縁故入社とリア充談義

 二人が腰かける事の出来る空きテーブルを、源吾郎と小島は運よく発見できた。二人が持つ安っぽくて白いトレイには、各々注文した飲み物なりちょっとしたお菓子なりが鎮座している。

 ちなみに二人はそれぞれ自腹で飲み物なりお菓子なりを購入していた。実は源吾郎が小島の分まで代金を支払おうと持ち掛けたのだが、小島本人から却下されていた。学生である小島の出費は負担であろうと源吾郎は気を利かせたつもりだったのだが、当の小島には厭味であると判断されてしまったらしい。


「言うてここのコーヒーもマフィンも安いんだからさ、奢ってもらうまでも無いさ」


 俺だって稼いでいるから収入もあるし。稼ぎと収入。小島が言い放ったその単語は、源吾郎が認識しているそれとは大きくかけ離れた物なのだろう。源吾郎はぼんやりと思った。


「あ、でも島崎も前と同じ所があるんだな。飲み物のチョイスとかさ」


 シロップだけを入れたアイスコーヒーを一口吸って小島は笑う。源吾郎が頼んだのはコーヒーではなくメロンソーダだ。炭酸の気泡がコップの側面にプツプツと浮かんでいる。

 メロンソーダというチョイスは源吾郎が甘党である事が理由ではある。その一方で、コーヒーやチョコレートを飲食物として選択しないのは、彼の裡に流れる妖狐の血が濃いという要因が絡んでいた。

 端的に言えば、妖狐や多くの獣妖怪にはチョコレートやコーヒーに含まれる成分の一部は危険物質になるのだ。親族らの中でも特に色濃く発現した妖怪としての特徴は、おおむね源吾郎に多くの恩恵をもたらしていた。しかし時には、このようにデメリットとして働く事もあるのだ。


「それでさ、社会人ってどんな感じなの?」


 小島はアイスコーヒーを飲むのをしばし止め、源吾郎にそっと問いかけてきた。先程源吾郎の飲み物について言及した時とは異なり、ややしおらしい態度だった。というよりも、源吾郎の様子でも窺っているのかもしれない。

 どんな感じ、か……源吾郎は小島の言葉を反芻し、おとがいを撫でた。社会人生活について面と向かって語れと言われているが、それが中々に難しい事であると今更ながら気付いた所である。源吾郎が変わったのは、やはり妖怪として暮らすようになり、また他の妖怪と訓練と言えど闘ったり力較べを行うようになった事がきっかけなのだろう。しかしそれは小島に語るべき内容ではない。彼は純然たる人間であり、しかも変化している妖怪を見抜くような能力を持ち合わせている訳でもない。妖怪の事を知らぬ人間に対して無闇に妖怪社会の話を持ち込むのはご法度なのだ。

 そうして源吾郎が思案に思案を重ねていると、小島の方が再び口を開いた。


「今だから言えるけれど、島崎が進学せずに就職するって聞いて、俺もめちゃくちゃ驚いたんだよな。うちの高校って浪人してまで進学するやつだっている位だしさ。しかも、バリバリ文系だった島崎が研究所に就職なんて……本当に、世の中何が起きるか解らんよな」

「まぁ言うて、研究所勤めと言っても縁故入社だけどね」


 多少のじれったさと好奇心がブレンドされた小島の言葉に対し、源吾郎はこともなげに応じた。縁故入社というのは便利な言葉だった。文系の源吾郎が理系の世界である研究所に就職できたという話も、この言葉で納得させる事が出来るのだから。

 それに縁故入社というのはある意味真実でもある。研究センターのあるじたる紅藤は、祖母である白銀御前の盟約にて源吾郎を弟子として迎え入れたのだから。


「縁故入社、か……」


 源吾郎の放った言葉を小島はオウム返ししている。その顔には納得と、いくばくかの羨望の色が見え隠れしていた。縁故入社という言葉が様々な感情を呼び起こす事を源吾郎もよく心得ていた。嫉妬、羨望、侮蔑、嫌悪……どちらかというと、ネガティブな感情の方が多いのだけれども。

 視線をさまよわせ考えをまとめていた小島は、ややあってから源吾郎に視線を戻した。腑に落ちたと言わんばかりの小島の眼差しは中立的な感じだった。縁故入社を知っている者としては珍しい眼差しである。源吾郎が出会う若手妖怪たちは、彼の縁故入社を良く思わない連中が多いのだ。


「ああでも、縁故って言うのもそれはそれで島崎らしいなって思うな。何かその、お前の家族って結構凄そうじゃん。お父さんも学者やってるみたいだし」

「家族を褒めてくれてありがとう。まぁ言うて、家では普通の人だけどね。父さんも兄上たちも」


 小島の言葉を源吾郎は笑って受け流した。やはり両親や兄姉らの職業や人となりとかがクラスメイト達は気になり、またすごい人ではないかと妄想を逞しくするらしい。それにしても妙だな。ソフトクリームをぱくつく源吾郎を見据え、小島はぽつりと漏らした。


「縁故入社だったらさ、会社の人からかなり優遇されて特別扱いもされて大切にされるんじゃないのかい? その割にはめっちゃ逞しくなってるし。それこそ、修羅場の一つや二つ、潜り抜けたのかと思う位にさ」


 大真面目な様子で語る小島を前に源吾郎は思わず顔をほころばせた。真面目な様子で修羅場などというとんでもない言葉が飛び出してくるのが面白く感じたのだ。


「いやまぁ縁故入社の俺が特別扱いされてるのは事実だぜ。他の一般社員よりも前途有望だからって事でに教育されてるってところでさ。うん、そういう意味では特別扱いかもしれんな」

「特別扱いって、そう言う事か……」


 すました顔で源吾郎が言うと、小島は目をしばたたかせながらもその言葉に納得しようとしていた。玉藻御前の末裔である源吾郎は、確かに紅藤や兄弟子たちから特別扱いされていると言っても良いだろう――他の妖怪たちよりも特別に高い期待を寄せているという点で。


「修羅場はちと大げさかもしれんが、それで俺が逞しくなったように見えるのかもな」


 源吾郎がそう言って締めくくると、小島は深く息を吐きながらまつ毛を揺らした。島崎も大人になったんやな。そう呟く小島の顔には、深い感慨の色が浮かんでいる。


「高校生の頃は大物になるとかビッグになるとかそんなフワッとした事しか言ってなかった島崎が堅実に就職したのも驚いたけどさ。就職してからそんなに落ち着きと貫禄と逞しさまで身に着けるなんて……やっぱり社会人ってのは大変なのかね」

「ははは、まぁ俺は俺で楽しんでるけどね」


 しんみりとした小島の言葉を受け、源吾郎は軽い調子で言ってのけた。高校時代に抽象的な野望を抱いていた源吾郎だが、就職して堅実な考えに傾いた。小島はきっとそう思っているのだろう。小島のその考えは間違いではない。源吾郎は野望に向かって動いているが、強大な力を持つ妖怪の許に弟子入りし、そこで働くという選択をした。野良妖怪として力を蓄えるなどという事と較べれば格段に堅実な方法である。


「小島。今度は小島のキャンパスライフについて教えてくれよ」


 源吾郎はやや高い声音で小島に話題を振る。就職を選んだ源吾郎ではあるが、大学生活というものに全く無関心という訳でもない。というよりも、大学デビューを果たした小島を前にして好奇心が掻き立てられた。

 大学は良いぞ。先程までしんみりとしていたのが一転し、ふやけたような笑みで小島は即答した。


「そりゃもちろん講義とかテストとかゼミとかあるけれど、おおむね自由だからさ。単位さえ落とさないように気を配っていれば、バイトで金を稼ごうがサークルに熱を入れようが特に問題はないし」


 自由という事を殊更強調し、小島は大学生活の楽しさを伝える。源吾郎のやや前のめりな姿勢を認めると、思い出したように付け足した。


「あ、それと合コンとかも出来るぜ」

「合コンだって。それマジか」


 合コン。男女が親睦を深めるためにともに飲食をする行為を示すその単語に、源吾郎は当然のように食いついた。この時ばかりは小島がどのような表情を浮かべているかも忘れていた。

 合コンという単語に過剰反応するのも、源吾郎の性質からすれば無理からぬ話だった。何せ大妖怪になるための原動力の一つがハーレム構築なのである。そんな事を割と真剣に考える程、異性にモテるか否かは源吾郎にとっては重大事項だった。女子とお近づきになれるチャンスは逃したくないというのが源吾郎の考えである。

 妖怪の女子たちでもってハーレムを構築しようと思っている源吾郎であるが、しかしだからと言って人間の女子に関心が無いという事でもない。


「お、やっぱり合コンには興味あるか」

「男子だったら誰だって合コンに興味あるだろう!」


 食い気味に言い放つ源吾郎を前に、小島は静かに笑みを見せるだけだった。


「そう言えば、週末に合コンがあるんだけど。良かったら寄ってみないかい?」

「本当か。そいつは嬉しいな」


 大学生との合コンってどんな感じだろうか。妖怪の女子を見つける可能性は低いだろうけれど、それでも垢ぬけたお洒落な女子たちとお近づきになれるし……源吾郎の意識は田舎のフードコートを離れ、週末の合コン会場に向けられていた。その脳内イメージでは、合コン会場も港町の洒落た居酒屋だったりする。大学生だからそんなものだろうと勝手に思っていたのだ。


「あ、だけどさ」


 まだ見ぬ合コン会場に源吾郎が思いを馳せていると、小島が待ったをかけようとばかりに言い添えた。何となくであるが、その声音は冷静さというか、冷え冷えとしたものがにじみ出ている。


「まだ人数が足りないから、参加するなら女の子を連れてきてほしいんだ。一人でも良いけど、二人くらい紹介出来たら嬉しいと思ってる」

「…………」


 さも当然のように紡ぎ出された小島の申し出に、源吾郎は固まってしまった。小島はこともなげに女の子を連れてこいなどと言っているが、源吾郎にはそんな伝手は無い。そもそも合コンに連れていける程仲の良い女子がいるのなら、合コンで出会いを求めなくてもいいのでは……? 正しいかどうかはさておき、源吾郎はそう思っていた。

 どうしたものかと考えこんでいると、小島がまた笑い出した。


「あ、ごめんごめん。いきなり女の子を連れて来いって言ったのはちょっと無理があるよな。そりゃそうだよな。就職したばかりだし、仕事も大変そうだからガールフレンドを作る余裕なんてないか。

 やっぱりそこは大学とは違うよな。大学だったらさ、サークルとかゼミとかでも女子と結構仲良くなれるし」


 繕うように、或いは面白がるように言い添え、小島は言葉を続けた。


「女の子と一緒に来れないなら、別に島崎一人でも構わないよ? よく考えたらさ、今度のメンバーは大学生ばっかりだし。社会人の島崎が参加してくれたら、みんな面白がって、珍しがってくれるんじゃないかな。だからさ……」

「ああすまんな、小島」


 合コンの事について小島が言い募ろうとしていたのは源吾郎も解っていた。だが敢えて途中で声を出し、彼の主張を遮った。小島の話を聞いているうちに、興が醒めてしまったのだ。女子の知り合いがいない源吾郎を面白がり、尚且つ社会人であるという事で見世物にしようとしている――そんな気配を感じ取ってしまった。


「よくよく考えたら、週末は予定が詰まってたわ。ははは、流石にバイトとかじゃあないけれど俺も社会人だしさ。だからさ、今度また暇なときに誘ってくれよ」


 そう言って源吾郎はカップに刺さるストローを無視してメロンソーダを呷った。炭酸の刺激でうっすらと涙ぐんでしまったが途中でむせるという醜態はどうにか見せなかった。

 実は小島は源吾郎の堅物度合いを揶揄した訳でもないのかもしれない。しかし、先程の小島の言動にモヤっとしてしまった事には変わりない。

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