卑弥呼とビレア

 一人の中年女性が白髪のまじる髪の毛を振り乱し紅蓮の炎の前で奇声を上げ半裸で狂ったように踊っていた。

 誰が見ても気が触れていると言うであろう。

 卑弥呼である。


 時刻は夜更け、女体や男体、獣、草木、山、川、水、雪、雷、空、雲、太陽、月、生と死、森羅万象が表面に半立体的に彫りこめられたれた巨大な土器のなかで巨大な炎は天井に届かんと燃え盛っていた。

 炎は卑弥呼以上に狂い燃えていた。

 周囲は得体のしれない匂いが充満していた。

 

「きぃええええええええええええええええええええ」


 時折、卑弥呼は奇声をさらに大きく上げた。

 卑弥呼の周りには割れた生き物の骨が足の踏み場もないほどに散乱していた。

 刃物のように割れたもの。

 獣皮や毛が焦げこびりついたまま黒ずんだもの。

 色は白いままでも火にくべすぎてカスカスに朽ちたもの。

 そして、まだその骨の主が生きていたときの形を保ったままの骨々までも。

 

 卑弥呼は思い出したようにその骨々を拾い上げると、炎にくべた。

 骨が入ると火勢はさらに増した。 

 卑弥呼の眉や髪の毛に火が燃え移らないのが不思議だった。


 パキッ!。


 炎の中で骨がぜ弾けた。

 弾け割れた骨は破片となり卑弥呼の頬や痩せた脇腹をかすめた。

 卑弥呼の頬から血がたらりと滴り落ちる。

 脇腹は小さかったがぱっくり裂けた。

 垂れた乳房に哀れなほど痩せた脇腹も傷だらけである。

 卑弥呼は、炎から弾け飛んだ骨をこれまた狂ったように急いで拾いに行った。

 炎から割れ飛び出た骨が熱くないはずもなかったが、卑弥呼はそれを平気で素手で拾った。

 竹簡や木簡を読むようにその骨を顔に近づけた。

 焼け割れた骨を持っている手の平からは嫌な匂いとともに皮膚からは煙さえ上がっていた。


『読めぬ。なにも見えぬ』


 それはただの炎にべた骨でしかなかった。

 しかも、犬の骨であった。


「御神託をお与えくださいぃぃぃぃぃ」


 卑弥呼は天を仰ぎ絶叫した。

 もう時間の感覚は卑弥呼にはなかった。

 ふらつくや大量の割れた骨の上に卑弥呼は倒れた。

 誰もがいつかは骨になるのである気に病むことではなかった。

 

 昔はこんなことはなかった。骨を火にべることさえ必要なかった。

 この方法を卑弥呼に教えたのはあの北の海の果てからやってきた鄭征ていせいと呼ばれる訛りのひどい言葉を話す男だった。

 なにかが

 言葉で言い表すのさえ難しいことだが、なにか具体的に

 のである。

 警告として周囲の者には伝えた。

 悪い予感がすると周りに訴えた。

 笑われた。

 臆病者だとそしられた。

 だが、実際そうなった。

 笑ったものもそうでないものも卑弥呼の伝えたとおりの事がその身や周囲で起きた。

 マキヒコ巻彦にも伝えた。

 気の弱い弟は姉には従順だった。姉と弟は災難を避け幸運ととくを得続けた。

 しかし、いつでもわけではなかった。

 また見たいときにわけでもなかった。

 これを<御力みぢから>と呼び出したのは国を得て女王に即位してからである。

 この力が衰える事も知らなかった。

 これが一番堪えた。

 それは、ことわりだった。誰もが歳を重ね衰える。


 どれほど時間が経ったであろう?。

 卑弥呼は刃物のように裂けた骨の上に寝たまま目をぼんやり開いた。

 巨大な森羅万象を描いた土器の中の炎はまだ盛んに燃えていた。

 炎を用意をするのはいつも修練指導女士のスルア素留亜である。

 卑弥呼はなにを燃やしているのかすら知らなかった。

 <御力みぢから>を使える巫女の中ではスルアが一番<御力みぢから>が強かった。

 <御子みこ>の修練から管理まですべてを任せていた。

 炎の灯りに照らされてもう一人の黄色い老女が自分を見ていることに卑弥呼は気づいた。

 その女は自分に似ていた。

 

「ひぃぃぃ」


 卑弥呼は悲鳴をあげ骨の欠片の上から跳ね起きた。

 自分を見つめていた老女も同じように跳ね起きた。

 なんのことはない、銅鏡に写った自分自身だった。

 半裸のやせ衰えた老女が黄色い銅鏡の中で怯えた表情をしてこちらを覗いていた。


「誰か、誰か、ビレア微麗亜を、ビレアを呼べ」


 卑弥呼は神託を得るときと同じくらいの声で叫んだ。

 神託の間の外で誰かが小さな声で返答した。

 ビレアが平身低頭し入ってきた。

 器用に割れた骨を裂けながらかしこみながら進んで来る。

 卑弥呼の前まで来ると両手を付き深々と叩頭した。


「姫巫女様、御用でしょうか?」


 呆けたような卑弥呼は小さな声で言った。


「冬の神託の宣旨会に備え身支度を多少なりとも行いたい」

「かしこまりました」


 ビレアはすぐに配下の侍女を呼びいくつかの用意をさせた。

 複数の侍女が化粧箱と薄い土器の桶をいくつか持って現れた。

 卑弥呼は単衣の裾を直そうともせず、小さくと銅鏡の前に座った。

 ビレアは北の海から伝わった毛染めを水に溶きだした。


「姫巫女様、鄭征ていせい様から頂いた新しい染料でございます。これはそれこそ子供の髪の毛のように見事に染め上がりまする」


 卑弥呼は答えなかった。髪を染めたところで若返るわけではなかった。

 口の横の豊齢線。目尻のシワ。銅鏡の中で髪だけビレアと侍女の手でどんどん黒くなっていく。

 若返る。

 さすが北の海から伝わった舶来の品である。

 鄭征ていせいも手放せない。

 

 そして、卑弥呼は今ひとつ気づいた。

 鈍い黄色いひかりを放つ銅鏡だけは優しかった。

 鈍い銅鏡は卑弥呼の細かいシミやシワを決して写さなかった。

 卑弥呼はほんの少しだけ安堵感を得た。

 この銅鏡も鄭征ていせいが邪馬台国にもたらしたものだった。

 鄭征ていせいは北の海の果ての国からこの邪馬台国にやってきて故郷には戻れぬ状態になっているという。

 卑弥呼は詳しくは知らなかった。政事まつりごとや配下の者、世事には一切興味がなかった。

 弟に任せていれば良い。

 卑弥呼は言った。


「今度の宣旨会ではいつもより銅鏡を多く準備するように」

「民草もさぞかし喜ぶことでございましょう」


 ビレアは答えた。

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