第19話 聖女の戦いに魔王乱入(後半)

 メグミを名乗る少女は、右も左も素手だった。

 なのにいつの間にか、右手に鉄の剣を握っている。

 ローブの中に隠していたのだろうか。

 私にはどうも、なにもない空間から剣が湧き出たように見えたのだが……激痛で頭がおかしくなったのかもしれない。


「これがゴブリン・ロードかぁ。でっかいなぁ。こっちから探す手間が省けたよ。三匹もいるのはビックリだけど、このくらいなら私抜きでも勝てそうだ」


 信じられないことに、メグミの声は余裕たっぷりだった。


「ゴオオオオオオオオアアアアアアアアアアアッ」


 腕を切断されたロードは、怒りの雄叫びを上げ、残った左腕をメグミに振り下ろす。

 危ない――その声の代わりに血が出た。

 お願い、逃げて。

 私は助けてと叫んだけど、あなたのような子供を盾にしたかったんじゃない。


「あなたたちを殺すのは、私じゃなくて猫耳族の役目なんだよねー」


 メグミの右腕が横一線に動いた。

 拳を振り下ろしたロードが吹っ飛び、背中から地面に落ちた。


「うーん。やっぱり鉄の剣じゃ駄目だなぁ」


 メグミは剣を見てボヤく。

 いや、それはもう剣とは呼べない。

 刃が根元から折れ、柄しか残っていないのだ。

 そして倒れたロードの左手は、親指以外の四本が失われていた。

 その光景から推測される事実――振り下ろされた拳にメグミが剣をぶつけ、指をまとめて斬ってしまったのだ。そして剣はメグミの力に耐えられず折れた。

 そんな馬鹿なと言いたいが、それ以外に説明しようがない。


「メグミ様。一人で先行しすぎです。なにかあったらどうするんですか」


 メグミの隣に、青い髪の少女が立つ。


「なにかって、なにさ、セシリー」


「たとえば、メグミ様と離ればなれになって寂しい私が泣いちゃう、とか?」


「そっちかい! 私じゃなくてセシリーになにかあるんかい! おー、よしよし、寂しい思いさせてごめんねー」


「わーい。メグミ様になでなでされちゃいました。私もなでなでしてあげますねー」


 仲のよい姉妹か、あるいは恋人のようにイチャつき始める少女二人。

 まったく場にそぐわない。

 だが、この二人はどこに行ってもこうなのだろうと納得させる、なにかがあった。


「ようやく追いつきましたぞ。やれやれ、ワシもかなり強くなったつもりじゃが、まだまだお二人の速さにはついていけませんなぁ。それにしても……ほほっ! ゴブリン・ロードが三匹とは絶景絶景。殺りがいがありますぞ」


 続いて、老人が現われた。シワの深さからして七十歳くらいだろう。歳を感じさせない姿勢の良さと声の張り。そして眼光の鋭さに私は怯んだ。

 老人は右手になにげなく剣を持っているが、その握り方、立ち姿……どこをとっても達人のそれだ。私は彼の威圧感に目を奪われ、猫耳族だと気づくまで数秒を有した。


「パクラ老。まるで一人で三匹とも殺しかねない口ぶりだな。我々にも譲っていただきたい。むしろ師匠として、弟子たちに試練を与えるべきだろう?」


 猫耳族が続々と現われる。

 あの壊滅したノイエ村の生き残りかもしれない。

 それにしてはロードに怯えた様子もなく、むしろ獲物を前にした肉食獣のようだった。


「なんじゃ、ファレン。ワシが一人で敵を駆逐するさまをジッと我慢して見ていろ、という試練を与えればよいのかな?」


「ご冗談。力ずくでも、その試練は回避させていただこう」


「うむ、冗談じゃ。メグミ様の一撃で転んだのと、もう一匹はワシが殺る。残る一匹をお主らで殺れ」


「一人で二匹? 欲張りすぎでは?」


「相手をよく見てから言うんじゃな。お主らは強くなったが、総出で一匹が身の丈に合っていると思わぬか?」


「……なるほど。少し、図に乗っていたようだ」


「分かるならよい。では、始めるとするか」


 いつの間にか猫耳族は二十人ほどになっていた。

 まずパクラ老と呼ばれる老人が一歩も動かずに剣を振り抜く。どのゴブリン・ロードにも届かない、完全な空振り。攻撃ではなく、ただの合図かなにかか――そう私が思った次の瞬間、ロードの一匹の胸が裂け、血で染まった。


 今のはまさか、真空斬?

 剣豪と呼ばれる者たちの中でも一人握りしか使えないという幻の技だ。

 実在するならぜひ見たいと思っていた。それをまさかこんな森の奥で、猫耳族の老人が披露してくれるなんて……これは本当に現実なのだろうか。


 続いて、ほかの猫耳族たちもゴブリン・ロードに襲い掛かる。

 パクラ老には遠く及ばないが、彼らも訓練された剣士だった。

 斬撃はあの分厚い皮膚を裂き、空けた穴に炎を浴びせて内部から焼いてしまう――。


「炎……?」


 どこからどうやって出した?

 油? 火薬? いや、そういった道具を使った様子はない。

 私には、いきなり炎の矢が空中に現われ、発射されたようにしか見えなかった。

 そもそも、この人たちの異常な身体能力はどこからきている?

 猫耳族にしたって強すぎる。

 これではまるで全員が、聖女やパラディンと同じ『身体強化の奇跡』を持っているようではないか。


「ねえ、あなた大丈夫? って……うっわ、両腕がバキバキじゃん。私だったら絶対泣いてる……よく我慢できるね」


 メグミは私の右側にしゃがみ、それから腕に手をかざした。


「今、治してあげるね。いたいのいたいのとんでけー」


 彼女が奇妙なテンポで言葉を呟くと、信じがたい現象が起きた。

 痛みが本当に消えたのだ。どこかに飛んで行ったかのように。

 なにかの薬剤で痛覚を麻痺させたのか。違う。動かせる。もとの骨格が分からなくなるくらいグシャグシャだった。それがこんなに綺麗に治っている。このメグミという少女は治癒の奇跡を宿しているのか。私が教えられていないだけで、この森に聖女が派遣されていたのか。


「反対の腕も治すねー。はい、おっけー。ふぅ、粉砕骨折の両腕を治すのはさすがに疲れるよー」


 私が知る限り、治癒の奇跡の使用には、とてつもない気力が必要らしい。あんな骨折を治したら、代償で気絶するかもしれない。

 なのにこの少女は、まだまだ余裕がありそうな笑顔を浮かべている。


「私はメグミ。こっちはセシリー。あなたは?」


「え、えっと……アストリッドと申します」


「アストリッドかぁ。危ないところだったね。怖かったでしょ。でも、もう大丈夫だよ。私の仲間はみんな強いから」


「そのようですね……」


「アストリッドも強いね。私が来るまで生きてたもん。あっちで腰が抜けてるお兄さんは旅の仲間?」


「いえ……面識はありません。襲われていたので……」


「そっか。助けようとしたんだ。敵はアストリッドより強いのに。偉いなぁ」


 そう言ってメグミは私を撫でてくれた。

 偉い?

 なにもできなかった私が?


「だって、アストリッドがいなかったら、あっちの人、殺されてたでしょ? アストリッドが頑張ったから、私たちが来るまで生きてたんだよ。頑張った! 凄い!」


 突然、涙が止まらなくなった。


「え、あれ!? 泣いちゃった!?」


「あー、メグミ様、女の子を泣かして悪い人ですねー」


「なによセシリー、私が悪いのっ? あぁ、よしよし、本当に怖かったんだねぇ」


 怖かった。

 聖女は神の奇跡を二つも授かっているから強くて当然と思われているのが怖かった。

 任務を達成して当然という扱いが怖かった。

 パラディンたちが私に頼りっきりなのが怖かった。

 ずっと怖かったことに今気づいた。


 私がなにもしなくても、猫耳族たちがゴブリン・ロードと戦ってくれている。

 メグミが言っていたように本当に強かった。

 特にパキラ老は圧倒的。

 ロードの腕を斬って、両膝を斬って、倒れたところで首を斬る。それらの動作を踊るようにこなす。二匹のロードを相手を子供扱いし、もう殺してしまった。

 これほどの剣の使い手、パラディン全体でも何人いるだろう。


「よっしゃぁ! 勝ったぞ!」


 中年の猫耳族の男が、倒れたロードの胸に剣を突き立て、勝ちどきを上げていた。

 これで三匹全て倒した――否、まだだ。

 あれでは心臓に達していない。

 ロードは立ち上がる。中年の猫耳族は悲鳴を上げて逃げ出す。


「油断をするな!」


 そう叫びながら筋骨隆々の若い猫耳族――確かファレンと呼ばれていた男が、ロードの首筋に斬撃を見舞った。

 同時に、真空斬。

 物理の刃と真空の刃が重なり、ロードの首を撥ねた。


「トドメはファレンかぁ……って、おいおい」


 メグミが呆れたような声を出す。

 首を失ったロードの死体が、こちらに向かって倒れてくる。


「やれやれ。パクラ老抜きで倒せたのは大したものですが、詰めが甘いです」


 セシリーはため息をつきながら、手のひらを死体に向ける。

 死体は止まった。

 全身を氷漬けにされたからだ。


「こ、この現象は……セシリーさんも氷の奇跡を授かっているのですか……?」


「奇跡? いいえ、これは魔法です」


 魔法。

 その言葉自体は私も知っている。しかし何百年も前に途絶えた技術のはずだ。


「さっきメグミさんが私の腕を治してくれたのも、魔法ですか……?」


「そうだよー」


「猫耳族たちがあれほどの身体能力を持っているのも?」


「うん。凄いよね、教えたら数日で使えるようになっちゃった。アストリッドにも教えてあげようか?」


「いえ。私には神の奇跡がありますから……」


「ふーん? 神の奇跡って? 武器とか防具に宿す的なやつ?」


「え? いいえ……私のこの身に宿していますよ……確かに奇跡を宿したアイテムというのもありますが……」


「ほうほう。また新しい設定が出てきたぞ。加護とは違うのかな?」


 メグミは腕を組んで、首を傾げる。

 しかし首を傾げたいのはこちらだ。

 神の奇跡を知らない人間がこの世にいるのか。なぜ途絶えたはずの魔法の使い手が森の中にこんなにもいるのか。


「さて。ゴブリン退治も終わったし、私たちの村に案内してあげる。疲れたでしょ? 美味しいフルーツが沢山あるから、食べていって」


「はあ、フルーツ……それは楽しみ……いえ! 待ってください、ゴブリンはまだいます!」


 予想を超える出来事の連続で忘れていた。

 肝心のゴブリン・キングが健在なのだ。そして、いくらメグミたちが強くても、あれには到底勝ち目はない。


「ふぅん……あ、確かに、気配があるね。挑発してみよう。ほっ!」


 一瞬だけ、メグミがゴブリン・キングを超える化物に見えた。

 呼吸を忘れるくらいの恐怖だった。


「おお、来た来た。へえ、確かにあれは強そうだ」


 二匹のロードを付き従えるキングが、木を踏みつけながら姿を見せた。


「こ、これは……今のワシでも敵わぬ! メグミ様。あなたならば勝てるのですかな……?」


「うん。いける、いける。任せておいて」


 あのパキラ老でさえ声を震わせる中、メグミは散歩のような気軽さでゴブリン・キングに近づいていく。


「いや、いくらなんでも、一人では――」


 私はメグミを連れ戻そうと腕を伸ばす。だがセシリーに止められた。


「ここで黙って見ていてください、アストリッドさん。猫耳族のみなさんもですよ。あなたがたはまだメグミ様の力を知りません。優しさは知ったでしょう。愛らしさは一目で分かるでしょう。けれど魔王メグミ様の力は、今からお見せするのでもほんの一部。さあ、ご覧あれ!」


「セシリーってば盛り上げすぎぃ。まあ、頑張りますか。――さあ、侵して溶かせ、毒の泡」


 毒々しい緑色の塊が宙に浮かび上がった。

 それらは三匹の大型ゴブリンの頭に襲い掛かり、向こうが避ける間もなく包み込んだ。

 苦痛に歪んだ唸り声が森に響き渡る。

 ゴブリン・ロード二匹はうつ伏せに倒れた。頭部はすでになかった。溶けてしまったのだ。頭部の代わりに緑の塊が地面に落る。白煙が上がり、土を融かす。

 恐ろしい溶解力。だが、それも無制限ではないらしい。

 ゴブリン・キングはいまだ倒れずにもがいている。そして緑の塊を掴んで割った。泡が弾けたように、緑の液体が飛び散り、木々や草を溶かした。


「へえ。なるほど、なるほど。このくらい強いなら、コレクションしてもいいかな。ねえアストリッド、あのゴブリンはなんて名前?」


「ゴブリン・キング、ですが……」


「ありがと。ではゴブリン・キング。魔王の名において、あなたを冥界に誘ってあげる」


 突如、大爆発が起きた。

 キングは全身を焼かれ、たまらず膝をついた。そこに晴天の空から落ちた落雷が追い打ちをかけた。キングは痙攣し仰向けに寝そべる。

 今度は地面から太い鎖が何本も伸び、キングの全身に巻き付き、拘束してしまう。

 全力でもがいているようだが、鎖は千切れない。


「冥界門、開門」


 そして、地面に闇が広がっていった。影ではない。闇だ。いくら光を当てても決して白くならないと私の本能が理解する。どこか別の世界に繋がっているかのような闇の円が、ゴブリン・キングの真下に描かれた。


 闇の中から腕が伸びた。肉も皮もない、骨だけの腕。

 それが幾本も幾本も、ゴブリン・キングを愛おしそうに抱きしめていく。


「ギィャァァァアアアアァァアアア亜亜亜亜亜亜ッ!」


 あの恐ろしいキングが、まるで赤子のように泣き叫んでいる。

 私もついさっき悲鳴を上げたからよく分かる。

 あれは恥も外聞もなく、助けを求めているのだ。

 けれど助けは現われない。

 ゴブリン・キングは駄々をこねるように手足をバタつかせながら、闇の中に消えてしまった。

 それでお終い。やがて闇の円も消えてしまう。跡形も残さない。


「どう? 私ってアストリッドから見ても強い?」


 メグミは金髪をはためかせながら振り返り、自慢げに聞いて来た。

 このかわいい少女が、あの闇を操った。

 信じられない。


「強い、ですよ。それはもう、信じがたいほどです……」


「そっか。猫耳族以外からもそう見えるんだ。なら私とセシリーは、この世界でもかなり強いってことで確定だ。ところでさ――」


 メグミはそこで言葉を切り、もったいぶった様子で言い直す。


「めーかいもんかいもん、って響き、かわいくない?」


「……はい?」


 本当にこの子が? 色んな意味で信じられない。


「メグミ様。せっかく、みんなが魔王の御前に相応しい畏怖を抱いてくれたのに。どうして自分から台無しにするんですか。もう!」


「いたっ! 後頭部にチョップはやめてよ。畏怖しろー」


「無理に決まってます。えいえいっ!」


 緊張感が消え去った。

 いけない。こんな得体の知れない人たちを相手しているのに。

 笑いを堪えるのがやっとだ。

 おお、女神メルディア様……これも試練でしょうか……。

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