第Ⅱ章 ――グロム河畔の戦い 編――

第Ⅱ章 第1話 ~いつの間にか、心まで奴隷になってた~

~登場人物~


 ノイシュ・ルンハイト……本編の主人公。男性。ヴァルテ小隊の術戦士で、剣技と術を組み合わせた術剣の使い手


 ミネア・ルンハイト……ノイシュの義妹。女性。ヴァルテ小隊の術戦士で、霊力を自在に操る等の支援術の使い手







 ノイシュはゆっくりと目を開けた。

――ここは一体……?

 首を振って周囲を見渡すものの、視界の先は闇に包まれた様に暗くほとんど何も捉えられない。背中には柔らかい質感があった。干し草の様なものを包んだ亜麻布の肌触り……どうやら自分は寝床にいるようだ――


「……ノイシュ、まだ起きてる?」

 馴染みのある少女の声が耳に届き、ノイシュはそちらの方へとゆっくり手を伸ばした。温かく、柔らかい感触……それがミネアの肌だと分かった。顔を向けると、彼女の輪郭りんかく朧気おぼろげに浮かび上がった――


「うん、起きてるよ」

 ノイシュが言葉を返すと、義妹がゆっくりと頷くのが分かった。表情は上手く読み取れない――

「…さっき、一緒に私の故郷に行こうって言ってくれたこと……すごく嬉しかった。私の生まれ育った街はね、グベールって言うの」

「……グベール、か」

 そう口にした途端、ノイシュは激しい既視感に襲われた――


「ねぇ、ノイシュが寝付くまで、聞いていてくれる? 私の小さかった頃のこと」

「そういえば、ほとんど聞いてなかったよね」

――そうだ、前にもミネアと二人、こうして一緒に寄り添っていた事があった――


「お父さんはグスト、お母さんがフルダ、そして弟はフィンデルって言ってね、グベールは街といっても小さな集落だし、うちは街の中でも特に貧しかった。だからよく幼い弟を連れて粉焼き屋に出かけては、要らなくなったくずを貰ってたりして――」

ノイシュは追憶するミネアの身体を静かに抱きしめた。少女の感触が両腕に伝わる。不意に頬から涙がこぼれ、胸中で痛みを伴う柔らかい感情に震えた。全てが、あの時と同じだった。そう、僕はあの一夜の出来事を夢の中で思い出しているんだ――


「ノイシュ……?」

 ミネアの怪訝な声が肩越しに響く。

「いいんだ、続けて……」

「うん」

 そこでミネアが言葉を切る。ノイシュは少しだけ両腕に力を込めた。ここから先を、自分は殆ど覚えていない――


「……あの日、私はいつもの様に弟を連れて粉焼き屋のおじさんから屑を貰ったんだけど、その帰り道、私はあの男に会った……」

 そこでミネアは言葉を切り、しばし沈黙する。月明かりしか差さない部屋では彼女の表情はうまく判別できず、ノイシュは彼女の続く言葉を待った――


「……後ろから誰か来たと思って、振り返った直後のことだった。少し離れた所で遊んでいた弟は、私の異変に気がつかなくて……それ以来、私たちは二度と会う事はなかった」

 小さく吐き出されるため息と、小さく揺れる肩の感触。ノイシュは自分の胸が痛みとともに強く鼓動するのが分かった。そっと掌を伸ばし、義妹の後ろ髪を撫でた――


「……それからは、ずっと苦痛の日々だった。身体が細い私は、ずっと買い手がつかなくて……あの男は機嫌を損ねる度に、私を鞭で打ってきた。鎖で繋がれたまま奴隷商人とあてのない旅を続けるうち、次第に自分がどこにいるのか、どうやって逃げようか、そんなことさえ考える気力もなくなって……いつの間にか、心まで奴隷になってた――」

 ふとノイシュは強く目を閉じ、心をえぐる言葉に耐えている自分に気づいた。そうしなければ、思わず大声を挙げてしまいそうだった。そうしなければ、ようやく聞けた彼女の過去を終えてしまいそうだった――


「だからあの日、お義父さんが私を拾ってくれて、ノイシュに出会えて……本当に嬉しくて……お義父さんとノイシュには、返し切れない、返しきれなぃッ――」

 不意にミネアが泣いた。子どもの様に泣くじゃくる。ノイシュは義妹を抱き寄せた。ひたすら彼女を、温めようとした――


――僕の方こそ、君と出逢えて、本当に、本当に生きてるって……ッ――

 涙でにじむ視界がゆがみ、やがて白く溶けていくのをノイシュは感じた――


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