第Ⅱ章 第16話 ~きっと、生きて還ってくるから……君のために~

~登場人物~


ノイシュ・ルンハイト……本編の主人公。男性。ヴァルテ小隊の術戦士で、剣技と術を組み合わせた術剣の使い手


マクミル・イゲル……ヴァルテ小隊の隊長。男性。ヴァル小隊の術戦士で、増強術という支援術の使い手


ビューレ・ユンク……ヴァルテ小隊の隊員であり、術士。また修道士でもある。女性。回復術の使い手








「おい、向こう岸を見てみろ……っ」

 ふと誰かが声を上げ、無意識にノイシュは視界を向けた。そこには対岸で隊列を組んでいる敵左翼さよくの術戦士隊が、突如とつじょとして左右に分かれている――


――なんだ……?

ノイシュは眼を細めて前方を注視した。やがて開いた隊列の隙間すきまから、敵術士が次々と姿を現していく――


――そ、そんなッ……

 驚愕きょうがくとともに背中から寒気さむけみ上げきて、思わずノイシュは身をふるわせる。そこにはいったい何十人いるか分からなかった、敵軍てきぐんはまだあれだけの術士を温存おんぞんさせていたなんて……しかし、いったい何故なぜ――


 敵軍の意図いとがつかめず、ノイシュは思わず片眉かたまゆを上げる。グロム河は流れこそゆるやかだが河幅かわはばも広く、腰元こしもとまでかるほどの深さがある。このまま浸水しんすいしても上手うまく身動きが取れないし、対岸から攻撃術を発動させたとしてもさすがにここまでは届かないはずだ。だからこそ、わが軍はこの河畔かはんを決戦の地に選んだのだから――


不意に敵軍の術士隊は岸辺きしべで動きを止めるや、一斉に詠唱えいしょうを開始していくのが見えてノイシュはてのひらを握った。彼等の間からほのかな光芒こうぼうが浮かび上がり、そして膨張ぼうちょうしていくのが分かった。その優美な光彩こうさい術詠唱じゅつえいしょうという葬送曲そうそうきょくりなす不協和ふきょうわな光景は、どこかあやしくきつけるものさえあった――


「みんな気をつけろっ、術連携じゅつれんけいだ……ッ」

 すぐとなりでマクミルのさけぶ声が耳に届き、ノイシュは周囲の兵士達とともに武具をかざして体勢たいせいを整えた――


 刹那せつなの後、向こう岸の術士隊が術句じゅつくを結んだのをノイシュは聞いた。直後に立ちのぼっていた光芒こうぼう一閃いっせん、巨大な光の波動がこちらに向かって放たれていく――


――くっ、来るのか……っ

 無意識にノイシュが全身を強張こわばらせた直後、術は急激に降下してグロム河へと垂落すいらくしていく。術の光波こうはと水面が触れ合った瞬間しゅんかん、鈍い音を立ててそれらが凝結ぎょうけつしていった――


――ま、まさか……ッ

 不意にノイシュは鼓動こどうが強く脈打みゃくうつのを感じた。まさか術連携で凍結とうけつさせた河川かせんわたって来るというのか――

 対岸から盛大せいだい喚声かんせいが上がり、両脇りょうわきひかえていた術戦士隊が次々と氷結ひょうけつした水面に着地し、そのままこちらへと進撃しんげきを開始していく――


敵軍てきぐんが来るぞ、みんな迎撃体制げいげきたいせいを取るんだっ」

不意にマクミルの絶叫ぜっきょう耳朶じだを打ち、ノイシュははげしくかぶりをった。対岸の光景に眼をうばわれていた味方の戦士達もまたあわててたてかまえ直していくのが分かった。


向こう岸ではすでに敵術士隊が再び術詠唱じゅつえいしょうを始めており、あわ光芒こうぼうをその身にまとっていくのが見えた。このままでは間違まちがいなくレポグント軍に渡河とかされてしまう。こちらの主力は橋に集結しているため、岸辺きしべを守る味方の兵数はおそらく二十名にも満たない。それに対して敵の術戦士隊はその倍以上はいるだろう。いや、きっとそれ以上の戦力がこの一角に殺到さっとうしてくるはずだ――


「ビューレ、君は後方にいるんだ。みんなの救護きゅうごたのんだよっ」

「はい……っ」

 そうこたえる回復術士の声を聞きながらノイシュが大剣をり上げた瞬間しゅんかん、再び前方から激しい閃光せんこうおそわれて思わず立ちくらむ。それでも正面に眼をらすと対岸から放たれるまばゆ散光さんこう視認しにんした。殺意を内包ないほうした燐光りんこう渡河とかを続けるレポグントの術戦士隊を追いし、そして一気に降下すると水面へと激突げきとつしていく。凝固ぎょうこして生じた氷がまたたく間にこちら岸へとびていき、ついにこちら岸まで到達とうちゃくする。ノイシュは強く奥歯をみ、眼をじた。


――もう一度、僕は戦わなくちゃならないんだっ……義妹いもうとためにも、仲間のためにも、かつて捨ててしまった子供達のためにも――

 ノイシュはあらい息をいて前方を見据えた瞬間しゅんかん、敵戦士隊の最前線がついにグロム河をわたり切る姿を視認しにんした。


敵襲てきしゅうっ、敵襲――ッ」

 味方部隊から様々な喧噪けんそうがはじけ出し、抜刀ばっとうする鞘音さやおとひびわたっていく。ノイシュは唇を開くと術詠唱じゅつえいしょうを開始した。詠唱えいしょうが進むにつれて、次第におのれ身体からだを純白の光が包んでいく――


――僕の身体に宿るアニマよ、その力を解放かいほうしてくれ……ッ

 前方から大喝だいかつ甲冑かっちゅうれる金属音きんぞくおんが重なって聞こえ、ノイシュは殺意さついはだで感じ取った。そのまま大剣をななめにり上げると、まっすぐこちらへと近接きんせつしてくる敵戦士の一人にねらいを定める――


「隊長、ご武運ぶうんをっ」

 人知れずそうつぶやくと、ノイシュは彼がうなずくのを見届けることもなく術句じゅつくむすんだ。途端とたん身体からだつつんでいた光芒こうぼうが振り上げられた大剣へとつたっていくのを視認しにんした――


「うわああァぁ――ッ」

 絶叫ぜっきょうと共にノイシュは大剣を袈裟斬けさぎりにり下ろす。刀身とうしんに宿った霊力れいりょくさきからすべるように分離し、そのまま甲高かんだかい音を立てて相手へと殺到さっとうしていく。またたく間に距離きょりちぢめていたてき戦士が驚愕きょうがくの表情を見せた――


 刹那せつなの後、はげしい衝撃音しょうげきおんとともに敵戦士が身体からだらせながら後方へね飛ばれていった。わずかにおくれて破砕はさいした金属音が耳に届く――が、直後にノイシュは視界しかいおくから新たな敵戦士がこちらへと飛び出してくるのを視認しにんする。おそらく敏捷増強びんしょうぞうきょうをしているのだろう、常人じょうじんとは思えない身のこなしで剣を構えたままこちらへと迫ってくる。ノイシュは急ぎ剣をかまえようとするが、敵戦士の動きの方が速い――


――ダメだっ、間に合わない……っ

 ノイシュは咄嗟とっさに身をひねけようとするが間に合わない。敵の凶刃きょうじんがこちらへとり下ろされるのを視認しにんした瞬間しゅんかん不意ふいに後方からだれかがが跳躍ちょうやくしてきた――


――マクミル……ッ

 隊長は敵戦士を上回る反応速度で手にした鎚矛メイスぎ払い、またたく間に相手の頭蓋ずがいたたむ。鈍音どんおんとともに敵戦士の側頭部そくとうぶ陥没かんぼつし、大量の鮮血せんけつのほか骨の欠片はへん眼球がんきゅうまでも飛散ひさんしていくのをノイシュは見た――


「――大丈夫か、ノイシュ」

 隊長に声をかけられてようやく、ノイシュは自意識を引き戻した。そして自身が無傷むきずである事に気づく。


「……ありがとう、マクミル」

おれ援護えんごするから、すぐに次の衝撃剣しょうげきけん詠唱えいしょうしてくれっ」

 それだけ告げるや隊長はすぐに地をり上げ、次々と渡河とかして来る敵集団へと突進とっしんしていった。ノイシュが眼をらすと既に最前線は乱戦らんせんとなっており、両軍の戦士達が激しいつばり合いをり広げている。ノイシュは頭をって意識を整えると、再び術を発現はつげんすべく詠唱えいしょうを始めた――


――刹那せつなの後、不意に対岸からのきらめきにノイシュは気づいた。

――あれはっ……

 ノイシュが眼をらすと、いつの間にか敵術士隊もまた渡河とかを始めているのが見えた。直後、燐光りんこうは一気に膨張ぼうちょうしていき、紅蓮ぐれん色彩しきさいを帯びながらまたたく間に巨大な構造物に達してしまう程の規模を有していた――


――そっ、そんなっ……

 背筋せすじから悪寒おかんみ上げてくるのをノイシュが感じた直後、紅蓮ぐれん光芒こうぼうが激しくまたたいた。瞬時しゅんじに複数の焔色ほむらいろを帯びた光弾こうだんが上空へと放たれていき、やがて重力の加速を受けながら一斉に大河をまたいでこちら側へとり注いでくる――


「上空にすさままじい数の火炎弾かえんだんッ……全員、身を守るんだっ」

 そうさけんでからようやく、ノイシュはせまりくる烈火れっかがあまりに広範囲であることに気づく。あれでは最前線にいるレポグント戦士までも巻きえとなってしまう――


 またたく間に肉薄にくはくしてくる業炎ごうえん悪魔あくま達に対し、両軍の戦士達はす術なくその場で狼狽ろうばいするか、必死に身を庇うかばべく構えを取るかのどちらかだった。甲高い落下音とげるにおいを感じながらノイシュは眼を細めた。おそらく敵軍は圧倒的な支援放射でこちらを激しい混乱のうずに巻き込むつもりなのだろう。こんな無慈悲むじひな作戦を躊躇ちゅうちょなく行い、つこれ程の強力な霊力れいりょくを宿す者など――


「ノイシュ、俺達も離脱りだつするぞっ」

 不意に名前を呼ばれてノイシュがり向くと、いつの間にか鮮血で汚れたマクミルがすぐかたわらにいた――


「マクミル、先に逃げてっ」 

 そう告げた直後、突如とつじょとして地をらす振動しんどうに襲われる。あわてて四方を見渡すと猛炎もうえんが次々と地に降りそそいでいた。眼前で戦士達がてき味方の別なくその身を燃やし、彼らの断末魔だんまつま業火ごうかたける音が容赦なく耳朶じだを打った―― 


――ビューレは……っ

 ノイシュは再び周囲を見渡し、目当てとなる少女を探す。

――いた、あそこ……っ――

 後方の少し離れた場所に、口元を両手でおおったまますわり込む回復術士の姿があった。その眼差まなざしは彼女のとなりで激しく燃えたける戦士に向けられている――


――……ッ

 ノイシュは急ぎ彼女の元へと駆け出した。その間にも紅蓮ぐれん炎魔えんま達が次々とうなりをあげて周囲に落下し、旋風せんぷうを生じさせながら敵味方の別なく戦士達を焼きがしていく――


「ビューレ、逃げるんだっ」

 そう告げながらノイシュが彼女の所へと辿たどり着くと、眼前の少女はゆっくりと顔をこちらに向けてくる。

「ノイシュ、どうしよう……っ」

 不意に、彼女が口許を大きくわなないた――

「これだけ沢山の人が燃えているのにっ……私だけの力じゃ誰も救えない……ッ」


――ビューレ……ッ

 ノイシュは奥歯をめると、静かに眼を細めた。

――君は、本当に優しいよ……


「ビューレ、お願いがあるんだ」

 ノイシュはまっすぐに修道士の少女を見えた。

「――どうかこの戦況せんきょうを、後方にいるヨハネス様に伝えて欲しい。とても防ぎ切れないって」

 ビューレはそこで絶句した様にまぶたを広げるが、やがてゆっくりとうなずいた。


「……分かった、でもノイシュは……」

「僕は応援おうえんが来るまで、何とかここを防いでみるよ」

 不意に、少女のひとみが激しくれるのが見えた―― 


「そんなっ、兵数の差は歴然なんだよっ……それなら、私もそばで回復を……っ」

懸命けんめいにまなざしを向けてくる彼女の表情をこれ以上見まいと、ノイシュは眼を強くつむった――


――……ごめんね、ビューレ……ッ

ノイシュは眼を開け、上瞼うわまぶたに力を込めると勢いよく彼女の両肩りょうかたつかむ。

「だめだっ、後方の味方を守るためには、誰かがここを守らなきゃいけないんだよッ」

 ノイシュは顔をせ、そっと息をいた。


――ゴメンね、ミネア……ッ

「ノイシュ……ッ」

 不安げに自分の名をつぶやく少女の声が耳に届き、ノイシュは再び顔を上げると彼女に微笑ほほえんでみせた。不意にビューレの顔が義妹ミネアのそれと重なる――


「きっと、生きて還ってくるから……君のために」

 そして手を伸ばし、彼女のほおを優しくれた。いつの間にか義妹ミネアの姿は修道士の少女へと変わっており、彼女の顔をおお青痣あおあざにその手がれていた――


「ノッ、ノイシュ……ッ」

 ビューレのほおから一しずくなみだこぼれ、自分のてのひらつたっていく――


「安心しろ、おれがいる。絶対にノイシュを死なせたりはしない」

 不意に背後から声がしてノイシュがり向くと、そこには鎚矛メイスかたかついだマクミルの姿があった。


「だからこいつの言う通り、ビューレは後衛こうえいの術士隊を守ってくれ」

「……たよりにしてます、隊長」

 ノイシュは修道士の少女へと視線しせんもどし、そして再び微笑ほほえんでみせた。彼女はなおもこちらを見えていたが、やがてゆっくりと首を縦にった。


「……約束だからね、きっと戻ってくるって……ッ」

 次第に彼女の表情が決意の色へと変わっていく。ノイシュは身体がふるえそうになるのをえながら、強くうなずいた。

「うん、きっと」


「約束だよ……ッ」

 そこでビューレはゆっくり立ち上がり、本隊のある方向へと小走りに向かっていった。途中、何度もこちらをり返りながら――

 

 やがて彼女の姿がやみまぎれて見えなくなり、ノイシュは大きく息をいた。

「隊長、感謝してます。僕の考えに賛同さんどうしてくれて……」

 不意にマクミルの鼻白はなじらむ音が聞こえた。

「分かっていると思うが、きっと本隊は応援おうえんになんて来ないぞ。後で後悔こうかいするなよ」

「……こうでも言わなきゃ、彼女は最前線をはなれませんでしたから」

 ノイシュは剣のつかを強くにぎり、眼をつむった。本当は自分だって戦いたくない……勇気もはじも全部捨てて、義妹ミネアと二人きりで戦場から逃げ出してしまいたい――


「ノイシュよ」

 不意に名前を呼ばれてノイシュが振り向くと、口許くちもとにそっと笑みをかべたマクミルがそこにいた。


「お前と一緒に戦えた事……俺はほこりに思うぞ」

 隊長が対岸へと視線しせんを向ける姿を見ながら、不意にノイシュはせまり来る敵軍の喚声かんせいが大きくなってくるのに気づく。おそらく向こう岸から、新たな敵陣てきじんが迫っているのだろう――


「ノイシュ、君に武運ぶうんをっ」

 そう言ってマクミルは敵軍に向かって両手を力強く広げた。圧倒的あっとうてきな兵力差を一人で受け止めようという彼の後ろ姿に、ノイシュは胸からみ上げてくる想いを止められなかった――

「……えぇ、あなたも」


援護えんごたのむ」

 突如としてマクミルが土をにじり、猛進もうしんしていった。

「はいっ」

 ノイシュを強く大剣をにぎめながら、術句じゅつくつむぎ始めた――

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