第5話 拘置所の化物

 ここから先は何も拾わない。引きずられない。持ち帰らない。

 自戒を胸に面会室のドアを押し開くと、むせ返るような甘ったるい香りが龍生を迎え入れた。


「よーう、御堂。聞こえたぜぇ。ずいぶんと使えない部下がついたもんだなァ、お前」


 部屋に入った龍生の体に粘度の高い声がまとわりつく。

 アクリル板を隔てた向こう側に『設置』されているのは、間違いなく二年前龍生の新居に忍び込み、妻の不倫相手を刺殺した真木康平であった。

 五十センチ四方のセメント製植木鉢から生えるぐねぐねと曲がった体軀。あらゆる場所から天を目指して伸びる枝葉。その合間に鮮血色の花が咲き乱れている。

 そこに顔がついていなければ、もとは人だったなんて信じなかっただろう。

 今年で四十になるはずの真木は、実年齢よりやや若い印象の顔に皮肉な笑みを浮かべて龍生を眺めていた。


「あんたは元気そうですね、真木さん」


 龍生が所定の場所に座ると、キシキシと枝を軋ませて真木が笑うような音を立てた。

 真木の背後には今にも倒れそうなほど青ざめた若い刑務官が直立している。

 こちら側でこれだけ匂うのだから、向こう側は更に臭気が立ち込めているはずだ。

 視線を空中の一点に固定して努めて真木を視界に入れまいとする彼を、龍生は少し気の毒に思った。

 龍生の視線に気づいた真木が、ぎゅうう、と体を捻って刑務官を振り返る。


「全くここは駄目の巣窟だぞ。こんな鉢に固定しておきながら、こいつらまだ俺が恐ろしいらしい。一体何がそんなに怖いんだろうなァ。腕まで切ってみせたお前らが、なあ!」


 凄んでみせる真木に、ひぃ、と刑務官が腰を抜かす。カカカと乾いた声で真木が笑った。

 【嘘花】に寄生された者を鉢に植えるのは、土の中に埋めておくと根を張る習性を利用した、足留めのためだ。

 ふらふらと移動して種子をばら撒かないよう、管理者となる家族や関係施設は少なくとも【後期】までに足留めを行うことが義務付けられていた。

 真木はこの処置に激しく抵抗し、何度も土を掘り返そうとしたために、ある日両腕を肩から伐採されてしまったのだ。

 腕を失った真木はそれでもなお全身を使って鉢から抜け出そうともがき、そのため通常より骨格が大きく歪んだと考えられている。

 職員にとっては化物の枝でも真木にとっては自分の腕だ。その恨みは深いと見える。

 稼働領域一杯に幹をねじ曲げて刑務官を追い詰める真木に、龍生は意図的に白々とした声をかけた。


「話すことがないなら帰りますよ」


 立ち上がりかけた龍生に真木がぎょろり、と目玉を向ける。


「おいおい。待て待て。俺から聞くことがあるだろう」


 龍生に意識を移した真木が刑務官から離れる。失神しかけていた刑務官はなんとか部屋の隅まで這っていくと、気丈にもその場に直立し直した。


「いいのか、御堂。俺は今日、この面会を最後に処分されちまうんだぞ。つまりこれが最後のランデブーだ。特事課としても、個人としても、聞いておくことがあるだろう」


 自分の命の短さを引き合いに出す真木に、首を傾げてみせる。


「生憎俺には担当している【嘘花】が山ほどいる。あんた一人から話を聞けなくても、別段困りません」


「人でなし、と口を噤むような奴らに死に際を語らせられるって? さてまともに話す奴はどれだけいるのかねぇ。お前ら特事課は傷心の【嘘花】に土足で踏み込むくせに何も与えない。だから脱法葬儀屋なんかにお株を奪われるんだ。非合法のあれが未だに一掃されないのもお前らより有意義な情報を引き出せるからだろう」


 そんなことは分かっている。

 顔には出さなかったが、龍生は内心歯噛みした。

 姿形が変わっても、家族や友人、恋人など、その命を諦められない人達は存在する。

 脱法葬儀屋とは、そんな彼らに接触し、法外な金で秘密裏に逃走、偽装処分、あるいは種子の保存を行う葬儀屋のことであった。

 【嘘花】に利するよう動く彼らには素直に口を開く者も多く、結果的にそこで得る情報が彼らの存在を暗黙のうちに容認させる根拠となっていた。

 優位性を見せつけるように真木が胸を張る。


「その点俺は毎度お前の質問に律儀に答えてやる、優等生だ」


「俺とおしゃべりしたいならそう言え」


 ぴしゃりと言い放つと、目を丸くした真木が弾かれたように笑い出した。

 わさ、わさ、と幹を揺らして、ぎし、ぎし、と不快な音を立てる。真木の体から真っ赤な花弁がひらりと落ちた。


「そうだ! そうだ! お前はそういう奴だ! 初めて会った時から何も変わらない! 根が真面目でお人好しで、打たれ弱くて優柔不断! そのくせ高慢なところが全くどうして苦労知らずの坊々様そのものだ!」


 興奮した真木の目元に涙に似た樹液が光る。腕がないから拭えないのだ。


「二年の間にずいぶん擦れた風体になったが性根の乳臭さは変わらねえなァ、御堂」


「あんたはどんどん下品になる」


 挑発をいなしながら椅子に座り直すと、龍生は持ち込んだ鞄の中からタブレットを取り出した。

 聞き取りは原則フリートークにて行われるが、指標とされる質問項目は存在する。

 書類提出用の項目と言ったところか。それがデータ化されてタブレットに入っていた。

 他にも、メモ、録音、会話の文字起こしと用途は多様で、この辺は個々人が力量に合わせて使用している。

 龍生が聞く態勢に入ったことで気を良くしたのか、真木が満足そうに体を揺すった。


「分かっていると思いますが嘘はつかないでください。あんたのその状態だと、次につく嘘が致命傷になる可能性がある。一秒でも長生きしたいなら嘘は避けるように」


 ふん、と真木が鼻先でせせら笑う。


「長生き? どうせ早晩尽きる命だ」


「言い換えます。一秒でも長くおしゃべりしたいなら嘘はつくな」


 再度警告して、龍生はようやく仕事に取り掛かった。

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