第33話

 翌朝。

 朝食時、エリスからディーンに日食の話が振られ、アレクはまるで今初めて聞いたかのように話を合わせている。

 何故エリスが日食が起こることを知っているかは、父リーヴ・アープの日記を読んでいたら書かれていた、ということになっている。

 これで三度目になるエリスの日食の説明を聞きながら、リグルはちらりとアレクを見た。視線に気付かないはずもないだろうが、こちらを見る気配はない。

 リグルにとってアレク・シェイドは必要以上に関わりたいとは思わない相手だ。

 何せ前回の帰郷時、初対面で面と向かって「俺はお前が嫌いだ」と言われている。おかげで会話もほとんどなく、ディーンが信頼している相手という情報しかリグルにはない。

 嫌われる理由なら明確にある。シルヴィア一家は十年前に失踪している。女王の独裁政治が始まった時には国におらず、反乱軍には厳しい目で見られた。

 リグルも反乱軍と共に戦ったこともあり、女王を討った後は幾分か批判的な眼差しは減ったが──アレクの敵意は前回の帰郷から微塵も変わってはいない。むしろより敵意は強く、しかしディーンやエリスの手前、あからさまにぶつけてくることはないといった感じだ。

 今回の予期せぬ帰郷では国王となったディーンの護衛として常にそばにいるせいか、あちこちでよく──主に下心が透けて見える方々に──声をかけられる。十年前の失踪事件の前、つまりリグルは子供の頃にシルヴィアの特徴でもあり、この国唯一の黒髪を揶揄されたり気味悪がられたりしていた。それをいともあっさり覆してすり寄ってくる様には呆れるどころか気持ち悪ささえ感じる。

 それに比べればアレクの一貫した敵意は、いっそ清々しく感じられ、どんな状況の変化にも手のひらを返さないところに信用が置ける。

 ただ、ディーンやエリスとの距離感を見るにつけ、否が応でもリグルがこの国を離れていた時間を思い知らされる。

 アレクはリグルがこの国を離れていた間の──リグルが知らないアープ兄妹を知っている。リグルのいない間に作った思い出があり、かつては三人だけで完成していた世界に、いとも簡単に割って入ってくる。

 誰かが悪い訳ではない。リグルのせいでもない。ただ、何となくもやもやする。いつまでたっても口の中に残っている野菜の繊維のように。

「では国民が混乱しないように、事前に告知が必要だな」

 ディーンの声に、リグルの意識が引き戻される。どうやら日食の説明は終わったようだった。

「あとは太陽を直接見ないようにっていう注意も必要かしら。失明しちゃうわ」

「あー、そうだ。告知ついでに、昨日の親子を招待して王宮の中庭で一緒に観測会とかしたら面白そうじゃねえ?」

「それ楽しそう!」

「待て、わざわざ呼び寄せる必要はあるのか。それに仕事……」

「どうせ落ち着かねえだろうから、最初からその日の午前中は休みにしとけ。いいじゃねえか、たまには」

「じゃあ何かお茶と軽食を用意して、お茶会とかできたらいいわね」

 楽しそうに話す三人の声を聞きながら、リグルはいつまでも口の中に残っている野菜の繊維をスープで無理矢理流し込んだ。


   ***


 数日後、ルティナはアレクから手紙を預かって、ラスフィールと共に厩舎へ向かった。

「アルシオーネ様!」

 厩舎の近くで呼び止められた。過日の経緯を知らないルティナは、ラスフィールのことを様付けで呼ぶ女性をまじまじと見た。穏やかそうな、淡い色の髪の女性だ。

「サラ殿」

 当たり前のように応えるラスフィールに、ルティナの心臓が不穏な動きをする。

(名前で、呼ぶんだ……)

 意識が遠くなるような気がして、ぐっと足を踏ん張る。どこか遠くで二人が会話する声が聞こえるが、内容までは解らない。目の前で会話をしているのに、何も耳に入ってこない。

(え? 知り合い……よね? 誰? 何? 今までの人達と全然態度が違う……)

 石を投げられることも罵声を浴びせられることもなく、笑顔で向こうから声をかけられ、会話の声の調子からして歓待の様子だ。ラスフィールもいつもの淡々とした口調ではあるが、何となく──そう、何となくではあるが態度が柔らかい気がする。

「……どうかしたのか」

 ラスフィールの声に意識を引き戻されて、ルティナははっと顔を上げた。

「え、何?」

「手紙を」

「あ、ああ、手紙ね」

 アレクから預かった手紙をサラに渡す。受け取ったサラが差出人を確認して、さっと顔色を変えた。慌てて封を切る表情が硬い。

 ルティナはアレクから「この手紙を一覧にあるサラ・スカルダという女性に渡すように」としか言われていない。立派な封筒だなと思いはしたが、アレクから預かったので差出人もアレクだと思い確認もしなかった。

 ラスフィールもルティナが手紙を預かったことは知っているが、そのままルティナが持っていたので封筒を見たのは今が初めてだ。封蝋の印を見て訝しむ。

「サラ殿、もしやそれは」

「国王陛下……から……です」

 封を開け、便箋を取り出す手が震えていた。

「あの、私、もしかして何か失礼なことを……」

「そんな馬鹿な、面識もない相手に」

「違うんです。うちの子を助けていただいた翌日、イグナを連れて、アルシオーネ様を訪ねて王宮に伺ったんです。アルシオーネ様はすでに出かけられた後で、国王陛下とシルヴィア様が……」

 ラスフィールが微かに渋い顔をした。ちらりとルティナを見れば、視線を受けてぶんぶんと首を横に振る。

「それで、手紙には何と」

「……招待状……? 太陽が欠ける? のを、一緒に見ませんか……という……、太陽が欠けるとは、何かの例えでしょうか……?」

 困惑の表情でサラに見つめられても、ラスフィールもどういう意味なのかさっぱり解らない。横で聞いているルティナも首を傾げるばかりだ。

 引っかかるのはサラが王宮を訪ねた際に対応したのが国王とリグルで、そのリグルからは何も聞かされていないことだ。サラがわざわざ訪ねてきたというのなら、リグルが面白がって真っ先に教えにきそうなものなのに──数日の間を置いても何の音沙汰もないのであれば、意図的に伏せた可能性が高い。

 つまりこれは、驚かせようという魂胆だ。

「その招待状に詳細な日時や場所は書かれていますか」

「えっ? あ、はい。場所は王宮の中庭と」

 サラが便箋を差し出す。日時、場所が記載された横にご丁寧に国王の印がある。その下に同行者は二名までと追記されていた。

 国王と意図せぬ謁見をした後に、国王から直々の招待状である。断る術もない。顔を青ざめさせたサラの不安は想像に余りある。

「サラ殿。心中お察しするが、それは純粋な招待状だと思う。あなたの心身を脅かすようなものではない」

 謁見時にサラが何らかの失礼な行いをしたというのであれば、その場で咎められるはずだ。同行者二名までというのは、子供と、もしいるのであれば伴侶をということだろう。意図するところは読めないが、危害を加えようという企みではないはずだ。

 それでも不安そうに顔を曇らせるサラの足に、何かがぶつかった。

「うわああん!」

「イグナ? どうしたの、そんなに泣いて」

 母親の足にしがみついて泣きじゃくる小イグナが指した方向に、頭に巻いた布から赤い髪を覗かせた少年が立っていた。

「何だよちび、逃げ足だけは……あっ」

 腰に手を当ててふんぞり返っていたクロードが、サラの隣に立っているラスフィールに気が付いて及び腰になる。

 ラスフィールにぎろりと睨まれ、逃げ出そうとしたところで頭を押さえつけられた。クロードが抵抗して頭を振った拍子に、巻いていた布がひらりと解けた。

「クローディア・グレイだな」

 鮮やかな赤い髪が風に踊り──その鮮烈な光景を引き裂くように叫んだ。

「サラ姉! こいつにバラしたのかよ!」

「サラ殿に言いがかりはよせ。私が調べた。クローディア・グレイ。モルタヴィア上級貴族、グレイ家のひとり娘だな」

 ラスフィールに差し出された布をひったくって、クローディアは一歩引いてから乱暴に布を頭に巻き付けた。

「うるさいな! 貴族とか俺は関係ないだろ!」

「……そうだな。では何故男性名で名乗るんだ。君にはクローディアという名が──」

「俺は男になりたいんだよ! とっくに貴族じゃなくなってるのに、じじいがいつまで経っても貴族だった過去を引きずって! 貴族の女はいい男と結婚して子供を産めばいいって、男に従ってればいいって、守られてればいいって、そういうの嫌なんだよ! 

 俺はあんたみたいに強くなって騎士になりたいし、守られてるのなんてまっぴらだし、そういうの、女じゃできないなら男になるしかないだろ!」

 一気にまくしたてたクローディアの目が涙で揺れた。こぼれ落ちないように歯を食いしばって必死に耐える姿が痛々しい。

「……そうか」

 静かにラスフィールが呟いた。

 ルティナは訳も分からず、ただ黙って見守っていた。

 突然現れた少年が実は少女で、自分とそう歳も変わらないのに家の過去を背負わされている。今ここで吐き出すまで、多分誰にも言えなかった孤独。その辛さなら、解る。

「俺はあんたになりたかったんだ。モルタヴィアの貴族だったのに、ジルベールで認められて騎士団長にまでなって。俺だって、あと五年もしたら兵士に志願してって思ってたのに……」

 戦後、軍は縮小された。それでも毎年減りつつある志願者を受け入れていたが、ルーク王から女王ロゼーヌとなった時に新規の受け入れはなくなっていた。

 そして女王が倒された後、軍は解散し自警団になった。現在ジルベールに兵士という職業は存在せず、翡翠騎士団も自然消滅したままだ。

「強さには様々な形がある。兵士がそのすべてではないし、男も女も関係ない。私はたまたまそういう世代に生まれ騎士となったが、今はもう騎士ではない。誰かの強さではなく、君自身の強さを見つけろ」

 そんなことは言われなくても漠然と解っている。だが感情がそこに追いつくかというと、必ずしもそうではない。

 クローディアが黙って不貞腐れていると、

「……まあ、馬に乱暴をしないのであれば、剣術の基礎くらいは教えてもいい」

「本当!?」

「アルシオーネ様、いいんですか、そのような」

 ラスフィールの声にぱっと顔を輝かせたクローディアに被せるように、サラが心配そうに声をかける。

「どういう意味だよサラ姉」

「あなたみたいな乱暴な子に武器を持たせたら、うちの子がまた泣かされるわ」

「ちびが強くなればすむ話じゃん」

「……じゃあ、僕が強くなったら、名前で呼んでくれる?」

 サラの足にしがみついたまま、小イグナがしゃくり上げながら訴える。

「いいぜ、俺より強くなったらな!」

「君は剣術の前にまず礼節からだ」

 ふんぞり返ったクローディアががくりと膝を折る。

「ええー……」

「馬の腹をいきなり蹴るような乱暴者には剣術など教えられないからな。馬は騎士にとって大切な相棒だ。その相棒を労れない者に教える剣はない」

 先日のことを思い出したのか、クローディアが目に見えてしょぼくれる。

「ごめんなさい……」

「馬に謝罪はしたのか。それからイグナ卿を危険な目に遭わせたことを、本人と母君に詫びたのか」

「あ……それは……、その、サラ姉、ごめんなさい……。ちびも、怖い目に遭わせてごめん……」

「そうね。馬は繊細な動物なの。あんなひどいことはもうやめてあげてね」

 小イグナも小さく頷く。

「それから、馬にも謝罪をしなければな」

 ラスフィールに促され、クローディアが厩舎へ足を向ける。その背中を見守りながら、

「サラ殿、言い忘れていた。今日ここに来たのは手紙の件だけではなく、こちらの厩舎の掃除を命じられて──ルティナ、証書を」

 手紙を渡したついでである。もともと作業一覧にあったため、それを片付けてしまうつもりなのだが──

「ルティナ?」

 いつもならすぐに国王の印と署名が入った証書を出すのだが、今回部外者となってしまったルティナは証書を出し損ねていた。どこか遠い風景でも見るような気持ちで四人の会話を聞いていたルティナだったが、

「えっ?」

 何を言われたのか咄嗟に解らなかった。

「証書を。どうかしたのか」

(今、名前で呼んだ?)

 ルティナと、そう呼ばれた気がした。

「ううん、何でもない。遅くなりましたが、国王様からこちらで作業するよう指示されてきました! こちらがその証明になります」

 大切に保管して、幾度も取り出しているのに余計な折り目のひとつもない証書を取り出しながら、ルティナはラスフィールの言葉をきちんと聞いていなかったことを後悔した。

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