第15話 晦日:暮れる年、はぐれる君へ01

 箱をひっくり返したが、中からは説明書がぱさりと落ちたのみだった。

 まずい、とは思う。薬を呑む頻度が増えているのは自覚していた。

――我慢出来る程度ならええんやけどな。

 じわりじわり、と増してくる痛み。平気な顔で生活する為には最早必要不可欠な存在、と言えるだろう。頭痛薬も同じ薬局でばかり買っていては顔を覚えられてしまうだろうし、これは少し遠くまで出なければいけないかもしれない。

「……まぁだ、大丈夫やな」

 自分に言い聞かせる。かつての自分が出来たことだ。今だって出来ないわけではないだろう。

 作れば良い。飄々とした、人を掻き回す、強くふてぶてしい男。直木三十五、のように。少し照れ屋で奥手な弱さも挟み込めば、完璧だ。大丈夫、うまくやれる。

 知っている。結局最後はひとりなのだ。だから。



「寂しがったら、あかん」



 植村宗一は、随分久しぶりにその言葉を呟いた。



***



 年末年始は目まぐるしい。つい先日までしゃんしゃんとジングルベルが鳴り響いていたかと思えば、今度は雅な年明けの音楽がそこかしこで流れている。小町通りから外れた隠れ家的カフェ『みけねこ』はと言えば、年末年始は閉めるとのことで『十二月三十一日〜一月三日休業』の知らせをドアにぺたりと貼り付け、花はふう、と一息ついた。明日は早めに店を閉めて大掃除、その後は忘年会の流れだ。

 しかし。

「あの、マスター。本当に良いんですか?」

「いいよいいよ。振る舞う人は多い方が張り合いがあるからねぇ」

 にこにこといつもの常春微笑を浮かべて頷かれる。

 店の忘年会に、花の保護者――つまりは宗一と龍一を招きたいという申し出があったのだ。この『みけねこ』で働いているのは花の他にも二人ほどいるが、双方ともに主婦であり終われば早々に帰らねばならない。前は店で忘年会なんてやってたんだけどねえ、というマスターの言葉に「今年はじゃあ皆でご飯でもしましょうよ」と花が声を掛けたのだ。この時点では遅くなると伝えておけば大丈夫だ、という調子だったのだが、ならばとそこにもう一声となったわけである。



「……ほんまにそれはええんか」

「僕達お店に何も貢献してないんだけど」



 それを伝えた時、揃って目を丸くしていたのを見て「やっぱり似てるんだよなあ、顔」と「やっぱり良いんだよなあ、顔」という感想が同時にやってきた花は、かろうじてそれらを呑み込み声となることを回避した。

「マンゴープリンの感想伝えたり、ほら龍一さんがかき氷食べに来たのとかで、ふたりのことは知ってるし、まあ私も日常生活のあれこれ話してるし」

「何話してるの花ちゃん」

「いや勿論文豪デスヨーとかそんなのは話してませんよ? いつもお迎えに来る彼はかき氷の彼でしょ? から始まっての誤解を解くところから始まっての、宗一さんのご飯美味しいとか龍一さんが梨の箱で腰痛めたとかそういう」

「待って何話してるの花ちゃん!? どうしてそんな誤解が生まれちゃってるわけ!?」

 そもそも顔面の自覚がなさすぎるのだ、このふたりときたら。

 整っている綺麗な、しかも人当たりの良い青年がカフェに迎えにやってくるとなれば、そりゃあ噂もされようものだ。案の定他のスタッフからの質問攻めにあい、更にマスター夫婦にも気遣われ、なかなかに誤解を解くのは苦労したわけだが、それをふたりに――この場合は龍一であるが――説明するのは長くなりそうなのでざっくりと話すに留めた。

「まあ、そんな訳なので。本来は大掃除後に忘年会、ってなるんだけど、今年は折角だし年越し蕎麦を振る舞いたいってマスターが」

「年越し蕎麦? カフェで?」

「実は趣味らしいです、蕎麦打ち」

「ほぉ、自分で打つんか」

 パティシエの奥様曰く、趣味の一つとして始めたらすっかりハマってしまい、一時期は一週間のうち六日が蕎麦という日もあったらしい。流石にそれは飽きると月一か客人が来た時にのみ、といった具合に規制されたとのことだった。

「まあつまりは打ちたいんやな」

「そういうことです。私達は口実なので」

「年越し蕎麦というイベントもあるし、まあ打ちたいよねえ」

 口実に協力するのはやぶさかではない。

 というわけで、忘年会兼蕎麦打ち披露会が、カフェで開催される運びとなったのだ。



***



「あらぁいらっしゃい、三人とも」

 からん、と店のドアを開けると、にこやかに微笑む初老の女性が着物に身を包み出迎えてくれた。藤色の着物に、帯は辛子色。羽織はえんじ色の絞りの柔らかそうな印象のもので、落ち着きがありながらも洗練された色の組み合わせだ。

「お邪魔します」

「僕達もいいんですか?」

 後ろから、ひょっこりと細長い二人が顔を覗かせる。

 瞬間表情がぱあっと明るくなる。あらあらまあまあ、と浮足立った声に乙女だなあ、と何処かズレた感想を抱きながら花は奥へと視線を向ける。苦笑いを浮かべるマスターと目が合い、それに苦笑いで返しておいた。奥様のはしゃぎっぷりは織り込み済、ということらしい。

 その視線のやり取りに気が付いたのか、宗一が肩をとん、とつついた。

「花、これマスターんとこ持って行ってくれへんか」

 包みを目の前にすい、と差し出される。何か大荷物を持ってきてると思ったら、そんなものを抱えてたのかと目を丸くしながら受け取る。そしてそのまま、ぱたぱたと店の奥へと向かう。

「マスター、これ。宗一さんからです」

「おや、これは……」

 驚いた後に目を細めて、テーブルに置いてその包みを開く。

 少し小さめの三段重に詰められたのは、おせち――ではなく、だし巻き卵や唐揚げ、煮物や温野菜といったおかずの詰め合わせであった。勿論申し訳程度に伊達巻やかまぼこ、なますといった正月らしいものはあるにはあるが。

「蕎麦を待つ間につまむもんの方が、ええかなと」

「有難うございます、これは楽しめそうだ」

 穏やかに笑うマスターの横に、いつの間にか着物の夫人がいて、すっとお重を再び包んでからテーブルへと運ぶ。

「それじゃ、茹で上がるまで暫しお待ち下さい。久々の客人へ振る舞うものですから、心を込めさせて頂きますね」

 ぺこりと一礼すると、そのまま奥へ入っていく。その後を藤の色が追いかけた。

「小皿とか持っていくから、待っていてね」

「あ! 私手伝います!」

 花も慌てて立ち上がった。何もしないでいるのも落ち着かない。店の中だと思うと、どんなに休みだと理解していたとしても、そわそわしてしまうのである。座ったままなんて、そんなそんな。



 小皿と箸を盆に乗せたところで「花ちゃん」と呼ばれる。

「あの二人はお酒を呑まれるのかしら?」

 そう尋ねられ、ああそうかと思い当たった。そうだった、あの人達成人してるんだった。わかってたけれども、いざ改めて聞かれると一瞬止まってしまう。

「……呑まない、ですね。家でも呑みませんし」

 記憶が正しければ、芥川龍之介も直木三十五も酒はあまり呑まないほうだ。事実、龍一も宗一も花の前では呑んだところを見せたことがないし、大体台所のゴミ箱の瓶缶用袋で酒のものを見たことがないから、今でも呑まない、呑めないと考えていいだろう。

「あらあ、じゃあお父さんにも言っておきますね。あの人、すぐお酒を勧めるから」

「あー……マスター結構呑まれるんですね? お願いします」

 あのふたり、自己主張は強い方だが人の好意で勧められたものを断るのは苦手そうだ。きっと呑んでしまうだろうというのは予想は出来たので、そう頼んでおくとそのまま二人が座る席に戻る。

 戻れば意外にも席は静かであった。ふたりとも無言で、窓の方を見ている。

――えっ、席外してた間に喧嘩でもしてた……?

 一瞬狼狽えて、足が止まる。しかし、ぼんやりしていた宗一がぽつり、と一滴の言葉を落とす。

「……綿雪、やな」

 それに、うん、と龍一が応える。

「積もるかもね」

「雪かき、しんどいやんな」

「かまくら作ろうよ、鎌倉だけに」

「ヘッタクソな洒落やなァ」

 窓の外にはちら、と白い羽根のような雪が、ふわ、ふわと降り出しているのが見える。今日は妙に冷え込むと思ったらやはりそういう雲行きだったらしい。

 そしてふたりは沈黙も、雨垂れのような会話も、自然であった。ああ、そうかと納得する。

 彼等は、そういう自然体で向き合える同士、なのだと。

「……小皿、持ってきましたよー」

 そこに、そうっと壊さないように足を踏み入れれば、揃ってふにゃりと表情を綻ばせる。

「わ、花ちゃん有難う!」

「有難うな」

 自然に迎え入れてくれる。彼等の空気の中に招かれ、妙に嬉しくなって。花はテーブルへと小皿を並べ始めた。

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