第6話 神無月:胸の中のオアシス01

 流石に十月ともなれば、秋が空気にしっかりと含まれてくる。駅の切符売り場で、じいっと路線図とにらめっこをしている細長い男は、少々目立つのかもしれない。しかし、見慣れないものは見慣れない。この時代の電車は縦横無尽に線路を巡らせていて、しっかり確認しないと目的地に辿り着くのにかなり手間取るのは明白だからだ。どこぞの誰かさんは、恐らく浮かれながら適当に切符を買って適当に乗って後で泣くに違いない、と思いながら、漸くその駅名を見つけた。

「あー……桜木町、さくらぎちょ、おっと」

 料金を確認して、宗一は販売機に硬貨を投入する。様変わりが過ぎて、つくづくあの面倒なクソ長い研修は必要なものだったのだなと実感した。紙幣や硬貨も変わり、物価も変わり。まるで別の国のようだ、とは言い過ぎだろうか。

「乗り換え、は、横浜やな。よし」

 わからなくなったら駅員を捕まえればいい。自動改札機に切符を通し、一歩駅の構内へ踏み込む。人の森の中、その姿は瞬く間に紛れていった。


 知らなければならないことを、知りに行く。その為の小さな旅だ。


***


「いや、鎌倉に引っ越したとは聞いていたけど、全然変わってなくて寧ろ安心したというか」


 褒められている気は全くしないが、彼女は褒めてる褒めてる! と笑うばかりだ。鎌倉に引っ越した、という連絡をしたのが夏が終わった後のことなので、どうして今まで知らせてくんなかったのよ! と怒られたが、夏は夏で人の生死が関わるレベルで色々と大変だったのでそれどころではなかった――と言える筈もなく。

「仕事で、くたびれちゃってさ。やっと最近人に連絡取る気になってきたとこなんだよね」

 そう返せば、皆大体黙ってくれる。この友も同様だったが、ちょっと違ったのは「お昼は奢る! 遠慮はするな!」と力いっぱい言われたことだ。まあ、うん、何かとても悪いことをしている気分にならないわけではないが、労られている気持ちを無碍にして断るのもちょっと面倒だと思い直し、花は素直にそれを受け取ることとした。


 龍一は懐古洞へ、宗一はちょっと電車に乗ってみたいと思い立ったとのことで、出かけていった。花といえば、高校時代の友人が連絡を寄越してきたので、久々に遊ぶこととなったという次第だ。鎌倉に引っ越したと話せば「観光地じゃん……?」と返されて、ああそうでしたねと間の抜けた声で頷くこととなる。わかってはいるが、日常を過ごしているとどうも観光地だという意識は薄れがちになるようで。

 待ち合わせの駅前は相変わらず人でごった返している。観光で来ている様子も見られ、そう考えるとやはりここは様々な人達が訪れる土地なのだなと実感するのだ。改札の脇に居た友人を見つけ回収すると、その手には鎌倉ガイドブックが握られている。

「いやあ、久し振りだからさあ。鎌倉って何があったっけなあって」

 彼女からすれば、この土地は『非日常』なのだ。住めば日常、であっても訪ねてくる者達がここに求めるものは『日常ではないもの』だ。自分もかつてはそうだったから、それをとやかく言うつもりはないのだけども。祖父が住んでいた場所であり、やはり日常とは一線引いた場所であっただろうことは確かだ。

「やっぱり鶴岡八幡宮は外せないよねー」

「まあご挨拶はしといた方がいいってのはあるかなぁ。私もおじいちゃんちに遊びに来てた時は毎回行ってた」

「へぇ、やっぱそうなんだ」

「おうちにお邪魔するようなもんだから。やっぱりお邪魔しますって手を合わせてたなーって。おじいちゃんも連れて行ってたしね」

 足は自然に、小町通りへと向かっていく。今日も今日とて、観光目的の人々で賑わっている。道横では人力車を引く俥夫達が、地図を片手に呼び込みをしている。また、食べ歩きのコロッケや団子、煎餅の店の前には人の列が出来始めている。活気づいた空気の中を歩いていると、くい、と袖を引かれる。

「花、まずお昼にしない? 勿論奢るからさ!」

 見れば鎌倉野菜を始めとした地元ものを使ったレストランらしい。幸い開店したばかりで、一番乗りらしい。うん、いいよと返事をすれば、意気揚々と彼女は階段を登り始めた。相変わらずパワフルだ、と笑いながら、花も後を追いかけて階段へ足を掛けたのだった。


「花、鎌倉で、おじいさんところで一人暮らしなわけ?」


 窓際のテーブルに通され、メニューを拡げながら早速問われる。確かに状況だけ聞けば、幾ら世間の世知辛さに心身ともに疲れて引きこもったところが祖父に託された古民家――というのは語弊があるのだが、家を守る為にも暮らしているという意味もあるから、間違ってはいない筈だ。うん――で一人暮らしとなると、まあ女一人となれば心配されるだろう。

 しかし、大丈夫だと言いたいが、どう言えばいいのか。

「……ひとりじゃないよ」

「えっ!? 何⁉ 同棲!?」

「どうしてそうなったの」

 飛躍が過ぎる。どう考えたら、祖父の家に男を連れ込むという思考になるのか。

「じゃあ、親御さんが一緒なの?」

「父親が動かせないよ。放置したら確実に生きていけないし」

 イトコと一緒だよ、とだけに留めておく。あの二人に触れたらあらぬ誤解を招きそうで、よろしくない。メニューへと目を向けると、ハンバーグランチやパスタランチといった、お馴染みの品揃えの写真が華やかさを添えている。確かに美味しそう、ではある。実際、味は良いのだろう。

「私この、ハンバークランチにしよっかなあ」

「じゃあアタシはパスタランチにしよー」

 会話の矛先を軽やかに他に向けさせながら、花は傍を通っていったウエイトレスに声を掛けた。あまり踏み入られるのは彼らのことでなくとも、好きではない。

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