4人目:変異を起こした女

そこは常に暖かく、人型の生物が暮らすのに適した世界。

そこは常に忙しい、帝都アルキテラコッタの役所の一角。

ブラウスの背中から翼を生やした女…キーナは、同期の頼みを聞いて首を傾げた。


「ワタシが32部署の仕事に関わっても良いノ?」

「ええ。私達じゃ対応できなくて…ダメかな?」


キーナに頼みごとをしているのは、エルフの女。

エリスは煙草も咥えずに、真剣な表情で女に頼み込んでいた。


「まぁ、この間のお返し。大丈夫だと思ウ」

「じゃ、良いの?」

「ちょっと待っててね。後少しで終わる簡単な仕事があるから、それを片付けてからデ」

「ありがとう!…これ、資料ね。どれくらい?」

「そんなにかからない。外で待ってて。煙草を1本吸い終える頃に行くヨ」


キーナはエリスから受け取った資料に目を通しつつそう言うと、エリスと一旦別れる。

キーナが務める部署…31部署の執務室の扉を潜り抜けると、エリスから受け取った用紙を自分のデスクに置き、代わりにデスクに置かれていた冊子を手に取って上司の方へ向かった。


「キーナか」


上司の女は、やって来たキーナの姿を見止めると、咥えていた煙草を灰皿に移して手を止める。

キーナは上司に軽く一礼すると、手にした冊子を上司のデスクに置いた。


「検証結果が出ましたので、報告に上がりましタ」

「聞こうか」

「この冊子ですが…近年、多く観測されている"地球人"が発行している物に間違いありませんネ」

「やはりか。して、形態は?」

「はい、小説で間違いないです。期待していた学術書ではなかったでス」

「それで…"地球人の反応"は?」

「彼らには"こちら側"の文字で書かれているものと映るようです」

「そうか…ありがとう」


キーナの報告を聞いた上司の女は、少しだけ眉を落とす。

見ず知らずの言語、言葉は通じるにも関わらず、未だに翻訳の手掛かりすらも掴めていない言語で埋め尽くされた本に、彼女は少しだけ期待していた所があったのだ。


「気を落とさないでください。別の視点からの収穫はありましタ」

「本当か?」


上司の女は、キーナの言葉を聞いて少し表情を明るくする。

キーナはコクリと頷いて、話を続けた。


「この本の調査を行っている最中、この本を所持していた事があって且つ、こちらに来てから僅かな時間ながら"こちら側"の文字の理解を示した者が居ます」

「なんだって?」


キーナの報告に、上司の女はもとより周囲の同僚たちですら驚いた顔を見せた。

文字という障害…簡単なようで、複雑怪奇な問題に、微かな一筋の光明が射した瞬間だった。


「そちらに関しては、32部署の者に頼んで"帰還"させていません。これ以上の、諸々の処理手続きはワタシでは出来ないのですが…」

「そこまでわかれば良い!あとは私に任せてくれ!」


上司の女はデスクに置かれた本を手に取ると、直ぐに立ち上がってそう答える。

キーナは行動の早さと威勢に少しだけ驚いた表情を浮かべると、今にも執務室から飛び出していきそうな上司を引き留めた。


「6階のア‐01室です。あと、ワタシは32部署の人の手伝いに出るので今日は抜けてもいいですカ?」

「許可する!他の皆も、今の仕事は早いうちに終わらせてくれ!もしかしたら、明日から忙しくなるかもしれないからな!」


キーナの言葉に、上司は珍しく快活な声で答え、周囲の同僚たちにも指示を出す。


「それでハ」


キーナも自らの報告の重大さは身に染みて分かっていた。

後のことを上司に任せ、軽く一礼するとキーナは自分のデスクの方に戻る。


「お手柄じゃないか」

「32部署のネ」


となりの関の同僚の言葉に、小さく笑みを浮かべてそう返すと、彼女は外に出る準備を整えた。


「それじゃ、ワタシはこれデ」


 ・

 ・


エリスが1本目の煙草を吸い終えた時。

何気なく目に入れた役場の入り口に、キーナが姿を見せた。


「おまたセ?」


キーナはエリスを見つけると、駆け寄ってそう尋ねる。

エリスは首を左右に振って否定した。


「全然、用紙は読んでくれた?」


エリスはそう答えながら、仕事先の方に足を向けた。


「うん。この手にしては珍しく近場だネ」

「ええ、危険性は低いから助かったわ」

「直ぐに終わル」

「そうね」


2人は歩調を合わせて進んでいきながら、短い言葉を交わしていく。

キーナは、言葉を紡ぐ度にエリスの顔が少しずつ青くなっていくのに気づいていた。


「…どこから上がる?」


エリスとキーナはそれなりに長い付き合いだ。

なので、茶化すようなことはせず、キーナはエリスにそう尋ねた。


「3‐3番街の時計塔からが良い。そこからなら、短くて済む」

「3‐3番街…分かっタ」

「今のところ墜とす様に指示されてて、墜とすのは私がやる。受け取りだけお願い」

「受け取り…エリスは?防護魔法使えたっケ?」

「使えるわ。それくらい」


役所を後にして、人混みの中に紛れた2人は、言葉を交わしながら、少しゆっくりとした歩調で歩みを進めて行く。

2人が居るのは、ヒールが埋もれない程に硬い土の上…錬金術を使って作られた摩天楼の中心地。

エリスが告げた、3‐3番街の時計塔は、その摩天楼の中でもひときわ目立つ、巨大な時計塔だ。

1番街…役所のある所からは、少し歩いたところにある。


「時計塔から、9‐6番街の天文台に向けて時計回りに上昇…対象は3‐3番街上空…"未踏圏"を彷徨い飛んでる」

「よく落ちてこないよネ」

「姿形どころか、種族すらも変わったのでしょう。上手く力が制御できていないっていう報告もあるわ」

「急ぎの用事なんじゃないの?こレ」

「攻撃性の無さと未踏圏特有の気流のお蔭で暫く自然に堕ちては来ないと判断されたわ。別の場所では攻撃性のが出たし、出れる人は皆そっちに行っちゃっててさ」

「なるほド」


キーナはそう言って頷くと、腕を組んで頭の上に持って行き、んーっと声を上げながら体を伸ばした。


「何でキーナが31部署なんだか」


その様子を見たエリスは、ボソッと呟く。

キーナは苦笑いを浮かべると、エリスの方を見てお道化た様子を見せた。


「ワタシだからヨ」


そう言うと、キーナは目の前に見えてきた時計塔を見上げる。

3‐3番街の半分を占める、巨大な塔。

その天辺付近を見上げながら、キーナは不敵な笑みを浮かべた。


「何処まで上に登れるのかナ」

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