第3話 暴君の王

 ヴァーミリオン帝国極東領リーゼフィヨルド。

 近代化が進んだ帝国の中では、自然豊かな場所が多く、特にダプトア大森林は稀な動植物が生息していることで有名な場所だ。


 その深部に我輩の屋敷が建てられているのだが、千年前に越してきたとき、ある永続魔法をかけていたことをすっかり忘れていた。


 魔法の名は【変化する蜃気楼チェンジングミラージュ】。

 あらゆる感知を阻害し、生理的に近づけさせない効果を発信し続ける、永続魔法だ。

 この魔法が解けない限り、屋敷には誰も気づかず、たどり着くことができなくなる。


 唯一出来るのは、屋敷に物資や手紙を届ける役目に就いている、いまならローランドということになる。

 ローランドには、大森林の入口から屋敷の敷地内へ瞬間移動出来る魔法の指輪を渡しているので【変化する蜃気楼チェンジングミラージュ】の影響も受けず、ダプトア大森林内の脅威にも晒されることはなかった。 あの大きなマリトッツォを持ち込めたのも、指輪のおかげだ。


 で、ここからが問題なのだが、我輩達は帰郷への旅に出発した際、

 要するに【変化する蜃気楼チェンジングミラージュ】の影響をモロに受けてしまったというわけだ。

 そして屋敷へ戻ることも出来ず、大森林の中で迷った挙句、と出くわしてしまった。

 ……ここまでが大まかな流れじゃ。 なにか質問や提案はあるか?


「ハァハァ、そんなこと僕に聞かれても…… ハァハァ、なにも思いつかないです。 しかし、ベリル様が……ハァハァ、こんなおっちょこちょいな人だとは、思いませんでした! ゼェゼェ……」

「そうか……我輩も千年ぶりに外に出る喜びで気持ちが高ぶってしまってな! つい、うっかりしてたのだ。 許せ、ローランド」


 大森林の中を、方向も分からぬまま走り続けて一時間が経過しようとしている。 なにかいい案が出るかも……と思い、状況を説明してみたが、なにも変化はない。 それどころか悪くなる一方だ。


 後ろのほうから木々がざわめく音がした。 問題となっているアレだろうか、それとも別のアレかもしれない。

 兎にも角にも今は大森林の外へ出るための手を打っている最中だ。 何が来ようと、逃げるのみ。 そう三人で話し合って決めたので、こうしてローランドとふたりで逃げ続けている。

 まさか、千年ぶりに外へ出た途端、迷子になりあんなモンスターと出会うとは…… 屋敷の中では味わえない刺激的な出来事の連続に、我輩の胸はワクワクしっぱなしだった。


 そんな我輩と対照的なのがローランドだ。

 頭は非常にいいが、幼少のころから運動が苦手なローランドは、こういったサバイバル経験は皆無な様で、息も切れかけている。精神的にもかなり追い詰められており、はやく何とかしてあげなくては、アレに食べられてしまうだろう。


 噂をすればなんとやら、一時間以上も我輩たちをつけ狙うアレが、大きな雄叫びをあげながら茂みの奥からその姿を現した。


 大きな樹木と同じくらいの体長と、十トン近くある体重から発せられる威圧感。 驚異的な咬合力で岩すら噛み砕き、体長の半分以上を占める長い尻尾を振り回せば、簡単に木々をへし折ってしまう。 その正体は大型獣脚類の肉食恐竜、ティラノサウルス・レックスである。


 暴君の王と称され、恐竜種の中で最も凶暴な性格をしているレックスは、常に空腹なため口から涎が滴り落ちているのが特徴。 獲物である我輩たちを獰猛な目で捉えると、ゆっくりとこちらに近づいてきた。


 ローランドは腰から崩れ落ち、真っ青な顔で呆然としていた。 先ほどのレックスの咆哮の効果【恐怖】の抵抗に失敗したのだろう。

 我輩は、ローランドを助けるために発破をかける。


「しっかりせいローランド! こやつは人間の手には負えぬが足が遅い。 せいぜい我輩たちの歩く程度しか走れぬ。 尻尾が届く範囲にいなければ危険はない。 --ほれ、逃げるぞ!」


 励まされて我に返ったローランドは、我輩に手を引かれながら走り出したが、まだ【恐怖】効果が抜けきれないのか、走るスピードが遅い。 しばらく走ったことでレックスとの距離はある程度離れたものの、体力がなくなれば追いつかれるのは時間の問題だろう。


 そろそろラスから報告が来るはずじゃ。 それまでローランドにはもう少し頑張って貰わねばならん。

 ……それにしても人間というのは貧弱じゃのう。 この困難を乗り越えたら少し鍛えてやるか。

 我輩の手にかかれば、一ヶ月も鍛えればあの程度のモンスターなら倒せるようになるだろう。

 なんてことを考えていると、頭上から我輩をおちょくる声が聞こえてきた。

 声の主はもちろん、執事のラスだ。


「ベリル様、鬼ごっこを楽しまれるのはいいのですが、このままではローランドくん、食べられてしまいますよ? 彼には美味しいスイーツご馳走になってますので、今後のためにも助け舟ぐらい出してあげないと…… もしかして、千年もグーダラしてたから頭が働かないんですか? 」

「いわれんでも考えておるわ! それよりも貴様に命じたルートは見つけたのか? そのための魔力を与えておるのだ、早く見つけてこい」


 ラスは気の抜けた返事をすると、空高く飛んでいった。

 ラスには安全に大森林の外へ出るルートと、屋敷へ戻るルートを探させている。

 永続魔法【変化する蜃気楼チェンジングミラージュ】は非常に強力な魔法だが、ラスならば時間さえかければ解除することも可能なため、任せることにした。

 我輩は現在、帝国との契約で魔法の使用を制限する首輪を付けているので、解除することが出来ないのだ。 自分がかけた魔法を操れないもどかしさでやきもきするが、こればかりは仕方がない。


 二つのルートのうち、安全なのは屋敷に戻るルート。 広い大森林を歩く必要もなく、多種多様な動植物に襲われる心配もない。 まぁ、いきなり大森林の主級のモンスターに見つかってしまったのは、運が悪いとしか言いようがないが……

 時間が経って夜になれば移動すら困難となってしまうため、それまでに解決したいところだ。

 となりで、息も絶え絶えなローランドを見ていると、夜になる前に状況は悪化しそうな気はする。


「ベリル様、解除に成功し屋敷を発見しました。 そこより南西の方向へ五十メートル先です」


 空からラスの吉報が飛んできた。 いいタイミングだ! 我輩はローランドを引っ張りながら南西の方角へ走り出す。 しかし、ここで問題が発生した。

 ローランドの体力が尽きたのだ。

 意識が朦朧とし始めたローランドは、膝をつき頭を垂れる。


 ローランドが倒れないように支えた我輩は、両肩を揺すって反応を見る。

 気を失ってはいないようだが、朦朧としているのか、呼び掛けにも応じない。

 これでは屋敷まで歩くことも困難だろう。 時間が経てばヤツに追いつかれてしまう。 そうなれば最悪だ。


「しかたない、緊急事態により回復魔法を使う! ラス、追っ手が来ぬよう時間を稼げ!」

「ハッ!」


 ラスの返事を聞いた我輩は、ローランドの頭を両手で挟み顔を起こすと、制限されていない補助系魔法のひとつである回復魔法の準備に取り掛かった。


「崇高なる友にして、万物たる根源よ。 我が呼び掛けに応じ、大いなる息吹をお与えください」


 周囲の草木や大地に呼び掛け、力を借りる。 外側から入ってる元素エネルギーを体内を巡らすことで魔法エネルギーに変換する。 これが基本的な魔法を行使するための準備だ。

 そこへ我輩の生命エネルギーを注ぎ込み、混ぜ合わせることで体力を瞬時に回復させる魔法を生み出す。

 身体が発光し魔法が発動可能となった我輩は、勢いよくローランドにキスをした。


 ローランドの身体がビクッと震えたが、気にせず続行する。

 唇を離すと、ローランドの顔が真っ赤になっていた。 先ほどまで真っ青だったことを考えると、回復魔法は成功したようだ。 すぐに意識確認のため声をかける。


「どうだ !? 立てるか?」

「え? …… あ、ひぇ、はぁい」

「体力は回復したはずじゃ。 この先に屋敷がある。 そこから貴様が持っている指輪で大森林から脱出するぞ。 ついてこい !! 」


 そうローランドに告げると、我輩たちはふたたび走り出した。

 同時に後ろから獰猛な雄叫びと共に、樹木がなぎ倒される。

 我輩たちがさっきまでいた場所に樹木が倒れ込んだ。 もう少し遅ければ下敷きになるところだった、あぶないあぶない。


 時間を稼いでいたラスが空から姿を現し、我輩たちの前へ華麗に着地すると、誘導するため前方を走る。

 そしてこちらへ顔を向けると、お約束のように軽口が炸裂した。


「ローランドくん、接吻はどうでした? 我がご主人様の接吻は上手に出来ましたでしょうか? 初めての接吻の味はどんな味でしたか、教えてください。 非常に興味があります」

「あ、いえ……味とかよくわかりませんけど、なんて言ったらいいか……とにかく素晴らしい体験でした!」


 ラスに言い寄られ、あたふたとしながらもテンションが上がるローランド。

 まったく、接吻のひとつやふたつで何を盛りあがっておるのか。 我輩にとって回復魔法をかけただけだというのに。

 人間とは不思議な生き物じゃな。


「そんなことよりも、目的地まですぐそこじゃ! ローランド、指輪は持っておるな?」

「--はい、ちゃんと持ってます! いま付けます」

「ラス! 念の為、感知魔法を使い周辺を調べろ。 モンスターが一匹とはか……」


 感知魔法を使う様にラスへ命令しようとした矢先、我輩たちの少し前で案内していたラスが、突然吹き飛ばされた。

 ボールのように飛んだラスは、大木へ激突すると、勢いが落ちることなく跳ね飛ばされ茂みの奥へ消えていった。


「ラスさん !! 」


 ローランドが悲痛な声を上げる。 ラスが消えた茂みへ駆け寄ろうとしたので、我輩は腕を掴み止める。

 すると、ローランドが今まで見せたことがないような激怒した顔で我輩を睨んだ。

 我輩は動じることなく前方を指す。 それを見たローランドの顔は、再び青ざめていった。

 目の前に現れたのは、先ほどよりも明らかに大きい、暴君の王ティラノサウルス・レックスだった。

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