようとしたら、決して引き止めることのないくらいの強さだった。


 だけど、今のルークの手は迷いなくエマに触れるし、引き寄せる力も今までに比べたらずっと強い。

 絶対に離さない、という意志が感じられるような気がする。


 エマが自分のものだって、ルークが実感したからかもしれない。

 仕草や言葉に、遠慮がなくなった気がする。


 だけど、その新しい距離感をエマは嫌ではない。

 くすぐったいような感覚で、それを受け止めている。



 だけど、顔が赤くなっているのを悟られないように、視線を動かした。

「そ、それは…よくわかるんだけど」

「何?まさか嫌とかいうつもり?」

 ルークの目がちょっと鋭く細められる。

 エマは慌てて首を振った。

 こんなつまらないことで誤解されても困る。


「ち、違うって」

 エマはルークの目を見て、言い直す。

「あのね、その……私たち、さっき、恋人になったばっかりで」

 黙ったままのルークをチラリと見上げる。

 深呼吸して、心を決めて、エマは口を開いた。


「だから、もう少し……恋人でいたいっていうか」


「…………は?」


 それを聞いたルークは本当に呆れた顔をした。


「恋人って……」

「そう。だって、このままいったら友達からいきなり夫婦になってしまうじゃない。少しは恋人の期間があってもいいと思わない?」

 だけどエマの渾身のお願いを、ルークは即座に否定した。

「却下。必要ない」

「どうして?」

 ルークはエマを見て、肩をすくめた。


「そんな時間、全くいらないね」

「え?ひどい」

「見る人が見れば、今までの僕たちだって恋人同士みたいなものだよ。だからそんな時間は不要だ」

 思わずルークのローブの襟元をぎゅっと掴んで顔を引き寄せると、その驚くほど綺麗な顔が、目の前にきた。


「でも、せっかくの恋人同士の時間なのに」


 ルークはじっとエマの顔を見て、それからふっと顔を逸らせた。


「……じゃあ、3ヶ月」

「それだけ?」

「言っておくけど、それ以上は待てないし、待たないよ」

 ルークはキッパリというと、エマに視線を戻した。

 その顔を見たら、これ以上言ってもルークが聞いてくれないことを、悟ってエマは渋々頷いた。

「……わかった」

 ならいい、そう言って息を吐いたルークが、じっとエマを見つめるから、ついエマもぶっきらぼうに尋ねる。


「何?」

 ルークはしみじみつぶやいた。

「あ、いや。君がそんなこと言うなんて思わなかったから」

「そんなことって」

「恋人の時間が欲しい、なんて」

「そりゃあ……」

 うまく言えなくて、エマは俯いた。


 エマだってそういう時間に憧れる。

 だって、ずっとルークと友達だったのだ。

 それもただの友達ではない。

 完全にケンカ友達だ。


 晴れて恋人になって少し甘くなる(はず)のルークと、恋人らしく過ごしてみたい。

 一人考え込むエマを、ルークは楽しそうに見つめた。


「まあ、いいよ。そこまで悪い提案じゃない」

「本当?よかった」

 エマはほっと息を吐いた。

 現実主義者のルークにこんなことを言ったら、笑われそうな気がしたけれど、受け入れてもらえてほっとした。

 大きく息を吐いたエマの腕を、ルークが引いた。



「じゃあ、早速しようか」

「え?」

「恋人らしいこと」



 顔を上げたら、ルークの笑顔が目の前だった。

 その華やかな笑顔に視線を奪われていたら、その顔がエマの前に降りてきて


 エマの唇とルークの唇が、ほんのわずかな瞬間、重なった。


 あまりにもあっという間で、その柔らかいものがルークの唇であると理解したのは、それが既に離れてしまってからだった。


 それくらい、わずかな時間だった。



 だけど、これはまちがいなく…

 エマの勘違いでも、頬や額にしたものが間違ってあたったのでもない。

 それを理解して、エマの体が固まる。



 目を丸くして離れていくルークを見つめていたら、ルークがおかしそうな顔をした。


「何、驚いているの?」

「だって……ルークとこんなことするなんて、考えたこともなかったから」

「なにそれ?」

「いや、何というか、驚くし、慣れない」

 それをルークは目を煌めかせて、エマを見た。



「大丈夫。……すぐにこれが当たり前になるよ」



 そう言って、目の前の人はもう一度、エマの唇に唇を重ねた。


 さっきより長く、

 そう、エマが自分とルークの新しい関係が間違いなく『恋人同士』だと理解できるようなキスをした。




 顔を離したルークは真っ赤になったエマを見て満足そうに笑うと、手綱を引いて馬を走らせた。


「あ、そうだ」

「……なに?」

 ルークはエマを見下ろす。


「言っておくけど、好きになったのは僕が先だからね」


 勝ち誇ったような顔をして笑うルークを、エマは見上げてじっと見つめた。

「だから、違うって」

 それをみて、ルークは少しだけ考えるような顔をして、それから嬉しそうに笑った。

「君は何にもわかってないな」

「ちょっと、ルーク」

 エマが反論しようとしたら、ルークは馬の歩調を早めた。


「きゃっ」

 馬が早く走るせいで、思わずエマはバランスを崩す。

「ほら、ちゃんと掴まらないと落ちるよ」

 そういって笑ったルークの顔を見て、絶対に確信犯だと思う。


「ちょっと、ルーク!」


 だけどそこで本格的にルークが馬を走らせたから、エマはルークにしがみつく

 視線を上げて睨みつけると、嬉しそうに笑った。

 そうして、抱きしめる腕に力を込める。


「ちゃんと僕につかまっていて」



 ヘイルズ家まではあと少し。

 それまで、エマはルークに抱きついていることになった。



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