第7話 殺人鬼とあやしい猫

 暗いくらい路地裏。迷路のように、道なき道が入り組んでいる場所。土地勘のないものが入れば小一時間は出てこられないようなそんな場所に一人の少女が眠っていました。

 黒と赤を基準としたセーラー服に、裾を泥や煤で汚しペンキでも零したのか、ところどころ赤黒くなっている白のコートを羽織っています。

 少女は膝を抱えて蹲り、額を足に埋めて顔を隠していました。傍にはまたもや赤黒いペンキのような跡のついた道化師の仮面が転がっています。小学校高学年から中学一年生くらいの見た目をした少女は長い黒髪を風と共に揺らめかせながら、身を縮めて丸くなり微動だにしません。


「おい黒猫、こっちから血の匂いがする」


 ほとんど真上から聞こえた声に少女は一瞬にして目覚め、道化師の仮面を懐にしまい、人が入れないような道なき道に己が体を隠します。少し出っ張った場所の裏に体を縮こませて中に入りました。

 そして気取られぬように声を殺します。

 小柄な少女だからこそ出来る芸当。と言い切れるわけもなく、普通の少女でないことだけは確かだと確信の持てる芸当。そんじゃそこらの人に、こんなことはできません。ましてや錆臭くてたまらないようなところに自ら隠れたりはしないでしょう。


「あれ?おかしいな、血の匂いはするのに血痕がねぇ」


 空から降ってくるように着地した黒い外套を被った男は、鼻を動かしながらあたりを見渡しています。

 男の体格じゃ少女のことは見つけられません。しかし男は動かしていた視線を一方向に少女が隠れている物陰に向けました。

 少女は落ち着いた様子で男が去るのを待ち、微々たる動きさえも見せません。最低限の呼吸だけを行い僅かな隙間から男の動きを探っています。


「駄犬、仕事に支障が出る前に行くわよ」


 どこからか聞こえる女性の声。おそらくは駄犬と呼ばれた男が黒猫と呼んでいた人でしょう。

 駄犬は地を蹴りました。そして獣のように建物を駆け上がっていきます。その様子を見届けてから暫く駄犬の気配が遠くにいくのを確認して物陰から出ました。

 先程自分が蹲り、そして駄犬が立っていた場所に戻ると猫の鳴き声が聞こえてきました。左右を見渡しても姿を捉えることはできず、不思議に思っていたそのとき、建物の上から月が照らしました。ちょうど少女の体半分は影に隠れます。


「…えっ?」


 少女は目を丸くしながら驚き、勢いよく空を見上げると、少女を見下ろすようにして黒いマントを被った人影が立っていました。

 気づくや否や少女は、全速力で走りその場から離れます。少し離れた所にあるビルから上へ上へと先ほどの人影がいた場所の高さまで上っていきましま。

 物陰に潜み、人が居ないかを探ります。

 少女は顔を見られた可能性を危惧して、闇討ちしようと考えていました。

 『凶殺の道化師』だと気づかれていないかもしれないからと道化師の仮面は懐にしまったまま二本のナイフを握り構えます。

 顔を物陰から出し、高低差のあるビルの屋上を端から端まで見やります。些細な動きすらも見逃さないように、人の気配を探りながら、左目に魔力を込めて探しました。


——いない……この短期間でどこに?


 少女は1分にも満たない間に15階までの高さを外壁から上っています。その間に少女の魔力探知の範囲外まで逃げ切ることはほとんど不可能に近い所業です。

 なのに、先ほど見かけた人影も駄犬と呼ばれる男も何処にもいません。気配すら感じ取れません。

 少女はビルからビルへと飛び移りました。

 隠れながら慎重に、誰にも気取られぬように、物音ひとつ立てずにビルからビルへと移動していました。

 ビル下の路地裏に佇んでいる時に見かけた人影が居たビルまで移動するも、そこには誰もいません。誰かいた痕跡すら見つけられません。

 物陰に隠れながら首を傾け、辺りを見渡します。


——逃した、かな?


 少女の背を優しく風が撫でました。


「初めまして」


 完全にいなくなったと油断していました。

 耳元で囁かれる艶やかな声に、少女は殺気を放ちながらナイフを振り翳します。

 女性は楽しげに微笑みを浮かべながら、ナイフの切先が当たらないギリギリまで後退りました。

 背後を取られていることに気づけず苛立ちを覚えている少女。確実に仕留めるため、的確に急所に狙いを定めて2本のナイフ振り回します。

 避けるばかりで攻撃して来ない女性。

 楽し気に舞うように、当たるか当たらないかの瀬戸際で避ける遊びをしているようでした。

 その遊んでるかと思うような余裕たっぷりな態度が余計に少女を苛立たせます。


「あら、短気は損気。そんなにイライラしていると視野も判断力も落ちるわよ?」

「……っち」


 少女は舌打ちを零した後、女性に問いかけました。


「……目的は?」

「目的?そんなのないけど。そうね、強いて言うなら、面白そうな子を揶揄っているだけ。かしらね?」


 女性の回答を聞き、少女は殺意が湧いてきました。


——どんな思いでこんなことをしていると……なのに、それを、面白い子を揶揄ってる?ふっざけんな異常者!


「アハハっ、怖いわ〜」


 殺意を向けられた女性は、唇に弧を描き笑っています。

 少女は確実に殺すと決意し、身体中に魔力を流しました。

 一歩踏み出すだけで石造り建物にヒビが入り、ナイフ捌きには力強さとスピードが加算されています。

 女性の浮かべる笑みから余裕が無くなりました。攻撃を躱しきれなくなり、身体のあちらこちらにナイフが掠めています。ですが、全て急所から外れ、服や薄皮一枚斬られているだけ。

 血なんて数滴垂れている程度です。


「アハハ」


 女性の唇から溢れる楽し気な笑い声。言葉通り、揶揄う以外、少女で遊ぶ以外何かする気はないような素振りを見せています。

 少女は歯をギリっと鳴らし、怒りに任せて頭部目掛けて足を蹴り上げました。

 女性はニヤリと笑い、左腕でその蹴りを受け止めました。しかし、受け止めきれずにそのまま吹き飛ばされます。その際に腕から嫌な音が聞こえました。


「あら?」


 ビルから落ちる女性を逃すまいと少女は追います。

 少女がビルから降り下を見ると、女性はこちらににっこりと優し気な笑みを浮かべていました。懐から拳銃を取り出し、二度引き金を弾きます。

 落下中だった少女は舌打ちを零して、2発の弾丸をナイフで弾き飛ばしました。


「ごめんなさい。もうしばらく遊んであげたいけど、もう時間切れ。また会いましょ?つぎはぎゾンビさん」


 少女が足に魔力を込めて着地した時、そこにはもう女性はいませんでした。

 最後に女性の声が聞こえた方向に足を進め追おうとしましたが、まるでうしろ髪を引かれたかのようにその場に留まります。

 女性は「追ってこい」と言わんばかりに気配を残しているにも関わらず、少女はその場に立ち尽くしたまま動こうとしません。

 一ミリも動かずに視線さえも動かさずに、立ち止まっています。

 数秒後にようやく左腕を動かしました。

 そっと胸元に触れると、心の臓が激しく暴れるように鼓動を打っています。そして、ゴフッっと口から多量の血が溢れ出し、その場に崩れ落ちます。

 ナイフを手放し、自身の胸元を強く握りしめ、ゴホッゴホッっと呼吸を乱しながら激しく咳き込み始めました。

 口からは涎と血を吐き出しています。

 うまく呼吸できない苦しさから、目元には涙が溜まっていました。


「……つ…ぎは…ぜたい……殺し…やる……」


 殺意に満ち溢れた瞳で少女は固く誓うのでした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る