第51話 家出

 言うだけ言って、ルークを置いて走ってパトリシアの部屋に帰ったら、もう王妃も皇太子もいなかった。気楽に読書をしていたパトリシアは、半泣きで帰ってきたエマを見て驚いた。

 エマの話を聞くと、宥めるようにエマを見た。


「とりあえず、落ち着いて。仕事はいいから、もう一度ルークと話してきなさい」

「嫌です。今は顔を見たくもない」

 エマは手のひらで涙を擦ると、王女を見た。

「今日は帰りたくないです」


 パトリシアはギョッとした顔をした。

「帰ったらルークと顔を合わせるから嫌です。今日は会いたくない」

「そりゃあ、隣の部屋にいるんだから、会わないはずがないでしょうよ。しかも、部屋に鍵もついてないし」

「だから、嫌なんです。今日は帰りたくない」


 エマはパトリシアの手をぎゅっと掴んだ。

「今日、泊めてください」

「……ダメ」

 パトリシアは即座に断った。


 恨むような目で見ても、パトリシアは断固として首を振った。

「だから、私を巻き込まないで。そんなことになったら、あいつ私を半殺しっていうか……確実に消される」

「そんなこと言わないでください。私、王女しか頼る人が……」

「だめ、やめて。私、まだ生きていたいの」

 パトリシアは女官を呼んだ。


「今すぐ馬車を用意して。エマが帰るから」

「私、まだ仕事が……」

「そんな顔で仕事できるわけないでしょう。……そうだ。本を貸してあげるから家で読書していなさい」

 パトリシアは本棚に向かうと、しばらくあれでもないこれでもないとブツブツ呟いて、最後にそこから2冊抜き取ってエマに渡す。

 馬車の準備ができた、と呼びにきた女官にくどいくらいに言い聞かせた。

「いいこと?絶対にヘイルズ家に帰るのよ。それ以外は許さないからね」




 だけど馬車に乗っても、家に帰る気にはなれなかった。


 家に帰ったらルークと会ってしまう。

 あんなに威勢よく言い放ったのは自分なのに、とても気まずい。

 あそこまで言って、どんな顔をすればいいのだ。


 エマは頭をぶんぶんとふる。


 思えば、ルークと喧嘩をするのは久しぶりで

 そして、これまでで一番大きな喧嘩かもしれない。

 最近はあまり喧嘩もしてなかったから、

 今までどうやって仲直りしていたか、仲直りの方法を忘れてしまった。


馬車の窓に頭を乗せて、エマは大きなため息をついた。

 そしてどうしてもルークに会う勇気が出せなくて……


 家出をした。




 エマが向かったのはララの家だった。


 ヘイルズ家には帰りたくない。しばらく頭を冷やす時間が欲しい。

 普通は実家に帰るだろうけれど、きっとルークはエマは実家に帰ったと想像して、すぐに迎えにくるだろう。

 それは嫌だった。


 そうなると、エマにはララしか頼る人はなかった。

 ララの家に向かうように告げると、御者は訝しみながらも黙って言うことを聞いてくれた。



 そこに着いたのは昼前で、運よくララは仕事が休みで、喜んでエマを迎えてくれた。ララの家はかなり豪華で、二人は2階のベランダで長い時間お茶をした。


 働いてからずっと手紙のやり取りばかりだったから、お互いの近況報告に長い時間がかかった。

「あなたがこの間ヘイルズ家に刺繍セットを送ってくれって連絡してきた時、驚いたわ」

 まさかあのルーク・ヘイルズの家にいるなんて。とララは笑った。

「そこしか居場所がなくって」

「居場所がないからって行くような場所ではないわよ」

 苦笑いしたララは、小さな焼き菓子を口に頬張る。


 それからエマは働いてからのいろんな事件を話した。ララは驚いたり苦い顔になったり、大笑いしながら聞いていた。

 話終わると、ララは楽しそうに笑った。


「なんだ。心配していたけど、ルークとうまくやっているじゃない」

 そう言って横目でエマを思わせぶりに見つめた。

 何か誤解をされていると、エマは慌てて否定する。

「そんなんじゃない」

 手にしているカップを見つめながら、エマはつぶやいた。


「私たち、相性が悪いの。最悪」


 口に出したら、また泣きそうになって、慌てて口を閉じる。


 それを聞いてララはクスッと笑った。

「そうかしら?あり得ないくらい仲がいいと思うけど」

「そんなことないって。学生の頃から仲は悪いのに」

 言いながら、急に不安になってエマは俯く。

「でも、今回はダメかもしれない」


 あんなことを言ってしまったから、さすがにもうダメかもしれない。

 だって、仮にもプロポーズをされて、それを断ったのだから。

 つい弱気になると、ララがエマの顔を覗き込んだ。


「何かあったの?エマ」

 誤魔化そうとしたけれど、ララが心配するから、エマはルークと大喧嘩したことを話す。



「でも、僕しかいないから、とりあえず結婚しよう、なんてひどいと思わない?」

 最後にエマがいうと、ララは大きなため息をついた。

 そのいかにも呆れた、という感じにエマは悲しくなる。

「何?何か変?」

 エマが不安になってララを見ると、ララはため息をついた。

「二人とも相変わらず恋愛が苦手なのね」


 ララは困った顔をしながらも、エマをじっと見つめる。

「じゃあ、エマはルークになんて言われたら、嬉しかったの?」


 そう言われて、考える。

 私はどうしたら嬉しかったのかって。

 ルークにどうして欲しかったのかって。


 仕方ないから、結婚してあげる。

 なんて、どうしても嫌だった。


 そうしたら、ふっと浮かんできた考えがあって、

 慌ててエマはそれを打ち消した。

 こんなことを考えるなんて、きっと王女の恋愛小説に感化されてしまったのだ。


 小さく咳払いして呼吸を整えると、ララはエマを見て思わせぶりに笑った。


「エマは、ルークに好きだって言って欲しかったんじゃないの?」

「え?」

 驚いたエマに、ララは続けた。



「好きって言って欲しかったのよね。自分もルークのことが好きだから」



 顔が赤くなるのがわかった。

 ララがとても簡単にエマの気持ちを言い当てるから、どうしていいのかわからなくなる。


「そ…んなこと」

「エマは自分の気持ちをわかってたの?」

 ララの質問を誤魔化そうとして、だけどじっと見つめるララの目を見たら嘘は言えないと思った。

 少し時間を置いて、しっかりとエマが頷くと、ララは呆れたように笑った。

「本当にエマもルークも不器用なんだから」


 ララはお茶を一口飲んで、エマを見た。

「エマ、気がつかなかった?」

「なに?」

「エマに結婚しようって言った時のルークって、いつもと少し……違ったんじゃない?」


 そう言われて思い返す。

 確かにいつもと少し違うと言われれば、違う気もする。

 どこがどうとは言えないけれど。


 もしかしたら、あれはルークなりに緊張していたのかもしれない。

 いつも堂々としている人だから、緊張するなんて思わなかったけれど……

 もしかしたら、本当に緊張していた……?


 エマの顔を見て、ララは頷いて笑った。

「ルーク・ヘイルズだって、人間なのよ。好きな女性に結婚しようって言う時は緊張するし、思う通りにできないこともあるのよ」

「そんな……」

「だから、そんなことで怒るのはやめなさいよ」

「そんなことって」

「そんなことでしょう?」

 黙ったエマを、ララは笑う。



「そんなことどうでもいいくらい、好きでしょう?」



 うっと言葉に詰まったエマを、ララは笑顔でからかうようにみた。

「エマはずっとルークのことが好きだったものね」


 昔からずっと好きだった、なんて周りに思われるのは悔しい。

 だけど確かに、いつかわからないくらい前から、エマはルークが好きだった。


 じっと見つめるララに、エマはぷいと顔を背ける。

「ずっと好きだったでしょう?」

 自信たっぷりに言われてエマは気まずくなって俯いた。

「そんなんじゃ、ない」

「じゃあ、そう言うことにしておきましょうか」



 ララは苦笑いして立ち上がった。

「明日は帰ってちゃんとルークと話し合ったほうがいいわよ。言い方はまずいけど、ルークは誰よりもエマのことを考えてくれているし」

 そこでララは大きく頷いた。

「確かにあなたのことを完璧に守れるのは、世界中でルークしかいないわよ」


 親友にまでこんなことを言われるなんて、少し気持ちが落ち込む。

 だけどエマは渋々頷いた。


「……わかった」

「私は今から手紙を書いてヘイルズ家に届ける。きっと心配しているから、あなたがここにいるって教えておく」

「……そんなことしなくていい」

「エマ」

 ララは目でエマを叱る。


「教えるわよ。絶対に心配してる。あの人、あなたを探しに騎士団とか魔術団を動かしかねないわ。我が家が騎士団に囲まれたら、困るのよ」

 近所迷惑よ、と言った後でララは笑った。

「私、手紙を書いて出してくるから、エマはここでゆっくりしていて」

「ありがとう」

「あ、そうだ。せっかく借りたなら、本でも読んでいれば?」

 テーブルに置いたままのパトリシアの本をララは手にする。


 パラパラと中を確認して、嬉しそうな顔になった。

「これを選ぶなんて、センスがいいわね。今度王女と話してみたいな、仲良くなれそう」

 そう言って、ララは部屋の中に入っていった。

 一人で残されたエマはパトリシアに借りた本を読む。



 パトリシアに借りた本は、例によって金髪碧眼の王子が出てくる話だった。

 だけどいつもと違うのは、ただの恋愛小説ではなくて二人で敵を倒しながら冒険していく話で、どちらかというと冒険要素が強い。

 そのせいか、エマも読みやすかった。


 だけど、剣で戦ったり、魔法を使う場面の一つ一つに、その王子とルークが被って見えて、読んでいられなくて途中で本を閉じた。


 本を読んで、ルークを想像するなんて、どうかしている。




 エマは頭の中からルークを追い出そうと、庭に視線を向けた。

 ベランダからは綺麗に手入れされた庭が見えて、ここに連れてきたらロキは喜ぶだろうなと思った。

 そしてヘイルズ家のことを思い出して、急に寂しく感じてしまう。


 いつも帰る時間にエマが帰ってこないから、ゲイリーやエレノアもきっと心配している。

 ロキはどうしているだろうか。いつもエマと夕方に散歩をするのに、今日はどうしたかな。

 そんなことを考えていたら、やっぱり帰ったほうがいいかもしれないと思って、急いで踏みとどまる。


 ああ、もうだめだ、私。


 そう思ってため息をついて視線を庭に向けて、エマは驚いた。



 ちょうどスミス家の門が開けられたのが見えた。

 そして、そこから一頭の馬が入ってきた。


 その馬には見覚えがあって、確かこの間の乗馬の時にルークが乗っていた馬で……

 そして黒いローブを風に靡かせて、その馬に乗っているのは、


「ルーク?」


 エマは思わず立ち上がった。



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