第34話

 皆既日食が起こると告知されたのは、日食の五日前のことだった。

 サラに招待状を渡した翌日からラスフィールは告知用立て看板を作る作業に駆り出され、招待状にあった「太陽が欠ける」の意味を知ることになった。

 太陽が欠ける──太陽神と地母神を創世神として信仰する国民にとって、それは太陽神の力が弱まることを意味する。国の宗教として熱心に信仰している訳ではなかったが、それなりに生活に染みこんでいる。不安に思う者もあるだろう。

 そのため太陽が欠ける理由とそれが一時的なものであること、また太陽を見る場合の注意点などが詳細に告知された。事前に太陽が欠けることが解っている理由として、生前リーヴ・アープが日記に書き残していたということになっている。

 立て看板を作る作業は大勢で流れ作業で行うため、ルティナはラスフィールの監視役から一旦外れ、エリスの手伝いをしていた。時間のある時に簡単な魔法を教えてもらったが、使いこなせるようになるのはまだまだ先になりそうだった。

 ディーンとリグルは視察と称し、日食に対する民の不安を取り除くための遊説に回っていた。当日は国王自身も皆既日食を観測する予定である、次に同じ現象が起こるのはずっと先、今回観測できるのを楽しみにしている……など、恐れるものではないと各視察先でしつこいくらいに話してきた。最初は不安そうにしていた者も、ディーンの爽やかな笑顔の前に不安を融かしていく。

(国王ってこういうことを言うんだろうなあ……)

 大丈夫だよと言って、それだけで国民を安心させられる者。その笑顔だけで不安を消し去ってくれる者。この人のために頑張ろうという気にさせてくれる者。

 ディーンはもうすっかり国王になったのだなと──リグルは晴れがましく思う気持ちと、すぐそばにある彼の背中がひどく遠く感じられる寂しさとをないまぜにしながら、彼の側に控えていた。

 アレクは相変わらず何やら忙しそうに走り回っていたり、そうかと思えば部屋にこもるなどしていたが、時折実家に帰って日食の説明がてら、家業を手伝ったりしていたようだった。


   ***


 日食当日。

 日食は朝、人々の仕事が始まる頃に起き始める。告知にも書かれているが、太陽が欠け始めてから終わるまではそれなりに時間があるが、皆既日食──太陽がすべて見えなくなっている時間は僅かだ。

 最初から最後まで観測しようとすると、日食の終わりは昼になるため、午前中は何も仕事ができなくなる。そのため、告知があってから日食当日の午前中は休みとした者も多かった。

 サラは国王から招待を受けたこともあり、今日一日を休みにしていた。近所の者も馬の世話をする者以外は基本的に休みにしており、何となくお祭り気分だ。同行者二名は小イグナとクローディアである。

 サラは質素ではあるがそれなりに着飾って化粧もし、小イグナはよそ行きの服を着て、緊張した面持ちで母親についてきた。クローディアはいつものように頭に布を巻いておらず、鮮やかな赤い髪をひとつにまとめて結い上げていた。中性的な服のため、大人しくしていれば少女に見えなくもない。

「この度はお招きいただき、ありがとうございます」

 指定時刻より少し早い時間に招待状を持って王宮を訪れたサラは、すんなりと中庭へと通された。

「サラさん、どうぞこちらへ」

 中庭にはリグルにラスフィールとルティナ、それに面識のない女性がいた。リグルにエリス・アープ──ディーンの妹だと紹介されて畏まる。

「初めまして、サラさん。あの、そんなに畏まらないで下さい。兄とはその、兄妹なんですけど、私は国のことを何かやっている訳ではありませんし……」

 慌てて言い繕おうとあたふたするエリスの肩をそっと抱き寄せて、

「堅苦しいことは言いっこなしでお願いします。今日はお茶会ですから」

 リグルがいたずらっぽく笑った。顔を赤くするエリスを見て、サラがにこにこと微笑む。

「まるでベルティーナ様のようですね」

「えっ?」

 思わぬことを言われてエリスが驚く。

「国王様の妹で、シルヴィア様がいらして、国王様とシルヴィア様は幼馴染で……」

 ルーク王と翡翠騎士団長ウュリア・シルヴィアは幼馴染だった。そしてルーク王の実妹ベルティーナはウュリアと結婚している。

 ベルティーナを自分に、ウュリアをリグルに置き換えた想像をして、エリスは数秒後に耳まで赤くしてうつむいてしまった。リグルは気付いているのかいないのか、肩を抱き寄せたまま微笑み返す。

 あらあらうふふと微笑むサラに、少し離れたところからルティナが声をかける。

「サラさん、お茶はいかがですか?」

 見ればラスフィールが板と箱を組み合わせて簡易テーブルを作っているところだった。

「私は後でいただきます」

「はーい! お茶菓子とかあるの?」

「あるわよ。たくさん作ったから慌てなくても大丈夫」

「やったぜ」

 ひとつに結い上げた赤い髪を揺らしてクローディアが駆け寄った。籠からお茶菓子を取り出しているルティナの前を通り過ぎて、余った板を横に避けようとしているラスフィールの腰に背後からしがみつく。

「危ないだろう。板を落としたらどうする」

「ええ-。そんなヘマしないじゃん」

「そういう問題ではない。起こり得る危険を回避できないようでは剣の達人にはなれないぞ」

「あ……ああー……そっか……。今度から気を付ける……」

 どうということもない、じゃれつく子供とたしなめる大人の会話だ。それなのに何となく、胸の奥の方がちりりと音を立てるのは何故だろう。

 そんなことを考えながら、ルティナは一人分ずつ包装したお茶菓子を取り出してテーブルに並べていく。

「ラス、何か手伝おうか」

「いや、いい。もう終わる」

 ルティナは板を少し離れたところに積むラスフィールの後ろ姿を見た。作業をするいつもの背中。これまでに何度も見てきた。それなのに、今日に限って──

(あ。そうか)

 何度も見てきたラスフィールの背中。それはいつも孤立していた。けれど今は違う。彼を慕う子供と、親しい人と──ここにラスフィールを疎外する要因はない。彼の敵はここにはなく、味方は自分だけではないのだと思い知らされる。

 勝手にラスフィールを独り占めしているような気になっていた。彼を助けたのは自分だという自負もあった。けれどそれ以前に彼が築いた人脈は、ルティナには無関係だ。

(あれ、何だろう。なんか……変な感じ……)

 もやもやした気分のまま、ルティナはテーブルに茶器を並べ始めた。


   ***


 雲一つない青空を眺め、アレクはひとつ伸びをした。

「あー、なんか少し欠けてるっぽいな」

「私には直視するなとあれほど言っていたのに……」

「ちらっとしか見てねえよ。ちょっと日射しが弱くなってるしな」

 アレクとディーンは王宮のバルコニーから中庭を見渡していた。エリスが子供達と色の濃いガラス板を持ってはしゃいでいるのが見える。

「全部欠けるまでには時間があるし、ディーンもあっちに行った方がいいんじゃねえの? せっかくサラも呼んだってのに、ここじゃ話もできねえだろ」

 噂のサラはこちらの視線に気付く様子もなく、簡易テーブルの横の箱に腰掛けて子供達を眺めている。ルティナも同様で、リグルとラスフィールは並んで立ったままだが視線は同じ方向に向けられている。

「……何かおかしいと思ったんだ。どうして彼女をわざわざ招待したのかと思ったら」

 ディーンは呆れたようにため息をついた。確かに先日、別れ際に「話ができれば」とは言ったが。

「何だよ、社交辞令か」

「そういう訳では……ただ、そんな呼びつけてまでするような話では……」

「もう呼びつけちまったんだし、さっさと行けばいいじゃねえかよ」

「……そんな大したことじゃないんだ」

 苦笑してディーンは手すりに手を置いた。手すりに肘をついていたアレクがすぐ隣に立つディーンを見上げる。

 反乱軍として戦うと決めてから一度も切っていない金髪は、横に流して三つ編みに結われている。初めて出会った時は短かった髪も、ずいぶんと伸びたものだ。真昼の空を切り取ったような色の瞳は中庭を見下ろしたままで、どこか儚げに見える。

「何だよ。聞きづらいことか」

「……残された者はどんな気持ちなのか、と……」

 墓地で二人きりになった時、イグナ・レイを討ったのはディーン自身であるとサラに伝えたと、後から聞いた。ラスフィールの時もそうだが、何故わざわざ親しい者に伝えて憎しみを向けさせるような真似をするのかとアレクが詰め寄った。

 公的には女王を討ったのは反乱軍であり、それ以外の者を誰が討ったかなどは公表されていない。反乱軍の仲間はディーンがイグナ・レイを、リグルが女王を討ったことを知っているが、それをわざわざ世間に吹聴して回ることもなかった。

 少し悲しそうな表情でディーンは「黙っているのは欺いているようで嫌だ」と呟き、アレクはそれ以上何も言うことができなかった。

「あー……そりゃあ、なあ……」

 ディーンはまだ父リーヴ・アープが自害したことを受け止め切れていない。愛する者に先立たれた気持ちをどう整理すればいいのか──そんなことはエリスやリグルにも聞いただろう。それでも消化しきれないから他の誰かの意見も聞きたくて──それを、愛する者を奪った自分が奪われた相手に聞くのはさすがに躊躇われるだろう。

 直接遺体を見たはずのエリスは、もう気持ちの整理をつけたのか、見せないようにしているだけなのか、心が揺らぐ様子はない。

 サラは幼い子がいるせいもあるだろうか、しっかりと前を見据えて生きている。

「私だけがいつまで経っても気持ちの整理がつかなくて……置き去りにされたような気になって、変に焦るんだ。早く追いつかなければ、気持ちを処理してしまわなければと焦れば焦るほどに深みにはまってしまって……」

 寂しそうに笑うディーンがそのまま風に消えてしまいそうで、アレクが慌てて身体を起こす。

「そんなもん、そう簡単に整理なんかつくかよ。大事な人だろ。誰だって引きずって当たり前だ。ただ人には見せねえだけだよ。うちの両親だってそうだぜ」

「そうなのか」

 アレクの両親には会ったことがある。快活で働き者で、家族のように迎えてくれた。

「俺の上に兄貴だか姉貴だかがいたらしいんだけど、俺が子供の頃は夜親が泣いてるのを何度も見たぜ。まあ、俺が物心つく前に死んじまったし、名前も知らねえんだけど……」

「……そうか」

「いや、俺は別に悲しくねえよ? 面識ないしな。ただ、その、俺が大人になる頃にはそういうのもなくなったし、その内に気持ちの整理がついたんじゃねえ?」

 悲しそうな顔をしたディーンに慌ててアレクが取り繕う。

「長期戦なんだな」

「時間が解決してくれることもあるってことだろ。焦っても仕方ねえし」

「……時間が許してくれれば……な」

 ディーンが小さくため息をついて、視線を中庭に戻す。

「……? ディーン……?」

「そうそう。リグルをぶっ飛ばさなくていいのか? やるなら今だぞ」

「だーかーらー、お前は何でそう俺を焚きつけたがるんだよ」

「今ここでぶっ飛ばしておかないと、一生後悔するかもしれないと思って」

「一生は言い過ぎだろ」

「どうかな。エリスとリグルが二人きりにならないように手を尽くすくらいなら、正面から行けばいいのにとは思う」

 ディーンの言葉にアレクが軽く目を見開いた。

「……よく気付いたな」

「それなりに長い付き合いだからな」

 顔を見合わせて、小さく笑う。

「驚いた、あれだけ忙しいのによく俺のことまで見てたな」

「アレクほどじゃないさ」

 ディーンの笑顔が寂しそうに見えるのは気のせいだろうか。まるでエリスがリグルを追って旅立つのを見送った時のような──

「アレクには本当に感謝している。初めて会った時も、反乱軍として戦っている時も、その後も──いつも至らない私を支えて、助けてくれた」

「……おう、何だよ急に……」

 心の奥底がざわめく。静かな水面にぽたりと落ちた滴が波紋を起こすように。

「尊敬していた。器用で何でもできて、それを見せびらかすこともなく──私が困った時には振り返ればいつの間にかそこにいて、ひょいと軽やかに助けてくれて、私よりもアレクの方が国王に向いているんじゃないかと思う」

「……どうした、疲れてるのか」

 何かが違う。ぽたりと心の奥底に落ちた疑問の滴が描く波紋が、だんだんと大きくなっていく。

 違う。アレクの知るディーンは、自分が背負ったものを人に放り投げるようなことは、放り出したがっていると思わせるようなことは、決して言わない。

「アレクは本当に、いつも僕のことをよく見てる」

 違う──違う。お前は誰だ。

「いつも助けてくれてありがとう。でも、今はそれじゃ困るんだ」

 目が、合った。

 真昼の空のような瞳が、薄明の空を映し出す。

「私を、見るな」

 かすれるようなディーンの声に、心の波紋が時を止める。

 一瞬だった。

 突然アレクの身体が後ろの傾いた。体勢を維持しようと腕を振り回し、バルコニーの手すりに掴まりもたれかかる。そこから身体を起こすよりも早く、ディーンの指がアレクの首に触れ──勢いよく両手できつく絞め上げる。

「ディー……」

 何が起きたか解らず混乱して身を躱すこともできず、アレクは自分の首を絞め上げるディーンの手を必死に解こうとしながらも、強く押されて手すりに寄りかかる一方だ。このまま窒息するのが先か、バルコニーから落下するのが先か、あるいは首をへし折られるのが先か。

 助けを呼ぶこともできず、もがくアレクの目の前で──ディーンの唇がかすかに動いた。

 たすけて、と。

 ぽたり、ぽたりと滴が落ちた。

 アレクの心の奥底にではなく、頬にぽたりと落ちた滴が伝い落ちる。

 涙だった。

(くそっ……)

 これはディーンの意志ではない。

 明確にそれを理解したアレクが両腕でディーンの胸倉を掴む。

(意識が……、もう……)

 空気の供給を絶たれ、アレクの視界はすでに暗くなり意識は朦朧としていた。もうディーンの顔すら解らない。それでもディーンを掴んだ両手はありったけの力を振り絞って手すりへと引き寄せる。

(ここまで……かよ……)

 ディーンを手すりまで引き寄せることはできたものの、細身とはいえ成人男性を持ち上げるだけの余力は残されていなかった。

(ちくしょう……ディーン……)

 アレクが意識を手放そうとしたまさにその時──

「陛下──!!」

 ディーンを掴んだまま、アレクはバルコニーから身を投げた。 

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