現れたるは白衣の若君

 生誕祭後に設けられた二日間の休みはあっという間に過ぎていった。休暇明けの木曜日なので出勤日である。しかし源吾郎はカレンダーを眺め、休日でも良かったのではないかと思っていた。盆休みが、社会人の夏休みが目前に控えていたからだ。

 研究センターの挙動は世間のカレンダーとは少し違っていた。明日は祭日なのだが大掃除のために出勤日であり、明後日からお盆休みに入る事になっていた。祭日に出勤せねばならないという事に源吾郎は多少困惑していたが、研究センターのスケジュールであるならば従うほかない。

 

「ポッポッ、プププイッ!」


 朝の日差しを浴びながら、ホップは胸や喉を膨らませて啼いている。元気である事には違いないが、最近啼き声が少し気になってもいた。十姉妹の啼き声は「ピッ」とか「プッ」とかだと思っていたのだが、ホップは最近よく「ポッポッ……」と啼くようになっている。健康そうなので病気などではないだろうが、気になる案件ではあるので休みのうちに調べておこうと思っている。


「よしホップ、今日も俺は仕事だから、良い子にしとくんだぞ」

「プィッ!」

「あ、でもあんまりつぼ巣ばっかり壊さないでくれよ。新調したんだし」

「プピピッ」


 出勤の支度を行いつつ、源吾郎はホップに話しかける。ホップも中々マイペースなのだが、籠の中にいる時は源吾郎の声に反応して啼き返してくれる事が多い。源吾郎も何か発するたびにホップが全身を震わせて啼くのが面白いと思っていた。



 ああだこうだと考えている源吾郎であったが、結局のところ普段通りに研究センターに向かう事となった。もちろん始業時間よりも余裕がある状態で。

 研究センターのすぐ傍で居住する紅藤や青松丸もごく当然のように居合わせた。休み明けでぼんやりしているのは源吾郎くらいであり、師範も兄弟子も割と元気そうだった。そう言えば今日は一応週明けなのでミーティングがあるという。新入社員の身分ながらどんな話になるかは大体推測できた。まぁきっと先日の生誕祭の総評でも行うのだろう、と。


「皆さん、おはようございます」


 定刻。研究センターのメンバーが集まる中で、センター長である紅藤が開始の挨拶を告げる。丸テーブルを囲み、紅藤を見つめるのはいつもの面々……に見慣れぬ人影が一つ加わっていた。白ずくめの衣装を身にまとった小柄な妖物である。認識阻害の術でも行使しているのか、「白ずくめで小柄」という事以外は全くもって何も判らない。

 年齢も性別も種族も定かではないそれは、心持ち萩尾丸の近くの席に腰掛けていた。


「先日は生誕祭への出席のほど、ありがとうございました」


 源吾郎の予想通り、紅藤は生誕祭の事について言及した。第二幹部であり、頭目の母親である彼女にしてみても、生誕祭は大きなイベントになるだろう。

 紅藤は笑みを浮かべたまま言葉を続ける。


「生誕祭の終盤でちょっとした緊急会議が行われたのも、もう既にみんなご存じかもしれないわね。あ、でも心配しなくて大丈夫よ。一応、平和な方向に話は進んだから」


 平和な方向、という所で萩尾丸が顔をゆがめて俯き、口許を手で押さえる。当事者であり紅藤の妖気爆発を目の当たりにしていた彼は、何と笑いで吹き出しそうになっていたようだ。あの発言の何処に笑える要素があるのかは謎だ。というかそれで笑いかけた萩尾丸の胆力は並ではない。

 紅藤はそんな一番弟子の様子を気にするでもなく、淡々と業務内容を語っていった。明日の大掃除の段取りを言い終えると、視線を周囲に走らせる。


「……私からは以上ですけれど、他に何か連絡事項はあるかしら」

「あります、大ありです」


 ややおどけた様子で紅藤の問いに応じたのは萩尾丸だった。大げさにも彼は立ち上がり、紅藤が腰を下ろした所へと歩を進めている。謎の人影も、よく見れば萩尾丸に追従しているではないか。

 件の人影は何者なのか。目をすがめて顔を見ようとした源吾郎だったがやはりよく判らなかった。護送されるならず者よろしく相手はフードで顔を隠していた。その上認識阻害の術が行使されているのだから尚更判らない。


「今日から研究センターの、いや僕の管轄の方で新しいの面倒を見る事になったから、みんなに報告しておくよ」


 萩尾丸のこの言葉を、源吾郎は淡々と聞いていた。萩尾丸は地位の高い妖怪であり今もなお多くの妖怪を抱えている。そんな彼だから、部下が増えるという報告もそんなに目新しい事ではないように思えたのだ。

 とはいえ、わざわざ連れてきている事や、認識阻害の術を使い続けているという所は気にはなるが。


「先程紅藤様が仰った幹部会議の話と関連があるのだけれど、第八幹部の甥御殿である雷園寺雪羽君を預かる事になったんだ。今の所いつまで預かるかは決まってませんが。まぁ、少なくとも五、六年くらいは僕の許で面倒を見る事になると思ってる」


 雷園寺雪羽という名を、萩尾丸は事もなげに言ってのけた。源吾郎はそこでようやく彼の傍らに侍るのがあの雪羽であると気付いた。先程までは誰なのかははっきりしなかったが、今はそこに雪羽がいるという事は明らかだ。フードを下ろして顔を見せていた事もあるし、謎の認識阻害の術も解除されているみたいだ。

 雪羽はその端麗な面に緊張の色をにじませながら紅藤たちを見ていた。生誕祭の場で乱痴気騒ぎを起こしていた時とは顔つきがまるで違う。あの時見た雪羽は享楽的で頭の悪いクソガキにしか見えなかったが、今の表情はどうだ。物憂げで理知的な流浪のお坊ちゃまみたいな面構えではないか。

 実際雪羽は真剣な表情だった。色白ながらも頬や唇は赤味を帯びており、健康そのものと言った感じである。二日酔いに苦しんでいたと聞いていたが、もう既に酒も抜けきっているであろう事は匂いで解った。

 ただ、翠眼の下にはうっすらと隈がある。萩尾丸の許に引き取られてから何かあったのだろう。

 萩尾丸はそんな雪羽の肩に手を添えた。緊張する雪羽とは裏腹に、萩尾丸は何処か楽しそうだ。


「彼の事は僕が直々に面倒を見ようと思っているのだけどね、最初のうちは研究センターの皆とも関りがあると思うんだ。最初のうちは雑用がか、いや秘書として僕の傍にくっつけておきたいからさ。仕事に慣れれば、僕の職場の方で働く事が増えるかもしれないけれど」


――要するに、雪羽の野郎は仕事が出来ないから、珠彦たちとは一緒に出来ないって事だな。

 口には出さないままに源吾郎は密かに思った。やや意地の悪い考えである事は解っているが、雪羽が仕事妖しごとにんとしては未熟であろう事は源吾郎も見抜いていた。妖力こそ多いものの、実のところ珠彦たちよりも若くて幼いみたいだし。


「さて雷園寺君。これからしばらくの間研究センターの皆とはお世話になるんだ。軽くで良いからさ、挨拶をしてくれないかな」

「はい……」


 萩尾丸はそう言うと雪羽の肩から手を放し、一方後ろに下がる。雪羽は翠眼で周囲を一瞥し、それから意を決したように口を開いた。


「皆様おはようございます。僕は雷園寺雪羽と申します。元々は第八幹部の叔父の許で働いておりましたが、この度縁あって萩尾丸さんの所で研修を行う事になりました。

 未熟者、不束者なので皆様にはご迷惑をおかけするかもしれませんが……どうぞよろしくお願いいたします」


 雪羽少年の口から出てきた挨拶は、ごく普通にビジネスマンが口にしそうなセリフそのものだった。その事に半ば驚きつつも、源吾郎も空気を読んで拍手を送る。何度か手のひらを打ち合わせて拍手をしているうちに、雪羽もただの悪たれ小僧ではないのだと思い始めていた。認識阻害で正体を隠していた所は気になるが、それ以外の部分――立ち振る舞いや言動は堂々としている。丸二日間の萩尾丸の教育の賜物なのだろうか。いやもしかすると、こうした態度こそが雪羽の本来の姿なのかもしれない。

 そんな事をああだこうだと思っていると、雪羽に動きがあった。彼は先程まで全体を眺めていたのだが、首を動かして源吾郎の方を見やった。のみならず、半歩ばかり動いて源吾郎に近付いたくらいだ。


「そう言えば、こちらの研究センターには玉藻御前の末裔も勤務なさっていたのですね」

「……いかにも、俺が、いや僕が玉藻御前の曾孫だけど」


 おのれに視線が集まるのを感じ、源吾郎も口を開かざるを得なかった。公達よろしく雪羽は笑みを浮かべている。それが屈託のない本心からの笑みなのかは定かではないが。

 そして源吾郎の発言を聞くと、雪羽は更に笑みを深めていた。


「島崎君でしたよね。間接的とはいえ、玉藻御前の末裔と一緒に働けるとは身に余る光栄です。先も申し上げました通り、未熟者ではあるかもしれませんが、その折はどうかご指導いただければ幸いです」


 雪羽は先程以上に丁寧な口調と言葉でもって源吾郎個人に挨拶を交わしている。その言葉を聞きながら、慇懃無礼という言葉が脳裏に浮かび上がってきた。

 クソガキで悪たれ小僧の癖に猫被ってるなこいつ。源吾郎はそう思ってはいたものの、笑みと丁寧な言葉で応戦する事にしておいた。ここで本心を口にしたら、それこそまた乱闘になる危険性があるためだ。


「あはは、雷園寺家という名家中の名家の御曹司である君にそこまで過大評価してもらうとは嬉しい限りですよ。

 ええ、確かに研究センターの中では僕が先輩になるのでしょうね。ですから、困った事とか気になる事とかあれば是非とも先輩であるこの僕に、どしどし相談してください。年齢も近いし仕事面以外でも相談に乗れる事もあるかなと思いますんで」

「おお、やっぱり若い子は若い子同士でなれそうだねぇ……良かったよ。僕はもうオッサンだからさ、若い子の事とかにはちょっと疎くなっていたし」


 萩尾丸の呑気そうな声が、笑い顔のままにらみ合う源吾郎たちの鼓膜を震わせた。

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