【5】チーム『ヴェノムローズ』


「入りましょうです。中で姫様が待っていますです」


 雫に誘導され、俺達は古ぼけた建物の中に足を踏み入れる。

 第一印象で廃ビルと評してしまえる有様の外観から予想出来た通り、『ホーム』の内部はお世辞にも綺麗といえるものではなかった。


 むき出しのコンクリート壁に、鉄錆でぼろぼろになった手すり。

 床に分厚いほこりでも積もっていようものなら確実に廃墟と見間違えるであろう、一貫して廃れた印象を与えられる内装。


「なんというか……秘密基地みたいな建物だね!」


 優華は、なんとかいい方向に捉えようとしてポジティブな言葉を絞り出したが、すぐに「ボロ物件と言っていただいて結構です」と自虐的に返されてしまい、二の句が継げなくなってしまっていた。


 話を聞けば、元々この建物は符号学園の研究棟の一つとして建設される予定だったものらしい。

 それが建設途中の段階で計画が破棄され、ビルは中途半端に建てられた状態で不必要なものに。それを再利用して作り上げたのが、彼女らの拠点『ホーム』なのだそうだった。


「みんなはどこに集まってるの?」


「四階の会議室に集まってるです」


「全部で四階建てなのか?」


「そうです。もっとも、一階と四階以外は、ほとんど吹き抜け同然といった状態ですが」


 階段を上る三つの靴音が、灰色の壁面に反響する。

 雫の説明通り、二階と三階は廃ビルが倒壊しないよう突き立てられた鉄筋コンクリートの柱以外には何もない、テナントも入りようのないまっさらな状態であった。


「どうせなら、一階じゃなくて四階まで『身体転移テレポート』してくれればよかったんだが」


「『ホーム』まで歩くのを省略したのですから、これくらいは我慢してくださいです。その足は階段を上れないほど虚弱なわけではないでしょう?」


「出来るだけ楽な道を進みたいと思ってるだけだ」


「でしたら、その思想は今すぐ捨てるべきです。ここに来た時点で、貴方に楽な道などありませんですから」


「……ああ、そうかい」


 ――0組と関わった時点で楽な道など存在しない、か。

 言われなくても、それくらいは百も承知であった。


「……着きましたです。ここが四階になりますです」


 本校舎に比べてやや急な階段を上り、殺風景な二つの階を抜け、ようやく四階に辿り着く。

 二階や三階とは異なり、要素を壁と窓と扉だけに簡略化した学校の廊下のような構造をしている四階。蛍光灯が明るくなっているのを見るに、この階には電気が通っているようだ。


「会議室はどこにあるんだ?」


「ここから一番奥の部屋になりますです。こっちです」


 雫に連れられ、俺達は灰色の壁と事務的な扉が続く廊下を端まで歩き、階段より最も遠い場所に位置する部屋に辿り着く。

 捨てられた廃ビルの一角、雫が立ち止まった部屋の扉は、ここまで並んでいたオフィスドアとは少し違った――いや、少しどころではない、かなり異質な見た目をしていた。


「おっきい扉だねー。すごい背の高い人も使ってるってことなのかな?」


「いや、そんな理由ではないと思うぞ」


 洋館の玄関口を彷彿とさせる、他に比べて一回り大きめな木製の扉。

 わざわざここの部屋だけ、扉を作り変えたということか。


 ドレスといい、この木製ドアといい、あのお姫様は洋風なものが好きなのかね。

 なんて、そんな些細なことを考えている間に、雫は扉に付けられたドアノッカーを叩き、中の人間に客の来訪を知らせる。


「失礼しますです。姫様、黒崎さんと葉月さんをお連れしましたです」


 扉の向こうから「どうぞ」と、招きの声が返ってくる。雫はその言葉に従い、ドアノブを回して扉を押し開ける。

 開け放たれた『ホーム』の扉。その先に見えた光景は――想像通り、想像を絶するものであった。


「すごい……綺麗……!」


 まず目に飛び込んできたのは、扉の対面に置かれた木製の机。芸術的な彫刻が施され、純白で染めあげられた大きな机は、素人の目から見ても高額なものであることが窺い知れる。

 壮麗な机の前には同じく木で作られた、少し低めな長方形の机。長机の両辺、扉と彫刻机のない左右の辺には、それぞれ四人は座れるであろうソファーが設置されていた。


 むき出しのコンクリートを隠すためか、床には深紅色のカーペットが敷かれ、壁にはうるさくない程度に模様のついたクリーム色のクロスが貼られている。

 真っ白な食器棚と、そこに並ぶ煌びやかな食器の数々。食器棚の隣にある本棚には、難解そうな書物が所狭しと詰められていて。


 ここが廃ビルの一室であることを忘れてしまうくらいに、徹底された西洋風の内装。

 ドレスと扉の件を踏まえずとも、ここがお姫様の趣味を十二分に反映した部屋であるということは容易に想像がついた。


 そして――――


「お二人とも、ようこそいらっしゃいました。『ヴェノムローズ』メンバー一同、心より歓迎いたしますわ」


 大きな彫刻机の奥に座るお姫様――篠森眠姫と、その脇に立つ燕尾服の男。

 両開きの窓を背に並ぶ二人の姿はこの豪奢な空間にまるで劣っておらず、その適合っぷりは彼女らが『ホーム』の主であることを示すかのようであった。


「ご苦労様です、雫さん。今、紅茶を出させますので、ソファーに座ってゆっくり休んで下さい。黒崎さんに葉月さんも、遠慮せずにお座り下さいませ」


 篠森からの許しをもらうや否や、『身体転移テレポート』を使って即座にソファーへと移動する雫。

 俺もまた彼女に促された通り、部屋の豪勢さに舞い上がっている優華に声をかけてから、向かい側のソファーに座らせてもらった。


 席に着き、優華が「このソファーふかふか!」と未だ収まらぬハイテンションではしゃいでいる間に、執事の手によって四人分の紅茶が机に並べられる。

 俺、優華、雫。それから、俺達が部屋に入る前から既に座っていた、赤ジャージの女で四人。

 彼女の着る真っ赤なジャージは、この洋風な景観にまるで合っていなかった。


「紅茶ありがとー! えっと……」


護人繰主もりびとくるすわたくしの執事ですわ」


 名前がわからず口ごもっていた優華に、本人からではなく篠森より紹介が入る。


「そういえば、全員の紹介がまだでしたわね。でしたら、まずはみなさんの紹介から初めましょうか」


「……全員? ってことは、ここにいる俺と優華を除いた四人で、『ヴェノムローズ』は構成されているってことか?」


「ええ、そうですわ」


 夢野は、1年0組は八人だけのクラスだと言っていた。

 それを四人と四人に――均等に分けて、それぞれでチームを組んでいるということか。


「不自然な均等性……戦争というよりは、ゲームみたいな性質をしてるんだな」


「その認識で間違っておりませんわ。この『転校生攻防戦』は、符号学園の主催のゲーム――すなわち、実験のようなものなのですから」


 ――詳しい話は、後ほどいたしましょう。

 そう言って篠森は紅茶に口をつけ一拍置き、それからしなやかな動作で席を立つ。


「改めまして。チーム『ヴェノムローズ』のリーダーを務めております、篠森眠姫と申しますわ。こっちは、わたくしの執事である護人繰主。ご覧の通り無口な男ですが、根は優しいところもありますので、あまり怖がらないであげて下さいね」


 篠森の紹介に合わせ、護人が深々と一礼をする。気立ては落ち着いていながらも、その一挙一動からは人間的な隙がまるで見受けられない。

 怖がらないであげてほしいなんて言われはしたものの、一寸の油断も感じさせないその物腰で接されては、こちらとしても緊張感を拭い取ることは難しそうだった。


 それに、個人的な感想として、この男からは妙に通ずる何かを感じ取っていたから、尚更目を向けてしまうというのもあった。

 通ずるというか、同族のような気配を。


「ねえ、篠森さん。一つ聞きたいことがあるんだけど……」


 二人の紹介が終わったところで、優華がおそるおそるといった様子で右手を挙げる。


「なんでございましょう? それと、わたくしのことは眠姫で構いませんよ」


「じゃあ……眠姫さんって、もしかしてあの篠森財閥の人だったりする?」


「ええ、そうですわ。篠森財閥の一人娘……といったところでしょうか」


「すごい! 本物のお嬢様だ!!」


 篠森財閥といえば、この国では知らない人などまずいないであろう、国内でも有数の巨大財閥である。

 彼女の名を聞いた時、俺も同じようなことを考えてはいたが、まさか本当にあの篠森財閥の――それもたった一人の娘であったとは。


 篠森財閥のお嬢様ともなれば、なるほど確かに、執事の一人や二人くらい連れていても、何らおかしな点はなかった。

 お嬢様は執事にメイドを従えてるとか、想像で物を語ってるけど。


「雫さんのことは、お二人をご案内した際に自己紹介があったと思いますので、簡単なものにとどめまして。残る一人、そちらに座る真っ赤なジャージをこよなく愛する彼女は、白百合小百合しらゆりさゆりさんですわ」


「おう、紹介に与った白百合小百合だ! あたしはまあ、こんな見たままの無骨な女だが、臆せず仲良くしてくれるとありがたいぜ!」


 目を大きく見開き、そこそこ出るところは出ている胸を張って、快活に語る白百合。

 臆せずというのは、昼間の馬鹿力を見ても気後れしないでくれって意味なのだろうか。だとすれば、なにも心配するべきことはなかった。


 その程度のことで人と距離を取るようになるほど、うちの幼馴染は繊細じゃないから。


「次は私かな? 私の名前は葉月優華です! まだこの学園に来たばっかりで知り合いも少ないから、友達になってくれると嬉しいなって思ってます!」


 たとえ相手が符号学園最大の禁忌タブーと呼ばれる連中であろうと、優華の対応は変わらない。

 誰とでも仲良くなれるその社交性の高さもまた、彼女が人々から愛される要素の一つであったから。


 ちなみに、最後に番の回ってきた俺はといえば、


「……お前ら全員、俺のこと知ってるんだろ? だったら、俺の紹介は省略しておいてくれ」


 なんてひねくれたことを言ってしまうくらいには、閉鎖的で捻じ曲がった性格をしていた。


 ああ、横から注がれる優華の強い眼差しが心に刺さる。

 我が幼馴染が今、どんな心境で俺を睨みつけているのかを考えると、首を左に向けられなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る