第4話 トラブル発生

 事件が起こったのは、船内時間で三十分ほど経ったときだった。

「すみません。トイレに変なものがあるのですが」

 カーマインの通信機に、乗客から通信が入った。船内には至るところに通信機が備え付けてある。緊急時に船長キャップや船内全体に連絡を取るためのもので、乗客にも船員へ連絡を取れる手段として説明してある。

 連絡を寄越したのは、一人客のツタルタだった。トイレ前の通路からである。操縦室にいたカーマインは、シジナとともに状況を尋ねた。

「変なものって、どのようなものですか?」

「わかりません。黒くて、ドロドロした……」

 排泄物ではない。行かなくては状況はわからなさそうだった。

「わかりました、今から行きますので、そこでお待ちください」

 カーマインは操縦をシジナに任せ、トイレへ向かった。

 ツタルタは通路で待っていた。フォーマルな服装が似合いそうな女性ポレスだが、旅行中なのでラフな格好をしていた。ツタルタはカーマインに気付くと、不快そうな顔でトイレの中を指差した。

「船長さん、そこの、手前側の個室です」

 この船は従業員だけが乗る前提で設計してある。トイレも質素なものだ。小さな室内に、さらに小さな二部屋が用意され、排泄物を流すための便器が一基ずつ設けられている。ちなみにヘリオト星では、トイレを男女カポで分ける慣習はない。

 カーマインは手前側の個室の扉を開けた。そこには、異様な物体が散らばっていた。

 ツタルタの述べた通り、黒くドロドロしたものとしか形容しようがない。何かを光線銃パルサーで焼いたような……。それが床や便器に飛び散っている。よく見ると、手でこすって取ろうとした跡がある。便器の中にも擦れたように残っていることから、誰かが回収して便器から流そうとしたことが窺えた。

「なんだかわかりますか?」

 後ろからツタルタが覗きこむ。不快そうだが、好奇心が勝ったようだ。

「いえ、全くわかりません……ん?」

 黒い物体の中に、青いものが見えた。手を伸ばし、それをつまみ上げる。

 三センチメートルほどの物体だ。細くて、柔らかい。それでいて、中心に硬い芯が通っているのがわかる。

 そしてそれは、カーマインにも、ツタルタにも、見慣れた物体だった。

「えっ、そ、それ」ツタルタは後ずさった。「指!?」

 人の指! 誰かが光線銃パルサーで殺された?

 カーマインはすぐに振り返り、廊下を見た。誰もいない。そしてツタルタを見た。表情に動揺が見られる。

「ツタルタさん、これを発見したとき、他に誰かいましたか?」

「い、いえっ、誰も……」

 カーマインはもう一つの小部屋を確認した。誰もいない。黒い物体も不審な点もない。

 カーマインは携帯通信機を取り出した。

「シジナ、ヨグ、聞こえるか」

「感度良好」

「問題ありません」

 二人は無事だ。

「トラブル発生だ。お客様が、トイレに人の死体のようなものを発見した」

「は?」

「これを見てくれ」

 通信機のカメラに、トイレの黒いヘドロを映した。

「これが死体か? 光線銃パルサーに焼かれた物体には見えるが」

「この塊の中に、これが埋まってた」

 手に持っていた青い指を、カメラの前に出した。

「うげっ」「うわっ」

「触った感じ、これは本物の指だ。誰かが殺されている。今から、お客様の安否を確認しに行く。君らは通信を繋げたままにしてくれ」

 携帯通信機をしまうと、カーマインはツタルタを外に出した。そしてトイレの物置から粘着テープを出すと、それで個室の扉を外から塞いだ。

「ツタルタさんは、私と一緒に船室へ行きましょう。そして部屋に入ったら、鍵をかけておいてください」

「は、はい」

 ツタルタを部屋へ送り届けると、カーマインは他の船室を確認した。

「イエオご夫婦、お気分はいかがですか?」

「ええ、大丈夫ですよ」

「突然どうされたんですか?」

「時々、ワームホール酔いされるお客様がいらっしゃるので、一度はこうして確認することにしているんです」

「ワームホール酔い? 聞いたことありませんが……」

「失礼します」

 カーマインは適当な理由をつけて、すべての船室を確認した。不審者はいない。いや、そんなことより。

 全員、生きていた。客は一人も減っていない。

 だとすると、トイレのあれは人間ではなかったということか。だがあの指は……。

船長キャップ、ひとつ報告が」

 繋いだままの通信機から、シジナの声が響いた。

「なんだ」

「航路がずれています」

 ワームホール内での航路とは、特異点シンギュラとの相対速度を指す。特異点シンギュラはワームホールの中心にあり、そこを通過すると反対側へ抜けられる。

「どのくらいだ?」

「八十ノットほど速くなってます。つまり逆算すると、七十キログラムほど船の重量が増えていることになります」

 それはちょうど、人の体重ほどだ。

 カーマインが思ったことを、シジナが無感情に言った。

「もしかして、例の地球人テロリストが、この船に乗り込んでいるのでは? そいつが誰かを殺して、変身装置カシピラですり替わっているとか」

 恐ろしい想像に、カーマインは沈黙した。

「どういうことですか?」

 後ろから声をかけられた。夫のカカ・イエオが、動揺した表情で立っていた。

「テロリストが、誰かを殺した……?」

 夫のカカ・イエオの後ろで、妻のポポ・イエオも恐怖に染まった表情で立ちすくんでいた。

 カーマインは、決断せざるを得なかった。

「……今から、皆様に状況を説明いたします」

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