第22話 嘘と嘘の回避方法

 言葉をなくした龍生の代わりに、口を開いたのは伊織だった。


「心理学では、嘘は動機別に大きく四種類に分けることができると言われています」


 ぷわぷわと鳴り響く有線の音楽が伊織の小さな声をかき消そうとする。

聞き逃すまい、と前のめりになった敦が伊織の口元をじっと見つめた。


「自分を守るためにつく【防御のための嘘】。自分を大きく見せるためにつく【背伸びのための嘘】。自分が利益を得るために相手を騙す【欺瞞のための嘘】。他人を守るためにつく【擁護のための嘘】。例えば紗良さんのお母さんが紫乃君に『お姉ちゃんは皮膚の病気』と説明していたのは【擁護の嘘】になります」


 際どい所で向井家の事例に触れて、伊織が続ける。


「嘘とは、決して良し悪しだけで語ることのできないコミュニケーションの一つです。赤ん坊さえ、母親の気を引くために嘘泣きをします。人が人と関わる以上、嘘を避けることは難しい」


「じゃあ紗良は……嘘花になった人は、絶対に助からないんですか」


 悲壮感に顔を歪めながら、敦が問いただした。

 ネットで調べたという彼はその答えを知っているはずだったが、確認せずにはいられなかったのだろう。

 伊織が答える。


「仮に償却処分を免れても、嘘花となった人はそう遠くないうちに【終末】を迎えます。朽ちて、土に還って、実らせた本物の【嘘花】の堆肥となるために」


 ぐう、と淳の喉が唸った。

 ほとんど泣き出しそうな顔の敦に、「でも」と伊織が言い添える。


「死期を伸ばすことはできます。嘘をつかないことです」


「志摩さん」


 はっとして龍生は伊織を窘めた。

 紗良にも説こうとしていた、その理屈はどこまでも空論だ。

 伊織が龍生を見上げる。


「可能性について説明することはいけないことですか。できるできないは個人の問題です。完全に嘘を回避することができなくても、嘘を減らせば進行を遅らせることはできるはずです」


「話してください」


 促したのは敦だ。


「嘘をつかずに生きるのが難しいことは理解しました。その上で、この寄生植物に少しでも対抗できる方法があるなら知りたいんです」


 そこまで言われては、龍生の出る幕はない。

 諦めてソファに深く座り直すと、伊織が話を仕切り直した。


「嘘を避けるコツは、沈黙、すり替え、思い込みです。沈黙とは言葉の通り、一切のリアクションを凍結することです。人は相手の沈黙をいいように解釈する傾向がありますから、誤解を恐れなければ話題は勝手に流れていきます」


 まるで見てきたように確信を持って伊織が言う。


「すり替えとは、質問に直接答えず、嘘をつかずにすむ範囲で別のことを答える方法です。一見答えているようで、実は話題がすり替わっているというのがミソですね。これは先ほど紗良さんが実際にやってみせたことです」


 現場を見ていた龍生に目を向けて、伊織が付け足した。


「『まだ何か隠している』、その質問に紗良さんは答えられませんでした。肯定するわけにもいかず、でも否定すると嘘になる。だから彼女は別のこと……『ネット上で嘘を重ねるならスマホを取り上げる』という御堂さんの言葉に反発することで嘘を回避したんです」


 賢いやり方。

 そう言った伊織の言葉を思い出して、龍生はなるほど、と納得した。

 紗良の剣幕に押されて誤魔化されてしまったが、確かにあの時、彼女は伊織の問いに答えない。

 そんなやり方もあるのかと盲点を突かれた思いで龍生は一つ、頷いた。


「思い込みは、嘘を本当のことと信じるやり方です。『その時は本当にそう思った』というやつです。これは例えば演じることを生業とした人にとっては有効な手ですが、訓練していない人からすると難しい方法でしょう」


「本当のことを言うのはだめなんですか」


 敦の問いは、同時に龍生の疑問とも重なった。

 これまで提唱されてきた嘘花に対抗する方法は『嘘をつかないこと』、すなわち『真実を語ること』であった。

しかし伊織が話すのは『質問の躱し方』なのだ。


「本当のこととは、案外認識しにくいものですよ」


 考えるような間を空けてから、伊織が探り探り説明する。


「そもそも真実というのは多面的です。同じ出来事を目撃していても、認識、というフィルターを通すと違う記憶になってしまう。例えば火事が起きて、そこから逃げている人がいて……その人が犯人に見える人と、炎から逃げる被害者に見える人がいるように。もちろん事実は一つですが、個々人の『本当』は、多岐に渡るんです」


 一度言葉を切って、伊織が再び考えるような沈黙を挟む。


「──嘘、というものが個人の認識によるものである以上、事実はあまり意味を為しません。あくまでもその人にとってどうだったか、ということが問題になるからです。そして心の中のことは自分自身でもはっきりと見極めることが難しい。言葉になる前の認識や感情は私たちが思う以上に曖昧で胡乱だから。それらをまとめて『思い』と言うなら、思いは言葉に乗せてこそ、ようやく形になるものです。逆に言えば、当てはめられる言葉に変化させるということでもありますから、うまくいかないと意図せず嘘になってしまいます」


 いつになく饒舌な伊織の額には、うっすらと汗が滲んでいた。

 核心に満ちた話し方の割に、酷く緊張しているように見える。


「言葉にしてみたら何か違った。嘘になってしまった。そういう突発的な事故を避けるためにも、確信に至らないことを口にするのは避けた方が良いでしょう。慣れないうちは沈黙が最も有効な手段になると思います」


 ふう、と伊織が息をついた。一通り、主張したいことは話し終えたのだろう。

 疲れたようにソファの背もたれに沈む伊織に、敦が尋ねた。


「俺にできることはないんでしょうか」


 語られた内容は主に嘘花自身が取るべき行動規範だ。紗良を助けたいと願う敦にとっては物足りなさを感じたのかもしれなかった。

 しかし、現実的には嘘花に対して周りがしてやれることはほとんどない。合法的にはカウンセリング、非合法的には逃亡幇助が関の山だ。

 下手に関わりすぎると嘘を誘発してしまう恐れもあり、この点についてはあまり研究されていないのが実情だった。

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