第34話 パニック

                  三 



 伊織とともに急ぎ特事課に戻ってみると、そこは修羅の場であった。


「もう一度言ってみろ!」と吠える小宮山も、「何度でも言いますよ!」と応酬した葛野も冷静さを失っている。

 周りの課は気味悪そうに眺めるだけで誰も近づこうとしない。掴み掛からんばかりの二人を見かねて、龍生は間に割って入った。


「はいはい、どうどう。小宮山さんも葛野君も一回ちょっと落ち着いて」


 両腕を伸ばして物理的に二人を遠ざける。

 指図するな、と喚いた小宮山に対して、押し黙った葛野は両眼を異様にぎらぎらと光らせていた。


「大声出さねーでくださいよ。周りの人がびっくりしてるでしょ。何があったんですか。課長は?」


 デスクにいない人影を求めて問うと、小宮山がぶっきらぼうに答える。


「保健所が連れて行った」


 保健所が。

 その言葉に磯波の発芽が真実であったという生々しさを受け取って、龍生は一瞬現実に目が眩んだ。


「御堂さん。御堂さんでもいいです。本当のことを知っているなら、教えてください」

 震える声で葛野が口を開く。

 怒りに燃えているのかと思った葛野はどうやら怯えているらしい。

 恐れるあまり不安を怒りに転嫁して心を保とうとしているのだ。


「何の話?」


 心当たりがなくて眉を潜める。

 焦れるように頭を振って葛野が質問をぶつけた。


「嘘花ですよ! あれが感染しないなんて嘘でしょ!」


 突拍子もない問いかけに、龍生は思わず小宮山を振り返った。忌々しそうに小宮山が鼻で息をつく。


「さっきからずっとこうなんだ。嘘花は感染しない。あれは気狂いの教授がごく少数の事例を都合よく解釈した空論で、実際に感染らしき状態が観測されたこともない。せいぜいが周辺で多少、嘘花の発芽率が上がる程度だって、何度も説明してるんだが、嘘だ、本当のことを言えの一点張りでな。しまいには俺たちを特事課で働かせるため、真実が隠されているんじゃないかと陰謀論を振りかざす始末だ」


 なるほど、気の短い小宮山を前にその主張を繰り返したのなら言い合いにもなる。

 むしろ殴り合いにならなかっただけ、小宮山を褒めてやってもいいと龍生は思った。


「まあ、課長の発芽を目の前で見たのはこいつだからな。気が動転しているんだろうが……それにしたってしつこすぎる」


 本気で嫌そうに小宮山が顔をしかめる。殴らなかったのは小宮山なりの温情らしい。

 事情を把握して、龍生は葛野に向き直った。


「葛野君。嘘花はウィルスじゃない。植物だ。食べたものが原因で寄生されるのであって、病気のように感染するものではない」


「本当は最初から嫌だったんだ」


 呟く葛野にはもう、龍生の声は届いていないようだった。


「就職難の時代に生まれたのは俺のせいじゃない。ただでさえ不景気の中、未知のウィルスが流行ったのも、数々の業種が傾いたのも、全部俺のせいじゃない。何枚も何枚も履歴書を書いて、何度も何度も否定されて……。就職するのはこんなに難しいのに、就職していないと一人前じゃないと暗黙のうちに弾かれる。屈辱と劣等感に耐えて、ようやく受かったのは今じゃ誰もが羨む公務員だ。やっと人並みに人生を歩めるって、心の底から安心したのに……配属されたのは鼻つまみの特事課。化物を扱う場所。あんな気持ちの悪いものを観察し続けるなんて、どうかしている。平気な顔で聴取して、平気な顔で野菜を食べて、みんな狂ってる」


 ああまずいな、と龍生は思う。

 葛野の様子は壊れて去る前の課員のものによく似ていた。

 先ほどまでぎらついていた瞳は幽鬼のように虚ろで、落差の激しさが葛野の心の不安定さを表しているようだった。


「仕事を失うのは嫌だ。就活期間の恥辱を繰り返すなんて耐えられない。だけどもう耐えられない……。あれを見るのは怖い……次は自分じゃないかと思う。俺は嘘花になりたくない……!」


「葛野君」


 まだ薄い肩を掴んで軽く揺さぶる。

 泣き出しそうな顔をしてはいたが、幸い葛野は龍生を視認した。


「分かった。君はしばらく現場に出なくていい。課の中で事務作業に徹してくれ」


 いいでしょ、と振ると、小宮山がやむなしと頷く。

 無理をさせても課員を一人失うだけだ。それは龍生も小宮山も、何度も経験してきたことだった。


「ちょうど志摩さんをそろそろ一人で動かそうと思っていたところだ。課長の担っていた庶務もある。一度分担を見直して全体の調整をしましょう」


 遠くから青い顔で様子を見ていた伊織を手招きで呼び寄せる。

 龍生の言葉に「君が仕切るな」と渋い顔をしながら、小宮山がパソコンを開いて課内分掌表を呼び出した。

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