第32話 虚しい説得

 暗い坑道内を、得も言われぬ緊張感が満たした。

 開けた区画――此処は鉱床だろうか? 今、この場にある二つのランタンで仄かに照らされたこの空間には、あちらこちらに掘り返した後があり、ならされた壁や地面に大小の凹凸を付けている。中央には一本のレールも敷かれており、空っぽのトロッコがひとつ、寂しげにポツンと放置されていた。

 その酷くいびつに歪んだ土中の区画の奥で、半分異形となりかけているセレンが蹲っていた。


 「お……待ち、して……おりま、した…………」


 壊れた楽器が発するノイズのような、酷く掠れた声。両目に赤い光を湛え、実体化した『エゴ』を半身に纏ったセレンが、やはり壊れた操り人形のように奇妙な角度で身体を折り曲げながら立ち上がる。


 「わた、し……は、願って……いた……! いつの日か……この、場所で……貴方と、逢う……こと、を……!」


 セレンの声に力が込もる。


 「此処は……全てが、始まり……! 全ての、終わりに……相応しい……場所……!」


 「全ての始まり……!? どういう事ですか、セレン!?」


 シェイドが息を呑む気配が、後ろに居るサニーにも伝わった。


 「レッド……ダイヤモンドは……此処で、見つかった…………。これには、最初から……邪悪な、力が……宿って、いた……」


 セレンが、異形と化した方の手であのレッド・ダイヤモンドを掲げる。あの妖しい赤い光は一旦収まっているものの、ランタンの灯りを反射するその光沢は、相変わらず不気味なまでに美しい、鮮血のような赤さだった。


 「先々代様も……お祖母様も……それゆえに、この石を……封じ続けて……」


 セレンが異形の手を握り込む。真紅の宝石はすっかり掌の中に収まり、赤い煌めきは覆い隠された。


 「先代、様は……! それを、知り……! 御自らの、復讐に……利用……!」


 レッド・ダイヤモンドを握り締めた異形の拳がぶるぶると震える。それは怒りか、悲しみか。それとももっと別の感情によるものなのか。

 セレンの胸中に去来する今の想いを、サニーは計り兼ねた。


 「――セレン、もうやめましょう」


 半分『エゴ』と化し、しかしまだ理性を失っていないセレンに対し、シェイドは穏やかに切り出した。

 

 「貴女や、父の真意が何であったにせよ、此処に至っては最早意味を成さないでしょう。父は、既にこの世を去ったのです。彼の遺命を遵守しようとする貴女の心意気は美しいものですが、そろそろ幕引きの時間です」


 シェイドがステッキを収め、ランタンだけを片手に持ってセレンに向かって一歩足を踏み出した。


 「さあ、そのダイヤをこちらに渡して下さい。そして、一緒に帰りましょう」


 穏やかな口調のまま、空いた方の手をそっと差し伸べる。


 「私の元へ帰ってきて下さい、セレン」


 優しい懇願。セレンとこれ以上争いたくないというシェイドの想いが、サニーの胸を激しく打つ。

 彼女から憎悪を向けられ、殺されかけた身としては複雑な感情を抱かなくもないが、それもこれも元を正せばシェイドの父の所為なのだ。むしろ、セレンも被害者と言っていいのではないか?

 少なくとも、同情の余地は大いにある。

 サニーは広い視野に立ってそう考え、密かにセレンが頷くのを期待した。

 しかし――――





 「もう、手遅れ……なの、です……!」





 セレンが頭を振った。同時に、彼女の周囲の空気が歪んだ。


 「――っ!? セレン――!」


 シェイドがその場から飛び退った。弾みでランタンが彼の手を離れ、宙を舞った。

 

 ――ガシャァン!!


 放物線を描くランタンが、空中で粉々に砕け散った。ガラスと共に散華する火花で、『エゴ』特有のクマのような長腕が一瞬照らし出される。


 「――っ!」


 サニーは急いで自分の分のランタンを頭上高く掲げた。たったひとつとなった光源は、それでも目の前に立つ脅威の姿を露わにした。





 「シェイド……さまァァァァ!!」





 ジュディスと同様、肩部から生成された、新しい二本の腕――。

 

 「セレン……! 貴女も、もう……!」

 

 諦念と悲痛の入り交じるシェイドの声。再びステッキを抜く彼の前で、セレンは更なる変異を遂げる。


 膨れ上がる全身――。

 茨の巻き付いた、大樹の如き脚――。

 全身に浮かぶ、赤い斑点――。


 「お慕い……しておりました……! 貴方様を、ずっと……!」


 『エゴ』に取り込まれてゆく中で、そこだけがまるで侵してはならない聖域であるかのように、セレンの顔だけが元のままだった。


 「貴方様と、お父様だけが、私をこの世に繋ぎ止める、ただ二つの拠り所でございました――!」


 怪物に変わる前に想いを遺そうとするかのように、セレンはひたすらに言い募る。

 その赤い眼から、止めどなく涙を流しながら――。


 「だから私は――」


 セレンが、元々の自分の腕を目の前に掲げる。

 握り込まれたその掌を開くと、あのレッド・ダイヤモンドが再び顔を覗かせた。


 「お父様の、御遺志に殉じます――!」


 「セレン――!」


 シェイドが、セレンを止めようと思わず前に踏み出す。

 伸ばされた彼の手の、その奥で――








 セレンは、大きく口を開けてレッド・ダイヤモンドを喰らった。

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