第5話 荷物を運べ

 八人の客に廊下に出てもらい、カーマインはいま起こったことを説明した。

 トイレで人の死体らしきものが見つかったこと、しかし乗員も乗客も全員生きていること、船の航路がずれていること。

「これらのことから、この中の誰かに、地球人テロリストがすり替わっていると考えられます」

 乗客たちは、思わず互いに距離を取った。

「わ、私達は違います」夫のカカ・ニニィが恐怖した声で訴えた。「ずっと三人で一緒にいました。すり替わる機会はありません」

「我々もだ」夫のカカ・イエオも言った。「我々も、ずっと二人でいた」

「本当か?」

 船室の椅子に座ったまま、デジが聞いた。視力が低いらしく、視力矯正器具を顔に着けた壮年の男性カレスだった。

「本当に、ずっと一緒だったか? トイレにも行かなかったのか?」

「トイレくらいは行ったが……」

「なら信用できない。死体はトイレにあったんだ。トイレに隠れていたテロリストが、たまたまトイレに来た誰かと入れ替わった可能性が考えられる」

 その発言に、学生風のネイタイも同調した。

「むしろ、そうとしか考えられません。ここにいる全員が容疑者です」

 妻のポポ・イエオが反論する。

「そんなはずありません。夫が誰かとすり替わっていたら、絶対に気付きます」

「そうですよ。一人旅の者の方が怪しい」

「皆さん、落ち着いてください」

 カーマインが止めに入ると、デジが突っかかってきた。

「あんたらも怪しいぞ。トイレなら船員も使うだろう。三人のうち、誰かがテロリストとすり替わっていてもおかしくない」

 すると、ツタルタが擁護した。

「それもないと思います。だって、同僚が別人に変わっていたら、さすがに気付くでしょう? それに、テロリストには仕事の内容がわからないはず。船が滞りなく動いているってことが、入れ替わってないことの証拠です」

「いや、そうとも限りません」

 その声は、カーマインの持つ通信機から聞こえた。シジナの無感情な声だった。

「理由は二つ。まず、ワームホール内では、船はほとんど自動制御されています。だから、素人でも問題ありません」

「そうなんですか?」

「はい。次に、我々は宙運会社の人間で、日常的に宇宙へ飛んでいます。テロリストが変身するには、理想的な職業です。簡単に宇宙へ逃げられますからね。だから、脱走後の数日間で、我々のことが調べられていた可能性があります。変身しても同僚に怪しまれないように」

「それは、つまり」

 ツタルタが結論を促すと、通信機の向こうからシジナが言った。

「はい。ここにいる十一人全員に、テロリストの可能性があります」

「おい、シジナ」

「もちろん、死体がテロリストの偽装で、そいつはまだどこかに隠れているという可能性もありますが」

 そうであってほしい。乗客全員がそう思った。その考えに縋ることで、乗客たちの興奮は少し落ち着いた。

 続いて聞こえてきたのは、ヨグの落ち着いた声だった。

「それで、船長キャップ。これからどうするんだ?」

 落ち着いた大人の声がカーマインを頼ったことで、乗客たちもカーマインの指示を待つ姿勢になった。

「……まずは、航路を戻す」

「テロリストはどうする?」

「犯人探しをする気はない。危険だからな」

「どうやって航路を戻すんだ?」

「七十キログラム分の荷物を、外に捨てる。それで航路は戻るはずだ。だよな、シジナ?」

「そうですね。ただ、あまり時間はありませんよ。本来なら特異点シンギュラまであと一時間ほどですが、航路が変わったことで短くなっています」

「どのくらいだ?」

「概算ですが、四十分くらいです」

「わかった、じゃあすぐに正確な残り時間を算出してくれ。……ということで、申し訳ありませんが、皆さん、不要な荷物を提供してくださいませんか? それらを捨てて、航路を戻そうと思います」

 乗客たちは、素直にその指示に従った。

 無論、カーマイン達も不要なものをかき集めた。ワームホールを抜けるのに不要なものはすべて捨てるのだ。

 集まったのは、衣類、食料、筆記具、工具、本……などだった。

「皆さん、ご提供ありがとうございます」

 カーマインは頭を下げた。

 ヨグが機関室から、重量計を持ってきた。集まった荷物の重量を測定する。

「合計で十キロか」

「俺達が集めたのは?」

「三十キロだった」

 合計で四十キロ。七十キロには全然足りない。

「あの、ひとつ質問なのですが」

 冷静さを取り戻したツタルタが聞いた。

「荷物を捨てないと、航路って戻せないんですか? さっき、ワームホール内では自動運転していると言ってましたけど、手動運転に戻せばいいんじゃ……」

「ああ、それは……」

「自動と言ったのは、空調とか水道とかのことです」

 ツタルタの質問に答えたのは、またしても通信機の向こうのシジナだった。

「ワームホール内では、船は運転できません。ワームホールに落下した物体は、ただ特異点シンギュラに落下していくだけです。逆噴射などで入り口に戻ることは可能ですが……」

「では、そうすれば?」

 カーマインが、否定を表すジェスチャーをした。

「申し訳ありません、戻れるだけの燃料を積んでいないんです」

 重量が少ないと、通行量が安くなる。そのため、いつもギリギリまで燃料を減らしていた。地球までに必要な燃料は、地球側のワームホール港で補給する予定だった。

 ツタルタは、カーマインが取り出した携帯通信機に向かって話しかけた。

「でも、今の説明だと、何もしなくてもシンギュラには落下するんですよね? ワームホールって、シンギュラを通れば反対側に抜けられると聞いたんですが」

航路サップと言っても、進路エトーアじゃないんです。特異点シンギュラとの相対速度のことで、これは船の重量で決まります。そしてたしかに、特異点シンギュラを抜ければ勝手にワームホールの出口へ向かいますが、『いつ』に到着するかがわからないんです」

「どういう意味ですか?」

特異点シンギュラの調整には、船の重量が関わってきます。だからワームホール内で重量が変わると、出口の位置が変わってしまうんです」

「その『位置』というのは、四次元位置のことですか?」

「そうです。そして三次元位置は港で人工的に固定されていますから、変化するのは残りの一次元。つまり、時間です」

「いま俺たちが集めた荷物は合計四十キロほどだ。これを全部捨てると、どのくらい変化する?」

 カーマインもシジナを頼った。

「進入時から三十キログラム変化したってことですよね。であれば……」シジナは計算する時間を要した。「九十五%の確率で、百五十年以下の過去か未来に出ます」

 それは、孫の代か祖父母の代である。話を聞いていた乗客たちは、一様に恐怖した。

「そ、そんな未来に飛んでしまうんですか?」

「未来とは限りません。過去かもしれない。また、百五十年というのは悪いケースです。六十八%の確率で、プラスマイナス五十年以内に移動します」

「なんでそんな中途半端な確率なんだ」

正規分布エルレブ・ファンクに従うからです。一般不確定性原理により導かれる理論的な結論です」

 シジナの言わんとするところを理解できたのは、カーマインだけだった。

「簡単に言うと、現代の科学では、いつの時代に飛ぶかわからないということです」

「現代の科学というか、主流理論ですね。いくつか反論する仮説は出ていて、それらを使えば確定させることもできますが、まだあまり検証を受けた理論では……」

「黙っててくれ。とにかく、ですから、我々に出来るのは、少しでも船の重量を減らして、なるべく時間のズレを減らすことです。なので、ご協力をお願いいたします」

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