☆22

 別世界にも昼と夜がある。ただ昼間の太陽も、夜間の月や星も、見たことがなかった。

 夜更けのフシギノクニは濃い闇に包まれる。暗闇に身を隠しつつ、アリスはキープに向かう。リュックを背負い、ポシェットを下げ、腰には壺を吊るしている。

 リュックには数日分の食料を詰め込んできた。これが尽きたら、サバイバル生活に突入する運命だ。

 宮殿前広場入口の門。落とし格子は例によってミニサイズで通り抜ける。猫サイズで壁際を通り、広場を横目にキープへ近づく。入口への階段を登って、またミニマムに。

 重々しい扉が入口を塞いで、通り抜けられる穴も隙間も見つからない。

 仕方なく入口脇の壁のくぼみに隠れ、仮眠をとる。

 朝。扉が開かれ、隙をみてキープに忍び込んだ。

 後は『特別御前ライブ』のためにウサギが降りて来るのを、待つばかり。『特別御前ライブ』は、謁見の間が会場となる。アリスは謁見の間付近で身を潜め、脱出作戦に備えた。

 待機中に空腹を覚えたが、我慢する。大事な食料に手をつけるべきでないと考えたからだ。

 昨夜はほとんど眠れなかったので、ウトウトする。しかし眠気は、近づいてきた足音で消え去った。

 ギターを下げたウサギ。その前後を挟んで、槍を持ったトランプ兵が一名ずつ。クラブの3とハートの8だ。

 幸いにも、ウサギは拘束されていない。

 一行が目の前まで来たタイミングで、アリスは標準サイズとなった。

 唐突に出現したロリータファッションの女の子に、先頭のクラブの3は混乱している。

 アリスは流れるようにくるっと回転し、ソバットを放つ。トランプの腹部に、遠心力を加えた踵が叩き込まれる。

 クラブの3はふわりと弾け飛び、仰向けに倒れた。

 後方のハートの8が槍を構えようとする。その視界が影に覆われる。ウサギが振り返り、敵の顔面にギターを浴びせかけたのだ。

 ハートの8もまた、崩れるように背中から倒れた。転倒した体を起こそうと、二人のトランプ兵は足掻いている。

「ウサギさん! 走って!」

 ウサギが逃げたぞ、と背後で叫ぶ声。アリスとウサギは並んで、曲線の階段を駆け降りる。転ばないのが不思議なくらいのスピードで。

 前方。アーチ型に切り取られた明かり。ウサギは目を細め、息を弾ませて走る。

 エントランスホール。出口目前で、二人は急停止した。前から二名。後から二名。槍を構え迫って来る、四角い追っ手。挟み撃ちだ。

 アリスは腰に下げていた壺をつかんだ。栓を抜く。前から迫り来るトランプ兵の足元――ブロックチェック柄の床に壺の中身を放出する。

 食用油。相手はアイススケートの初心者ばりに足を滑らせる。

 振り返り、後方にも。面白いように皆、滑る。短い足をバタバタさせて。

 ひっくり返ったカメ。歯がみし、悪態をついている。

「外だ」

 出口から広場を見渡し、ウサギは両手を挙げ、深呼吸する。アリスは仕上げに、残りの油をぶちまけた。

 跳ねるように、急な階段を駆け降りる。広場を走り、壁の近くへ。

 リモコンをポシェットから取り出し、▲ボタンを押す。

「え?」

 変化がない。もう一度、強めに押してみる。

「どうして?」

 意地になって矢継ぎ早に押す。

「うそ……」

 ★の色が消えている。これは何を意味するのか。

「エラー? 故障? 電池切れ?」

 何度も何度も押す。指を止め、考えを巡らす。

「アリス、どうした?」

 アリスはウサギにぼんやりした目を向ける。

「……アリス?」

 放心。十秒の間。それから、やっと、

「リモコンが……」そう言ったきり、続けられない。

「リモコンが使えないのか?」

 ウサギの視線がさまよう。

 アリスの瞳から涙がひとしずく、落ちた。

 ウサギも言葉をなくす。二人は向き合ったまま、一歩も動けない。

 剣先。交わす二人の視線を断つように。

 振り向くと、ハートのJがレイピアを突きつけていた。後ろに数人のトランプ兵を従えて。

「アリス……あれほど裏切るなと言ったのに……残念だ」

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