彼女が言いたいのはそういうことではない

貴志

第1話:とある冬の朝

早朝。今日は何と寒い日なのだろうか。足りない、温もりが足りない。


まだ日も差していない、薄暗い水色に染まった幹線道路沿いを歩く。店のあらゆるシャッターは閉まっており、町はまだ完全に眠りの中にいるようだ。


信号待ちをする車は白煙を上げて、コンコンと調子の悪そうなエンジンの音を町中にとどろかせる。まるで横切る者もいない信号を律儀に待つことへ、不満でも言っているかのようだ。


信号がようやく青に変わり、ノロノロと俺は歩き始めた。


朝練なんて大嫌いだ。ていうか、文芸部なのに朝練って何だよ。


しかも今冬休み。もう意味が分からん過ぎて凄い。


どうせ冬休みにやることも無い暇人もとい先輩達が、人恋しさに招集をかけているだけなんだ。全く、付き合ってやる俺のなんと心の広いことか。


まあ、俺も何もすることが無い。どうせ今日も、先輩たちの濃いオタクトークに付き合わされる一日となることだろう。そうと分かっていて、それ以外にやることが無いだなんて、俺もなかなか寂しい高校生活を送っているものだ。


「ハア……」


一人自嘲し、ため息をつく。白い煙となった吐息の向こう、早朝の町に数少ない灯りである自販機が現れた。缶コーヒーでも買っていこうかと思った矢先、その前に見知ったシルエットが立っていることに気付き、町の中でただ一人のアンニュイ気分だった身が少し引き締まる。


「箱館か」

「……」


口元までをマフラーにうずめ、目線だけで見上げながらこちらを向いた彼女は、文芸部で唯一の同級生で、日々先輩たちのオタクトークに付き合わされている被害者仲間だ。なまじ見た目がいいだけに、俺よりも構われている量は多いかもしれない。表情がほとんど変わらないから、嫌がっているのか楽しんでいるかもわからず、半ば強制的に皆の聞き役に回らされている可哀そうな奴である。


「自販機の前で、どうした」

「考えていた」

「何を」

「これは、幸か不幸か」


何を言っているのかが分からず俺は首をかしげた。こいつは、口を開けば訳の分からないことを宣うことが多い。要するに変な奴である。あまり人に話しかけている場面を見たことが無いから、周りは気付いていないかもしれないが。


しばし変な沈黙が流れる。そこでようやく箱館がアクションを起こし、その両手に持っていたものを俺に見えるように胸元まで掲げた


黒無地のモコモコ手袋越しに見えるのは、見知ったコーヒー缶の赤いラベルだ。どういう訳かそれが両手に握られている訳だから、二本あるということになる。


「そんなにコーヒーが飲みたかったのか」

「違う、当たった」


自販機を見れば、硬貨を入れる場所の近くに画面が付いていて、そこで様々な数字がちかちかと点滅していた。


合点がいき、俺は目線を目の前の少女へと戻した。


「それはおめでとう。幸運だったな」

「……違う、そうではない」


箱館が身を翻し、学校の方面へと歩き始めた。俺は小走りでそれに追い付き、隣に肩を並べてその横顔をのぞき込む。より深くマフラーに顔を埋めて、肩口まで伸び揃えられた黒髪にも隠れてしまっているその表情を伺うことは難しい。


「一体何が言いたいんだよ」

「私が欲しかったのは一本だけ。二本あっても飲み切れない」

「じゃあ他の奴選べばよかっただろ」

「最初に買ったやつと同じ値段の物しか選べなかった。110円の飲み物はこれだけだった」

「……っ」


何て会話に後出しの多いやつなんだ。


話の終着点が見えず、だんだんとイライラしてきた。そろそろ学校の校門が近い。


ふいに箱館が立ち止まる。数歩進んだのち止まって振り向くと、目元だけを髪とマフラーの隙間からのぞかせた視線が、真っ直ぐに俺を捉えていた。


「思いがけず得た幸運を享受することは思いのほか難しい。私はこうして、結局コーヒーをもて余してしまっている。むしろ貴重な運をこんなことに消費してしまいたくはなかったと、損をしたような気にすらなってしまっている。これはもはや不幸なのではないだろうか」

「……」


く、くだらない……。なんだこのしょうもない話は。


変な奴だと思ってはいたが、ここまでとは思っていなかった。正直、聞くに堪えない。


さっさと話を終わらせたくて、俺は矢継ぎ早に解決法を提案した。


「一本とっといて、後で飲めばいいだろ」

「そのころには冷めてしまっている。私はアイスコーヒーを飲まない」


だというのに、箱館は一歩も引かない。その場から一歩も動かない。まるで意地になってわがままを言う子供だ。


「家に持って帰って、温め直して飲めばいい」

「家に帰ったなら、自分でドリップコーヒーを入れる。わざわざ缶コーヒーを飲みたいとは思わない」

「じゃあ部室の連中にでもやれよ!」

「部室で誰か一人にコーヒーを渡したら、部の公平性が崩れる」

「いや、崩れねえだろ! 理由が雑になってきてねえか!?」


だんだん喧嘩のような激しさを帯びてきた会話の応酬。何だか俺まで意地になってきて、どうにかして箱館の意固地を突き崩してやりたいと心が沸き立ってしまう。


ずんずんと箱館に近づき、その手に握られているコーヒーの缶を一つ、サッと攫ってやる。財布から110円を取り出し、空いたその手に無理やり握らせた。


こちらを見上げる二つの瞳に、勝利宣言のように言葉を浴びせる。


「この缶コーヒーを、俺が買ってやるよ。どうだ、これで文句ないだろう」

「うん。無い」


あっさりと、箱館は頷いた。そのあまりのあっけなさに唖然としていると、今度は逆に腕を掴まれ何かを手に握らされた。


手の感触だけで分かる。さっき箱館に渡した二枚の硬貨だ。


訳の分からないまま、歩き出した箱館を目線で追う。こちらを向き、マフラーを下げた彼女の口元はニヤリと持ち上げられ、さながら勝利宣言のようにその唇が動いた。


「お金はいらないから、次そっちが当たった時は私に頂戴。約束」

「か、勝手に決めんなよ!」


再び追いかけ、その隣に並び立つ。今度は俺の方が顔色を覗かれたくなくて、無理やりに顔を逸らす。


手に握ったコーヒーから伝わってくる温度が、間接的に彼女から伝わってきているように思えて、顔が熱くなる。


十分すぎる温もりに今度は、早朝に吹く冷たい風がむしろ心地よいぐらいだった。

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彼女が言いたいのはそういうことではない 貴志 @isikawa334

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