12時発、1時着。

夢月七海

12時発、1時着。


 ホーリーディには帰ってくるようにという、実家からの度重なる要望を受け、俺は大陸横断鉄道の切符を購入した。飛行機で行った方が早く着けるのは分かっているのだが、あれはどうも性に合わない。

 実家ほどではないけれど、この町も片田舎に属する場所だった。大陸横断列車が止まる駅があるが、特に目を引くほどの名産物もなく、正直栄えているとは言い難い。


 平日の昼だったので、ホームに立っているのは俺だけだった。銀色の車体に青いラインが入った列車が、そこへ滑り込んでくる。

俺は、自分が乗る予定の客室の前で待つ。ドアが開き、一組の男女がそこから降りてきた時に、はっとした。


 二人とも、年端も行かない少年と少女だった。長い銀髪を三つ編みにしている少女は、ハンカチで顔を抑え、啜り泣きを漏らしている。そんな彼女を支えるように、金髪で頬に傷のある少年が、彼女の肩を抱きながら心配そうに見つめていた。

 一体何があったのか。二人の背中を、野次馬根性で見送る。痴話喧嘩かと思ったが、それにしては悲壮感が強い。


 考えてもしょうがないことなので、俺は客室に足を踏み入れる。三号車であり、安い分見劣りもするが、長旅でも申し分もない。

 それから、ボックス席へ。赤い座席が向かい合うように二つ並んでいる。窓の外、枯れ草が寒々と広がる原っぱを眺めている間に十二時となり、電車が出発した。


 大陸横断鉄道は、約一時間ごとに駅へ止まる。故郷に着くまでは五駅分、大体五時間の旅だ。退屈はしないように、数冊の本を持参している。

 ただ、その本を開く前に、しばらく車窓の風景を眺めていた。列車の振動音と共に揺られながら、寂しげな農村とその向こうに煙る山々を眺めていた。


 ふと、自分の向かいの席に、誰かが乗っていると、直感した。このボックス席についている、扉を開閉した音すらないにも関わらず。

 俺は、咄嗟に相手の方を見た。薄い桃色の下地に、白い小さな花が散ったワンピースを着た、長い茶色の髪の女性が座っていた。その背中には、白鳥のように白くて大きな翼が生えている。


「こんにちは」

「……こんにちは」


 驚いている俺に対して、彼女は、近所の人に挨拶するような気楽さで、住んだ青い瞳で微笑んだ。

 予想外なことが起きると、少しずつ冷静になってくるらしい。俺は、「ああ、お迎えが来たのか」と、妙に達観した気持ちになれた。


「私、天使のモリゾと申します」

「はあ。どうも」


 ただ、俺の覚悟とは反対に、彼女はのんびりと自己紹介をする。テンポや温度が合っていないため、こちらが気抜けしてしまう。

 モリゾは、スカートの皺を直し、俺を見据えた。唇に微笑みを浮かべたまま、ゆったりと話す。


「この列車のこの席では、次の駅に着くまでの間、亡くなった人と再会し、話すことが出来ます」

「えっ」


 予想外のことを聞き、俺は席から背中を離した。脳裏に、あの顔が閃く。


「どなたか、思い浮かべましたか?」

「ええ、まあ……」


 天使に心の内を見抜かれて、もごもごと口ごもる。彼女はにこにこ笑いながら、すっと自然に立ち上がった。


「再会できるのは、一度だけです。次の駅にとまったら、申し訳ありませんが、席を変えてもらえますか?」

「はい」

「では、私は失礼します」


 モリゾは、ワンピースの裾をつまんで、美しいカーテシーを見せる。

 このまま、扉から廊下へと出ていくと思ったが、俺が瞬きした直後、状況は一変していた。


「久しぶり」


 目の前にいたのは、天使ではなく、一人の少年だった。肩までかかるような、白に近いブロンドの髪で、分厚い黒縁のメガネをかけて、柔和な顔をしている。

 十七歳の頃の写真から、そのまま飛び出してきたようだ……そう思ったが、例えとしては正しくないだろう。彼は、十七歳の姿そのままで、時を止めてしまったから。


「……久しぶりだな」


 俺も笑い掛ける。ただ、喉の渇きを覚え、冷や汗が吹き出している。

 今、俺が、一番会いたかった、そして、一番会いたくなかった奴が、ここにいた。






   ▷▷






 俺が生まれたのは、とある寒村だった。土地が痩せているため、作物は育たず、石炭などの天然資源も取れない貧しい村だ。

 代わりに、だっだ広い荒野があった。軍部はそれに目を付けて、俺が物心つく三十年ほど前に、国内最大の軍事飛行場が村のすぐそばに完成した。


 毎日、轟音とともに空を行く戦闘機を見上げて、いつか俺も、エースパイロットとしてあれを操縦してみたいと思っていた。いや、あの村の子供のほとんどが、そんな夢を抱いていた。

 そして、高校生になった年に隣国との戦争が勃発。戦況が厳しくなっていく中で、俺たちは学生生活を営んでいた。


 毎日放課後は、クラスメイト全員で学校の裏の飛行場へ赴き、フェンス越しに兵士たちへ軍歌を歌いに行った。国のために戦う彼らに、俺たちも何かしなければならないという使命感からだった。

 ただ、その集まりに、参加していないクラスメイトの男が一人いた。彼の名はサミー。物静かな本の虫という点以外は特徴が無く、いつの間にか放課後には煙のように消えてしまい、皆で学校中を探しても、どこにいるのか見つけられなかった。


 ある日、俺は、飛行場への応援隊から外されてしまった。理由は、俺が音痴過ぎて、お前の軍歌を聞かせたら士気が下がると、リーダーに宣告されてしまったからだった。

 俺にも、兵士たちを応援したい気持ちは人並みにあったが、彼のいうことにも一理あるので留飲を下げた。しかし、家族に応援に行っていないと思っていないと思われるのが恥ずかしく、家には帰り辛かった。


 俺のクラス以外も皆で外へ出ているため、教師以外の人影は全く見当たらなかった。まるで、学校ではないみたいだと思いながら、意味もなく、校舎を一周していた。

 普段は使われていない、空き教室の並んだ校舎の端の方を歩いている時だった。中で、何かが動いた気がして、窓の内に目をやった。空き教室の向こうの廊下に面した窓から、人影が見える――目を凝らすと、それはサミーだった。


 彼は、こちらに背を向けて、ドアを開けて、中に入っていった。教室のドアとは違う、古い木製のドアはなんだったけと考えて、確か、階段の下の物置の出入り口だと思いだした。

 俺は、校舎の中に戻り、今しがた窓の外から見ていた場所まで急いだ。確かに、階段の下に直角三角形の物置があった。


 何度か見たことはあるが、ここに入ったことはない。自分の身長よりも低いそのドアの、そっけなく取り付けたようなノブに手をかけて、下へ押した。


「……あ、びっくりした。なんだ、ケイネスか」


 ごちゃごちゃと大小さまざまな箱が詰め込まれた手狭な空間内、一つの箱を椅子代わりにして、サミーが座っていた。目線を、手元の本から俺の方に向けて、驚いた顔がゆっくりと綻ぶ。

 腰を屈めたまま一歩その中に入ると、後ろ手でドアを閉めた。それなのに明るいなと思っていると、頭上にランプがぶら下がっている。「元々あったんだ」と、それを見上げてサミーが説明した。


 俺はサミーの向かいに、自分も箱の一つを椅子の代わりにして座った。頭上が階段になっているため、天井はサミーの方が低い。

 この間、サミーは何も言わずに俺を眺めていた。表情も柔和なもので、拒絶の雰囲気すら感じない。


「いつもここにいたんだな」

「うん。ここなら、誰にも見つからないし、外の音も殆ど聞こえないから」

「昼休みもか?」

「そうだね」


 のんびりとした口調でサミーは言う。警戒心の微塵もない奴だと、少々気抜けした。


「君は、飛行場の方には行かなかったの?」

「クビになったんだよ。音痴過ぎるからって」

「いつも団結がどうのこうの言っているのに、こういう時は残忍だねえ」


 サミーの呆れ顔は、俺には意外なものだった。皮肉も言えるのかと。

 ふと、彼の座る箱の上を見ると、数冊の本が山になっていた。


「一冊、借りてもいいか?」

「どうぞ」


 許可を取ってから、一冊の本を山の中から抜く。それを見て、サミーは「お目が高いね」とにんまりした。

 それは、一匹の鼠が宇宙を目指すという内容の本だった。あらすじを見て、子供向けかと思ったが、作中に語られる宇宙へ行く方法は非常に現実的で、俺はのめり込むように本を読んでいた。


 その日から、放課後はサミーのいる物置で過ごすようになった。いくつかの言葉を交わして、あとはひたすらに本を読む。そんな時間だった。

 最初から、サミーは俺を追い出そうとしなかった。クラス全体がサミーを腫れ物の扱いする中で、俺が一番距離が近かった。


「人付き合いが苦手なのか?」

「ううん。ただ、飛行場へ行って応援する、そんなことをする意義が分からなくって」


 クラスのリーダーや愛国心の強い教師が聞くと、怒り狂いそうなことを彼は平然と口にする。俺は苦笑しながら、彼にまた尋ねた。


「俺のことはあっさり受け入れたな。ずっとここのことを秘密にしていたんだろ?」

「そうだね。でも、なんとなく、君は誰にも言わないだろうって思っていたから」


 サミーは意味深に笑い掛ける。俺は、彼の寄せてくれた信頼が何よりも嬉しかった。

 確かに、今は勝利のため、国が一丸となるべき事態だ。しかし、それに合わせないやつをリンチすることは、気持ちのいいものではないと感じていた。だから、この物置のことを、サミーとの秘密にしていた。


 一方で、戦況はだんだんと酷いものになっていった。最初は、スポーツの試合を応援するような気分でいた学生たちも、そんな余裕はなくなってくる。家族や近所の人が出兵することになり、駅に見送りに行く人が増えていった。

 俺たちも、高校を卒業したら、十中八九戦場へ駆り出されるだろうなという予想は立っていた。それを意識すると、不安感が胸の内を占めていき、俺はそんな気持ちでいるのは良くないと思っていた。


「今日、将校が来ていたな」

「そうだねー。僕たちのこと、戦場に引きずり出そうと必死だったね」


 物置の中で、サミーは事も無さげな口調にたっぷりの毒を含ませて言い返す。俺は、自分が臆病者だと思っていたが、彼はそれとも違うように見えた。


「お前は、死ぬのが怖くないのか?」

「うーん、それよりも、殺す方が怖いかな」


 本から顔を上げて、こちらを見据えながら言っているサミーの一言に、俺ははっとした。

 小さい頃から、隣国の民は野蛮だとか、人道を外れているだとか、色々言われていた。戦争のきっかけは領土争いだが、それ以前の下地は十分に出来上がり、このプライドが争いを長引かせる要因ともなっていた。


「……お前は、人間を人間としてみているんだな」

「何それ。当たり前だよ」


 俺の感嘆の息交じりの言葉に、サミーは苦笑しただけだった。しかし、本に顔を戻した時、その耳は先まで真っ赤になっている。

 戦いたくないなと、俺はその時はっきりと自覚した。殺すことも、殺されることも嫌だ。これは、自分の臆病さとかではなく、正直な感情の発露だった。


 それから数日後の昼休みだった。初めて聞くサイレンが鳴り響き、校舎内は騒然とした。

 教室内で友人たちと喋っていた俺も、周囲と同じように驚いた。教師に先導されて、グランドの地下に備えられたシェルターへ避難する。


 校舎から外へ出た時に、向こう正面の空、遥か彼方だが、飛行機の隊列が向かってくるのが見えた。まだ十分に距離があるというのに、俺たちはパニックに陥り、教師の宥める声も聞かず、シェルターへ殺到した。

 シェルターは十分な広さもあったので、学校の生徒たち全員が収まることが出来た。ほっとして、辺りを見回した時に、サミーがいないことに気が付いて、血の気が引いた。


 俺は、すぐにシェルターを飛び出し、階段下の物置へ向かおうとした。しかし、出入り口で教師に止められた。

 死にに行くつもりかと、当たり前なことを言われて、俺は、サミーがいないことを伝えようとした。しかし、サミーが、「秘密を守ってくれる」と信頼してくれたことを思い出すと、口ごもってしまった。


 直後、爆発音が響き、地面が揺れた。電灯が点滅し、あちこちで悲鳴が上がる。立っていた俺と教師も、この揺れに耐えられず、尻もちをついた。


「近い……まさか、校舎が……」


 教師の呟きが聞こえて、俺は弾かれるように、シェルターの出口へ走った。教師の制止を振り切り、蓋の一つを開けて、顔を出す。

 校舎は真っ赤な炎に包まれていた。それを、俺は見つめることしか出来ない。熱風がこちらに吹いてきて、俺の涙を一瞬で乾かしていった。






   ▷▷






 校舎の焼け跡からは、唯一サミーの遺体が見つかった。場所はやはり、階段下の物置からだった。そして、校舎が爆撃された理由は、飛行場の基地と間違えられたのが原因だった。

 それから三か月後に、戦争が終結した。お互いに死力を尽くした果ての、燃え尽きるような形の終戦条約の締結だった。


 俺は、国民の気持ちとは反対に、虚しさだけを感じていた。今更、戦争が終わったって、サミーは戻ってくることはない。

 そして、年を重ねるごとに、虚しさは後悔へと変わっていった。俺が、サイレンが聞こえた時点で、サミーを迎えに行っていたら……。そんな思いが胸の内でどんどんと重くなっていき、故郷にいることが心苦しくなり、引っ越した。


 そんな相手が、今、目の前にいる。三十半ばになった俺と違って、彼は高校生のままだ。

 俺は、怖い。笑っている彼の心の内が分からずに、恐怖している。だが、話をしなければと、口を開いた。


「悪かった」

「どうしたの? 何に謝っているの?」


 サミーは、演技などではなく、本当に戸惑っている様子だった。


「俺だけがお前の居場所を知っていたのに、助けることが出来なかった」

「ああ、なるほどね……」


 そう呟いて、サミーは小首を傾げる。口元は、まだ微笑んでいる。

 俺は、彼の心境を計りかねて、当惑していた。しかし、考えてみれば、最初から、サミーの気持ちを見抜いたことはなかった。


「それで、君は僕に何をしてほしいの?」

「え?」

「許してほしいの? それとも、許さないでほしいの?」

「そ、それは……」


 先程とは違う困惑が、俺を支配していた。笑うサミーを直視できず、目が泳いでしまう。

 彼を助けられなかったことを、今まで後悔しながら生きてきた。この一点が、俺の人生に深い影を落としていた。それは、サミーから見たら……。


「迷惑、だったんだな」

「そこまで乱暴な言い方をしなくても良いけれどね。でも、僕の死をずっと考え続けていたということに、正直困っているよ」


 裏表のないサミーの気持ちに、俺は笑ってしまった。と同時に、サミーと俺、時間の感じ方が全然違うように思えて、寂しくなってしまう。


「死んだんだな、お前」

「当然だよ。死体は見なかったの?」

「見せてもらえなかった」

「そっかぁ。それを見たら、すぐ分かったんだけどなぁ」


 サミーは苦笑する。こんなやり取りも前と同じだと感じて、俺も嬉しくて笑った。

 ふと、サミーは窓の外に目を向けた。動き続ける電車は、冬枯れの草原を延々と流し続けている。


「……あの物置の中でさ、」

「ああ」

「僕が、まるで電車に乗っているみたいだねって言ったこと、覚えている?」

「まあ、なんとなくだけど」

「その時君が、馬鹿にするでもなく、頷いてくれて、『だったら、こっちが窓だな』って言ってくれたのが、すごく嬉しかったんだ」

「そうだったな」

「これが、君の求める答えの代わりってことにしてもいいかな?」


 十七歳のサミーが、あの日と同じように微笑む。三十五歳の俺は、その言葉に頷いた。


 それから、「今の話が聞きたい」とサミーに促されて、俺は自分の周辺のことを話した。今は、印刷の会社で働いていること、サミーの影響で高校卒業後も本を読むようになっていたこと、生活やよく行く店のことを、サミーも楽しそうに聴いていた。

 それから、本屋で働く、女性店員が気になることを言うと、サミーは非常に喜んでいた。


「へえー。まさか、ケイネスの口から、色恋沙汰が聞けるなんて!」

「あの頃は、恋愛をするのは軟派者だとか考えていたからな」

「成長したねぇ。彼女とはどうなの?」

「意識している、で止まっているな」


 実を言うと、彼女のアプローチをしようと思っても、サミーを見殺しにした俺が幸せになってもいいのか? という気持ちが首をもたげてきて、何もできなかった。もちろんそんなことは、本人には言えない。

 サミーは、しみじみと腕を組んで頷いていた。


「結構奥手なんだねぇ。あ、恋愛小説で学んだテクニックを伝授しようか?」

「いいよ、それは。お節介だな」


 そんなやり取りを繰り返している間に、時間は過ぎていく。気が付くと、次の駅が近付き、景色も町の中のものに変化していた。


「……もう、一時間たったのか」

「うん。楽しかったよ、ケイネス。呼んでくれてありがとう」


 差し出されたサミーの手を、俺は握り返した。温度というものを感じないが、確かに一人の人間の手だった。

 「またな」と言おうとしたのと、電車がホームで止まったのは、丁度同じだった。


 瞬きの間に、サミーの姿は消えて、中腰のまま、右手を差し出しているままの俺が残された。そして、目の前にいるのは、最初に会った天使のモリゾだった。


「いかがでしたか?」

「……ええ、後悔のない再会ができました」


 彼女の笑顔にそう返すと、先程とカーテシーをして、再び姿を消した。

 俺は、約束通り、この客室から外へ出る。他の座席へ向かいながら、心の内に、晴れ晴れとした青空が広がっているのを感じた。














































































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12時発、1時着。 夢月七海 @yumetuki-773

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