第26話 変化

 吾子が白虎の家にきてから半月程経った、如月のある日。


 今日も狛と小虎と一緒に畑に行こうと向かっていると、梅の花が咲いているのが見えた。

「あこ、これは梅という花です」

「はい!かかさまのきものでみたことあります!」

 今日も元気よく答える吾子に笑顔になると、

「あれは僕が刺繍をしたのです。そのうち、刺繍も教えますね」

「はい!ししゅう、おぼえます!」

「ああ、そうだ。せっかくだから、梅の花を白虎様に持っていきましょうか?」

「びゃっこさまにおくりものします!」

「では、畑作業が終わってから枝を持って帰りましょう」

 吾子は大きく頷いて、雪が積もる道を小走りで畑に向かった。


 今日は何を収穫しようか、とぼんやりと考えていると、吾子が小さく悲鳴を上げたのが聞こえてきた。慌てて吾子を見ると、左手の甲にひっかき傷ができていた。

「あこ、どうしました?」

「ことらとあそんでいたら、ひっかかれました」

 少し泣きそうな声で左手の甲をさすっている。

「でも、だいじょうぶです。ことらがおしえてくれた、じゅもんですぐになおります!」

 と言うと、小さな声で、

「いたいの、いたいの、とんでいけ」

 と呟いている。

(ああ、俺も子供の頃には、かかさまに言ってもらったな)

 狛は懐かしい気持ちでその光景をみていたが、一瞬、自分の目を疑う。

 寝ぼけているのか、と思って目をこすったが、

「なおりました!」

 吾子の声でそれが目の前で起こったことだと理解する。


――手の甲のひっかき傷が跡形もなく消えたことを。


 慌てて小虎を見ると、しまった、という顔をしている。

(小虎……余計なこと言っていないよな?)

 吾子に言えないことなので、小虎を睨みながら心の中で呟いた。

 

 そのあと、野菜の収穫も梅の枝折りも何事もなく済んだのに、やはり動揺していたのか、食事の準備中に包丁で右の指先をひさしぶりに切ってしまう。

 狛の小さな呻き声に吾子は反応すると、

「はく、だいじょうぶ?」

 吾子は慌てて狛の近くに行くと、

「けがした?」

 と聞く。

「ああ、でも大丈夫だから」

 と狛は言っているが、吾子は背伸びをして狛の手を見ると血が滲んているのが見えた。

 吾子は狛の右手を握ると、

「いたいの、いたいの、とんでいけ」

 と呟いた。

「……!」

 狛が驚いている間に傷が治る。

「これで、だいじょうぶ!ことらのじゅもん、やくにたつ」

 吾子は満足そうに頷くと、かまどの近くに行き、鍋の様子を見始めた。

(う~ん。あこは良かれと思ってやっているのだろうけど、そういうことはするな、と言ったほうがいいのかな?)

 狛は白虎様に相談するか……と呟きながらも、今日も厨の入口にいる小虎をひと睨みしておいた。


 朝の食事が終わり、吾子には反物を作ってもらうことにして、狛は小虎を呼び出し、白虎様の元へとむかう。

「白虎様、今よろしいですか?」

「入れ」

「失礼します」

 狛と小虎は一緒に入る。

「狛、食事の時から何か言いたそうだったな?」

 白虎は楽しそうに狛の顔を見ている。

「ええ。あこのことで報告がありまして」

 その言葉に白虎は真剣な顔になると、

「何があった?」

 狛は今朝起きたことを話すと白虎は頷き、

「ふむ。それも巫女の力のひとつだ。小虎、あこには巫女の事は話していないよな?」

 白虎に睨まれた小虎は首を竦めつつも慌てて弁明する。

「もちろん、まだ話していません。吾子のあの力は偶然見つけたことなのです」

 白虎も狛も険しい顔で小虎を見つめる。小虎はその厳しい表情にさらに委縮して、少し声が震える。

「昨日の事なのですが、私が吾子と遊んでいる時、勢いがついて、吾子の足の甲をひっかいてしまったのです。私がとっさに、あの言葉を教えたら、あっという間に傷が治ってしまったんです」

 白虎も狛も黙って聞いている。

「これは偶然なのだろう、と思ったのですが、今朝の吾子の事といい、狛様の事といい偶然とは思えなくなりました」

 小虎は2人の険しい顔を見たくなくて俯く。

 しばし沈黙が流れたあと白虎は、

「巫女の素質があると言っていないのなら、よい。身内の傷を治すくらいなら問題ない」

 狛はその言葉に声を上げる。

「いいのですか?」

 白虎は頷くと、

「あこは狛を心配して傷を治したのだろう。人を思いやる心が育ってきていることはいいことだと思わないか?」

 狛はそうだな、と思った。

「まあ、小虎は余計なことは言わないように気をつけてほしい」

 白虎は苦笑しながら、小虎に注意する。

「気をつけます」

 小虎は項垂れて返事をした。白虎は頷くと、

「……あこに初めて会ってからもう、二月(ふたつき)ほど経つか?」

 と聞いてきたので狛は頷いて、

「ええ、その位でしょうか?」

 白虎は表情を和らげながら、

「出会った頃に比べて、今は食事もできるし、村人からの暴力におびえることもなくなったので、余裕があるのかもしれない」

 それに、と白虎は少し悲しげな声で、

「ここは神のいる家だ。巫女としての素質も開花しやすいのかもしれないな」

 拍は何とも言えない気持ちでその言葉を聞いていた。 

「そうだ、狛。近頃はあこを我の背に乗せることがなくなったが、少し体が丸くなり、背も伸びたのではないか?」

 白虎の言葉に狛は頷くと、

「腕はだいぶ肉がついてきたように感じますね。村人からの暴力もなくなりましたから、青あざもなくなりましたし」

 小虎は驚き、

「そんなに酷い状態だったのですか?」

「俺が初めて会った時は顔の表情はなく、寒い時期なのに、ひざ丈の薄い着物1枚で水汲み場にきていました。それにあちこちに青あざがあって、骨が折れていないか心配しました」

 狛も白虎もその時を思い出す。

 小虎は沈痛な表情で2人の話しを聞いている。

「そうそう、村人からの暴力のせいで、俺はなかなかあこに会わせてもらえなかったのです。人を怖がるだろうからって白虎様に言われて」

 狛は苦笑しながら、思い返していた。

「あこが怖がるだろうと思ってな。初めて会った時も驚いていただろう?」

「ええ。あんな形で会うことになると思っていませんでしたが……」

 狛はあこと初めて会った、志呂が亡くなった日のことを思い出す。

「……まだ、二月(ふたつき)程なのですよね」

「そうだな……いろんなことがあったな」

 その場にいる3人がそれぞれ遠い目をして今までのことを振り返る。

「……暖かくなったら、あこを我の背に乗せて志呂の墓参りにでも行こうか」

「そうですね。庭で花を摘んで持って行きましょう」

 3人は頷くと志呂のことを思い出し、心のなかでそっと手を合わせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る