第Ⅱ章 第9話 ~明らかにあの超高位秘術は、禁忌の術です~

~登場人物~


ノイシュ・ルンハイト……主人公。男性。ヴァルテ小隊の術戦士で、剣技と術を組み合わせた術剣の使い手



ミネア・ルンハイト……ノイシュの義妹。女性。ヴァルテ小隊の術戦士で、霊力を自在に操る等の支援術の使い手



ヨハネス……リステラ王国の大神官であり、メイ術士学院の校長。術士。男性。







「丁度良かった。ノイシュ君、君にも見て頂きましょう」

 布一枚を身体にあてがい、ほぼ全身の素肌を露出ろしゅつさせた義妹のすぐのとなりでヨハネスが微笑みをこちらに向けていた。

「ヨ、ヨハネス様、これは一体……ッ」

 状況が読み込めず。思わずノイシュは声をふるわせた。なぜ大神官の前で、義妹があの様な格好に――


 大神官は静かに義妹から離れていき、近くの椅子いすに腰を掛けると義妹を見据みすえた。

「ミネア君、頼むよ」 

「はい……っ」

 不意に義妹の表情が変わった。顔を強ばらせると強く眼をつむり、術の詠唱えいしょうを始める。ノイシュは眼を見開いた。その術句には聞き覚えがあった。そう、さきの戦いであのエスガルが発していたものだ――


 やがて彼女の身体からゆっくりと暗紅の光彩が発せられた。塗り重ねられた血の様な色をたたえた光芒こうぼうはゆっくりと帯状にまとまっていく。それらはへびの様にうねり始め、思わずノイシュは生理的な嫌悪を抱いた。彼女の肌からは漆黒しっこくの模様がにじみ出し、生成色きなりいろの肌をけがすかの様に幾何学的きかがくてき紋様もんようを描き出していく――


 不意にノイシュは視線を下に向けると自分のてのひらが震えているのに気づき、慌ててもう一方の手で押さえ込んだ。間違いなく、あれはアニマ吸収の術を発現させた時の彼女だった――


「ノイシュ君……君は彼女のこの様な姿を、今まで見たことがあるかい」

「……はい。さきの戦いの時に一度だけ……でも、ここまではっきりと見たのは初めてで……っ」

 思わずノイシュは強く眼を閉じてかぶりを振った。つい先程まではあれほど義妹の身に起こった事を知りたいと思っていたのに、胸からり上がる今の感情は激しい忌避きひ感と後悔だった。そう、まるで彼女は……っ――


「ノイシュ……ッ」

 義妹の声がしてノイシュは顔を向けた。彼女の眼差しは恐怖と不安、そして深い憂いに満ちていた――


「ミネア君、有り難う。術を解いて結構です」

 大神官の声を聞きながらも義妹は未だこちらにまなざしを向けていたが、やがてその双眸そうぼうを閉じると燐光りんこうや肌に刻まれた模様を徐々に消失させていく――


――ミネア……ッ

 ノイシュはただ奥歯をめながら、義妹を見据えた。やがて義妹がそっと瞳を開き、被服の置かれた机に向かって歩を進めていく。彼女があれほど怯えていたのに、自分は何もできない……っ――


「……ミネア君から相談を受けた時、正直に申し上げて初めは信じられませんでした」

 不意にヨハネスの言葉を聞いてノイシュが顔を向けると、大神官が深いため息とともに俯いていくのが見えた。


「……いえ、僕もまだ信じられないくらいです。ヨハネス先生、あれは一体……ッ」

 ノイシュは大神官に一歩詰め寄ると、そこで彼の言葉を待った。沈黙が周囲を覆い、不意にこれ以上あの現象に関わってはいけないという考えが脳裏を掠めた――


「ノイシュ君、そもそもアニマとは何でしょうか」

 突然の問いに対してノイシュはとっさに答えることができず、しばし言葉を探す。

「……人の身体に宿る、霊的な力の源……学院ではそう教えられました」

 ゆっくりとヨハネスが顔を上げていく。ノイシュは視線が重なる。


「正確に言うと、アニマはあらゆる物が内在させている精神体であり、どのアニマにも必ず霊力が備わっています」  

 そして大神官がこちらを見据えながら、眼を細めた。

「……一般の人々さえ、夢寐むびの中で未来を予見したりすると言われます。君達が術士学院で行ってきた訓練も、霊力を意識的に引き出すというものだったはずです」

ヨハネスが額を手に当てると言葉を切った。ノイシュは大神官を見据え続けた。静かに言葉の続きを促す為に――


「――特に私たち大神官は、他の人々よりも大きなアニマを宿していると言われています。確かに強い霊力を引き出すことができますが、大いなるアニマは底知れない部分を秘めている反面、未知の部分も多いのです……」


 ヨハネスが額から手を下ろし、言葉を絞り出す様に告げていく――

「――例えば先ほどミネア君が発現させた、あの超高位秘術の様に……」

「超高位、秘術……――」


 すぐ隣で聞こえる少女の声にノイシュが振り向くと、そこには着替えを終えた義妹が真摯しんしな表情を大神官に向けていた。

「――アニマより引き出した霊力を、最大限に高めて唯一無二の術へと昇華しょうかさせたもの……それを私達は超高位秘術と読んでいます」

 そう告げる大神官の声に、ノイシュはそっと眼を細めた。確かにエスガルの放つ術は霊力を操るという域を超え、人のアニマまでも我がものとしていた――


「ミネア君の身体に刻まれたあの模様も、おそらく超高位秘術を発現させた際にみられる現象の一種なのでしょう……ミネア君、君はエスガル殿の術を見て、自分も出来ると思ったんだね……」

ミネアが大神官に向け、静かに頷いた。

「……はい、敵神官ははっきりと『私と同じ類術の使い手か』と申しておりました。だから、咄嗟とっさに……っ」


 そう言って義妹がこちらに視線を向けてくる。

「でもっ、私、あの時はただ夢中で……ッ」

 そこで義妹は唇を震わせると、静かにうつむいた。ノイシュはただ眼を細めながら彼女を見据えた――


――……そう、あの時僕はエスガルの超高位秘術であるアニマ吸収を全身に浴びるつもりだった……義妹の援護えんごがなければ、僕は確実に死んでいた筈なんだ……ッ―― 

「……エスガル殿がいつ、あの術を修得したのかは分かりません。しかし他者のアニマもてあそぶなど……明らかにあの超高位秘術は、禁忌きんきの術です」

ヨハネスの握る杖からきしむ音が聞こえ、不意にノイシュはさきの戦いでアニマを操るエスガルの姿を思い浮べた。あの大神官は嬉々ききとして戦士達の命を奪い、そして死霊兵しりょうへいへと変じさせていた――


「ミネア君」

 大神官の声が耳に届き、ノイシュが視線を向けると義妹もまたヨハネスに向かって顔を上げていた。その表情は硬く、瞳には不安と恐怖がい交ぜになっていた――

「今しがた述べました様に、まだアニマについてはなぞが多すぎるのです。その可能性は無限であると同時に、常に危険をはらんでいます。あの秘術は今後、絶対に発現させてはなりませんよ」

「……はい」

そっとミネアが自らの両肩を抱き、うつむいた。


――ミネア……ッ

 思わずノイシュは彼女のもとに近寄ると、その手の甲に自らのものを重ねる。そして顔をこちらに向ける義妹に対し、そっと微笑ほほえんでみせた――


「……お二人はご存じですか。アニマはもう一つ、大きな特徴があるということを……」

ノイシュが振り向くと、目を細めてこちらを見る大神官の姿があった。

「それはアニマが、いつも完全なる状態を求めているという事です」


「完全なる状態……?」

 思わずノイシュが口ずさむと、ヨハネスは大きく頷いた。

「はい。人の誕生とともにアニマは身体に内在するのですが、そのアニマは不完全な状態であると言われています。そして私達の持つ不完全なアニマはお互いを補い合うべく、他者のアニマと引き合う性質を持っています。それは時に相手を殺害までして支配しようとしたり、反対に深い愛情となって求め合う姿となって現れるのです」


――確か以前、義妹も同じ事を言っていた……

 ノイシュはそっと彼女を見やった。義妹はただ大神官の方に眼差しを向けている――

「それでも殆どの場合、両者のアニマが完全に一致することはありません。それゆえにアニマは不完全な状態のまま肉体に留まり続け、やがて寿命とともに消滅していきます。ですがもし、双方のアニマが完全に重なり合って、一つとなった時――」

 そこまで言うと、不意に大神官は背中をこちらに向けた。


「ヨハネス様……?」

 義妹が不安げな表情で大神官に声をかけた。ヨハネスの後ろ姿がどこか力なく、何かやり切れないものを抱いている様にノイシュは感じた。

「……残念ながら、その後にどうなるかは分かりません。本当のアニマを、誰も見た事はないのですから」

 ヨハネスの言葉を聞き、ノイシュは俯いた。神の代理人である彼等でさえ、アニマとは何かを知る事が出来ないのか――


「私の話は以上です。若人わこうど達よ、我々は明日にも出撃します。アニマの話は、ここまでにしましょう」

 そう言葉を切ると、ヨハネスは疲れた様に目頭を押さえたまま動かなくなった。ノイシュはそれでも助言を乞うべきか逡巡しゅんじゅんするが、ため息をとともに諦念ていねんする。


猊下げいか……本当に有難うございました」

 ノイシュは大神官に向けて礼法を取ると、隣にいる少女も同じ所作をとるのが分かった。そっと目をやると、義妹の翠眼はいつもの静謐せいひつさをたたえつつも、その色はぬぐい切れない憂いを帯びていた。


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