第五話 文化的に死んだ人間について更に深める

 自分にとっては記念すべき一話となった話題の後日談です。

 この後、この話題となった

ピクサーの『Wall-e/ウォーリー』

を紹介してくれた僕の友人から返信があった。


曰く

「人間的に豊かにさせる手段として機械は使われるべきだ。人間を不健康にさせること、退化させることはあってはならない。機械化が歴史的に進んできたことは構わないが、現代では機械化の目的が分からなくなっている。今の社会もその危険を孕んでいて、資本主義がひたすら利益利権のために人間には必要のない贅肉(豊かさ)を生産、供給している。」

 大体自分と同じ考えである。


 だが、やはり人間らしくないとは何なのか分からない。この問は真人間など全く分からないことを前提にしたものだが。


 始めに、人間は他の動物よりはるかに劣っていると考えている人は明らかに間違っていることを始めに指摘しよう。と、同時に人間が動物より劣っていると考えるのもまた誤りであるとも言おう。

 動物には優劣はない、もしくはその動物が絶滅しない限りは優劣など分からない、ただし絶滅した順に劣っているという訳でもない。はるか昔の京大入試に、荘子と生物学の類似点を探すという内容の問題があった。(『「週刊朝日」と昭和史』のどっかに、最近(1955?)の入試問題は酷い! という記事があって、そこに掲載されていた。)そこには生物は不平等なヒエラルキーの中で生活しているように見えて、皆が対等な地位を持っている、というのは生物学の常識だと書いていた。

 なるほど人間は歩行スピードも遅いし、大きさもないし、出産の効率も悪いし難産をするような種族であるが、しかしそれがマンモスもウサギも鯨も狩っている。

 人間よりもはるかに大きく力強い恐竜に駆逐されるではないか、と言われるだろうが、それは多分間違いである。恐竜は自然界の中で生まれた生物なので外来種のようにパワーバランスを凶悪に歪めることはないし、人間を絶滅させることは、食物連鎖の関係上、無い。(このとき人間はバッタやヘビのような地位にいると考えて)もちろん、人間は悲劇的になすすべなく食われるときもある。しかし、恐竜は人間を絶滅させてよいのか? 食べ尽くせば、自分も死んでしまう。動物は互いに持ちつ持たれつなのである。

 蚊が伝染病を媒介して像を殺すこともあるが、像は蚊を恐れて皮膚に軽い感触があったらしっぽで強く叩く。(動物園の像を軽く触ってはいけない理由。軽く触るとかえって警戒される)この時も互いに殺傷する能力を持っている。弱肉強食は、個体単位で見た話だ。数が種族どうしで見たら全く違う。

 ヘビ睨みで蛙を硬直させる、犬は人間の千倍の嗅覚、猫は落下に対する完璧な受け身ができる、鳥は飛べるとか、持ちつ持たれつなことだ。

 また、長所が常に長所であるとも限らない。心理ケアでよく、自分の短所は長所とも考えられるのではないか、考えさせる手段がある。例えば短気なのは、実行力が強い、逆に優柔不断なのは、気が長い。これは生物にも応用できる。体が大きいことは、体温の保持と威嚇、と同時に転倒時の立ち上がりの負担になるし、栄養を多く使う。体が小さいことは、素早い動き、天敵視界からの避難と同時に、体温の保持の難しさ、力の弱さになる。


 これが前振りだったんですか……。ではまず生物らしさを見てみましょう。他の生物に多く見られる生物らしい特徴を述べれば、自給自足、単独行動、狩猟に明け暮れる日々となる。だが一方で、生物は没個性的でないのもよく分かる。

 本能的ではあるかもしれないが、知性的な行動は多い。食虫植物、毒草、戦いの漁夫の利、犬の集団狩猟、糞食い、死体もしくは狩の食べ残しを食す行為、また幼年動物の世話、また、カッコウの托卵(自分の卵を他の鳥の巣に産み、そこで育てさせる行為)等見受けられる。

 だがある程度そろっている動物らしさで言えば、自給自足、一日の半分程度の活動、平等の三つとなります。(かも)


 人間はこの三つをあるいは失い、あるいは超越し、あるいは破棄しようとしている。

 自給自足は人間が失った点である。歴史的に分業が進んだ。例えば農耕の指導者。農業の安定化によって余剰作物が出た時にそれを管理する地位の人間が生まれた。また、戦争を始めて、戦争をするだけの人間が生まれた。現代は言うまでもない。日本人は第三次産業で管理を専業して行い、それを対価に他者から食物や生活必需品と交換して生きている。農家でも、一人ではほぼ一種の作物しか作らない。食肉も塩も他者と交換する。

 こんななので、大和ハウスのCMみたく、自給自足生活は挫折する。確かに人間が自給自足できるのは、人が作った太陽光パネルから得られる電気だけな訳です。

 一日半分ほどの活動。これは現代維持されている。しかも一時はこれを超越していた時期もあった。日欧問わず産業革命下での労働者の酷使、「二十四時間戦え」ちゃった世代。逆にかえってこれが生物らしいと考えてしまえば、働き方改革で目指している働き方、もしくはヨーロッパですでに完成されている短時間労働制こそ生物らしくないものになるともいえる。

 平等。これは現代むしろ破壊されようとしている。二通り考えられる。現代の格差社会。

The rich become richer.The poor become poorer.(富めるものはますます富み、乏しきものはますます乏しくなる。)

この言葉は人口に膾炙した。(この言葉は逆に膾炙してない気がする。人がよく用いる言葉の意)

 もしくはヒエラルキーの破壊という生物学的な平等の破壊。例えば、めちゃくちゃ多い数の植物と、ある程度の数のバッタと、ほんのわずかなタカがほんらいの姿だが、この時誰に対してもヘビの肉を食べるように強制されること。こうもなっていないか? アメリカは、富める人も乏しい人もみんなCoca-C〇laを飲むという国だと述べるひとがいた。これこそ異様ではないかと考えること。


 この辺で多分尺がちょうどよくなりそうなのでお仕舞いにさせて頂きますね。また続きはあるでしょう。

 あと、今回最後の方とか特に、すごい突拍子もない机上の空論を述べましたが、これはあくまで思索の可能性の内のことです。でも、例えば法律を用いて判断を下すような時には、このような感情を排除した考え方があると便利かもしれません。ここの補記を今回のオマケとさせて頂きましょう。

ではでは。

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