第2話 後ろ向きの英雄譚

 夏休みに入ったばかりの7月下旬。気温も湿度も高まってきた時間帯に、カナタは新幹線を降りた。不快気な顔の大人が流れていくホームの只中で、少しだけ足を止める。ギラギラと照り付ける太陽に負けないくらいキラキラした目で、初めて訪れた首都「東京」を見上げていた。ポカンと開いた口が、まんまお上りさんである。

 藍色の7分丈デニムに白のTシャツと、カナタの格好はシンプルだ。少なくとも8月いっぱいは帰る気がないため、肩に下げたスポーツバッグはそれなりに膨れている。それを担ぎなおしたカナタは、見知らぬ大都会へと自らの意思で迷い込んだ。


 駅を出て、しばらく街を歩いた。高いビルの森は、どこもかしこも宝箱。足場として使えそうなネオンや配管がそこかしこにあり、歩道や道路は立体的に入り組んでいる。電柱や街灯が密接に並び、ビルとビルの隙間は狭く、掴めそうな支柱や出っ張りも多い。土地に余裕のある地方の片田舎とは違う、圧倒的な雑多感。高空だけでどこまでも行けそうなフィールドだ。

 思わず頭の中でルートをシミュレーションしてしまい、カナタはニヤニヤが止まらなかった。


 しばらくの間ボケっと歩いたカナタは、見つけたコインロッカーに手荷物を預ける。幸か不幸か、自分のしていることが世間的に悪いことだと学べる程度には反省していたカナタは、公衆トイレで変装した。


 残念だったのはセンス。虹色に輝くスモーク入りのスキーゴーグル。小型カメラをとりつけたドクロマークが輝くヘアバンド。メタリックグレーで機械的な模様を描いた黒地のマスク。大きめのフードがついた黒のパーカーに、胸に「SEX」と書かれた灰色のプリントTシャツ。手には黒い薄手のすべり止め付き手袋。下に穿いた黒のスウェットには、でかでかとラメで「らめぇ♡」と書かれている。

 本人は心底イケてると思っているあたり、どうにも救いようがない。


 フードを被ったカナタは、手頃なビルの屋上で仁王立ちしていた。マスクの下で口角を上げ、待ちに待った空の世界を、ゴーグル越しに眺める。


 親が見れば天を仰ぐような格好で、彼は早々にビル群を駆け回り始めたのだった。






 運が悪かった。そう、どうしようもなく運が悪かったのだ。

 上京したその日のうちに、銃の横流し現場に遭遇するなんて、誰が思うだろうか。






 小休止のため、たまたま侵入した廃ビルの5階が、まさにその現場だった。ぼろぼろに崩れた打ちっぱなしのコンクリート。おそらく洋食店だったのだろう、テーブルやソファー、棚、シンクなどが乱雑に残されている。所々ガラスが割れ散っており、開け放たれた窓も多い。

 幸い、カナタの侵入口は宴席用の広めの個室の窓で、ボロボロの絨毯が着地を消音してくれた。テーブル席が立ち並ぶホールで事に及んでいた彼らからは死角になっている一角で、すぐに見つかることはなかった。

 人の気配を感じ取ったのもカナタが先。呼吸を整えるためマスクだけ外しポケットに突っ込むと、部屋の境目からこっそりと周囲を伺った。結果、その取引現場を目撃してしまったのだ。


 距離は存外近い。およそ10m程度。ヤクザのような出で立ちの大人たちが5人と、スーツ姿のサラリーマンのような大人たちが3人、計8人。背格好から顔まで、はっきりと視認できた。それぞれの風体ごとにまとまって、2mほど間を置き向かい合っている。

 不穏な空気を感じた直後、痩身そうしんを濃紺のスーツで包んだ男が、手に提げていたアタッシュケースを持ち上げた。眼鏡をかけ、髪をオールバックに撫でつけた神経質そうな男だ。いかにもエリート然としている。

 それを受け、ヤクザ側からも一人、先頭にいたラグビー選手のような体格の男が1歩前に出た。その身長は190cmほどだろうか。黒いカッターシャツと灰色のスラックスが筋肉で盛り上がり、首筋には入れ墨が見える。角刈りと三白眼も相まって、直視しかねるほどに凶悪な風貌だ。



「今回は7丁だ」



 そう言って、痩身そうしんの男がアタッシュケースを差し出した。


「ちょっと少ないんじゃないですかい?アカマツさん。先月ガサ入れした組、もう少しあったでしょうや」


 意味深なセリフと共に、筋骨隆々の男がそれを受け取った。


「押収したものをすぐに持ち出すわけがないだろう。処理が済んでほとぼりが冷めたのがコレだけだ。そう焦るな、モリタ」


 そんなセリフを、カナタは危機感を募らせながら聞いていた。内容はわからない。分からないが、決して真っ当な状況ではない。そんな焦りを覚えながらも、目を離すことはできなかった。


 アカマツと呼ばれたスーツの男がタバコに火をつけ、また別のヤクザから分厚い封筒を受け取った。確認のためか、わずかにのぞかせたその中身は現金。中学生にはなじみの薄い万札が、ぎっしりと詰まっていた。

 モリタと呼ばれたガタイのいいヤクザは、受け取ったケースを開けている。試しに取り出されたそれが拳銃だとわかった瞬間、カナタは震え上がった。


「トカレフ3にマカロフ、グロッグ、ガバメント、…これはM29か。よく持ち出せやしたね」

「言っただろう。ほとぼりが冷めた、と」


 押収当時の担当官が殉職じゅんしょくしてな、と。アカマツと呼ばれたスーツの男が締めると、札を数える音と銃を確認する音だけが場を支配する。カナタは、その音が異常なまでに恐ろしいものに感じ、冷や汗が止まらなかった。

 よもやモデルガンなんてことはないだろう。集ったメンツと場所と金の量が、そんな楽観を許さない。


 犯罪。それも組織的で大規模なものだ。


 ヤクザはスーツの男に向かって「ガサ入れ」と、そう口にした。それなりにテレビを見るカナタは、それが警察による家宅捜索のことであると、おぼろげながら認識していた。すなわち、スーツの男たちは警察、という事になる。

 ドラマのようなワンシーンと、外野から見れば興奮の一つも覚えるだろう。だが、生で見た14歳の少年の心情は、たまったものではない。




 それでもまだ序の口。彼に降りかかる本当の恐怖は、これからだった。




 最初にカナタの姿を捉えたのは、外で取引の護衛をしていたグループだった。道路を挟んだ向かいのビルから周囲を見張っていた一人が、ガラスの無い開け放たれた窓の内で取引現場を盗み見る黒っぽい人影を認め、すぐに無線で報告を入れる。

 瞬間、その場にいたヤクザの5人が一斉にカナタのいる位置へ視線を向けた。刑事であろう3人も、つられてそちらを見る。

 額につけたままだったカメラと顔を隠すためのゴーグルが、8人の男たちの視線とかち合った。



 バレた。



 そう思い至ったカナタの撤退の速さは、素晴らしいものだった。

 弾けるように反転し、すぐさまトップスピードに至る。取引をしていた8人が一斉に包囲にかかる中、カナタは脇目もふらず、侵入してきた窓からビルの外へと飛び出した。


 面を食らったのはヤクザたち。当然だ。ここは5階。外にベランダはない。飛び降り自殺にしか見えないのも道理だろう。


 しかしカナタは、持ち前のパルクール技術を駆使。窓枠を左手でつかむことで、飛び出した勢いを回転の遠心力に変換する。壁に叩きつけられる前に、外壁に巡らされた排水管へ足をつけ、その上を駆けた。


 体が右へ傾くと足場の排水管を左手でつかみ、体を斜め前へと投げ出す。タイミングを見計らって手を放し、一つ下の階の窓枠へと着地。勢いを殺さず再び壁と水平方向に跳ね、その先にあった非常用の外階段の、びた手すりへと飛びついた。そのまま振り子の要領で下半身を振り上げると、体操の鞍馬のように腰元で回転。手すりを超えて階段に足をつける。


 1足飛びに5段ほど下り、階段途中で再び手すりに飛び乗る。そのまま、今まで居たビルから階段を挟んだ向こうで2棟隣接するビルとビルの狭い隙間に飛び込んだかと思えば、フロアの境目にある僅かな出っ張りを交互に蹴り進み、誰も予想できないコースであっさりとすり抜けた。


 その先にあった電柱と電灯を交互に飛び交って2階ほどの高さまで降る。まだまだ高所ではあったものの、躊躇いなく地面へ飛び下りた。着地の衝撃を殺すための前転を一つ。勢いそのままに立ち上がると、区画向こうの死角へ走り去っていった。



 取引現場だったビルでは、窓からヤクザと刑事が顔をのぞかせながら、皆一様に目を白黒させていた。規格外にも程がある黒尽くめの所業。それを飲み込むのに苦慮している。


「なんて奴だ…!」

「見失ってねぇ奴いるか!?」

『追ってます!』

「絶対に逃がすな!取り押さえて締め上げろ!背後を割り出せ!!」


 割れた窓から身を乗り出し、逃げた人影の行方を目で追っていた警察の一人が悪態をつき、モリタと呼ばれたヤクザは、唖然としながらも周囲に潜ませた部下達に無線で追跡を指示した。

 地上で待機していた人員が3人ほど、ビル群の屹立きつりつするコンクリートのジャングルを駆け回る少年を、一斉に追い回す。

 証拠を残さないため、監視カメラを始めとした録画の類は、その一切を切っていた。奴の姿は今この場にいるメンツの記憶の中のみ。その上、奴の額にはカメラがついていたのだ。

 顔を隠し、取引現場に忍び込み、カメラで現場を抑える。ヤクザからすれば、別の組織が自分たちをめるために放った刺客としか思えなかった。

 故に、絶対に逃がすわけにはいかないと、全員が必死の形相で動き出す。




 銃を買ったヤクザと、銃を売った警察と、それを目撃した家出少年の、日陰の戦いが始まった瞬間だった。






 世間的に悪いことだと理解していた。

 衝動的に家出をした自分が愚かだったこともわかっている。



「…けど、だからってコレは無ぇだろ…!!」



 そう呟いたカナタは、息を切らせ、歯を食いしばりながら肩越しに背後を覗き見た。追いかけてくる3人のヤクザを視認。身体能力同様に視力も良かったことが災いし、その凶貌をはっきりと認識してしまった。

 一般的な中学生には縁のない、日常的に殺意をまとう人種。己の常識から外れた、ともすれば化け物とも感じるような男が3人、背後より迫る。

 そのプレッシャーに手足が震えるのを必死に抑えながら、カナタは狭い路地を必死に走った。


 裏取引とか、銃がどうとか、少年には全く興味がなかった。公表する気も、首を突っ込む気もさらさらない。ただ趣味に没頭したかっただけなのだ。


 しかし、少年の能力と、意外と思慮深い性格と、裏社会の暴力に染まった常識が、それを許さない。


 神がいるなら滅んでしまえ。

 そう現状を呪いながら、カナタは強く、能う限り強く、絶望の一歩を踏み切った。


 以降4ヵ月に渡り、彼は類まれなる身体能力を武器に、警察から逃げ、ヤクザに立ち向かう、命がけの戦いに身を投じることになる。



 "早くおうちに帰りたい"


 少年のその願いは、しばらく叶わない。

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