ショーメシ~さみしがりのふくろう編

来福ふくら

第1話 残暑:それは憂心のはじまり01

 愛嬌のある顔が、きゅる、と小首を傾げる。

 愛らしいフクロウは後輩が連れて来てくれたものだ。鶏の頭やらをあげていたせいで、不気味がられることもあったが、食べる側が喜んでいるので気にはならない。

 気になるのは、このフクロウを残して入院せねばならないだろう、ということだ。世話は頼めるだろうが、自分がここに帰ってこられるのか、それとも――

「フクや」

 すっかり痩せ細った手を伸ばし、頭を撫でる。気持ちよさそうに、目を細めるのを見て。


「ひとりでも、寂しがっちゃ駄目だぞ」


 言い聞かせるように。

 言葉は紡がれる。愛鳥へ、そしてひとりとなった自分へ。


***


 夏の夜に、秋の音色が混ざりだす。

 斎藤茂吉は珈琲の湯気に潜む香りを楽しみつつ、手帳を開いた。バーも兼業しているこのカフェは、日付変更過ぎまで営業しているので、重宝している。程よい薄暗さ、手元だけはテーブルに有る洒落たランプが照らしてくれるのもいい。

 『彼等』の期限は来年の三月末日、という文字が新しいペンのインクで書き込まれている。純粋に一年でカウントするならば一月なのだろうが、人の入れ替わりの激しい時期に引き上げる方が良いだろうという判断での延長らしい。所謂死後の世界、とやらは斎藤にとっては神々しい存在には映らなかったようだ。

 世界は人によって様々な色に映る。深く信仰している神が存在している者であればそのように映るだろうし、斎藤のように生前の世界と変わらないように映る者もいる。虚無が広がる世界に蹲る者もいれば、またこの世界に寄り添うような平行線の世界で『生きる』者もいる。それは千差万別十人十色で、だからこそ次に進むことを促す存在が必要となるのだろう。自ら立ち上がって、次を認識して歩ける者ばかりではないのだ。それは思考、感情を有すれば有するだけ困難となる。従って、その仲介役となる者は大体が人の形である。斎藤も、転生を促すための仲介役となった一人であった。

 そして、現在担当している魂はふたつ。彼等は異なる理由で先へ行く歩みを止めていて、手を焼いていたところを引き受けた。段階を踏むべきだと判断した斎藤は、とある提案を二人に持ち掛けた。兎も角『生きる』というリハビリとして、仮初の期間限定転生『お試し転生』というものである。衣住食を心配しなくていい、ただ生きていく中で心を解き、ゆっくりと生きることに慣れていって貰うのが目的だ。彼等に馴染みがある土地で、比較的刷り込みやすい環境を選び、馴染ませる。

 初めての試みではあったが、七割方は成功したと言っていい。七割、というのは、一部で刷り込みが解けてしまい、彼等の存在を知られてしまったこと。又は、仮初の転生故の弱点が浮き彫りになってしまったことに関してである。しかし、それらは上手い具合にかちりとはまり、何とか乗り越えて現在に至る。

「しかし、三月となると……」

 ぱらり、と前のページを捲った斎藤の脳裏に過ぎったのは弱点――もとい、七月の出来事だった。

 仮初の転生を経て所謂リハビリ生活をしている彼等にとって『命日』は鬼門だ。魂が一番剥離しやすくなり、不安定となる。一歩間違えば魂に深刻な傷を刻みかねないし、次への正規の転生が危うくなる程のダメージを負うこととなる。そうなれば、魂は朽ちるしかない。

 延長は、彼等のうちひとりがその弱点に晒される、という状況が再来することを意味していた。

 一回目はまだ環境に慣れていない状態で、慌ただしいままに過ぎていった。事実本人がそれを忘れていたくらい、である。寧ろ今でも意識していないかもしれない。なにぶん、人のことは気にするくせに自分のことに関しては無頓着に近い。なまじ魂だけの状態であった時からして、生命力が強いのだからタチが悪いというものだ。

 ジャズが流れるその隙間を、カリカリと微かな音がすり抜けて消えていった。斎藤の手帳は、様々な文字で白いページが埋まっていく。予定、日記、そして句。人に見せるものでもないそれは、いつも上着の胸ポケットに収められていて、今日もまた真白の上をペン先が滑らかに走る。

 そのペンに、時折ほわほわと微かな光がまとわりついてくるのだが、それはテーブルを照らすランプの光に溶け込み、他の人達の目につくことはない。いけませんよ、と斎藤は微苦笑を浮かべた。

「貴方が心配性なのはわかりましたから。気付かれないようにして下さいね?」

 精霊牛に乗って帰る筈だったそれは、寸前でぴたり、とその足を止めた。まだ帰らない、まだまだ、まだまだだよ! と急に甲高い声で駄々を捏ね始めたものだから、斎藤はひどく手を焼いたものだ。次に行くまでには間がある。何とかもう少しの間と、許可が取れたのは奇跡と言っていいだろう。次の根城に魂が完全に定着するまでには三年程掛かる。その間であれば、まだ融通は利くのだ。その代わり、斎藤から離れないことを条件に出されたわけだが。

 まあ、後々彼等の滞在が少し延長になったことを考えれば、選択としては間違っていなかったのだろう。魂だけというのは野生の勘も研ぎ澄まされるのだろうか、などとぼんやり考えながら、斎藤はペンにくるくるまとわりつく淡い光を眺めていた。

 と、向かい側に気配がすう、と立つのがわかった。

 斎藤の席は二人席だ。見上げれば、何処かで見たような顔が此方に向かって微笑していた。

「……あなたは」

 薄闇の中、シックなメロディが一際深く、響いた。この邂逅を、隠すかのように。


***


 画面に一面に広がるのは文字の波。所々を染めているのは校正の赤だ。

『花ー、ありがとねぇー! 手直しするわぁ』

 ヘッドホン越しに聞こえる母の声に、はいはい、と雑な返事をしながら花はカタカタとキーボードを鳴らした。

 佐藤花、よく学生に間違われるが成人済。年始早々派遣の仕事の契約が切れ、詰んだところでとある任務を他ならぬ実の母から請け負うこととなり、現在鎌倉暮らしとなった成人女性である。繰り返すが、断じて学生ではない。先日も駅前で予備校のパンフレットを押し付けられたが、これでも酒も煙草も許されている年齢なのである。酒はあまり呑まないし、煙草も吸うことはないのだが。

 彼女が暮らす鎌倉の家は、そも、祖父の家である。ここの主は年始に老人ホームへとその住処を移すこととなった。長年暮らし、大事にしてきた家が荒れ果てていくのも、かといって主が健在であるうちに手放すのも躊躇われる、といったところで仕事など土地にしがらみのなくなった花に白羽の矢が立ったわけだ。もしかしたら祖父が帰ってくるかもしれない、その間家を守って欲しい、と。一年の契約、そして衣食住を心配しなくていいという魅惑的な条件の元、花はここへ住むこととなった。ただ、女子の、しかも古民家の一人暮らしとなると様々な心配が上がるわけだが。

 そこに現れたのは『遠縁の親戚』であった。

『しかし羨ましいわね』

「ん?」

 ぱち、ぱち、とキーを打つ音が室内に響く。母は溜め息混じりに言葉を続けた。

『宗くんと龍くんとは、仲良く暮らせてるみたいじゃない。甘やかされてるんじゃないのお?』

 宗くん、龍くん――植村宗一、龍一。

 それが、遠縁の親戚である彼等の名前だ。

 母親が家のことを頼みながらも反面心配をしていた矢先に、利害一致の元で花を託した保護者達の名前でもあった。

 だがしかし、母は知らない。そも、遠縁の親戚などいない、ということを。

 しかしそんなことを話したところで笑い飛ばされるのがオチであるし、何よりも花が話す気が全くないわけで。

「んー、過保護かな……龍一さんは仕事帰りに駅まで迎えに来てくれるし、宗一さんはご飯が美味しい」

『はあー!? 何その羨ましい生活! お母さんもそっちに住む!』

「お父さんどうすんのよ。放置できないって言って私にお鉢回してきたんでしょ」

『そうだけどお、そうなんだけどおおおお!』

「ほらほら、チェック入れたんだからさっさと仕事戻りなよ」

『あああああ娘が優しくないわあああああああ』

 母親は主婦兼小説家で、今月末の締め切りに向けて絶賛最後の手直し段階に入っている。担当さんだっているわけだし、花は本来校正作業などしなくてもいいのだろうが、母曰く「話がちゃんと話として成立しているかも見て欲しい」だそうで、確かにその気持ちはわからないでもないから、お小遣いと引き換えに学生時代から花はずっと母の小説の一番最初の読者であった。それは、そこそこの人気を得られるようになった今でも変わらない。

『じゃあ、切るわね。宗くんと龍くんにもよろしく伝えておいて。近く遊びに行くわ』

「はーい……ああ、そうだ。お母さんあのね……聞いて欲しいことがあるんだ……いい? こんなこと話せるの、お母さんしか、いなくて……」

『ん? 何、いきなりどうしたの。聞くわよ』

 声を急に潜めた娘の声に、心配そうにヘッドホンの向こうで母も声を潜める。聞かれてはいけないような、何かを告白されるのだろうかという緊張感が、部屋に走った。


「――今日の晩御飯、鯵のたたき丼と冬瓜のそぼろ餡かけとあおさの味噌汁、なんだって」


 ちょっとおおおおおおお! という悲鳴を途中でぷちり、と切り、花はヘッドホンをかたりと机に置いた。先日お中元で貰ったブランド牛ステーキ食べ比べセットを満喫したという自慢を聞かされた、ささやかな仕返しだ。そしてパソコンの画面に打ち込まれた文字の羅列を見て、ふう、と小さく息をつく。

「なかなか進まないなあ……まあ、仕方ないか」

 開いた本に栞を挟み、画面を閉じる。自動で保存をして貰えるのは、うっかりを防げて安心だ。そのままノートパソコンをシャットダウンする。本を引き出しにしまった辺りで、戸の向こうからのんびりとした声が自分の名を呼んだ。

「はーなちゃーん。ご飯できたってー」

「あっ! はーい!」

 この残暑の厳しい中、何とか夏バテもしないで乗り切れていられるのは、この保護者達のお陰に違いない。花は、勢いよく戸を引く。部屋は申し訳程度にある廊下を挟んで、すぐ居間――つまりは食卓だ。

「お、可乃子さんと話は終わったんか?」

 盆に器を乗せて台所の方から顔を覗かせたのは宗一だ。本来は前髪を上げていたいらしいが、花達が家にいる間は下ろしていて欲しいと申し立て物理的に訴えた結果、それは聞き入れられたらしい。但し、台所に立っている時は前髪が邪魔だと不満を返されたので、花は買ってきたピンを渡したところ、文句を言いながらも使ってくれているようだ。今日もさらりとした前髪はひよこちゃんの黄色いピンで留められている。表情筋があまり仕事をしていないせいか、無愛想であるし強面にも見られがちであるが、実際は優しい面も多いし、可愛いところがあることがわかってきた。何よりも、料理が上手い。ここに来てから作れるレパートリーは格段に増えたように感じる。

「うん、よろしく伝えてって。また遊びに行くって言ってたよ」

「はー……やれやれ、なかなか手ェ抜けへんな」

「そんなこと言って、何だかんだで張り切るじゃないか」

 そう笑うのは、龍一だ。

 宗一とは対照的なふわっとした柔らかそうな髪を揺らす。その人懐っこい性格と、犬を思わせる愛嬌のある顔立ちから、癒し系のイメージが強い。台所には立たないが、掃除や洗濯など、自分の出来ることは花と分担してくれるし、在宅の仕事の他にも出入りしていた古書店で店番を始めとした仕事をするようになって、その顔の良さからちょっとした有名人になりつつある。本人は恥ずかしいし「嫌だなあ」とは言っているが、まあその顔面である以上は諦めた方がいいとは宗一と花の共通意見である。

「下手なもん花に食わせてると思われとうないやろ」

「まあ僕達任されてるしね」

 そう言いながら並べられているものは、どれも美味しいことが一目でわかるものばかりだ。

 鯵を細く切って軽く漬け込み胡麻を軽くまぶしたものを、酢飯の上に乗せた鯵の漬け丼の上には、ぱらぱらと細切りの海苔が積もっている。その横にあるのは、青緑鮮やかなあおさの味噌汁だ。更に小鉢に入っているのは刺身こんにゃくで、柚子味噌で和えてある。真ん中には優しい味わいのそぼろ餡がかかった冬瓜の煮物の大皿が置かれている。昆布と鰹の合わせだしでことことと煮た冬瓜は今が旬だ――本当に間違いがない。

「今日も本当に有難うございます、宗一さん。暑いのに全部食べられちゃいそうです」

「しっかり食べんと、バテてまうからな」

 あち、と宗一が首にかけたタオルで汗を拭う。まあ、彼等からしたら今のこの暑さはあり得ないだろうとは、思う。

 ……大正末から昭和の初めにかけての夏は、きっと人間の体温に迫る勢いの猛暑などなかっただろうから。

「お二方も、この暑さに慣れてないんですから無理しないで下さいね」

 食卓に麦茶がないことに気が付き、花は横をすり抜けて台所へと向かう。役割分担は何となく決まっているものの、他は気が付いた者がやる、というのが三人の暗黙のルールである。食器棚から、大き目のグラスを三つ取り出し氷を目一杯にいれる。そこへ、冷えた麦茶をめいっぱいに注ぎ込むのが夏にはいい。

 なんとも、はや。

 花は三つのグラスを盆に乗せながら、自分の稀有な現状況をしみじみと振り返る。

 『遠縁の親戚』という設定の元、花と同居することとなった『彼等』は、自分とは縁が遠い筈の人物達だった。遠い、昔。彼等は、ペンと原稿用紙を武器に、様々な文学を描き世に羽ばたかせた。全てが長く飛んだわけではないが、それでもその名はやがて文学賞の名として現代に継がれることとなる。

 芥川龍之介。

 直木三十五。

 そんな彼等は、お試し転生、という形でするりと日常に入り込んできた。勿論、この世の中、急に放り込まれても野垂れ死ぬのがオチなわけで。そこで、縁者として刷り込みに選ばれたのが花――の祖父であった。しかし主は家を離れ、暮らすこととなったのはその孫娘。行き先変更はないままに、珍妙な共同生活と相成ったわけである。

 流石に名前で芥川を名乗れば目立つと思ったのか、植村の姓を名乗ることにしたらしい。に、してもまあ龍一は兎も角として本名のままで乗り込んできた直木もとい植村宗一はもう少しどうにかならなかったのか、と思わないでもない。確かに、現状直木三十五という文士は名も作品も、なりを潜めてしまってはいるとはいえ、だ。

 最初は花とて混乱もしたし、こんな突拍子もない現状に頭を抱えた。が、しかし。


――まあ、こんなこと誰に言ったって信じやしないでしょ。

――それに。


 彼等は、とても温かく、そして大事にしてくれようとしていたから。

 それは初めて会った時から、花への刷り込みが解けた今もずっと変わらないから。

 だから。


――私は、あのふたりが楽しく過ごすのを見ていたいって思うんだよね。


 からん、と。

 氷がはじけた音は、何処となく楽し気な色をしていた。

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