第32話 ケンカするほど仲がいい

 舞踏会が終わった。


 あの会のすぐ後、ハント卿が領地経営での不正で処罰を受けた。

 その処罰は予想よりも重く、ほとんどの領地は没収されて家族は国のはずれの領地へ転居したという。

 ダフネがどうしているのは、エマにはわからない。


 あの舞踏会のあと、エマの周囲には多くの変化があった。

 その一番大きな変化が、ルークとのことだ。


 自分の気持ちがわかると、エマの目に映るルークは今までよりずっと輝いて見えた。

 ただ隣にいるだけで、胸がドキドキして、今まで通りにはできない。

 できるわけがない。

 だから、いろんなことが少しづつ、今までと変わった。


 真っ直ぐ顔を見られなかったり、二人きりを避けようとしたり……

 だけど、それがルークに伝わらないはずがない。


「君、最近おかしいよね?」

 エマの部屋にやってきたルークが不審そうな目で見つめる。

「なんでもない」

「なんでもなくないよね」

 ルークがずいっとエマに近づく。

 目の前に綺麗な顔が来て、エマはその唇に目がいってしまう。


 だって、この間、この唇が……。


 思い出しただけで、エマの顔が真っ赤になった。

 ばっと顔を逸らす。


「一体なに?」

「なんでもない」

 エマは慌てて首を振るけど、ソファの上で逃げても、すぐに距離を詰められてしまう。

「おかしい。絶対に何かあった」


 おかしいのはわかっている。

 だけど、理由なんて言えるわけない。


「本当になんでもないから」

 エマの返事にルークは困ったようにため息をつくと、エマの手を取った。



「そういえば、今度父さんと出かける予定があっただろ?」

 ルークは言いにくそうに口籠もった。

「父さんと夜会に行く話」

「え?」

 それを聞いて、エマは思い出した。


 あれ以来、ルークの父であるゲイリーとよく話すようになった。ゲイリーは話し上手だし、話題も豊富で話していると楽しい。

 そんなゲイリーが、エマを夜会に誘ってきた。

 本来なら妻や娘を誘うけど、エレノアが婦人会の都合でどうしても参加できない。代理と言っては失礼だけど一人で行くのもつまらないし、とゲイリーは遠慮がちに頼んできた。

 仲のいい貴族だけの気取らない会だという。

「この間の舞踏会で君を見て、みんなが君と話したいって言うから」

 そう言われて、引き受けてしまった。


 自分が必要とされている気がして嬉しかった。

 会った事もない年上の人ばかりだから不安だけど、ゲイリーがいるから大丈夫だろうと思った。


 その事をルークには話していなかったけど、いつの間にか聞いていたらしい。

「それ。断ったから」

 とても簡単にルークがいうから、エマは驚いた。

「え、どうして?おじさま一人でいくの?」

「あの会はお酒も飲むし、カード遊びやダンス以外に、酔っている人の相手もあるし、君には重荷だよ。それに父さんと出かけてどうするの?」

 ルークの横顔が機嫌悪そうに歪む。

「でもせっかく誘ってくれたから、行きたかった」


 だけど、ルークの返事は変わらなかった。

「行ってもつまらないよ。行かなくていい」

 その様子にエマはムッとした。思わずルークの手を振り払う。

「私、行く」

「は?なに言ってるの?もう断ったから今さらだよ」

「私、もう一度おじさまと話して来る」

 立ち上がったエマをルークは引き止めた。


「行く必要はない。これは父さんが周りに君を見せびらかしたいだけだ」

「いいじゃない、別に。私に会いたいって言ってくれているのだから」

「僕は嫌だ」

「でも誘ってもらったのに、行かないとか、ないわ」

 ルークは大袈裟にため息をついた。

「君は行かなくていい」

 エマはカチンとした。


 いくらルークだって、勝手にこんなことをしていいはずがない。

「行くわよ。約束したもの」

「相変わらず、君は頑固だな」

「あなたも相変わらずわからない人ね」

「その言葉、そっくり返すよ」

 二人は睨み合って、同時にため息をついた。


「しばらく、私に話しかけないで」

「それはこっちのセリフだよ」

 そういうと、ルークはエマを置いて自分の部屋に戻ろうとする。

「私、おじ様と行くから!」

 その背中に向かって怒鳴ると、ルークは振り向かずに手をヒラヒラ振った。

「はいはい。好きにすれば」

 ドアが閉まる直前、エマはムッとして大きな声を出した。

「勝手にするわよ!」




 その翌日も、二人は口を聞かなかった。

 隣に座りながら口を利かない二人を、皇太子と王女が怪訝そうに見つめていた。

 そのせいか、お茶会は驚くほど早く終わった。


 二人が出て行くと、パトリシアがエマをじっと見つめた。

「あなた、あいつと喧嘩でもしたの?」

 なぜわかったのかと言う顔をしたら、王女は苦い顔をした。

「すぐわかるわよ。あなたたちが喧嘩すると雰囲気悪くなるからやめてくれない?」

「でも…」

「それよりどうして喧嘩したわけ?」

 エマは渋々昨日のルークとのやりとりを簡単に説明した。


 話終わった後、王女は苦い顔をした。

「ただのノロケね」

「いや、本気で喧嘩ですよ」

 エマは俯いた。


 王女は立ち上がると、大きなため息をついた。

「明日までに仲直りしてきて」

「どうやって……」

「バカね。おじ様と、あなたとあいつと3人で行けばいいじゃない。それで解決よ」

「3人って」

「あなたがあいつに一緒に行きたいって言うの。それでうまくいくから」

「え?」

 パトリシアは胸の前で自分の手を握ると、エマを見上げた。


 もともと可愛らしい顔立ちの王女がやると、とても可愛い。

 エマですら、ドキッとした。

「私一人では不安だから、一緒に来て」

 そこであっさりと手を離した王女は、いつもの顔で頷いた。


「こんな感じで頼んでみなさい」

「え、今の私がやるんですか?」

「そうよ」

 王女はちょっと声を大きくした。

「明日までに仲直りしておくように。明日の朝も空気悪かったら怒るわよ」

「……はい」

「お兄様も色々あって、今は大変なの。朝くらいのんびりさせてよ」

「はい」


 王女は仕事のために立ち上がって、振り返ってエマの方を見た。

「これは命令よ。可愛く頼んできなさい」





 その日の夜、エマはドアの前で立ち尽くしていた。

 王女に言われたようにルークと仲直りするつもりでここまできた。


 だけど、ドアをノックする勇気がなくて、さっきからずっとドアの前で立ち尽くしている。

 ノックしようとしてやめて、もう一度手をあげてためらう。

 こんなことの繰り返しだった。


 ドアを開けて、ルークにごめんなさいと言って、終わり。

 それだけなのに、とてつもなく気が重い。


 でも、王女に言われたからやらない訳にはいかない。

 そう思って今度こそドアをノックしようとした時だった。


「エマ……そこにいる?」


 ドアの向こうから声がした。

 エマは即座に返事した。

「うん」

「じゃあ、このままでいいから、少し話していい?」

 ルークがためらうように続けた。

「昨日のことだけど」

 ドアを隔てて聞くせいか、その声はいつもより低かった。

 だけど声を聞いたら、とても会いたくなって、思わず手のひらをドアにあてた。


 そうしたら、ルークに少し、近くなるような気がして。



「あの会のことだけど、君が行きたいのなら、行ったらいい。父には僕から言っておくから」

 それを聞いて耐えきれなくなって、エマはドアを開いた。

 目の前のルークは視線を落として、見た事もない暗い顔をしている。


 エマがドアを越えてルークに近づくと、ルークがエマを心配そうに覗き込んだ。

「怒ってる?」

 エマはそれに首を振って応えた。

「私も、先にルークに相談すれば良かった」

「いや。悪いのは僕だ」

 ルークの手がそっとエマの頬を包んだ。気遣うように見下ろす瞳がスッと細められた。

 その目には後悔が見てとれた。

「君の気持ちも考えずに、ごめん」



 エマの目はこれ以上ないくらい見開かれた。

 あのルーク・ヘイルズが謝るなんて。

 いつも自信満々で、誰よりも堂々としているルークが。



 長い付き合いの中で初めてのことに、エマは驚いた。

 この人が、私に謝るなんて。



 エマの頬を包む手が、そっと髪をとかすように頭に移動する。

「だから、もう機嫌を直してくれないか」

 ルークは困ったようにエマを見た。

「君と話さないとか……もうムリ」

 そっとエマを引き寄せて、その肩に自分の顎をのせた。


 大きく吐いた息がエマの首にかかって、くすぐったい。

 つい、体をよじったら、逃げようとしていると思ったのか、腕に力が入った。

「逃げないで。お願い」

 その思い詰めた様子に、エマは固まったように動けなくなってしまった。


 自分が彼を傷つけてしまった気がして、やるせなくなる。

 エマだって、こんなつもりではなかったのだ。

 急いで声を上げた。


「に、逃げないから」

「本当?」

「本当」

 エマは少しだけ迷って、だけど口を開いた。

「あの、私、あなたとこうするの、嫌いじゃないというか……」

 ルークが驚いた顔をしたのがわかって、エマは恥ずかしくなった。

 だけど途中でやめるわけには行かないから、そのまま勢いよく続けた。


「そ、それなりに気に入っているから」



 ルークは固まってエマを見ていた。

 だけど、数秒後に体の緊張が解けて、ふっと笑顔になった。

 その笑顔がとても嬉しそうで、だからそんな顔を見ていられなくて、エマは俯いた。

 ルークはエマを強く抱きしめる。


「じゃあ、仲直りだね」

「そ、そうね」

 本当にほっとしたような声で、ルークが息を吐いた。

「よかった」


 その様子にエマも安心して、そっとルークに体を寄せた。

 ぎゅっと包み込む体温の高い体が心地いい。




 そっと、ルークの背中に手を添えた。

「その、おじ様が誘ってくれて嬉しかったから、行こうと思っただけで」

「うん……わかっているよ」

「私だって、不安はあるのよ。大人ばっかりだし、知らない人ばかりだし」

 言い訳がましくいうと、ルークは苦笑いした。

「そうだよね」


 その様子がとても穏やかで、エマの気持ちを考えてくれていたから

 だから、ごく自然に言葉が出た。


「ル、ルークは行かないの?」


 昼間の王女と比べたら、全く可愛らしくもない言い方だったけれど。


「え?」

 驚いた声のルークに、もう一度伝える。

「よければ……ルークも一緒に行ってほしいの。私も一人だと不安だし」


 真っ直ぐ目をみられなくて、エマは目線を逸らせながら、早口で言い切った。

 だけどそれにルークはびくりと体を反応させた。

 少しして、ルークは片方の口角を上げた。


「そうだね。君が困っているなら行こうかな」

「……え?」

 一目見て、ルークの機嫌が急上昇したのがわかった。

「僕も一緒に行こう。父さんには言っておくよ」

「……あ、ありがとう」

 体を離すと、ルークは早速ドアへと向かう。

「じゃあ、早速父さんに話してくるよ」


 満面の笑みでそういうと、ルークは部屋を出た。

 あまりにも急に機嫌が直ったことに、エマは驚いて呆然とした。




 結局、その会にはルークとゲイリーと3人で出席した。

 あまり社交の場が好きではないルークが参加することにゲイリーは驚いた。


 その会の間中、ルークは当たり前のようにエマの隣に立ち続けて、エマにダンスの誘いをかけてくる男性たちを蹴散らし続けた。

 あの舞踏会のためにエレノアとたくさんダンスを練習していたエマは、ダンスも楽しみにしていたのに、結局ルーク以外とは踊らなかった。


「私、なんのためにあんなにダンスを練習したんだろう」


 思わずそう呟いてしまった。






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