来年のことをいうので笑ってください

ciza6sfeuc/白澤カンナ

来年のことをいうので笑ってください

 大晦日まで”仕事”でクリスマスどころじゃなかった僕たちにとって、バイト先の近くで年明けまでやってるイルミネーションは十分な慰めだった。

 環さんの事務所が入っている雑居ビルのある区画から市内電車が走っている通りに出て、数ブロック南下したところを横切る百メーター道路。平和大通りと呼ばれているそこで、いつの間にか始まっていたライトアップ事業は年々モチーフや電球が増えて気合が入っていっている。

 志乃は冬の装いらしく首周りにフワフワのついた白いコートを着ている。イヤーマフも白くてフワフワしている。スカートは長めのコートに隠れて、黒いタイツに黒いショートブーツを履いているものだから夜は白い部分が浮き上がって見えて白いけものみたいだ。いい。とてもかわいい。

 正直なところ手をつないで歩くとかやってみたかったけど、完全にタイミングを逃した。

 志乃はスマホを構えて足取り軽く、オブジェの間をフラフラしている。

 僕は何をどう撮ったものかわからなくて、気が付いたときには僕らは十数メートル離れていた。

 志乃は満喫しているのだ。僕を放置して。

 待って志乃。振り返って素敵な笑顔を僕に向けて「きれいだね」とか言って。鼻がつんとするのは出遅れた悔いからじゃない。寒いからだ。

 黙々と撮って移動する志乃に黙ってついていく。違う。思ってたのと違う。イルミデートの概念に放置される彼氏は含まれないはずだ。

 それでも僕はついていく。

 志乃の首周りのフワフワに電飾の色が映えていて、長いまつげに囲まれた眼球が色彩を捕まえてはきらきらしているのを一秒だって見逃すのは惜しかった。

 何をどう撮ったものかって、好きなものを撮ればよかった。

 志乃を撮りながらついていく。気持ち悪いな、僕。

 しばらく歩いて人が少なくなったところで押したシャッター音はやけに目立った。

 志乃は眉を歪めて「やらかした」という表情で振り返り、

「ごめん、はしゃぎすぎたぁ」

 と、僕に数歩駆け寄ってきた。志乃は走るのが上手い。数歩で距離を詰める。

「いいんだよ」

 僕もいっぱい勝手に撮りましたのでね。

「春海ごめんねぇ〜。ごめんね春海〜」

 フニャフニャと謝りながら志乃はスマホをコートのポケットに突っ込んでから僕の手を取った。志乃の手は雪を握ったみたいに冷たかった。

「うんうん。いいんだよ」

 僕も満喫していましたのでね。そこはお互い様なのでね。

「私ばっかり楽しんでしまった……」

「大丈夫。俺なりに楽しくやってた」

「ほんと? ちゃんと撮ってる?」

 イルミネーションの楽しみ方は撮影だけじゃないと思うよ、と野暮なツッコミは飲み込んだ。

「歩きながらにしてはまあまあ撮れてるよ」

 撮ったものを志乃に見せた。

「これは……私ですね……イルミと私っていうか、私とイルミですね……」

「すまねえ。勝手に撮った」

「ええ〜。私可愛くないですかぁ? 可愛くないですか私〜」

「ん。かわいいかわいい」

「んふーん」と志乃は思い切り目を細くしてあごを上げた。

「なんかいいなって思ったんだよ。首周りのモフモフが……あれだ。あの、パリピみたいな光る首輪あるじゃん。犬の。あれみたいで」

「dog」

「うん……なんか良かったんだよ」

 そう。本当に、なんか良かったのだ。


 良さを噛み締めていると、暗い通りから背の高い細身の女の人が歩いてきた。

「あっ、環さんだ!」

 僕らの雇い主。志乃は嬉しそうだ。僕はそうでもない。僕は「良いお年を」と言って別れた直後に再会することをちょっと気まずいと感じるタイプなのだ。

「あなた達、まだ帰ってなかったの?」

「環さんこそもうお休みになってるものとばかり」

「栄養源が転がってないかと期待したけど冬はだめね」

 と、お腹に手をやっている。イベントシーズンは”仕事”が立て込むから空腹なのかもしれない。

「冬に行きずりの吸血はまずいですよ!」

「本当に危ないので!」

「じゃあ春海君でいいから後でちょっと血くれない? シリンジに一本だけでいいから」

 と、環さんは採血するみたいなジェスチャーをした。

「それ絶対特大のを想定してますよね」

「ま、それは後で相談するとして……今のうちに楽しんでおきなさい。二月はまた忙しいんだから」

「はぁい」と志乃が僕の腕を抱いて隠すようにしながら返事をした。コートが分厚いので感触はあまりおっぱいじゃない。環さんとはいえ、自分以外に僕の精気が吸われるのは妬けるんだろう。


「また三人揃ってしまった」

「いっそ三人でどこか行きます?」

 今解散しても、また合流してしまう気がする。

「人間は、アレでしょ。この後神社に行くんでしょ」

「人間はっていうか、まあまあの数の日本人は、ですけど。環さん初詣来れるんですか」

「……私は遠慮しておくわ」

「願いごとも叶っちゃったしなぁ。また新しく考えないとなぁ」

 志乃は僕の腕を巻き込んだまま、腕組みをして考えている。

「願いごとって何だったの?」

「……『もうちょっと帰りたくない』」

 うつむいた志乃の口元が埋もれた白いフワフワの中で、フニャフニャの声がした。

「う〜ん。そっかぁ〜」

 僕もフニャフニャの薄笑いになった。


 来年のことを言うと鬼が笑うらしいけど、環さんは笑うだろうか。

 牙をむき出しにした威嚇とも笑みともつかない表情を思い出す。環さんはそんな顔をしたことがあっただろうか。思い出したのか、思い浮かべたのか。記憶と空想の間。今年と来年の間に立ち、重心を移せば今年はもう去年だ。

 願わくは、どうか――環さんに笑われてもいいから――どうか、来年の今頃もこうしていられますように。

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