第21話 コーヒーと告白




 禁煙時代の到来によって灰皿が撤去されても、昔ながらの純喫茶は染み付いた煙草の匂いがした。


「コーヒー二つと、ビー……やっぱりコーヒー三つ」


 アルコールを控えたのは就業時間を気にしたせいではない。

 色あせたソファの隣には職場の後輩が、向かいには未成年が座していたからだ。

 長めのため息を吐いてから、龍生は「それで」と目の前の敦に尋ねた。


「俺達を特事課と知って呼び止めたのは、何のためですか」


 敦が龍生と伊織を呼び止めたのは、向井家を出てすぐのことである。

 紗良は部屋に閉じこもり、母親は紫乃のフォローに余念がなかった。

 これ以上の聴取は無理と判断して辞去した二人を、一歩遅れて敦が追ってきたのだ。


 ──特別事例収集課の人たちですよね。


 そう指摘されなければ適当にあしらっていただろう。

 不用意な対応は裏目に出ると感じ、龍生は伊織を伴って誘われるまま近場の喫茶店に入った。

 ブルーグレーの指定シャツを着た敦が意を決したように顔を上げる。


「【嘘花】について教えてください」


 やはり、何も知らないというわけではなさそうだ。

 少なくとも特事課と嘘花、嘘花と紗良を結び付けて考えていることを察して、龍生は淳の二の句を待った。


「特事課という名称は以前、紗良の家の前であなたが口にしていたので調べました。正式名称は特別事例収集課。嘘花という特殊寄生植物に寄生された人達を経過観察するのが仕事だって、ネットに書いてありました」


「概ね正しいです」


 特事課も嘘花も、秘密事項ではないのだ。検索すれば普通にヒットするし、庁舎のパンフレットにも記載がある。

 あまりにも関心を集めない課だから見過ごされているだけで、知りたいと思う者を拒むものではないのだ。──ただ。


「そこまで分かっているなら、俺達に守秘義務があるのも知っているでしょう。例えば君が向井さんの家と嘘花の関係を知りたがったとしても、俺は答えない」


「はい」


 物分かりよく頷いて見せてから、敦が意志の強い瞳で龍生を見据えた。


「ですから紗良のことは聞きません。【嘘花】のことを教えてください」


 なるほど上手い聞き方である。

 すでに沙良の状態は目にしているで、今更確認することはない。

 守秘義務に抵触しない範囲で、むしろ特事課が説明責任を負っている範疇で情報を引き出し、より深い理解に結び付けようとしているのだ。

 賢い子だな。

 タイミングよく運ばれてきたコーヒーを受け取りながら、いつかと同じ感想を抱いて、龍生は腹を括った。


「君も知っての通り、嘘花というのは人間に寄生する植物のことです。ネットで調べたのなら、概要は見ているでしょう。寄生された嘘花達がどうなるのかも知っているはずだ」


「侵食レベルについては目にしました。沙良のあの状態は【中期】段階ですね」


 さりげなく混ぜられた確認に龍生は黙って微笑んだ。

 個人情報は開示できない。

 答えを期待したわけでもないようで、敦はすぐさま切り口を変えた。


「俺が知りたいのは、もっと具体的なことです。嘘花が養分とする嘘とはどんな嘘ですか。嘘を回避するにはどうしたらいいですか。脱法葬儀屋に頼らず、合法的に処分を免れる方法はないですか」


「君は」


 踏み込んだ質問だと自覚しつつも、龍生は問わずにはいられなかった。


「もしかして、沙良さんの恋人?」


 略称を耳にしただけで嘘花に至るまで調べ上げ、頼まれもしないのに家族の泣き所である弟を遠ざけ、更には両親でさえ背負わなかった彼女の人生を背負おうとする。

 そこにはただの幼なじみや同級生などでは片付けられない、献身と執着が感じられた。


「……紗良と付き合った覚えはありませんが」


 ぱちぱちと両目を瞬いた敦が初めて年相応の戸惑いを見せる。


「いや、失礼」


 これ以上は野暮だな、と疑念を振り払っていると、少し考えてから敦がぽつりと言い添えた。


「だけど俺は好きです」


 言葉にしてしまった方がしっくりきたのか、今度ははっきり口にする。


「好きです、ずっと昔から。頑固に見せて打たれ弱いところも。そうとは見せないのに弟思いなところも。愛されたがって、一番にしてもらいたくて、だけど結局わがまま一つ言えないところも。不器用で、優しくて、気高い。そういうところがたまらなく好きです」


 ふと窓の外に目をやって、敦が言った。


「紗良が何になってもいい。でも不幸になるのは駄目だ。絶対に駄目だ。できればおばあちゃんになるまで生きてほしいし、普通に暮らして、普通に幸せになってほしい」


 誠実に積み上げられる言葉を聞いて、龍生は強く胸を打たれた。

 いや違う。傷ついたのだ。

 ずっと好きだと。何になってもいいと。向けた愛情が返されなくても、自分が愛しているだけで十分だと相手の幸福を願う。こんなにまっすぐな想いを、果たして自分は妻に向けていただろうか。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る