赤い糸の秘密

Aris_Sherlock

赤い糸の秘密

目が覚める。

どうやら教室で眠ってしまっていたようだ。

確か…私が家庭科の授業内に終わらなかった裁縫を放課後の時間で終わらせていたはず。

答え合わせをするように机の上を見る。裁縫道具と縫い終わった布が机の上で爆発テロが起こったかのように散らかっている。

相変わらずの自分の不器用さに呆れながら、片付けを始めよう――

…としたのだが、右手が動かない。なにかに引っ張られている感じがする。

右手を見る。小指には赤い糸。


…は?


私の右手の小指に、赤い糸が蝶々結びで綺麗に結ばれている。

片方の足は切れているが、もう片方はそのまま視界の外へ続いていた。

その先を目で辿る。

糸は机と机とを橋渡しするように繋ぎ、一人の男の子の左指の小指に蝶々結びで結ばれていた。

その男の子の顔は机に突っ伏した格好で寝息を立てていてこちらから見えない。

でも、後ろ姿からわかる。

「湊くん。」

声に出ているかいないか、自分でも分からないぐらい小さな声で呟いた。私の大好きな人の名前。寝起きでもはっきり思い出せる。


状況を整理しよう。つまりこういうことだ。

教室で居眠りしていて、目が覚めると私と私が好きな人の小指に赤色の糸が結ばれていた…。


時計を見る。裁縫が縫い終わったときに見た時間から20分が経過していた。そこからの記憶が曖昧だが、おおよそ、その安心感と疲れから直後に眠ってしまった、というのが妥当だろう。


心臓の音が大きくなってくる。

運命の赤い糸とはよく小説で描写される単語だが、日常の中でそんなことを気にする暇なんてない。

しかし目の前に急に好きな人と………という状況に置かれている。

つまり…その…端的に言えば……めちゃくちゃ恥ずかしい。


周りに見られていないかと心配になり、周りを見渡した。

だが、教室には二人だけ。教室のドアも締まっており、誰かが覗いている様子もなかった。

誰にも見られていないという安心と、教室に二人だけという事実を認識した緊張で頭が混乱している。

顔を引っ叩く。


さて…。


教室に流れ込む夕陽。鳴り響く時計の針と彼の寝息と私の心音。

出来ればずっとこうしていたい。

けど…。そうは言っていられない。

せめて彼が目覚めるまで…。

彼が目覚めたときに、同時に目覚めたフリをすればいい。


そもそも…。


何故こんなことになったんだろうか。

分からないのは、誰が、なぜこの糸を結んだのかということだ。


一番最初に思いつくのは私の友達の顔。

私が彼を好きなことを知っている人。

私と彼を無理やりくっつけようとした、という動機なら十分に考えられる。


だが…。


それは、「私と彼がたまたま寝落ちしているときに鉢合わせ、2人に気付かれないように糸を結び逃げ出していった。」ということになる。

そもそもこの教室のドアは建付けが悪く、ゆっくり開けようとしても音がなる。

さっき見た通り、ドアは閉まっている。

そして、私が居眠りする前もドアは閉まっていた。

もし、「彼が入ってきたときは私は気付かず、そのとき開けたままだった。そして友達が入って来て犯行に及び、ドアを閉めた。」という理論でも、2人が(少なくとも部屋に入ってまもなく、まだ眠りが浅いはずの彼が)ドアを閉めるのを気付かないという状況は考えにくい。

これは、犯人が友達であってもそれ以外の人間でも、である。


であるのなら…。


考えられるのは私である。

私には、寝る直前の記憶が無い。

寝ぼけから転じて私自身が私と彼の指に糸を結んだ、というのも考えられる。


これに関しては、真実かどうか確かめようも無いが…。


彼の指を見る。

細く白く長い指。私よりも手先が器用らしい。

いつまで見ていても飽きない。

赤い糸が結ばれた小指を見る。

綺麗な…蝶々結び…。


待てよ…。


そもそもだ。手先が不器用な私が寝ぼけながら、彼に気付かれずに彼の指に蝶々結びが結べるだろうか。

そして何より、「私が私に自分の小指に綺麗な蝶々結びが結べる。」のだろうか。

意識がはっきりしている今でもそれは難しいだろう。

つまるところ、私が犯人ではないということだ。

なろうとしてもなれないし。


そうなると、彼がやったとしか考えられなくなる。あまり考えられないが…。

しかしこれにもまた、「彼がどんなに手先が器用としても、彼自身の指に蝶々結びすることは難しい。」という問題が立ちはだかる。


つまり…。


この事件の犯人は分からないままだ。

恋のキューピットのイタズラとしか考えられない。



「うぅん。」

彼がむくりと起き上がる。

私の心臓も跳ね上がる。

咄嗟に声が出ない。


彼が指を見る。

なんて言えばいいだろう。分からないがフォローはした方がいいと思った。

しかし彼が先に口を開いた。

「一体誰のイタズラだろう。」

笑いと少しの恥ずかしさと焦りとを含んだ優しい声。私は何も言えずに固まってしまった。

「ごめん、こんなの嫌だよね。すぐ外すから…。」

そう言って彼は糸を外してしまった。


私の心には、少しの安心と、少しの…いや、おびただしいぐらいの名残惜しさが生まれた。

もう糸が外された、ただ真っ白で傷の跡もない細長い綺麗な指に、私の未練がこもった目が吸い寄せられた。


彼はすぐに荷物を持って「じゃあね。」とうるさいドアの音を鳴らして教室を後にしてしまった。



私はまだ動けずにいた。

未練が残ったままだ。未練タラタラで鱈になりそうだ。


まだ少しだけ余韻に浸りたくて、でもボーッとしてるわけにはいかなくて、糸を解かずにいた。


髪を結び直す。

一度髪からゴム紐を外し、指で狐をつくってそこにゴム紐を三重にして巻き、髪を束ねてゴム紐を移す。


…もしも…。


「指の太さより大きいペンに糸を蝶々結びで結び、それを指にはめた。」なら。


この考えでいけば、容疑者は2人。

右手の小指に結ばれた赤い糸を解く。

もともとキツく結ばれていた訳では無いが、赤い糸が結ばれていたところには、しっかり赤い跡が残っている。

指と全く同じ太さのペンなどそう都合よく存在しないし、わざわざギリギリの大きさのペンを使おうなど考えるより太めのペンを使うはずだ。


「指の太さより大きいペンを使って結んだのなら、手に跡は出来ない。」


犯人は1人…。

ただ真っ白で傷の跡もない細長い綺麗な指を持った人物。

なぜこんなことをしたのか、私には想像することしか出来ない。


椅子から飛び出し、うるさいドアを力任せに開け、廊下を猛スピードで駆ける。

追いついたのは、昇降口を出た所だった。


今なら、私の心の中の思いが相手に伝わると思った。


自分の思うばかりを口に出した。

夕暮れの陽が射し込むこの場所で、彼の口元の微笑みだけが明るく照らされた。

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