第31話 閑話 恋愛偏差値の低い二人

 ララ・スミスにとってエマ・バートンはとても大切な友人だ。


 ララは下級貴族の出身だ。だけど実家が大きな事業をやっていたから裕福だった。だからドレスも馬車も、いつも流行最先端のものを使っている。

 魔法学校に入学した時も、ララはたくさんの荷物と共に華々しく入学した。その荷物の数は今まで入学した女子生徒の中で一番多かったという。

 綺麗なドレスを身につけたララは、可愛らしい顔立ちだったこともあって目立て、すぐに男子学生から人気になった。


 だけどそんなララの姿は、同級生の、特に女子学生から大きな反感を買った。


 成金だとか、金に物を言わせているとか、かなり裏で悪口を言われた。

 それに拍車をかけたのは、ララの成績があまり良くないという事実だった。


 もちろん持って生まれた魔力が少ないのは仕方ない。

 だけど、座学の試験もお世辞にもいい成績とは言えなかった。


 それを理由に、周囲からはいじめられた。

 時に目の前でぶつけられる悪口は、ララの心を傷つけるのに十分だった。

 入学してすぐに、ララは魔法学校に入ったことを後悔した。


 早くやめたい。

 早くここからいなくなりたい。

 ララにとって陰口と嫌がらせばかりの魔法学校は辛いだけのところだった。


 そんなララがエマ・バートンと言葉を交わすようになったのは、本当に偶然だった。




 入学して2ヶ月ほどたったもうすぐ夏が来る頃だった。

 授業の合間にぼんやりしていたララは、隣の席の女の子が脇目もふらずに勉強しているのに気がついた。休み時間だというのに飽きずに勉強している。

 その体全体から必死に勉強しているのが伝わった。


 ララはその子をじっと見つめた。


 綺麗な顔立ちだけど、化粧は全くしていない。明るい真っ直ぐな髪の毛を無造作に後ろで一つにまとめて、赤いリボンで結んでいた。着ているドレスも普通で、別に派手ではないし、地味と言うほどでもない。

 その子はどう見ても普通の子なのに、何故だか彼女から目が離せなかった。


 よく勉強するな、と彼女のことをじっと見ていると彼女が顔を上げて、ちょっと黒に近い焦茶色のアーモンド型の瞳が、ララを見つめた。


 その瞳の強さに、思わずララはドキンとした。

 その子はララを見て首を傾げた。その拍子に髪を結んだ赤いリボンが揺れた。


「なに?」

 じっと見ていたことが気まずくて、ララは誤魔化すように笑った。

「勉強、好きなのね」

 ついそう言ってしまったけれど、言ってから嫌味だったかと慌てた。だけど彼女は特に気にすることもなく、うーんと悩み始めた。

「好きではないかもしれない……辛い時も嫌になる時もあるし」

「どんな時?」

「頑張っても負けちゃう時」


 それを聞いて、ララは同級生に過去最高に優秀と言われている生徒がいるのを思い出した。ついでに、その彼と目の前の彼女はいつも熾烈な一位争いをしていることも。


 勝つのはいつも、彼。

 負けるのは、彼女。

 頑張っても負けちゃう時、とはつまり、彼に負けてしまう時なのだろう。

 思わず彼女を憐れむような目で見てしまった。


 だけど、彼女はまっすぐに前を見た。その目はとても力強くて、今よりもずっと遠く……遥か未来を見据えているように感じた。

「頑張っていたら、絶対にいつか勝てると思うし」


 そう言ってララを振り返って笑った。

 さっきまでの強い視線と違って、今の笑顔は子供みたいに無邪気で、年相応のものだった。

 その笑顔に、ララの心は掴まれた。


 だからつい、思いがけないことを口走ってしまった。


「……あの」

 ララは恐る恐る彼女に声をかけた。

「何?」

「もし……よければ、私に勉強を教えてくれない?」

 目の前の彼女は目を見開いて、でもすぐに満面の笑顔になった。

「もちろん」

 机の上のノートをララに向けて、早速勉強を教えてくれた。


 それがララ・スミスとエマ・バートンとの出会いだった。


 エマが丁寧に勉強を教えてくれたおかげで、その年の最後の試験でララの成績は全体の真ん中まで上がった。

 エマが自分の成績よりもララの成績に喜んだのを見て、ララはとても嬉しくなった。


 それから卒業まで二人はずっと一緒だった。

 エマは明るくて一緒にいると元気になれた。いつも一生懸命で、少し短気なこともあるけれど、友人思いの優しい子だった。

 ララが陰口を言われていると、その子に文句を言いに行ったことも何回もある。


 いつも俯いて下を見ていたララは、前を向いて歩くようになった。

 いつの間にか、早くやめたいと思っていた魔法学校を、やめたいとは思わなくなった。


 自分を変えたのが誰か、ララはよくわかっていた。




 エマと学生生活を送る中で、ララには気になることがあった。

 それがルーク・ヘイルズのことだった。



 ルーク・ヘイルズのことはララもよく知っている。

 家柄よし、顔よし、成績良し。

 どれか一つでも持っていたら、学生生活が最高に楽しくなる武器を全部持っている学生。


 ララには全く関係ない存在だけど、そのルークとエマを通じて知り合った。


 エマとルークが話しているのを初めて見た時、ララは驚いた。

 ルーク・ヘイルズはいつも礼儀正しく、誰にでもとても優しいと言われていた。

 周りからは『小さな貴公子』と呼ばれていたし、ララもルークのきちんとした姿しか見たことがなかった。


 だから、目の前で繰り広げられる二人の激しい言い合いに、ララは呆気に取られた。

 上級貴族の息子にきつい言葉を、エマはガツガツぶつけていくし、ルークは女性に対するマナーはどこかに置き去って、エマとは正面から戦っている。


 どうなっているのかとララは目を丸くして、だけどすぐに理解した。

 二人はこのやりとりが好きなのだと。


 そしてもう一つ気がついた。

 ……どちらかというと、エマよりルークの方が楽しそうなことに。



 だからかなり速い段階で、おそらく誰よりも早くにララは気がついていた。

 二人がお互いに対して抱いている、本当の気持ちに。




 二人の仲はとても悪いと多くの人は思っている。


 ルークはエマをからかうし、エマはそれに反発する。

 だけど、よく見たらわかる。

 エマはいつも目で誰かを探しているし、ルークはエマが自分以外の男子生徒と話していると、とても厳しい顔になる。


 エマが勉強以外の事をなにも知らないことをララは知っていた。

 だけど何事もそつなくこなすルーク・ヘイルズが、恋愛に関しては恐ろしく不器用だと知った時、ララはおかしくなった。


 同時に機械のように冷たい存在だと思っていたルークを

 とても人間らしく、身近に感じた。


 ルーク・ヘイルズを人間らしくさせているのは、エマ・バートンだった。

 だからこそ、彼は彼女を求めるのだろう。


 素直にそう理解できた。





 それから何年も経ってとうとう魔法学校を卒業する時がきた。


 大切な友人のために、ララはどうしてもやりたいことがあった。

 それは卒業パーティで、エマに大切な人とダンスをしてほしいというものだった。


 卒業パーティでのダンスは、特に女子学生には大きな意味があって、みんなが自分の想い人をダンスに誘う。

 エマが誰と踊りたいのかも、誰がエマを誘うつもりなのかも、ララはわかっていた。

 だけど、そこにたどり着くのはとても大変だった。


 でも、大好きなエマのために、ララは頑張った。


 卒業式に行きたがらないエマを、なんとか説得して出席にこじつけた。それからダンスの練習やドレスを選びや、あのルークに声をかけたり……予想よりも大変だったことは否めない。


 だからパーティの最後に二人がこっそり踊っていたのを後から知ったララは、涙が出るほど喜んだ。


「もうこれで最後だから踊ってあげたの。最後くらい良いと思って」

 口だけは嫌そうに歪めながら、エマがとても嬉しそうに笑ったのをみて、ララも嬉しくなった。


 ふたりは会場の外で踊っていたらしく、その決定的場面を見ることができなかったのは残念だけど、まあ、よしとした。


 卒業式のパーティに、エマは青い石のついたかんざしをつけていた。

 買い物に行った時にエマが買うのを辞めようとしたそのかんざしを、なんとかしてララはエマにつけさせることに成功した。

「これ、あなたによく似合っているわね」

 ララの指摘に、エマは恥ずかしそうに笑った。


 その青い石と同じ色の瞳の持ち主を、ララは知っている。



 そして当然、エマも知っている。




 ******


 働き始めてすぐに、エマの職場が王宮に変更になったと聞いた時、そこに何か大きな力が動いたことをララは悟った。


 いくら学校の成績が良くても簡単に行ける場所ではない。

 それにそこに行ったら、誰に会うかは考えたらすぐにわかる。

「今度こそ仲良くできるといいけど」

 魔法学校で飽きるほど見た激しいやりとりを思い出して、ララはぽつりと呟いた。



 恋愛偏差値の低い二人を引き合わせるのは大変だけど、ララのように二人のために動く人はいるか考えて、ララは大きなため息をついた。

 きっといないだろうし、そうしたらきっと二人はずっと平行線のままだ。


 鈍感な友人のために、ララは陰ながらサポートすることにした。

 そうして考えたのが、恋愛小説だった。


 友人の恋愛偏差値を少しでも上げようとしたのだ。

 小説の中だけでも甘い話を見ていたら、目の前の恋愛以外には万能な男がやっている行動の意味を少しくらい、わかるかもしれない。



 そこでララは街で一番大きな本屋に行った。


 考えたのは一つだけ。

 登場人物はできればルークを思い出させるような人がいい。

 幸いにもルークは、恋愛小説に出てくるどんな登場人物よりも見た目が良かった。とりあえずルークを連想させる登場人物に砂糖を吐くようなセリフを囁かせ続ければいいのだ。


 そう思ったララはその本屋の店員と相談して、金髪碧眼の男性が出てくる激甘小説をいくつか選んだ。

 微糖はダメ。絶対激甘でというララに、店員は嬉々として本を選んでくれた。

「これ、とってもいいですよ」

 勧められた本に出てくる男性は、ルークなら絶対に言わないようなセリフばかり言うけれど、まあいいかと思うことにした。


 ルークのイメージと相手役のイメージがあえばそれでいいのだ。

 魔法学校では「金髪碧眼の美男子」といえば、ルークだった。


 世の中に金髪碧眼の美男子が大量発生することは、普通はない。

 これを読めばエマも簡単にルークを思い出すだろうとララは納得した。


 その店員の好みなのか、金髪碧眼の皇太子や王が身分違いの恋をする本ばかりが選ばれた。

 ララとしては冒険ファンタジーが好みだけれど、本選びに疲れてきた事もあって、まあいいかと思うことにした。


 思えばルークの家はかなりの上級貴族だから、身分違いの恋でも悪くない。

 身分違いの恋の方が糖度は高かった(当社比)から、そっちを採用した。

 深い意味はない。


 これで少し乙女心がわかればいいけど。

 そう思ってララは祈るような気持ちで本を送った。



 ララは王宮に『金髪碧眼の皇太子・実写版』がいることを知らなかった。

 そのせいで、エマはルークからあらぬ誤解を受けるのだけれど、それをララが知ることはなかった。



 それから何回か、ララはエマから恋愛小説について尋ねる手紙を受け取り、エマもついに恋愛小説にハマったかと喜んだ。

 このままいけば、いい知らせが聞けるかもしれないと思う反面、あまりに上手くいきすぎて気になったのも事実だった。

 エマがあの小説を本当に読んだのかと疑問に思ったのは1回や2回ではない。


 そしてその予想は当たっていた。

 夢中になって読んでいたのは王女だったけれど、それをララが知ることはなかった。



 それからしばらくして、エマから手紙が来た。

 エマからの手紙はいつも突然で、そして意味不明だ。


 その手紙には、「刺繍セットを送ってほしい。大至急」と書かれていた。


 刺繍セットは女性の必需品だ。エマだって王宮の女子寮に持っているはずだ。

 それが今のエマにはないのかと、ララは驚いた。

 もっと気になるのは誰かに借りることも、買いに行くこともできない状態だと言う事だった。


 大怪我しているか、どこかに監禁されているのかもしれないと、勝手に想像して不安になった。

 だけど手紙の最後に「モノはヘイルズ家に送ってほしい。中身は外からわからないようにしてほしい」と書いてあって、ますます意味がわからなくなった。


 なぜルークの家に送るのか…?

 なぜ中身がわからないようにするのか……?


 意味不明すぎて、ララも頭を抱えた。


 数々の疑問が残ったけれど、ひとまずララは心を無にして刺繍セットを調達し、言われた通りヘイルズ家に送った。

 ルークに話を聞こうかと思ったけど、やめた。

 エマの手紙は誰にも知られたくないと伝わる物だったし、面倒はごめんだ。


 とりあえず、ルークの瞳の色である青い高級糸をたくさん入れておくことにした。

 ヘイルズ家に送れということは、そこにルーク・ヘイルズが関わっているのは明らかで、そうならば命に関わるようなことはないだろう。


 一番心配なのは、エマは刺繍がとても下手なことだけど……

 それは忘れたふりをすることにした。

「刺繍を教えてあげる」なんて気軽に言って、ヘイルズ家に招かれても困る。

 見てはいけないものを見てしまうかもしれない。

 それは困る。


「まあ、でも仲良くやっているってことかしら……」



 ララはそう独り言を呟いた。

 もう少し落ち着いたら、またエマに手紙を出してみようと思った。

 でもその宛先はまだヘイルズ家なのかしら、と思って、またなんとも言えない顔になった。



 今度こそいい知らせが聞けるといいけど。


 そう思って、ララは大切な友人を思い浮かべた。



 ララ・スミスにとってエマ・バートンは大切な友人であって、

 ララは誰よりもエマの幸せを願っている。



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