雪の木漏れ日が待っているから

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雪の木漏れ日が待っているから

 今年もまた、華の季節がやってきた。自然の芸術が寒さに彩られる季節、結晶の形に胸が躍る季節。そんな季節がまた、巡ってきたのである。町の人達は、あまり喜んでいないけどね。僕は、この季節が大好きだった。また、彼女に会えるから。クリスマスの午後にだけ現われる、あの大好きな少女に会えるから。どうしても、喜ばずにはいられなかった。

 

 僕は学生服の上にダウンを着て、町の外れをゆっくりと歩きはじめた。町の外れには道が、僕以外には誰も歩かなそうな一本道がある。一本道の左右には雪が積もっていて、僕がそこを歩くと、それに会わせて足跡ができた。最近買ったばかりのブーツ、それが付けていく足音が。僕の歩調に合わせて、ある時には深く、またある時には浅く、雪が擦れる音と重なっては、その痕跡を一つ一つ残していった。

 

 僕は、その感触を味わった。それが示す感触は、彼女への道標だったから。靴の内側がどんなに「冷たい」と思っても、その足を決して止めずに、自分の吐きだす白い息や、遠くから聞こえる車の音や、風の音色だけを聴きつづけた。道の途中で思わず転びそうにはなったけれど。僕は身体の体勢を直して、目の前の道をまた歩きはじめた。


「ふう」


 呼吸を一つ。それに合わせてまた、あの息が漏れた。「真っ白」とまではいかなくても、景色の一部を隠してしまうような息が。一本道の景色に溶けて、それを少し見えなくしてしまった。お陰でまた、転びそうになったけどね。彼女に会うためなら、まあ仕方ない。服の雪は落せるし、靴下の湿り気も充分に耐えられる範囲だ。何も「嫌だ」と喚くような事ではない。


 俺は雪の道を踏みしめて、あの場所を黙々と目指しつづけた。あの場所に着いたのは、午後の二時頃だった。木々の間から木漏れ日が差して、それが地面の雪に当たっている時間帯。部活帰りの高校生が、友達とカラオケに入るような時間帯。そんな時間帯にたった一人、いつもの場所で彼女を待つ僕。それはきっと、(周りには)淋しい光景に見えるだろう。あるいは、嘲笑の的になるかも知れない。


 普通の男子高校生なら(それがどんな集まりであれ)、何かしらの事を楽しんでいる筈……いやいや、独りの人もいるか? 自分が望むか望まずかに関わらず、独りのクリスマスを過ごしているかも知れない。その意味では、僕も彼ら彼女らと同じ人間だった。周りの誘いも断わり、賑わう空気からも逃げて、こんなに淋しい場所へと来たのだから。彼ら彼女らの事は決して、笑えないだろう。だがそれでも、ここに行きたかった。僕の時間が、最も華やぐ場所に。


 僕はいつもの場所に立って、彼女が現われるのをまった。彼女は、すぐに現われた。雪の表面に当たっていた光が、雲か何かの影に隠れた瞬間に。僕の死角を活かして、その目の前にスッと現われたのである。


 僕は、彼女の顔を見つめた。彼女の顔はやはり、変わらない。染み一つない顔を光らせて、その頬を「クスッ」とさせている。まるでそう、今年のこれを悲しむかのように。その黒髪をなびかせては、淋しげな顔で僕の手を握りしめた。


 僕は、その手をずっと握りつづけた。


「会いたかった」


 それに「あたしも」と言ってくれたら、どんなに嬉しいだろう。だが彼女は、それを言わない。俺の気持ちは知っていても、その言葉を返してくれない。僕の手をそっと放しては、困ったように「そう」とつぶやいてくれるだけだ。「※※」


 彼女は、俯いた。それが彼女の癖だから。



「嫌だ」


 ここでもし、止めてしまったら。ただでさえ短い筈の時間が、もっと短くなってしまう。彼女とこうして、会える時間が。それが減ってしまうのは、僕にとって文字通りの孤独だった。


「絶対に止めない。来年もこうして」


「会えないよ!」


「え?」


「もう、会えないの。あたし達」


 その言葉に固まった。だって、そうだろう? あの時に聞いた話では、彼女とはまだ会える筈だし。それが急に会えなくなるなんて、ありえない。僕は胸の動揺を抑えながらも、真剣な顔で彼女の顔を見つめた。彼女の顔はやはり、いつもの微笑みを浮かべている。


が、決まった」


「うそ?」


 そんな?


「どうして? アレはまだ、ずっと先の」


「事情が変わったの」


 彼女は真面目な顔で、俺の目を見つめた。それが「自分の運命、変えようのない現実」と言わんばかりに。


「家の両親が婚約を早めた、国の跡継ぎが欲しくなって。だからもう」


「『会えない』って? ふざけんな! 君、あんな奴と結ばれるつもりなの?」


 本当に意地悪な皇子、文字通りのクソ野郎と。アイツは僕と君の功績を奪って、自分の功績に変えた一味ではないか? 彼女の住んでいた故郷、アルバ公国を救った英雄として。アルバ公国はダークエルフの侵略を受けていたが、その国王が(本人の言葉が本当なら)わらにもすがる思いで呼びだした人間、つまりは異世界人である僕を召喚し、それに一か八かの加護を与えた事で、その窮地を脱する事ができた。


 僕は「英雄」として扱われる筈、だった。少なくても、そう信じていた。そのダークエルフを滅ぼしたのは、僕と彼女の二人だったから。僕達は、最強のコンビだったから。それに疑いの余地はなかった。でも……それでも、運命はやはり残酷だった。僕達が思っていた以上に冷酷だった。


 僕達は世界を救った英雄でこそあったが、それが世の中に知られる事はなかった。僕達がアルバ公国の王、つまりは彼女の父親にそれを話した時、王が「それ」を隠してしまったからだ。世の中に真実が知られないように、そして、王国の威厳を失わないように。

 

 王は英雄の正体をでっち上げて、元々は自分の娘と婚姻関係にあった皇子、そいつが「王妃と共に世界を救った」と、そう世間に広めてしまったのである。「そうするのが、この国にとって最も良い事だ」と。王は(おそらくは、せめてもの罪滅ぼしとして)一年に一度、皇子と娘の正式な婚姻が決まるまで、僕と彼女の密会を許してくれた。


「お主の気持ちは、痛い程に分かる。我がもし、お主と同じ十一の少年ならば。初恋の終わりに喚くだろう。『そんな事は、認められない!』と叫ぶだろう。これは、それだけ」


「だったら!」


 ああもう、またこの言葉を言ってしまった。あの時と同じ、王に対する怒りの言葉を。


「どうして、こんな事を許すんですか! 僕は本気で、この子の事が好き」


「それだけでは、どうにもならない事もある。お主は確かに英雄かも知れないが、同時に異邦人でもあるのだ。禁断の魔術で呼びだした、不可思議なる存在。この世界には、ありえない存在。お主は、神の加護こそ受けたが」


「な、なんです?」


「それが我々にとっては、よろしくない。明瞭に言えば、危険な証なのだ」


 それに言葉を失ったのは、今でも覚えている。僕はその言葉を聞いて、本当に叫びかけたのだ。まるでそう、自分目の前が真っ暗になったように。


「どう、して」


「か? そんなのは、容易に分かるだろう? 力のある者は、それを良からぬ事に使う。それがたとえ、どんなに正しい事であっても。人間は、力の魔力に取りかれてしまうのだ。我は、『それ』を恐れている。お主の偉業を知る、我だからこそ」


「ふ、ふざけないでください! 僕はただ、この世界を守りたかっただけだ! 彼女が生きるこの世界を。僕は」


「最初は、無理矢理だったかも知れん。それは、今でも『すまなかった』と思う。お主に『力』を与えた事も、そして、お主と娘を引き離す事も。お主から以前に聞いた恋愛、『自由恋愛』と言う者が我らにもあったら。しかし」


「じゃ、ありません。そんな物は、壊してしまえばいいんです。そんな下らない事なんて!」


「それが危険な事なのだよ」


「え?」


「この世界の決まりを壊そうとする。それは確かに必要な事かも知れないが、今はまだその時期ではないのだ。この世界はお主が思っている以上に……いや、お主がもう知っている以上に進んでいない。伝統の知が、今でも生きている。そして、これからも。我らは、その知を守っていかなければならない。知のない世界に秩序は無いからだ。秩序無き世界は、文字通りの混沌に過ぎない。我らは進んで、その混沌を招くわけには」


「もういい!」


「うん?」


「もういいです! 結局、ここも同じだ! 大きな意見には従って、小さい考えには」


「すまない」


 そう言って、また謝るんだろう? 僕の気持ちなんて無視してさ?


「本当にすまない」


 王は僕に何度も謝って、僕から力を奪いとった。何人もの強敵を倒してきた、あの大いなる力を。今風で言うなら、「チート」と呼ばれる力を。異世界転生あるいは転移の特典を奪いかえしてしまったのである。王は天の存在に「それ」を返して、俺にも別れの挨拶を述べた。


「少年よ」


「なんです!」


「忘れなさい」


「え?」


「これはお主の、これから続く人生の一場面でしかない。お主がより大人になるための」


 ふざけている。そんな言葉に「はい」とうなずけるわけがない。彼は自分の世界に僕を、それも小学五年生の僕を呼びだした。呼びだした上に「世界を救ってほしい」とすら頼んだ。僕の意思なんかほとんど無視したクセに。


 彼は僕に勝手な理由、勝手な理屈、勝手な理想を押しつけて、その後片付けを頼んだのだ。僕が一番に欲しかったモノを取りあげて。「彼女のためなら頑張れる」と思った初恋を取りあげて。自分だけの利益を満たそうとしていたのである。それが、僕にはどうしても許せなかった。でも……。


「そう思って欲しい。我の娘も、そう思っている」


「そんな! 嘘でしょう?」


 その答えは、「本当だよ」だった。「本当にそう思っている」


 彼女は悲しげな顔で、僕の目を見つめた。僕と同じ、十一歳の瞳を潤ませて。


「あなたは、自分の世界に帰った方がいいよ? ここにいたら」


「それでもいい! それでも」


「ダメ」


「え?」


「お願い!」


 そう言われたらもう、何も言えなかった。僕は人生初の苦しみを味わっただけでなく、その冒険譚すらも捨てられて、自分の世界に帰されてしまった。



 そう、六年だ。小学校、中学校、高校と進んできた六年。あの時よりも広い世界と汚い世界を知った六年。それでも、彼女への想いは変わらなかった六年。それが今、過去の思い出になろうとしている。あの時と同じくらい理不尽な、ある意味ではもっと理不尽な思い出に。


「そんなのは」


 本当に耐えられなかった。ただでさえ苦しかった六年を「もっと苦しめ」と。それに「分かりました」なんてうなずけるわけがない。僕は真剣な顔で、彼女の手を握りしめた。


「逃げよう」


「え?」


「あの時みたいに。君と初めて会った時と」


「ダメ」


 また、それか。俺の気持ちを押しのける、ダメ。


「それはダメ、絶対。今はあの時と、あたしが王宮の教育係から逃げていた時とは違うんだよ? 『勉強なんかしていられない』って。あたしが今、逃げてしまったら」


「ど、どうなるのさ?」


いくさになる」


「そんな事で?」


「そんな事で、だよ? 理由のない婚約破棄は、戦の口実になる。それは、あなたも充分に分かっているじゃない? あっちは、こっちの世界とは違うんだよ?」


「知っているよ、そんなのは」


 知っているけど。


「それが、『何だ』って言うんだ! 変わらないなら変えればいい。壊せないなら壊せばいい。僕は……今は、何の力も無いけれど」


 僕は、自分の気持ちが抑えられなくなった。この沸々と沸きあがる、怒りの感情を。


「ねぇ、君? ここはね、本当に退屈な世界なんだ。『個性を大事にしろ』とか『自分は、自分らしく生きろ』とか言っているけど、本当はそんな事まったくない。強い奴は平気で、弱い奴を虐げているし。格差の問題は、ますます広がっているし。世の中には、誹謗と中傷が溢れている。表向きには、『愛』とか『絆』とか言っているクセにさ。その実は、真っ黒な世界なんだ。君の世界よりもたぶん、ずっと黒い。ここはね、人間の欲望が生みだした世界なんだよ。社会も、科学も、文化も、みんなみんな!」


 彼女は「それ」に押しだまったが、僕にはそんな事などどうでもよかった。それだけ今の、今の感情を叫びたかったのである。僕は空の雪がチラチラと降りはじめる中、真面目な顔で彼女の手を引っぱった。


「ここは、地獄だ」


 その答えは、無言。


「あっちの世界以上に地獄だ」


 その答えもまた、無言。


「決められた道を歩かなければ、周りの人達からつまはじきにされる。情報の真綿で首を絞められる。そんな世界はもう」


「辛い?」


「うん」


「でも、ダメ」


「どうしても?」


「どうしても。だから」


 僕は、その言葉に泣きかけた。本当は、「わっ!」と泣きたかったけど。変な意地が出て、それを「グッ」と堪えてしまった。


「悲しいね」


「うん」


「こう言う話の主人公は普通、現代でも幸せになれるんだけど。僕の場合はどうやら、違っていたみたいだ」


「うん……」


 彼女は、両目の涙を拭った。彼女もたぶん、悲しかったのだろう。肩の上に積もった雪を払う手つきは、どう見ても悲しげだった。それから「ニコッ」と笑って、髪の雪を払う仕草も。彼女は表情こそ笑っているが、その内側は僕以上に泣いていた。


「ねぇ?」


「うん?」


「ずっと前に話してくれた場所、あの山からは今も綺麗な景色が見られる?」


「見られるよ。春には桜が見られるし、夏には太陽が、秋には紅葉が、冬にはこうして雪が見られる。そのどれもが、美しい」


「そっか。なら、君の好きなラーメンは?」


「あるよ、ラーメンがこの世から消えるわけがない。アレはずっと、店のメニューに書かれている。そっちは? そっちの景色は? ずっと前に見せてもらった教会は?」


「もちろん、あるよ。ステンドグラスも、そのまま。日曜日にはね、そこで朗読会が行われる。神々の存在をうたった、朗読が」


「あの司祭はまだ、その朗読に悩んでいるの?」


「うん、今でも悩んでいる。あの人、なまりが酷いから」


「そうだったね。確かに酷かった」


「うん」


「ねぇ?」


「うん?」


「アイツの事は、嫌い?」


「……うん。いくら皇子でも、アレは酷いから。どう頑張っても、好きになれない。女癖も酷いからね。いつもチャチャチャ、頭の悪そうな女達を囲んでいるよ。本人は、それが『勲章だ』と思っているようだけどね。あたしからすれば、最低でしかない」


「それでも?」


「うん。それでも、彼に嫁ぐ。彼に嫁いで、国の平和を守る。それがあたしの生まれた理由で、これからも続く義務だから。その義務を破るわけにはいかない」


「でも?」


「でも?」


「やっぱり、辛いでしょう?」


「うん」


 彼女は「ニコッ」と笑って、足下の雪を蹴った。それをまるで、アイツに見たてるかのように。


「こうできたら、いいんだけど。現実はまあ、こんなモンだよね? ハッピーエンドは、物語の中にしかない。それに近い幸せはあるけれど」


「うん」


「ねぇ?」


「うん?」


「あたしの事は、忘れない?」


「それは、もちろん! どうやったって、忘れない。君は、僕の」


「あたしは、忘れる」


「え?」


「忘れるように努める。あなたとの冒険は、子どもの頃の思い出。あたしが一生大事にする、宝物。宝物はずっと、綺麗なままがいい」


 決定的な言葉。これ以上の失恋、「別れましょう」の言葉はない。彼女は(たぶん)目の前の僕と違って、自分からに進んでいったのだ。男子の方が意外と女々しく、女子の方は案外あっさりとしている、あの苦い世界に。男と女を隔てる世界に。彼女は異世界の住人らしく、自分と俺の間に見えない壁を作ってしまった。


「帰るね?」


 さよならはどうやら、言わないらしい。それが、唯一の救いだった。


「あなたも、帰った方がいい。ここは、ほら? とても寒いから」


「……うん」


 僕はまた、両目の涙を堪えた。ここで泣いたら、彼女に笑われてしまう。


「元気で」


「あなたも」


 彼女は「ニコッ」と笑って、僕の口にそっとキスした。そのキスが、「さようなら」を意味するかのように。


「幸せになってね」


 そっちも! 彼女にそう言いかけたが、それは叶わぬ夢だった。木々の木漏れ日に重なって、その身体が透けていく彼女。彼女は何からの言葉を呟いたようだが、それをちゃんと聞きとる事はできなかった。


 僕は、その場に立ちつづけた。彼女の匂いが残る場所に、冬の日差しが溢れる場所に。僕は横の田んぼに目をやって、その表面をじっと見はじめた。田んぼの表面には、冬の贈り物が置かれている。贈り物の上には木漏れ日が当たって、そこに「光」と「闇」の絵画を描いていた。


 僕は、その絵画を眺めつづけた。この痛みが消えるまで、頬の涙が乾くまで。そこに描かれた雪の木漏れ日をずっと眺めていたのである。


「来年も行こう」


 絶対に行こう。彼女にたとえ、会えなくなって。


「雪の木漏れ日が待っているから」

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