9人目:歪んだ時の少女

そこは常に暖かく、人型の生物が暮らすのに適した世界。

そこは常に忙しい、帝都アルキテラコッタの役所の一角。

犬耳を持つ少年、コロンは手にした報告書を見ながら唸り声をあげた。


「どうしたよ?」


その唸り声に反応したのは、ウサ耳を持つ男、ラビオレット。

彼はコロンのデスクの上を覗き込み、コロンが魔法陣を生成するための術式を構築していると知ると、表情を歪める。


「あ…俺は専門分野じゃねぇや」


興味本位で首を突っ込んだことを後悔するラビオレット。

だが、コロンは何かに気づいたような顔をラビオレットに見せると、彼の目をジッと見つめた。


「な、何すかね?」


先輩であるのに、何処か下手に出るラビオレット。

彼の勘が、何か良からぬことになると告げていた。


「ラビ先輩」


コロンはラビオレットの目をじっと見つめて告げる。


「ラビ先輩の専門分野って、自然でしたよね?」

「え?……あーそんな分野だったかな?」


突然の質問。

ラビオレットにとっては何の脈略も無い質問。

戸惑ったが、彼の専門はコロンが言った通り"自然"で間違いなかった。


自然魔法はこの世界では割とポピュラーな魔法の一つ。

帝都では魔法自体が珍しいのでそうでもないのだが…魔都ラステオン等では最も履修者や研究者が多い分野。

細かく分類分けがされ、体系だった学問として成り立ち…全てをバランスよく修められる者は多くない。


ラビオレットの普段の勤務態度からは想像できないが、こう見えても魔法学校の"自然"分野全般でそれなりの成果を収めて帰還省へと入省している。


「これ、見てもらえません?」


ラビオレットの答えにコロンはパッと顔を明るくすると、手にしていた報告書を手渡した。

彼の補足メモがあちこちに書かれた報告書。

ラビオレットは少し目を細めながら、報告書の上から下までパッと目に通す。

要件は、異世界からやって来た少女の処置…最近の子供への対応と違い、昔ながらの"帰還"処置らしい。

少女が居た元の世界は、最近よく見る地球…

だが、地球は地球でも、最近迷い込んでくる者の時代とは違い、遠い過去から来ているらしかった。


「この後処置しに行くのか?」

「はい。元の世界に帰っていただく事になります」

「ほー…迷ってんのはコレか」


ラビオレットは報告書を数回、上から下まで読み深めると、コロンが困っていると思われる場所を突き止める。

コロンは指された箇所を確認すると、コクリと頷いた。


「"時間"が絡むのは難しいな。オマケに報告書からじゃ断定は出来ないか」


ラビオレットは自分の指摘した部分への認識が間違いない事を確かめると、少し唸って…自分のデスクの様子を確認した後で、報告書を持って立ち上がる。

向かうは課長のデスク。


「すいません。ちょっと良いっすか?」


書類に目を通していた課長に話しかけるラビオレット。

課長は直ぐに顔をラビオレットの方へと向けた。


「コロンの貰った報告書のこの部分なんすけど。恐らく"時間"魔法だけでは対処すんの無理です。指示は魔法陣作成後の処置ってありますけど、現地処理に変えられませんかね?俺も同行で」


ラビオレットは雑談も無く、要点だけを告げて報告書を課長に渡す。

渡す時に、話題の中心となる"指摘部分"を指して渡し、課長はその部分に目を通した。


「なるほど」


ラビオレットが指した部分と、報告書を見て課長は頷く。

それから、少し考える素振りを見せ…時計を眺めると苦い顔を浮かべた。


「弱りましたねぇ…ラビオレット君にはこの後も仕事を割り振りたかったのですが」

「明日明後日が昼出で定時上りで良いってんなら、今日は遅くまで残りますよ?」

「それで手打ち出来ますか」

「はい」

「すみません。ではそれでお願いします。コロン君と2人で、処置をお願いしますね」


 ・

 ・


課長からの指示を受けて、コロンとラビオレットは帰還省を後にする。

齢30程のウサ耳男と、齢10代後半のコロン…2人は人混みをかき分けて進み、アルキテラコッタ駅に向かっていた。


「しっかしそれなりに人の多い場所に出たもんだな」


歩きながら、ラビオレットが雑談気味に口走る。

コロンはコクリと頷いた。


「今は憲兵隊の人が現場保存してくれてて、拡散はしていないそうです」

「なるほど悪くない。だけど、一度コッチに持ち込まれてしまえば、何から拡散するかは分からんからな」


ラビオレットは頭の中で自らが実行すべき魔法の術式を組み立てながら言った。


「"自然"の基本。1時間目に教わるんだがな、未知の存在が入り込んだとしたら、どんなに気を付けても何かしらから、その存在が持ち込んだ物がこの世界に広がるんだと」


コロンはそれを聞きながら、手にした魔法陣のメモをもう一度見返す。

彼の実行すべき時間は、指定された範囲を"過去"に戻す魔法。

これがあれば、ラビオレットの言う"拡散"は起きないだろう…そう思っていた。


「コロン」


ラビオレットが不意に名前を呼ぶと、コロンはビクッと反応する。

彼がラビオレットの顔を見上げると、ラビオレットはニヤリとした笑みを浮かべていた。

砕けた笑み…キツい冗談を言うときになる顔だ。


「その魔法だけじゃ不完全だぜ」


コロンは自らの考えが見透かされていたことに驚く。

普段の、やる気が見られないながらも、何処か憎めない男は、もうそこにいなかった。

目を細め、その瞳は好奇心にギラ付いていて、スリルを楽しむかのような顔を浮かべた男がそこにいた。


「完全なモノにするのも不可能だ。報告書じゃ、発見されてから保存できるまで2日掛かってる。その間に移動もしてるだろう。その経路に、出会ったであろう人々に、既に持ち込まれた物が継承されてるかもしれない。彼らの知らぬ間にな」


ラビオレットはそう言いながら、コロンの手にした魔法陣の術式が書かれたメモをひったくると、彼の衣服の胸ポケットに入っていたペンを取り出して、サッと何かを書き足した。


「コロン、いいか?俺等の仕事は迷い込んできた連中を追い返す事だけだ。それ以外は職務じゃない。だから、まず第一にやるべきことはコロンに任せることになる」


コロンはコクリと頷きながらも困惑する。

ラビオレットの言葉とは合致しない、書き足された術式の意味を考え始めた。


「そっから先は言われてない仕事だが、やらないと後悔する仕事になる」


ラビオレットはコロンの考えがまとまる前に言葉を告げた。


「そっから先、コロンの役目は防御だ。何かがあれば俺を容赦なく"戻せ"。"自然"の状態をどうすっか、その評価もしないとならんからな。その時に動くのは俺だ。何かがあるのも俺だ。そんな時にコロンが"戻して"くれりゃ、俺は大胆に動けるってもんさ」


そう言ってニヤリとした表情を更に深くする。

言葉の意味と、魔法陣の意図を理解したコロンは、驚きに顔を染めた。


「じゃ、行こうぜ」


ラビオレットはそう言って目の前に迫った駅の構内へと入って行く。

驚いて、数歩遅れたコロンも、ラビオレットの後を追って駅の構内へ進んでいった。

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