第2話 残暑:それは憂心のはじまり02

 アイスを食べながら、暑さに三人三様に溶ける。冷房もかけるが、夜になると風が心地よく入ってくるので、時折換気を兼ねて全開にするのだ。昔懐かしの蚊取り線香やら、うちわやらが活躍する。ぱたんぱたん仰ぎながら、ふと、宗一はぼそりと言葉をこぼした。

「……俺も仕事いこかな」

「「え」」

 アイスを食べていた龍一が目をまん丸に見開き、和座卓の広い面でくったりと伏せていた花ががばり、と起き上がる。

「どうしたの、宗。悪いもの食べた?」

「宗一さん何かあった? 悪いもの食べた?」

「何で揃って同じネタなんや」

 思わず真顔になって返してしまう。

 そもそも、幾ら『生きているのが仕事、給料も出ますよ』というVIP待遇とはいえ、家主である花が緩くではあるが仕事をしており、ましてや最近あの龍一までもが古本屋で店番など始めた。遠い昔はまあ、主夫生活などもしてはいたが今それが許されるのかどうかという話でもある。

「まあ、一応俺かて働かなあかんやろ。家事だけやってりゃいいもんじゃあらへんし」

「宗一さん」

 ぴしり、とやけに強い声が、言葉を遮った。

 花がひどく真面目な眼差しで此方を見ている。普段は孫みたいな感覚でついつい可愛がってしまうせいか、少々子ども扱いしがちな彼女とて成人女性である。龍一曰く「人の話聞いてないよね!?」と言われることも多い宗一だが、流石にここでそれをする程わからずやでもない。

「なんや」

 だから、言葉を促した。花は、じっくりと、噛み締めるように一言一言に、力を込める。


「……ご飯が豊かじゃないと、人は駄目になるんですよ?」


 ぐっ、と拳に力が籠もる。

「この不景気の昨今、給料も少なく家に帰れば一人、それが給料日前になればダイエットを兼ねたもやしライフです!」

「もやしライフって何」

 あの龍一に突っ込ませるとは、この家主は強い。しかし、そんなことを自覚するわけもなく、花は熱っぽく語り続ける。残暑のせいではない、彼女の過去が室温を数度上げているのだ。

「一袋十九円のもやしを買ってきて!」

「安ッ」

「袋の中に水ザッパザパに入れてもやしを軽く洗って! その中にそのままだしの素と料理酒入れてレンジでチン!」

「まってズボラ料理より更に大雑把じゃない!?」

「ズボラ言うてもちゃんとしてるからアレはズボラ違うけどな」

 しかし、これはズボラ以前の問題である。いやもやしは悪くない。美味しい。わかる。しかも安い。それもわかる。だがしかし、問題はそこではないのである。

「そこに醤油と食べる辣油を入れてシェイクして、レンチンご飯にかけてもやし丼! いやご飯あればまだいい方でもやしだけの時もあるわけですよ!」

「おい花! あかん! 栄養が主にあかん!」

 流石に耐えきれずに突っ込んでしまうのは、食卓を任されている身だからか。

 そもそも、この世の中は豊かになったようで意外と、否、かなりシビアな面が目につく。確かに宗一――直木達の時代とて一般的な物書きの給料が良かったとは言えないが、それにしたって年頃の娘が侘しい食事をしなければならない理由にはならない。

「仕事終わって帰ったらくったくたで、作る気力がもうないんですもん」

 ぷくう、と膨れる花に思わず溜息が漏れてしまう。まあ、わかる。かつての自分も妻が仕事に出ている間は、家のことを一手にこなしていたものだ。仕事もして、家のことまで出来るとは思えなかったし、男子厨房に入らず、などくそくらえというものだ。出来ることがあるなら、やるべきだろう。

「だーから、宗一さんが家で美味しいご飯を作ってくれるっていうのは、すごいことなんですよ。私のご飯がもやしにならないんですから!」

 力強く主張されたそれに、まあ、うんせやな、としか返せない。少なくとも自分がここにいる間は、彼女の食事がもやしレベルになるのは食い止めねばならない。

「まあそうだよねえ、美味しいご飯は明日の活力、ってね。昔は胃がもう弱ってたから美味しいものも美味しいって思えないことが多かったけど。今はちゃんとわかるし、宗のご飯は本当に美味しいから助かってるよ」

 ふんにゃり、と笑う龍一にそれを言われると、少々弱い。かつての彼の心身共の衰弱ぶりを知っているだけに、返す言葉が思い浮かばない。要するに、今の価値観であれば台所が仕事場であっても良い、ということか。

 少なくとも、ふたりが喜ぶのならば、まあ。

「……ええか」

「宗一さん?」

「宗?」

 任された食費財布の中身を思い浮かべる。今月はまだ少々余裕がある、と踏んで、宗一は口を開いた。

 昔は確かに浪費も激しかったし、借金も激しかったが、今の状況、それをすれば誰に迷惑がかかるかくらいは理解しているし、それを回避する努力くらいは自分とてするし、出来るのだ。

「明日、夕飯何食いたいん? 一品ずつ好きなもん作ったる」

 瞬間、目の前の二人の表情がぱあっと華やいだ。全く、わかりやすいったらありゃあしない。

「お、オムライス! オムライスがいいです! できれば卵がとろとろなやつで!」

「僕ハンバーグがいい! 今お肉めちゃくちゃ美味しく食べられるし! じゅわってするし!」

 

 ……明日の献立は、オムライスのハンバーグ添え。あとグリーンサラダと、さっぱりとした夏野菜のコンソメスープでもつけるか――明日の買い物リストを頭に思い描きながら、宗一は冷蔵庫の中にあった卵の数を記憶の中から呼び起こしたのだった。

 

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