6
黒崎たちはテレビ局の控え室で息を潜めていた。
まだ、夜は明けていないが、植草は番組の打ち合わせに出ている。それが日常のルーティンなのだという。
昨夜は植草の事務所で遅くまで情報収集と〝暴露放送〟の準備に追われ、誰もがほとんど眠っていない。植草のスタッフや真山が集めた新聞社情報によって、植草の確信は揺るがぬものになっていた。
轢かれた女は深夜に死亡したとの情報が入ったが、車は盗難車で色も塗り替えられていたという。黒崎も、背後にかなり組織立ったテロ集団がいることは間違いないと確信していた。
公安警察はその計画を探り出し、危険性が高いと評価し、かつての過激派闘士たちを〝処分〟しようと決意し、そして密かに実行している――
それが植草の結論だった。テロ計画の実態までは掴めなかったものの、そう考えるしかないと強硬に主張した。
そして、たとえ番組を破壊しても、あるいはニュースキャスターの生命を絶たれるとしても、起こっている〝事実〟だけは何としても公表すると明言した。
その行動によって国民の後押しを得て公安を追求できれば、過激な〝防衛行動〟の原因をあぶり出す自信もあるようだった。それが万一政府を守るための行き過ぎた行動なら、一気に政権打倒の機運を高める先頭に立つ覚悟もあると、スタッフの前で熱心に語った。
それこそがジャーナリストの醍醐味なのだ――と。
黒崎から見ても、植草が引き下がる可能性はなさそうだった。
だが、公安が殺人を犯すはずがないという黒崎の確信は揺らがない。かといって、何らかの異常事態が進行していることだけは疑いようがない。刑事として処分を受けようとも、その正体を確かめないわけにはいかない。
今行動を起こさなければ、とんでもない事件に発展する――と、黒崎の〝勘〟は激しい警告を発していたのだ。
そのためには、署に戻って行動を制限されるわけにはいかない。警察組織の中には、自分の身分を危うくしてまで黒崎に協力しようという知り合いもいない。久保田なら、署の内情ぐらいは知らせてくれるだろうが、依然として連絡はつかないままだ。
自然、黒崎は植草たちと行動を共にすることになった。
植草は番組への〝匿名出演〟を何度も打診してきたが、それはきっぱりと断っている。警官としての立場上、単なる疑いだけで組織を告発するわけにはいかなかったのだ。
それでも、放送現場に立ち会うことは了承した。
自分が始めた行動には、たとえそれがマイナスの結果をもたらそうとも、最後まで責任を持つつもりだった。
署の監視がないことを確認しながら未明に自宅に戻った黒崎は、着替えなどを終えてテレビ局で合流したのだった。
局では、植草が〝暴露放送〟の準備を整えていた。大物キャスターだけあって、局の職員やスタッフの中にも信奉者が大勢いるらしい。指示された通りに裏口から入った黒崎は若いADに迎えられ、スタッフ用の階段を使いながら密かに控え室に通された。
その間、他の職員から邪魔をされないように、スタッフが階段や廊下で周囲を見張っていた。植草の覚悟を支えるために、多くの若者が局の方針を裏切ろうとしていたのだ。
黒崎の目には、彼らこそがクーデターを企てた若い軍人のように見えた。彼らはそれほど統率され、連携が取られていた。
真山が待つ控え室に入ってから、20分ほどが過ぎた。と、ドアがノックされた。植草が中に入る。
「放送は1時間ちょっとで始まります。信頼できるディレクターに話をしたら、取締役たちには知らなかったことにするから思う存分暴れろと言われました。ただし、黒崎さんと真山君には会っておきたいということです。ですので、ついてきてもらえますか」
黒崎たちは明るい廊下に出た。
入った時とは違って、大勢のスタッフが働き始めていた。
前方ではツナギ姿の3人の女性がバフマシンで床を磨いている。清掃の監督らしい男性は、壁を拭いていた。少し離れた後方では、作業着の2人が配電盤を点検している。
黒崎にとっては初めて目にする、早朝のテレビ局の姿だった。だがなぜか、それが日常の風景だとも思えない。不意に、まるで荒ぶる中国人に囲まれたのような緊張に襲われる。
と、不意に背後から叫び声がした。
「こっちを見ろ!」
振り返ると、マスクをしたADらしい男が、電気作業員たちとの間に立っている。腰を落として棒のようなものを突き出していた。階段の陰に隠れて彼らが出てくるのを待ち構えていたようだ。数メートルしか離れていない。
黒崎は一瞬で、それがサプレッサーを取り付けた小型拳銃だと判別した。反射的に、横を歩いていた真山の前に飛び出す。
男はためらいも見せずに、黒崎の腹に3発の銃弾を打ち込んだ。
キイン! キイン! キイン!
鋭い破裂音が、立て続けに廊下に満ちる。
黒崎は弾丸を叩きこまれて後ろに吹き飛ばされた。真山にぶつかってから尻餅をつく。ダウンジャケットが破裂して羽毛が吹き出し、舞い散る。
男は身を翻して階段に戻ろうとする。
誰かが叫んだ。
「止まれ!」
廊下にいた掃除人や電気作業員が、マスクの男に向かって両手を突き出していた。全員、銃を握っている。
前後を銃口で塞がれた男は動きを止めた。ジリジリと後ずさる。
階段の下から、銃を突き出した別の作業員が現れた。
黒崎は体を捻って、呆然と言葉を失った真山を床に押しつけてささやく。
「絶対立つな」
電気作業員が、銃を構えたマスク男に命じる。
「銃を捨てろ!」
マスク男はゆっくりと銃口を上げて黒崎に背中を向ける。そしてためらうことなく、銃口を自分の顎に当てる。
「よせ!」
と、黒崎が床を押して起き上がった。思い切り走り出すとマスク男に背後から飛びつき、銃を握った腕を押し上げる。銃弾が天井の蛍光灯を打ち砕き、破片が廊下に降り注ぐ
黒崎は胸に走った鋭い痛みに顔をしかめながら、マスク男を羽交い締めにした。
首を捻ったマスク男が、飛びかかったのが黒崎だと気づいて叫ぶ。
「なんで⁉」
黒崎は銃を奪って背後に投げ捨てながら、言った。
「防弾ベストだ」
だがその声は、かすれていた。
銃弾は、サプレッサーで威力を抑えられていた。その貫通は中国製のベストでも防げたのだ。それでも、衝撃は受ける。肺の空気は、すっかり絞り出されていた。
そして黒崎は、男からマスクを剥ぎ取る。
久保田だった。
それを確認した黒崎は、つぶやいた。
「やっぱりか……」
銃を降ろした作業員たちが黒崎たちを取り囲む。久保田を捕らえて引き離す。
電気作業員が言った。
「あなたが黒崎刑事?」
「君たちは?」
「その話は後で。同行していただきます」そして、立ち上がった真山と尻餅をついていた植草にも命じる。「あなたがたも、です」
掃除人たちは物音を聞きつけて集まってきたテレビクルーたちを押し戻している。
植草は一連の出来事に戸惑っていた。全てがあまりに素早く、予想外の展開を見せたからだ。
ようやく我に返ると、弱々しく立ち上がって、尻の埃を払う。
「君たちは何者だ……?」そして、クルーたちの視線に気づいて声を張る。「公安の手先か⁉」
電気作業員は皮肉っぽい笑みを浮かべる。
「そう、公安の手先ですよ。だから、従ってください」
植草は現場から排除されるテレビクルーたちに向かって叫んだ。
「誰か、映像を抑えておけ! すぐに放映するぞ!」
黒崎が言った。
「諦めろ。撃たれても知らんぞ。彼らは公安なんかじゃない」
植草が黒崎を睨みつける。
「やっぱりあんたもこいつらの仲間か⁉ これだから公権力ってやつは! 僕の番組をぶち壊す気か⁉」
電気作業員が黒崎にかすかに笑いかける。
「どうせぶち壊す気でいたんでしょう?」
黒崎も苦笑で応えた。
女性清掃人が植草の背後からささやく。
「ちょっとお静かに。みなさんの迷惑になりますから」だがその手に握られた拳銃は、植草の背中をグイグイ押している。「あなたには、じっくり事情を説明させていただきます。2、3、お話を伺ってから、ですが」
真山や久保田も周囲を囲まれ、階段の上階へ誘導されていった。
その場に残った電気作業員が言った。
「黒崎さん、あまり驚いていませんね?」
「そう見えるか? これでも、部下に裏切られてかなり動揺しているんだが」
「どうだか。騙されていること、感づいていたんですね?」
「確信はなかった。だが、色々と話がうますぎたからね」
「いつから?」
「だいぶ前から」
「なぜ?」
「まるで、私に見せるために仕組んだような事件が続いたからだ。刑事の日常は、そんなにエキサイティングじゃない。しかも、公安が苦情を入れてくる前から久保田が消えた。そうなると、偶然とは思えない。何か奇妙なことが起こっているって、胸騒ぎがしたんだ。そういう時は、素直に勘に従うことに決めている」
「それで、防弾ベストを?」
「警戒する時は、いつもそうしている。ヤバそうな中国人街に入るときも、着ていく。撃たれたのは初めてだが、ベストを着てても意識が飛ぶもんだな。肋骨にヒビが入ってるかもしれない」そして、ダウンジャケットの穴を確かめながら声を落とす。「まさか、久保田に撃たれるとはな……。君ら、SATではないんだろう?」
電気作業員がうなずく。
「陸自のレンジャーです。詳しくは、上から。首を長くして待っていますから」
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