殺したい標的を守らなければ自分が死ぬ呪いにかかりました

八島えく

空色の呪い

 目の前には、やたらと背の高い男が、殺気をこれでもかとまき散らしながら立っている。

 炎を思わせる赤とオレンジのまじったような目をしたその男の手には、鋭くて細い長剣が握られていた。

 髪から服までほとんど黒一色に染め上がった彼の目は、より際立つ。


 殺気をびしびしと当てられている当人たるその男は、ぼんやりした眼差しで背高の男を眺めた。

 なるほど、今度はこの男が自分の命を欲しているのだと。


「ネイビー・ピーコックだな」


 長身痩躯の男は、よく通る低い声で訊ねた。

 訊ねたと言う割には、半ば確信を得ているかのような語尾だった。


「いかにも。私がそのピーコックだよ」

「やはりか。それではお前の命をもらう」

「……そうか」


 ネイビーは命の危険を宣告されたにもかかわらず、妙に冷静だった。

 眠そうな表情も、口元が隠れるくらいにぶかぶかなジャンパーのポケットに突っ込んだままの手も、長い前髪から見え隠れする目も、男と対峙した直後から何らの動揺も見せなかった。


 男は意外そうに口笛を吹いた。


「驚かないのだな」

「慣れている。恨みを買うことも、恨みによって命を狙われることも」

「自己分析が良くできているじゃないか。ならここで殺してやろう。安心して逝け」


 炎の目を持った男が、左手の剣を握りしめた。

 男が無造作に振るうと、刀身に緑色の雷がまとわりついた。

 

 ネイビーは改めて周囲を見回す。

 肉の焦げた異臭が立ち込めていることに、ようやく気づいた。

 彼の剣によって、焼かれたか斬り捨てられたかした死体が、ざっと目を通しただけで十は数えられた。

 さらに目を凝らしてみると、その死体たちの近くには武器と思しき残骸が、風に乗って飛んでいくのがわかる。

 

 どうやら、この男が来る前に、男と同じ目的で自分と会いに来ようとしたのだろう。

 だが、実力は男に遠く及ばず、返り討ちにあったのだろう。

 自分の命を求める者にいちいち同情するような性格はないが、ネイビーはこの末路を迎えた者たちに少しばかり哀れみを覚えた。

 

 夕日が眩しい。

 当分の避難場所として県境のひっそりした山奥にまで、彼らにご足労頂いてしまった。

 ねぎらいの言葉をかけても、きっと彼らには届かない。


 ただ一人を除いては。


「寝ぼけているのか」


 ネイビーが目の前に意識を戻すと、たかだか一歩の距離まで、長身の男に近づかれていた。

 そのしなやかな腕が、ネイビーの首根本に刃を添えている。

 家の外の惨状を観察していたら、目の前のことがおろそかになっていた。

 自分の悪い癖だ。

 一つのことに集中しすぎて、周りのことがおろそかになる。


「ずいぶん余裕だな。世にも恐ろしい、怪物たちを生み出した研究者と聞いていたから、さぞかし苦戦すると思っていたのに」

「ご期待に沿えず恐縮だね」

「わかっているのか。おまえは俺が少しでも左手を動かせば、死ぬぞ」

「良かったじゃないか。嬉しい誤算で。高い報酬も積んでもらっただろ? ローリスクハイリターンで、生活はしばらく安泰だな」

「自分の身の危険よりも、他人の心配か。それも、自分を殺そうとしている相手に?」

「一度にいくつものことを考えられないのが、私の悪いところでね」


 男の手が、強く剣を握りしめた。

 本気で殺す気だ。

 その意思を完遂するに足る実力を、彼は持っている。

 ネイビーは、少なくともそう確信している。


「最期に言い残したことは? 遺言があるなら聞いておいてやる」

「遺言ねえ。そうだな……特にないかな」

「わかった。それでは……ここで俺に命を寄越せ」


 背高の男の声に、殺気がこもった。

 しかしネイビーは臆することなく、口元をわずかに上げてすら見せた。


「それは困るな」


 そして一歩前へ踏み出す。

 もう一歩の距離も、彼とネイビーの間にはない。

 

「……?」


 男の眉が、ぴくりと動く。


「なぜなら」


 ネイビーは右手を男の首元に持ってゆく。

 骨ばった指先が、男の首に触れる。


「!」


 男が左手を動かす前に、ネイビーの思惑は完了した。

 長身の男が、初めて表情を揺らがす。

 左手が震え、剣が小さく音を鳴らす。

 彼自身に焦燥が加わり、揺らいだオレンジの目がネイビーをにらみつける。


「何をした……!」

「ちょっとした呪いをきみにかけた」

「呪いだと?」

「そうだ。条件付きの呪いだ。きみは私を殺すことができない」

「な」

「嘘だとおもうか? 現にきみは、得物を持った手を動かすことができない。本能が引き留めているのだ。私を殺してはいけないとね」

「ふざけたことを!」

「とはいえ、きみは相当の手練れなのだろう。持てる力を使い切れば、呪いも打ち勝てるかもしれない。だが推奨しない。やめておけ。なぜなら、呪いに抗ってまで私を殺そうとすれば」


 男の左手が、無理やりに振りあがった。

 殺意と憎悪に満ちた目が、ネイビーから離れない。


 剣が振り下ろされる。

 ネイビーは気にせず続けた。


「きみは死ぬから」


 剣は、ネイビーの前髪を、はらりと切った。


   *


「きみが私を殺すという気持ちは尊重しよう。だが私にも、まだ死ぬわけにはいかない事情がある」

「あぁ……?」

「私には目的がある。その目的を果たしたら、私の命のことは好きにしろ。この呪いは、私が目的を果たすまで、私を守らなければならないという呪いだ。その呪いに抗えばきみは死ぬ。私がきみ以外の手によって死んだらきみも死ぬ」


 剣を収めた男は、ネイビーをにらみつけている。

 剣を握っていた左手首に、鮮やかな空色のおかしな紋様が浮かんでいた。

 ネイビーのいう『呪い』が、目に見える形として男に見せつけている。

 ネイビーは男の左手首に、貧相な手を添えた。

 

「安心しろ。私は約束を守る性格だ。目的を果たしたら、命でもなんでも、きみにくれてやろう。ああ、でも、なるべく楽な方法で殺してくれよ」

「……」

「私の目的は少し困難を伴うが、きみという心強い存在がいれば充分達成可能だ。時間はかかるが、果たすこと自体はできる」

「その目的というのは、何だ」

「世に出回った、怪物を全員殺すこと」

「……頭のおかしな奴だ」

「よく言われるんだ。頭のつくりはきみとそう変わらないと思うんだがね」

「そういう意味で言っているわけではない」


 そうか、とネイビーは答えた。


「契約は成り立った。呪いという契約が。改めて自己紹介しよう。私はネイビー・ピーコック。フリーの研究者だ」


 ネイビーが右手を彼に差し出す。


「きみの名は?」


 男は、べちん、とネイビーの右手をたたいた。


「バーミリオン。そう呼べ」

「バーミリオン。朱色(バーミリオン)……」

「何だ。不満か」

「そうではない。少し聞き覚えがあったものでね」

「色の名なら、どこでだって聞くだろう」

「それもそうか」


 ネイビーは長身の男バーミリオンを見上げる。


「さて、目的を果たすために、きみには存分に働いてもらおう。その前に、飯にしよう」

「飯だと?」

「家に少しのたくわえがある。何事も、空腹の状態ではパフォーマンスが落ちる。それに私はむしょうに腹が減っているんだ」

「死体の山を見て、殺されかけた身分で、食欲は残るのか」

「どちらも慣れているからな。さあ、食事だ。腕によりをかけるよ、バーミリオン」


 ネイビーが手を差し伸べる。

 バーミリオンはそれをまた、べちん、とたたいて、開かれた扉の中にずかずか入っていく。

 ネイビーは肩をすくめ、静かに扉を閉めた。



   了

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殺したい標的を守らなければ自分が死ぬ呪いにかかりました 八島えく @eclair_8shima

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