☆19

 二度目の納品を済ませたアリスは、謁見の間の前で、ハートのJに話しかけた。

「この中を少し見させてもらえませんか? 次の作品の参考にしたいので」

「構わないが、これより上の階には決して行かないように」

 釘をさされたが、アリスは涼しい顔で承諾した。

 天井の装飾を眺めるふりをして、トランプ兵から距離をおく。隙を見て、柱の陰に飛び込んだ。

 ポシェットからリモコンを取り出し、ミニマムサイズとなる。誰も見ていない。壁を伝って駆け抜ける。

 階段付近に見張り。その背後を通り過ぎる。気づかれない。

 螺旋階段。何でもない階段も、現サイズでは高い壁だ。とりあえず猫の大きさになる。身を低くして、慎重に登る。

 禁断の上階。トランプ兵が立っている。縮小。こちらを向いた。フリーズ。視線はアリスのはるか上に向けられている。目に入ってないようだ。胸をなでおろし、さらに上の階を目指す。

 大広間。がらんとしている。安心して上へ。

 寝室。ここで見つかったら即あの世行きだ。急げ。

 螺旋階段が途切れた。これより上の階は無い。この階だ。幸いにも見張りは立っていない。

 地下のように薄暗く、陰気。廃墟の臭い。冷たい隙間風が流れてくる。

 ……風に乗って、かすかに歌声。

 鉄格子。奥から歌が伝わってくる。か細い声の歌が。

 ミニマム・アリスは格子をやすやすと通り抜け、坑道じみた通路を進む。

 奥にもう一つの鉄格子。格子の間から、鎖に繋がれた少年が見えた。

 地べたに座り、真っ白のアコースティックギターをほっそりした腕で抱え、うつむき、弱々しく歌を口ずさんでいる。長めの前髪に隠れて、表情は判らない。

 アリスは牢獄に侵入し、リモコンの▲を押した。

「痛あい!」

 石の天井に頭をぶつけた。慌ててリモコン操作を失敗し、通常サイズをオーバーしてしまったのだ。

「もう……たんこぶできちゃった」

 通常サイズに戻し、涙目で脳天をさする。

 少年はひっくり返って、目をしばたたいている。

「ああ……びっくりした……」

 アリスはにこりとして、一礼した。

「いきなりの登場、失礼しました。わたしはアリスです。現実世界から来ました。ウサギさんと同じく」

「……そんなロリータファッションで?」

 アリスはスカートのフリルをつかみ、牢獄の汚れた地面に、ぺたんと座った。

「ウサギさんは、おいくつなんですか?」

「18歳。アリス、君は?」

「12歳です」

「12歳で、単身別世界へ? すごいな」

 ウサギは身の上話を語った。中学から不登校を繰り返すようになり、しつこい親に屈するかたちで地元の高校に進んだが、ほとんど出席することなく中退したのだという。

「部屋に引きこもって、日がな一日ギターを弾いてたんだ」

「ミュージシャンになりたかったのですか?」

「本当はね。でもネットで配信しても、見向きもされなかった」

 ウサギはギターを膝に載せて構える。フレットに指を添え、アルペジオを奏で始める。

 ウサギの歌声は少女のようだった。花園を飛び回る妖精をイメージしながら、アリスは歌に耳を傾けた。

「これじゃ、見向きもされないよな」

 ギターを置いてはにかむウサギに、アリスはぶんぶんと首を横に振った。

「夢だけはあった。けど、いつも現実のやつが邪魔をするんだ。嫌なやつだよ、現実は」

 アリスが大きく相槌を打つと、ウサギは笑みをこぼした。

「ぼくが部屋から一向に出ようとしないと、父親が怒鳴りに来るんだ。そいうとき僕は部屋の扉をぴったり閉めて、ヘッドフォンでハードコアパンクを聴いた。もちろん爆音でね」

 税務職員の父親。高圧的で怒りっぽい性格。ウサギにとって最大の脅威であり、障害だった。

「逃げ出したかった。だけど家から出たところで、どこに行けばいい? 結局この世界に居場所なんてないんだ……って」

「それで別世界へ?」

「ネットでたまたま見つけたんだ。『別世界へ行く方法』を」

 夢を抱いてやって来た別世界。初めは夢を叶えたように思えたが……。

「今や牢獄暮らしの体たらく。これじゃ、部屋に引きこもっていたときのほうがまだマシだよ」

 ウサギはため息をついて、下を向く。

 胸が締め付けられ、アリスは泣きそうになる。

 不幸から逃れ、幸せになるために別世界へやって来たというのに。

 不憫。気の毒としか言いようがない。救ってあげたい。

 アリスは考えこむ。それから思いきって、

「脱獄しましょうか」と提案した。

 ウサギは呆気にとられ、

「どうやって?」

「便利な道具を持っています。これです」

「リモコン?」

 アリスは身体の縮小拡大を実演してみせた。リモコンの使い方を説明し、ウサギに持たせる。

「あれ? ……何も起きない」

 ボタンを連打しても長押ししても、ウサギの身体に変化は現れなかった。

 この不思議なリモコンは、アリス以外の誰にも使えないことを、このとき初めて知ったのだった。

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