第9話 顎の王

 レオリオン・ラーシーツと名乗ったガキは、ベッドから軽やかに飛び降りると、こちらに向かって歩き出した。


 高級そうな光沢のあるダマスク柄の褐色の半袖シャツとショートパンツを着用し、透明感のある白い肌の手足には傷一つない。


 短くもサラサラの銀髪に、吸い込まれそうな美しい 緑宝石エメラルドグリーンの大きな瞳が、本物の宝石のように輝いていた。


 ここまでなら、そうとう身分の高い貴族の美少年だと判断できる。


 だが、その銀髪の頭の上には獣人族の特徴である獣耳けもみみが、ぴょこんと二つ生えているのがハッキリ見える。


 これがニセモノでなければ恐らく、身分の高い、獣人族の、美少年だと言うことになる。


 なぜこんな考えに至るのかというと、帝国に人間以外の貴族は存在しないからだ。


 いまでは他種族が厳しい検査を受けなくとも入国できる時代になったが、二十年近く前まで帝国は、人間至上主義を貫く差別的な国だった。


 いくら時代が変わったとはいえ、二十年程度では他種族が貴族になれる訳がない。 いや、帝国では一生無理だろう。


 それほどまでにこの国には深い闇が根付いているのをオレは知っている。


 そんなことを考えている間に身分の高い獣人族の美少年クソガキは、オレの目の前まで来ると犬のように首を傾けたりオレの周りをウロウロしだす。


 値踏みされているような視線にイライラしたオレは、とりあえず思いついたことを言ってみる。


「……あー、アゴの王だっけ?」


「あごじゃなぁーーい! アギトだよっ、ア、ギ、ト !! 」


 拳をブンブン振り回し地団駄を踏むアゴ、いやアギトの美少年。


 最初の会話は失敗したが、とにかく面倒臭いことにはなりたくないので、素直に謝り落ち着かせる。


「で、偉大なるアギトの王よ。 なんでオレはここにいるんだ? 」


「招待状送ったでしょ? だから看守さんに頼んで連れてきてもらったの。 あの紙の文字を読むと眠くなる匂いを付けておいたから、ぐっすり眠れたんじゃない?」


 確か聞いたことがある。 獣人族は自分の匂いに様々な効果を付与することができる種族だと。


 癒し効果や士気向上、強い獣人の中には匂いだけで敵を屈服させる者もいるとか。


 どちらにしてもコイツは強制的にオレをここへ連れて来たって事だよな。 しかも看守に命令できるほどの権力も持っている。 一体何者なんだ……


 情報が少なすぎる。 いまは辺りに気配も感じないから危険はないが、取りあえずこのガキの正体と目的を聞いておい方がいいだろう。


「名前はレオリオン・ラーシーツとかいったっけ。 お前は何者なんだ? そしてここはどこだ? 最初はインフェルノの外かと思ったが--」


「ここはインフェルノの最深部だよ。 ボクはここに千年近く住んでいるんだ。 帝国の偉い人が世話をしてくれるから生きてはいけるけど、やることないしつまんなくて。 だから、闘技場の試合を観戦して強そうな人をここに呼んでもらってるの! キミは四十年ぶりのゲストだよ。 ボクの目に止まる人なんてなかなかいないんだからね」


 偉そうに胸を張るレオリオン。


 千年も生きてることや帝国の偉い人間とコネがあるのは気になったが、それよりもオレの心は落胆しきっていた。


 勘弁してくれ。ただでさえ日々悪夢にうなされ、生きるか死ぬかの戦いを強いられてる毎日にうんざりしてんのに、こんなガキの遊び相手のために連れてこられたのかオレは。


 だがオレは、とんでもない事に気がつく。


 それは先ほどまで寝ていたのに悪夢を見ていなかったことだ。


 あの日以来、一日と欠かさず見ていた悪夢をあの時には見ていない。


 その事実はオレにとってとてつもなく大きな変化だった。


 なにが原因だ? もしかして紙に付与した匂いか? コイツの匂いにはなにか特殊な効果でもあるのか?


 いても立っても居られなくなったオレは、レオリオンの肩をグイッと掴み首筋に顔を近づけ匂いを嗅いだ。


 ……甘美ないい匂いがする。


 これが獣人の匂いなのか、もっと獣臭いと思ったが意外にいい匂いだなと思った。


 だが、紙の匂いと少し違う。 そう感じたオレは別のところも嗅いでみる。


 もしかしたら悪夢が終わるかもしれない。 必死なオレは脇目も振らず嗅ぎまくった。


 すると、レオリオンの体が震えだしているのに気がつく。


 尋常じゃない震えに驚いたオレは、掴んでいた肩を離しレオリオンの顔を見た。


 泣いてんのか? いや、これは怒って--


「いやああぁぁぁぁあああぁぁぁぁあああ !!!! 」


 鼓膜が破れるかと思うレベルの叫び声と共に、繰り出されたパンチを顔面に受け、吹き飛ばされたオレの意識もぶっ飛んだ。





「ねーえ、ねぇーって。 起きてよ、起きてってば~」


 耳元で誰かがオレを呼んでいる。 なんかいい匂いもしたが胸が苦しい、なにか息苦しさを感じる。


 意識を取り戻し目を開けるとそこにはレオリオンの端正な顔が映る。


 よく見るとオレの胸の上に腰を下ろしていた。 意識を取り戻したオレを見て笑顔になる。


「やっと起きた! 死んだのかと思ったよ」


「なに、が……起きたんだ?」


「キミがボクに失礼なことをしたのが悪いんだよ。 獣人族の体を直接嗅ぐのはダメなの! だからびっくりして殴っちゃった。結構酷いケガだったけど、ボクの治癒の匂いで回復してるからもう大丈夫」


 匂いを嗅がせるために上に乗ってんのか。 ってオイ、オレがこのガキにワンパンでのされただと……


 あまりのショックでつい愚痴が零れる。


「ウソだろ……巨人の前蹴りでも軽く意識が飛んだだけなのに、こんな細腕のパンチで気絶したのかよ」


「それはそうだよ、ボクのパンチは竜の鱗も砕いちゃうから。 キミが能力で壁を張っていなかったら、今頃死んじゃってるよ?」


 マジか。


 殴られる瞬間、反射的に盾を張っていたから助かったのか……


 オレの破壊の権化ジャガーノートは、巨人との試合で見せた奥義を発動をしなくてもある程度使える。


 アレは能力を完全に解放した姿で、いわゆる本気モードというヤツだ。


 本気モードは血流を強引に早めるため、体にかかる負担が大きく体力の消耗も激しい。


 普段はある程度の振動能力を駆使して戦っていて、体に波動の膜を張り見えない武器と盾として使用する。


 今回もそれで助かったワケだが……運良く生き延びたことよりも、目の前にいるガキの強さに驚きを隠せないでいた。


 ……たしか二つ名の英雄とか言っていたが、歴史の勉強をサボっていたオレはよく知らない。 勉強しておくんだったと後悔した。


「そろそろ降りてくれないか? どうやらケガは治ったみたいだし」


「え? あ、わわっ! そ、そうだね。 ごめんごめん。 キミ温かくて気持ちよかったから、つい」


 恥ずかしそうに離れるレオリオン。


「さっきは俺が悪かった。 傷も癒して貰って無事だから気にしちゃいない。 それより、お前には色々と聞きたいことがあるんだ。 もし教えてくれたら、お前の相手をすると誓う。 どうだ?」


 オレの提案に深く頷くレオリオン。



 ……それからは色んなことを聞いた。


 まずは悪夢を見なかった理由。レオリオンの匂いは強烈な精神安定の効果があり、オレの悪夢に最適だと分かった。


 遊び相手になる報酬として、匂い袋を貰い寝るようになってから悪夢を見ることはなくなった。


 あと気になっていた二つ名の英雄や魂の狩猟ワイルドハントという戦争のこと、戦争終結後にここへ至った経緯も聞いた。


 獣人族の歴史やレオリオンの家族の話など、たくさん会話した事で仲良くなったオレたちは、レオとクロと呼び合うようになった。


「レオ、お前以外にも二つ名の英雄はまだいるのか?」


「いるよー。 いろんな国に別々の英雄が隠れ住んでる。 帝国にもうひとり、ベリルって妖精がダプトア大森林にいるんだ。 ……ベリルとも何度か戦ったけど、楽しかったなぁ」


 まるで戦争を遊びの延長のように話してるレオを見て鳥肌が立った。


 レオにとっては遊びかもしれないが、その中身は戦争だ。 そこには多くの命が奪われ、悲しみと憎しみが渦巻いているはずなのに、そのことに一切気づいてない。 なにも知らず戦いに身を投じつづけたレオのことを思うと、オレは悲しい気持ちになる。


 話を聞く限り、二つ名の英雄はオレのようなただの能力者とは違い、世界の常識を突き抜けた存在のようだ。


 能力に目覚めて以来、歳をとることもなくなり、時はただ過ぎゆくものでしかなくなっている。 だからレオは精神的に子供のままだし、戦争後も千年間ここで閉じこもっていたから成長する機会がなかったのだ。


 そんなレオに戦争の本当の意味を伝えてもすぐには理解出来ないだろう。


 それよりも子供らしい楽しいことや、興味のあることを教えてあげた方がいい。 そんな親心にも似た感情が、オレの中で芽生え始めていた。


「レオがいま一番したいことはなんだ?」


「うーんとね、ボクは戦うことが好きだからやっぱり戦争かな? 」


「そうか……戦争は大変だから簡単なことからはじめないか? まずは組手だな。 お互い技を出し合って見せ合いっこするんだ。 一緒に考えて見るのもいい。 ただ大きな怪我をしないようにお互い気をつけて戦う。 どうだ、やってみるか?」


「うん、いいよ! やってみたい」


 屈託のない笑顔で返事をするレオ。 オレからしたら命懸けだが、人を無闇に傷つけない心を養うにはいい機会だと思う。




 こうして、オレとレオの日常が始まった。


 毎日、部屋を訪れ組手を交わしおしゃべりをする。 レオは組手で発散し、オレは自分より遥かに強い相手と戦うことで実力をつけていく。


 話し合うことでお互いを理解し絆を深めていく日々は、オレの中でかけがえのない時間へと変化していった。


 お香のおかげで悪夢を見ることなく眠れるようになったのも後押ししているかもしれない……。




 そんな幸せな生活が続いて半年がたった頃、いつものように部屋を訪れようと扉の前に立つと、珍しく部屋の中から話し声が聞こえてきた。


 レオの知り合いかなにかか? 前に聞いたベリルとかいう妖精だろうか。


 邪魔しちゃ悪いと思い、話が終わるまで待っていることにした。 十分ほど経過すると扉が開き、出てきたのは長い黒髪を靡かせた美女だった。


 萎びた三角帽子を被り、全身真っ黒なローブからでもわかるスタイルの良さについ目がいく。


 黒髪の美女は流し目を使い「ごきげんよう」と挨拶をして去っていく。


 美女の後ろ姿に見とれていたオレの太ももを誰かがつねった。


「イテッ! 」


「何見とれてるの! やっぱりクロもああいうのがいいんだ。 ふんっ」


 いつの間に横にいたのか、レオがジト目でオレを睨んでくる。


「ばーか、ここは監獄だぞ。 あんなもん滅多にお目にかかれねぇだろ。 目がいかない方が体に悪い」


 そんな返しに対してレオは「ボクだって……あれぐらい……」とかなんとかブツブツ独り言をいっている。


 よく聞き取れなかったが、オレは子供の嫉妬は可愛いもんだなと思い、いじけるレオの頭を撫でながら「いまからたっぷり遊んでやるから、いじけんなよ」と伝え機嫌を取った。


「で、知り合いかなにかか?」


「うん、同じ故郷の友だちなんだけどボクと同じ二つ名の英雄なんだ。 あの子が隠れてた家が燃えちゃって帝国へ引っ越してきたんだって。 ちょうど近くによったからお土産もって挨拶に来てくれたんだ!」


 嬉しそうなレオと部屋に入ると、ベッドの前にパンが山盛りになって置いてあった。


 聞いた話だと極東地方で有名なマリトゥツォと呼ばれるパンで、はみ出しそうな勢いでクリーム挟まっている。 伝統的なお菓子らしい。


 一緒に食べようと勧められたが、甘いものが苦手なオレは断り、美味しそうに食べるレオを横目に組手の準備を始める。


「あんまり食べすぎるなよ。 今日こそは一撃当ててやるからな」


「ングっ、まだまだクロには無理だよ! 百年早いもんね」


「おいおい、そりゃ一生無理ってことじゃねぇか。 新しい技を開発したんだ、これで絶対にお前をギャフンといわせ--」


 そう言いながらレオの方を見た俺の目には、信じられない光景が映っていた。


 レオがパンを落とし倒れている。 嫌な予感がしたオレはすぐに駆け寄り、レオを抱き締め顔を見る。


 あんなに肌が白く美しかったレオの顔色は真っ青になっていた。 口から泡を出し苦しそうに呻いている。


「な、何があった! --おい、レオしっかりしろ !! 」


 こうしてオレはふたたび地獄へ叩き落とされた。


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