第Ⅰ章 第4話 ~父達との思い出~

~登場人物~


ノイシュ・ルンハイト……主人公。男性。ヴァルテ小隊の術戦士で、剣技と術を組み合わせた術剣の使い手


ミネア・ルンハイト……ノイシュの義妹。女性。ヴァルテ小隊の術戦士で、霊力を自在に操る等の支援術の使い手


マクミル・イゲル……ヴァルテ小隊の隊長。男性。ヴァル小隊の術戦士で、増強術という支援術の使い手


 ウォレン・ガストフ……ヴァルテ小隊の隊員で、戦士。男性。あらゆる術を無効化する術耐性の持ち主


 ノヴァ・パーレム……ヴァルテ小隊の隊員で、術士。女性。様々な攻撃術の使い手


 ビューレ・ユンク……ヴァルテ小隊の隊員であり、術士。また修道士でもある。女性。回復術の使い手






 頬に貼りつく漆喰しっくいを拭いながらノイシュはどうにか塗り終えた外壁を眺めた。白い外壁は夕陽を浴び、鮮やかな茜色を彩っている。


「やったな、ノイシュ」

 突然に肩を力強く叩かれ、ノイシュが慌ててを振り向くと大柄な男が笑みを浮かべていた。


「べルギムさん……本当に助かりました」

「なあに、当たり前よ」

 ベルギムは威勢の良い声を張り上げると、不意に視線を上へと向けた。


「おいっ、そっちはどうだっ」

 ノイシュが彼と同じ方向に眼を向けると、天井から頬髯ほおひげの目立つ男が顔を覗かせているのが分かった。


「こっちも大丈夫だ。天井の煉瓦レンガも敷き詰め終えたぞ」

「有り難うございます、ヨイムさんっ」

 はしごで屋根から降りていくヨイムの側へと、ノイシュは駆け寄った。


「何言ってんだ、あんなに沢山の煉瓦を買ってくれたし、これ位させてくれ」

 地に足を着けたヨイムが照れ臭そうに頭を掻いていると、ベルギムが彼の傍らへと立ち並ぶ。


「そうさ。頼りない村長なんかじゃなく、困ったら遠慮なく俺達に声をかけてくれ。それに……」

そう告げた途端、ベルギムの笑顔が消えていった。


「……とうとう、お前達も行くんだってな」

 ノイシュは彼の意図する内容に気づき、静かに頷いた。

「……はい、バーヒャルトの街を解放しに向かいます」

「そうか、お前みたいなせ腕の青二才に頼るなんて、残念だけどな……」


 不意に、ベルギムが深く頭を下げてきた。

「でも、俺達は術を使えない……だから、どうかこの国のこと、よろしくなっ」

「ベルギムさん……」

「俺からも、頼むっ」

 隣にいるヨイムもまた頭を垂れてくる。


「俺達が戦場に行っても足手まといになる。せいぜいこうやって頭を下げる事くらいしかできない……どうか妻や子供達を、敵軍の略奪から守ってくれ……っ」

「ヨイムさん……っ」

 ノイシュは胸中から込み上げてくる感情に、思わず唇を引き結んだ。


――ベルギムさんは村長の息子として、心の奥底では村の行く末を心配している筈だ……ヨイムさんだって家族を抱えているから、敵軍の侵攻が怖いのは当然なんだ――


 ノイシュは自分の胸を強く握り、目をつむった。

――僕達は戦わなきゃいけないんだ……どこまで出来るか分からないけど、この国にいる誰かを守る為にも、行かなきゃ――


「おいおい、何か言ってくれなきゃ俺達、いつまでも頭を下げっぱなしだぜ」

 不意にベルギムの声が耳に届き、ノイシュは顔を上げると慌ててかぶりを振った。

「そ、そうですよね、ごめんなさいっ」

 顔を上げたベルギムとヨイムが照れ笑いを浮かべた。


「ん……っ、何かいい匂いがするな」

 不意にヨイムがあさっての方向を見やった。

「義妹が夕食を作ってるんだと思います。良ければ、一緒にいかがですか」

 ノイシュが一歩前に進み出るが、年長の二人はゆっくりと頭を横に振った。

「いや、俺たちはこれで帰るとするよ」 

「そうだな。家族が待ってるし」


――家族、か……

 ノイシュは心の中で呟きつつ、目を細めて二人を見た。心から愛せる相手が近くにいる……それがどれだけ尊く、掛け替えのないものか、今は充分過ぎるほどよく分かった。そして自分達が守るべきものこそ、その様な人々なことも――


「じゃあな」

「……本当に、有り難うございました」

ノイシュはベルギムとヨイムの姿が小さくなるまで見送り、そして身体の向きを変えた。


 視界に映る家の様子は、今朝とは見違える様だった。すっかり下草が刈り取られた前庭へと進み、そのままノイシュは扉を開けて玄関を通っていく。さすがに天井や床は相変わらずかびや雨染みが目立つが、床に散らばっていた皿や木片は片付けられていた。そして父の形見も今はしっかりと壁に掛かっている――


――良かった、何とかこの家で一夜を明かせそうだ――

 ノイシュが台所まで歩を進めると、そこに手際よく鍋に火をかけている少女の姿があった。小気味よい音を立てて煮える中身からは香味野菜の匂いが立ち上り、容赦なく胃を刺激してくる。


――たぶん、鶏肉と野菜の汁物かな……

 ノイシュは思わず眼を細めた。学院の寄宿舎では交代制の料理当番で、義妹はこの料理をよく作っていた。


「ミネア、手伝うよ」

 ノイシュは棚からふきんを取って桶に溜まった水につけると、食卓へ向かうと清拭を行った。次に皿や匙といった食器具を取り出し、丁寧に並べ始める。程なくしてミネアが汁物を入れた鍋を運んできたので、急いでノイシュは粉焼きを籠に詰めると、鍋敷きとともに食卓へと並べていく。


「ありがとう」

 ミネアが鍋を敷布に置き、大匙でお皿に盛り付けていく。ノイシュが席に着くと、眼下のお皿から立ち上る湯気が優しく顔を撫でる。ミネアも席に着くのを見届け、互いに目配せをすると食事前の黙拝を始める――


「……いただこうか」

「うん」

 ノイシュは匙に手を伸ばし、木製の皿からすくい上げた汁を口に運んだ。野菜の旨味と香辛料の刺激を味わい、ゆっくり喉を通すと優しい温かさが五臓に広がる―― 


「……何だか、大変な一日になっちゃったね」

 そう告げて息を吐くと、ノイシュは一気に力が抜けていくのが分かった。ミネアの方に顔を向けると、彼女は静かに眼を伏せていた。

「……こんな事になってたなんてね。この家を、荒らしちゃった……」


 ノイシュは眼を細めつつ、頷いた。

「そうだね。この家には、色んな思い出があるから……」

「毎日、お義父さんや子ども達みんなとこうやって食卓を囲んだりして……その日の出来事を語り合ったり、誰のおかずが多いってけんかしたり……本当に賑やかだった」


――ミネア……

 ノイシュは胸の中がさざ波立つのを感じながら彼女を見据えた。ミネアの眼差しはどこか遠くを見ている様だった。


「……あの時は分からなかったけど、今なら思えるよ。私、幸せだったんだ、って……」

 彼女の言葉が耳に残り、ノイシュは強く奥歯を噛んだ。あんなに空腹だったのに、今は全く食べ物に手をつける気がしない。脳裏にかつて自分達が暮らしていた情景が浮かび、そしてぼやけて消えた――


「お義父さんの死亡通知が来て、もう三年なんだね……」

 ミネアがうなだれていった。まるでその感情に蓋をする様に――

「……ずっと、お義父さんのアニマを廃屋で一人にさせちゃった……私の、命の恩人なのに……」


――命の、恩人か……父さん……

 ノイシュは父と五年前の自分達の姿を思い浮かべた。


「……初めてミネアがこの家に来た日のこと、僕はよく覚えてるよ。君の肩に手を置きながら、父さんが『今日からお前の妹だ。仲良くするんだぞ』って僕に紹介して……」

 不意にミネアが顔を上げると、呆れる様な表情をつくった。


「うん、あの時ノイシュってば私の顔を見た途端、急いで奥の洋服棚の中へ入っちゃって……」 

「だっ……だってさっ、あの時まで引き取っていた孤児はみんな男の子だったし、母さんも早くに死んじゃったし、今までうちに女の子なんて……っ」

 顔が火照っていくのを感じながらノイシュは義妹を見据えると、彼女は悪戯っぽい眼差しをこちらに向けて微笑んでいた。


「ミネア……ッ」

「ごめんね……っ」

 なおも口許を緩ませているミネアが、やがて目許を細めていく。


「あの時、行き倒れになった私を……」

 不意にミネアがうつむき、肩を震わせた。

「お義父さんが……拾ってくれなかったら……きっと……私、死んでいた……っ」

 ミネアの言葉が震えて、嗚咽していく。

「……お義父さん、ありがとう……おかげで私……ここまで大きくなりました……っ」

 彼女のつく食卓に、一粒の涙がこぼれる。


「ミネア……」

 そこでノイシュは口を閉ざし、唇を引き結んだ。かつてそれ以上を言葉にしようとして、父にいさめられた事が脳裏をよぎった――


――ミネアの過去は、いずれ俺からお前に伝える。だから決してお前から聞くんじゃない――


「……なんか、ごめんねっ、ご飯、食べようっ」

 ミネアが涙を拭いながら微笑んでくる。ノイシュは胸に広がる痛みの鼓動を、奥歯で噛み締めた。







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