第Ⅱ章 第14話 ~あれは、敵軍の大規模術攻撃……ッ~

~登場人物~


ノイシュ・ルンハイト……本編の主人公。男性。ヴァルテ小隊の術戦士で、剣技と術を組み合わせた術剣の使い手


マクミル・イゲル……ヴァルテ小隊の隊長。男性。ヴァル小隊の術戦士で、増強術という支援術の使い手


ビューレ・ユンク……ヴァルテ小隊の隊員であり、術士。また修道士でもある。女性。回復術の使い手





 グロム河の水面から静かにき上がる冷気を肌に感じながら、ノイシュは何とか前方を注視しようと眼をらした。いつしか周囲の景色は深い藍色あいいろとなって河の水面や石造りの橋、そして橋上で対峙たいじしているであろう両軍の戦士達を包み込んでいる。ノイシュはそっと眼を細めた。残念ながらここからでは、最前線をはっきりと視認しにんする事ができない――


「……静かですね」

 後方から少女の声が聞こえ、ノイシュが振り向くと不安げな表情で佇むビューレのほか、マクミルや沿岸に配置された数名の戦士達の厳しい表情があった。


「うん……」

 ノイシュはうなきながらも視線を前に戻す。耳元には河の流れる音だけがひびき、不気味な程の静寂せいじゃくただよう。にもかかわらず、胸の鼓動こどうはいよいよ高まっていく――


「始まるぞっ」

 不意にマクミルが前に進み出て橋の方を指し示すと、かすかに人の声が聞こえてくる。韻律いんりつを含むそれはやがて数を増やすとともに大きくなっていく――


――術士隊による詠唱えいしょう……っ

 次の瞬間、ノイシュは次々と燐光りんこうまたたいていくのに気づいた。周囲の景色が徐々に明るくなっていき、橋梁きゅうりょうで今まさに最前線の戦士達がほこを交えようとしているが分かる。


 敵軍は掲げた長槍ながやりを振り下ろし、一斉に鋭利えいり穂先ほさきをこちらに向けていた。ノイシュは奥歯をめながらも、前方を凝視ぎょうしし続けた。やがて対峙たいじする味方の部隊からも光芒こうぼうが輝き出し、武具を地に打ち鳴らす音が周囲に響き渡っていく――


 その途端、膨張ぼうちょうし切った空気のぜる様な雄叫おたけびが両陣営からこだましていくのをノイシュは聞いた。またたく間に両軍の戦士の間で剣閃けんせんが次々ときらめき、激しい火花が無数に飛び散った。喚声かんせいや悲鳴、慟哭どうこく大喝だいかつが絶え間なく耳朶じだを打ってくる。

 

 ノイシュは思わずうつむいた。きっと最前線では槍に身体を貫かれた者がたおれ、まだ息のある者は仲間に後方へと引きずれられているのだろう――

 その時、ノイシュは前方の対岸から巨大な燐光が瞬くのをとらえて顔を上げた。


――あれは、敵軍の大規模術攻撃……ッ

 ノイシュが眼を見開いた途端とたん、敵術士隊の頭上から巨大な黒炎のかたまり現出げんしゅつし、すぐさま轟音ごうおんを上げてリステラ王国軍が陣取る橋頭堡きょうとうほへと迫るのが見えた。容赦なく耳朶じだを打つ轟然ごうぜんに思わず耳を塞ぎながらも視線だけは逸らす事ができない。味方の最前線部隊からどよめきや悲鳴の声がれ聞こえ、盾を持つ戦士達が次々とその中に身をかくしていく――


 直後に後方から激しいまたたきがほとばしり、とっさにノイシュは顔を向けた。大神官ヨハネスが率いる術士部隊から発せられた燐光りんこうだとすぐに気づく。その上空には青白い燐光りんこうを伴う巨大な光の玉がそびえているのが遠くからでも分かった。不意に光の玉が収縮し、無数に分裂していく――


 周囲へと広がるつんざく甲高い不協和音にノイシュは眼を細めた。やがて眼前の光玉は放電弾ほうでんだんへと姿を変えていき、次々と敵の放った炎魔えんまへと殺到さっとうしていく。


 次の刹那せつな、双方の術連携が激突した。突如として旋風が巻き起こり、離れた河畔にたたずむこちらにまで吹きすさんできてノイシュは煽られながらも身をかがめた。すさまじい閃耀せんようにとても眼を開けていられない。耳をろうする轟音ごうおんと周囲かられ聞こえる悲鳴が狂騒きょうそうし合い、背筋が粟立つのを禁じ得ない――


「アアアァぁァ……ッ」

 不意にすぐ後ろから絶叫がひびき、ノイシュは瞑目めいもくしながらも振り向いた。


「めっ、眼が、眼がッ」

 その声でビューレだと気づく。どうやらあの眩耀げんようを直視してしまったらしい。咄嗟とっさにノイシュは腕を伸ばすものの、その身に触れた直後、彼女に強く手を弾かれる――


――ビューレ……ッ

 ノイシュは奥歯を噛むと、思い切り腕を伸ばすともう一度彼女に触れた。細く柔らかい感触が五指に伝わっていく。彼女の肩口だろうか――


「ビューレ、僕だよっ、落ち着いてッ」

 なおも修道士の少女は身体を震わせていたが、今度は拒絶きょぜつしてこなかった。次第に耳をろうする激音が収まっていくとともにまぶたの奥が徐々に暗転していく。どうやら助かったみたいだった。ノイシュがゆっくりと眼を開けると、戦慄おののきながらもこちらの腕を強く握り返している少女が目の前にいた――


「ビューレ、もう大丈夫だよ……」

 ノイシュがそう言葉を告げると、顔に青痣あおあざのある少女がゆっくりとこちらへと振り向いた。彼女はしばらくこちらを見据えていたが、やがて静かにうなずいていく。ノイシュは眼を細めてその姿を見据みすえた。これ程の大規模術を目の当たりにすれば、きっと当然の反応だろう――


「二人とも、平気か」

 不意に離れたところからマクミルの声が届き、ノイシュは頷いた。視界には未だ青黒い光の残滓ざんしがこびりついている。前にも術連携の攻撃を受けた事があったが、今のはあの時と比較にならない程の圧倒的な集団攻撃だった――


「どうやら、敵軍の方が損害そんがいを受けた様だな」

マクミルの声にノイシュが戦場へと目を向けると、消えゆく微光びこうが最前線の様子をほのかに明るく映し出している。そこでは再び戦士達による戦列同士の激突が始まっており、足下には放電弾を浴びて黒く焼け焦げた敵戦士達の遺骸が散らばっていた。ノイシュは思わず眼を細めて胸中で彼らを哀悼あいとうしながらも、戦局はこちらが優勢であることを実感する。でも――


――でも、術士隊の兵力はこちらの方が劣るはず……にも関わらず、こちらの攻撃が優勢だった――

 思わずノイシュは小さくうなだれた。


――たぶん、圧倒的な霊力れいりょくほこるヨハネス猊下げいかを中心とした術連携だったのだろう――


 ノイシュは奥歯を噛み締めながら顔を上げると、橋頭堡の更に後方で集結している修道服の集団を見据えた。そこにはおそらく大神官ヨハネスがいるはずだった――


――たった一人で百人大隊の霊力を宿すとさえ言われる大神官が加われば、その兵力差さえもくつがえすことができるという事か……この戦い、何とかいけるかもしれない――


 不意に両岸から再び詠唱が湧き上がっていくのを聞き、ノイシュは眼を細めた。互いの攻撃術による応酬は、きっとどちらかが壊滅するまで続くのだろう。忌まわしき消耗戦が、戦いの趨勢すうせいを決めるまで――


「こちらに回復術士はおられますかッ」

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